対局日誌

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囲碁免状を考える

2006-11-11 22:15:10 | 雑談
11月6日付けの朝日新聞夕刊
「高尾名人本因坊免状の発行」記事を読んだとき、私もももぞうさんと同じ感想を抱いた。
あまり日本棋院にケチをつけてばかりいるも、どうかと思う。
しかし感じてしまった気持ちは、偽りようがない。

この記事から、発行されている免状そのものを考えてみる。
現行の、
「100万円払いさえすれば、八段免状」
というのはある意味潔いのかもしれない。
「お金を沢山くれるファンが、良いファン」
という考え方は、素直と言えば素直。
つまり免状を従来の免状と同一視せず、募金感謝状とみれば別段どうでも良い話かもしれない。
実際、記事中に登場したアマ五段格で「八段」の方も、そのような意味で取得しているという。
120人が取得したというから、募金の意味で一般から1億2000万を得たというならば、それはそれでアリか。

記事中の藤沢秀行プロが格安で発行し、話題になった
「秀行免状は売れなかった」
というのも注目に値する。
最早金銭の多寡ではなく、免状の意味が全く失われているということなのだ。
江戸時代には通行手形にもなったというのにね。

出す人はいくらでも出すし、出さない人は出さない。
ならばいっそ白々しい棋力判定問題などもやめて、
「一口100万円で八段『感謝』状発行」
にしたらどうか?
免状じゃないのに免状だからややこしいのだ。

棋院は普及を大きな目標に置いているが、その中において
「アマの棋力向上」
のウェイトはかなり低い気がする。
要は棋力は低くても、囲碁にちょっと関心を抱いてくれて、何かの拍子のお金を落としてくれる人を多く獲得するというのが第一。
だからアマの棋力向上の目標となりうる、「免状」がこのような扱いになるのだろう。
「棋力」は保証しないが、「お金を落としてくれる」ことを保証はしている。
その善悪は敢えて言わないが、長期的に「世界」と戦う意味でこの土壌は良質とは思えないし、将来の展望に欠けた行為に感じるのを否定できない。

私のようなライトファンだけでなく、私以上に囲碁に多くを費やしていると思われるnipparatさんですら、再三この現状を皮肉っているのだから、事態は深刻だと思う。

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