老い烏

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33 ガートル―ド 王妃と王弟は姦通(adulterate)していたか?

2011-08-30 18:51:51 | ハムレット

9 ガートル―ド 

 

王妃と王弟は姦通(adulterate)していたか

ハムレットは無論の事、ガートルードですら、どの様な王妃であるのか、評者の意見は一致しない。

王妃は先王の死後2月足らずで、王弟クローデアスと結婚している。これがハムレットを苦しめる一因であり、前半の最も大きなテーマだ。この「早すぎる結婚」について、多くの論者は先王毒殺前から、王妃と王弟は姦通(adulterate)していたとしている。ハムレットの原型の一つとされるフランスのベルフォレの「悲劇物語」第5巻(1582)では、母と叔父は王生前から密通しており、共謀して殺害さえした。

福田は直接ではないにしても、(この点について)ハムレットはベルフォレに負っているとする。すなわち王妃は「不義」(夫殺しも?)を平然として行う女性であった。こうしたガートルード理解を支持する論者は多い。

20世紀前半ではグランヴィル・バーカーも、1937年にはそのように記している(臼井善隆訳『ハムレット』早稲田大学出版部 、1991年)

「(観客は)この浅薄で優しい不活発な愛らしい女性が夫を裏切り、しかも不倫の関係を夫に隠しおおせるだけの、狡猾な妻だったということを知っている」

あるいは、「ハムレットの言葉は、彼が彼女の不倫を知っていることを、はっきりと彼女に告げている」としている。

第1幕第5場で父王の亡霊は、次の如く述べる。

あの近親相姦(incestuous)の、あの不義密通(adulterate)の獣が、奸智の魔法、裏切りの才覚を使って――ああ何たる邪悪な奸智か才覚か、あれほど見事に女を誑かすとは!

わしのこよなく貞淑に見えた妃の心を奪い(the will of my most seeming-virtuous queen)、おのれの恥ずべき肉欲の餌食としたのだ。・・・(略)・・・淫らな女は例え光り輝く天使のごとき人間と契りを結んでも、その清らかな寝床に飽きて塵芥をあさるものなのだ                 

野島訳

上記を福田は「不義と言おうか、乱倫といおうか」とし、小田島は「不義不貞」としている。ともに正確な訳ではない。福田は近親相姦(incestuous)を「乱倫」という行き過ぎた意訳をしているし、小田島は「不貞」としている。両訳とも近親相姦(incestuous)を無視、訳から落している。

D.ウイルソンも、先王の生前から王と王妃は不義の関係にあったとする。

しばしばハムレットもこの言葉を使う。だがクロ―ディアス王と王妃が、本当にハムレット王の生存中から、不義の関係にあり近親相姦だったのかは別の事である。

   註)ブラナーの映画ハムレットでは、第一幕第3場の亡霊の科白に、画面では先王生存時に、王宮で戯れるクローディアスとガートル―ドを重ねて映し、一瞬であるがコルセットを外す女性の背中が映される。彼らの不倫をハムレット王の亡霊が信じているのか、ブラナーがそう解釈しているのかは、明らかではない。おそらくブラナーも不倫があったと考えて、このショットを入れたのだろう。

 

寡婦の再婚

次に寡婦の再婚について記す。

当時の寡婦の再婚例を示してみよう。

シェイクスピアのパトロン、ザウザンプトン伯の母親、レチィス・ノスリは夫の死後2年でレスター伯爵と再婚、さらに10年後には16歳年下のC・ブラントと結婚した。また彼の弟の葬儀には、未亡人の傍らに再婚相手が列席していたという。

歴史に残る人物の結婚歴をwebで検索してみればよい。ほとんどの人物が再婚をしている。再婚は珍しいことではない。早期での再婚も珍しい事ではなかった。

前に記したエセックス伯ドヴルーの妻も、貴族シドニーの未亡人だ。

そればかりではない。エリザベスの父ヘンリー八世の王妃キャサリンは、死んだ兄王太子アーサーの嫁(未亡人)であった。ヘンリー8世はキャサリンと離婚し、エリザベスの母アン・ブ―リンとの再婚問題でローマ教皇と喧嘩別れし、国教会を作り自らが長となっている。 

こうした再婚問題は上流階級での話で,一般庶民には関係がないないと、寡婦の結婚を「異常」と考えても可笑しくはない。しかしシェイクスピアの観客は、上は女王から下は1ペニーの庶民まで、幅が極めて広かった。庶民感覚のみで物事を判断してはならない(というよりも、シェイクスピアは1ペニーの一般庶民を対象に劇作したのではない、と知っておくべきだ)。

若年男子が多く死亡する戦争などの後には、寡婦の再婚は珍しくない。第二次大戦後の日本でも多くの寡婦は再婚した。その再婚相手は義理の兄あるいは弟である場合がしばしばだった。

夫婦のどちらかが、若年で死亡する可能性の高い近世初頭の英国において、特にペストが多くの人命を奪ったエリザベス朝時代、再婚も早婚あるいは晩婚も、一般庶民にとっても珍しい事ではなかった。寡婦の再婚は珍しいものではなく、憎悪されていたとは考え難い。

註)“Shakespeare’s England”で、R.E.Pritchardは「高い死亡率は比較的に若い寡婦および寡夫をうみだし、彼らは通常再婚した、しばしば何度も」と記している。

日本のシェイクスピア学者の中では、次ぎのごとくの「通説」が未だに論証なくまかり通っている。シェイクスピア学者(富原芳彰「シェイクスピア試論」研究社出版、昭和37年)は書く。

「シェイクスピアの当時において、寡婦の再婚は一種の合法的姦通とみなされ、丁度,高利貸と同じように、法律的には許可されていても、人々の倫理的感情からは憎悪されていたことは、当時の文献が語っている」

富原は、どのような文献にそれが書かれていたかを明記しなければならない。彼が論文中で証拠として引用しているのは、亡霊とハムレットの科白である。これでは意味をなさない。「合法的姦通」とする「当時の文献」を証拠として示すべきである。

キリスト教ではどのように考えられているか。新約聖書から引用する。

ロマ書(7:2-3)で使徒パウロは書いている。

「法により結婚した女は、夫が生きている限り結びついている。しかし夫が死んでしまったなら、結婚の法から自由である」

上記はカソリックもプロテスタントも同一の見解で、寡婦の再婚を神は認めているとしている。エリザベス時代でも、これは基本的に受け入れられていたと考えて良いだろう。とすれば、寡婦ガートル―ドの再婚は法的にも宗教的にも、したがって倫理的にもまったく問題は無い。

未亡人の再婚はエリザベス時代、珍しいことではなかった。「珍しくない」ことは憎悪されて「いなかった」とは厳密には同じではない。珍しく「なかった」が、憎悪されて「いた」かもしれない。しかし富原の言う如くの「憎悪」は、もっと近年になり、若年者の死亡率の低下した19世紀になってから生じたのだろう。富原は誤っている。

   



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