老い烏

様々な事どもを、しつこく探求したい

4 グレートヒェン悲劇(2)

2015-06-14 17:16:22 | 「ファウスト」を読む

   マルテの庭

 愛欲に駆られたファウストはメフィストと共にマルテの庭でグレートヒェンに会い、若い二人は逢瀬を楽しむ。別れしなに、ファウストは聞く。

 ファウスト     ゆっくりとお前の懐に寄りすがって

            胸と胸、心と心を触れ会わせたい。

 グレートヒェン  一人で眠られるんだったら、 

            今夜、掛け金を外すんだけど

            母さんは眠りが浅いの。

            見つけられたら、その場で死んじゃうわ。

 ファウスト     簡単なことだ。

            この小壜から3滴、母さんの飲物にお垂らし。  

            ぐっすりとお眠りなさるよ

 グレートヒェン  貴方の為なら、私、何だってしてよ。

           でも、母さんの毒にはならなの?

 ファウスト    毒を勧めやしないよ。

 グレートヒェン  私、貴方のお顔を見ていると、

           何故だか、何でもしたくなってしまうの。

           此れまでも、色々したけど、

           もう、何もないような気がするわ。          (U)

    グレートヒェンは、ファウストの欲望に答えるかのように、「自ら」部屋の掛け金を外す約束をする。この言葉は彼女の性衝動(愛)が言わせるもので、この恋への彼女の「積極性」を物語る。しかも、彼の与える睡眠薬が「毒」であると疑ってさえいる。それでも彼女は己の中なる「愛欲」に従ってしまう。彼女は彼ファウストの願望を「受身で」聞き入れたのではない。彼女自身の声に従って「積極的」に彼を部屋に、自らに向かえ入れた。                                            

 恋人たちと悪魔メフィストが望んでいた夜となる。おそらく二人の逢瀬は幾夜も続いたであろう。そうした夜には、グレートヒェンは、こっそりと母親の飲み物のなかに「3滴」の睡眠薬を落としたことだろう。そんな幸せなある日、彼女は「井戸のほとり」で友人のリ-プヒェンに会う。リープヒェンの言葉に自らを重ね、彼女は不安のうちにつぶやく

        Und segnet’ mich und that so groß,
        Und bin nun selbst der Sünde bloß!
        Doch – alles was dazu mich trieb,
        Gott! war so gut! ach war so lieb!

        自分は高みの見物で、偉そうな顔をしてたんだわ

        ところが今は、自分がその罪にさらされている。

        けれども――こうなるまでの道筋は

        なんて良かったんだろう、なんて嬉しかったんだろう。

 ここに読者を不安に落とし入れ、更にグレートヒェンと読者を一体化させる強烈なメッセージがある。

 ここで、柴田翔氏は奇妙な解釈をする。ファウストが彼女に与えた「眠り薬」はメフィストが「準備」した、と書く。母親の「毒殺責任」はファウストでなく悪魔に帰せられる。そうかもしれない。そうでないかもしれない。詩劇ファウストには毒薬を「誰が調合したか」について、何も書かれてはいない。

 詩からすれば、彼の欲望がこの眠り薬を調合したと考えるべきだろう。母親を殺したのは「薬」ではなく、「逢瀬」に邪魔な母親を排除しようというファウストの愛欲だ。あるいはファウストとグレートヒェンの二人の愛欲なのだ。彼の与える薬が「毒かもしれない」と疑いながら、彼を欲するグレートヒェンの「愛」する心の高まりは、その疑いをも抑圧する。「貴方の為なら、私、何だってしてよ」と。

 グレートヒェン、お前は何と自に素直な乙女であることか!だが、彼女の心は評者や翻訳者の考える「清純な」心だろうか?確かに、彼女は愛に「純真」であった。しかし、それは決して評者や翻訳者が「希望する」純真ではない。

 拙稿「ハムレット論」で、オフィーリアは彼との間に性交渉を経験してはいても、「清純」であるとした。同じ意味でグレートヒェンは、母親に「眠り薬」を与え、部屋の「掛け金を外して」ファウストを己の中に迎え入れても、「清純」な乙女だ。

 その夜、若い二人は「目的」を達する。彼女の悲劇は以後避けようもなく進行する。

 グレートヒェンは、次の「井戸のほとり」の場面で、リースヒェンから友達バルバラの噂話を聞かされる。バルバラと同じ立場になったグレートヒェンは、「かわいそうな人」や「でも、男の人、きっとお嫁さんにするわ」とバルバラを弁護する。女友達バルバラの運命は、今や彼女にとって他人事ではない。バルバラの結婚は彼女の希望でもあった。「彼女が結婚できるのなら、きっと私も結婚できるわ(捨てられるなんてことないわ、きっと。アぁ、神様)」。だから、家への帰途の独白で「よその娘の間違い」を、かっては「勇敢」にこきおろし、人の「罪を責める」には「いくらいっても言い足りない気持ち」で、人のした事が「黒い」と思えると「いっそう黒く塗」り、高みの見物で「偉そうな」顔をしていたが、と独語し、さらに「今は自分がその罪に晒されている」と言う。      (U)

 この段階での彼女の「罪」意識は何なのだろう。リースヒェン(の台詞)は、バルバラは男と性的関係を持った事実のみを言っている。結果としてのバラバルの妊娠は、リースヒェンの希望的「推察」に過ぎない(「飲み食いするのも今では二人分なんだってさ」)。グレートヒェンはバルバラと同じ「愛」の陥穽に落ち込み、世間の噂になる恐怖を「罪」と意識している。最後の二句「まあ、なんてよかったのだろう。なんて嬉しかったのだろう」は、彼女のファウストへの愛を直截に物語っている。彼女自身の愛(性愛)の満足に、この時、彼女は疑問を抱いてはいない。

 ゲーテは「罪」という言葉をグレートヒェンに言わせているが、その内実は今日的・「日本的な意味」、「道徳的」、「刑法上」、「宗教上」の罪ではない。庶民階級の乙女達に世間が強制する表面的な「道徳」からの「罪」に過ぎない。花輪や藁を撒かれるなどの「いじめ」を含む、「世間的汚名」からの「罪」を問題にし、それに彼女は恐怖を感じている。

 ここではグレートヒェンはファウストと性関係を持ってはいるが(バラバルと同じに)、彼から「捨てられ」てはいない。しかし、彼から「結婚の約束」を取り付けてもいない。彼女の不安はファウストが「お嫁さんにする」と言ってくれぬ事だ。彼女には確信が持てない。バルバラの結婚は彼女の希望でもある。バルバラが結婚できるなら、私も結婚できるだろう。彼女はファウストとの結婚の希望と共に、それ以上に恋人の態度に不安を持っている。リースヒェンの言うように、彼に捨てられ「世間から辱めを受けるのではないか?」という不安。しかし、その不安を押しのける現在の「性愛への歓び」!

 彼女の言う「罪」を「道徳的」な罪(私通)を犯した、としては、ゲーテの考えを無視し、ファウストの読み誤りになるだろう。

 星野慎一氏は「ゲーテ」(清水書院、1981)で次のように記す。彼女は「過ちを犯したが、彼女を罪に陥れたのは彼女の官能であって、その魂までがそれを肯定した訳ではない」と。彼女の官能に責任があり、魂はそれに「独立」した存在であるという。日本の独文学者は20世紀の後半になっても、官能=悪、魂=善という二項対立の単純な善悪意識から自由にはなっていない。官能は魂の一部であり、官能を離れて人間は存在しないのだ、という単純な事実を見失っている。

 小塩節氏は書く。

 「グレートヒェンには愛だけがある。彼女は愛を通してだけ生きる事が出きる。・・・・美しいはずの恋が、社会の枠を乗り越えようとした二人の『わがまま』の為に、壊れていったからである」

 「愛だけ」の人間など存在しない。グレートヒェン(人間)は愛「だけ」では「生きてはいけない」し、「愛を通してだけ生きる」のは不可能と知るべきだった。「愛だけ」で生きようとしたから「嬰児殺し」が生じたのだ。生きる為には、嬰児殺しを避ける為には、「愛」だけでは不十分なのが人生だ。

 小塩氏のいう二人の「わがまま」、「社会の枠」とは何か。「美しいはずの恋」とは「社会の枠にとどまって」いる恋、つまり性を排除した愛を言うのか?そうであれば、このゲーテ研究者の思考は、「井戸のほとり」のリースヒェンや、ズザンナを斬首した18世紀フランクフルト市の考えそのものではないか?

 グレートヒェン悲劇に感動的するのは、彼女の「愛の危うさ」、愛する者なら誰でもが経験する「社会の枠」との葛藤、愛の「陥穽」を意識するからだろう。

 

 「井戸」から「市壁の内側に沿うた小路」に場面は展開する。この場でのグレートヒェンは次のように悲しみと苦しみ、悩みを「受苦のマリア像」に祈る。

         私の骨身にとおる苦しみを

         他の誰が感じてくれましょう。

          一人になります毎に/

         私は泣いて、泣いて、泣きとおし

         胸も張り裂けるようでございます

 

         お助けくださいまし、恥と死からお救い下さいまし。

         苦しみ多い聖母様

         私の悩みに対し、お恵み深く

         お顔をお向け下さいまし                (U)

 何故彼女は「一人になります毎に/私は泣いて、泣いて、泣きとおし」、「恥と死」を予感して、聖母マリアに救いを求めるのか?この直ぐ前の場で、彼女は自らの性愛を「なんてすばらしかったのだろう」と肯定していたというのに。

  柴田翔氏はこのグレートヘンの苦しみ、悲しみをファウストとの恋ゆえとする。愛の不安からの叫びだとする。これまた「阿保」な解釈だ。恋の不安、愛の苦しみであれば「死」を彼女は感じる必要性はない。又、この時、ファウストは彼女を「捨て」ていない。

 この段階では未だ、グレートヒェンは恋人からもらった「睡眠薬」で母親を殺してはいないし、ファウストは恋人の兄ヴァレンタインをメフィストの助力(企み)で殺してもいない。ましてや「胸の下でムクムク蠢くもの(胎児)」を感じてはいない。彼女の不安はファウストから「結婚の約束」を貰えていないこと、バルバラと同様に、愛している男から「捨てられる恐怖」しかないはずだ。彼女の「恥」と「死」の恐怖は、未だ存在していない筈だ。これが意識されるのは、次の「夜」から「寺院」の場で彼女に明らかになる。

 ゲーテは語る「場」の順序を誤っている。以下の理由による。

 次の「夜」での、彼女の兄、善良なヴァレンタインは、愛する妹がよそ者に弄ばれ、その為に彼の誇りであった妹が、「あるまじき道」を歩んでいるとして、兄として怒っているに過ぎない。母親の死を意味する文言は一つもない。兄の頭の中には母親の死は存在していない。ではグレートヒェンの母親は未だ生きていたのか?

 母親はその「朝」に、グレートヒェンから与えられた薬で眠ったまま死んだ、と考えられる。母親の死を未だヴァレンタインは知ってはいない。妹グレートヒェンは兵舎に住む兵士の兄に、母の死を知らせていない。この段階「夜」では、自らがグレートヒェンに与えた薬で、母親を殺したとの認識はファウストにもない。だから、彼は殺人者の「罪意識」でなく、恋人を裏切る「罪意識」を持ちながら、愛欲に駆られて恋人の家の窓の下に、悪魔と共にやってくる。勿論メフィストは全てを知っている。だから、悪魔には事態は楽しくてしょうがない。

 「夜」の時点で、グレートヒェンは母親の死を知っていた。この「夜」の朝には、母親は恋人から渡された薬の「たった3滴」を飲んで、「永遠の眠り」から覚めなかったからだ。彼女はどうして良いのかわからず、錯乱の内に恋人ファウストが来る「夜」をひたすら待っていただろう。

 彼女は恋人から与えられた「眠り薬」が、毒薬かもしれないと疑った事がある。母親が眠りから覚めないのが、その「薬」の為だとも知っていた。ただ彼女は母親の死をどうしてよいか分からず、恋人の訪れる「夜」を待つしかなかった。

 母親の死について何も知らぬファウストが、恋人の元へ行った「夜」、ファウストは彼女の兄ヴァレンタインを殺害する。ファウストとメフィストが逃げ去った後、瀕死のヴァレンタインの周りに集まる人々の中には、生きていれば当然いなければならない、彼とグレートヒェンの母親の姿はない。この時には既に母親は殺されていた。ヴァレンタイン殺害を犯したファウストは、その「夜」から彼女を訪れる事は出来ない。殺害犯としてお尋ね者になっているからだ。

 彼は逃避行として、メフィストと共に、「ヴァルプルギスの夜」にブロッケン山へと出かけてしまう。グレートヒェンは完全に彼から「捨てられる」。彼女には相談すべき母親も兄も、この世の人では亡くなっていた。彼女はまったくの孤独の内にある。

 グレートヒェンの母親と兄の死、これは悪魔メフィストの直接行った犯罪でなく、彼ファウストと彼女グレートヒェンが、「愛」の名の下に行った犯罪だ。だから、余計に嬰児殺しの罪による彼女の死が、悲劇的・普遍性を持つ。何故なら、こうした運命は彼女が「最初でもなければ、最後でもない」からだ。「愛」の名による、何時でも誰にでも起きうる人生の罠、陥穽だ。

 「夜」の場の次の「寺院」では、「葬儀。オルガンと歌声」となっている。この合唱の歌詞はモーツアルトやヴェルディの作品で知られる「レクイエム(死者の為のミサ曲)」である。鴎外はラテン語で記している。他の訳はこの事に触れてもいない。

 この葬儀は兄ヴァレンタインと母親の葬儀だ。彼女は、母と兄の死に直接・間接に自らが関係している事を知っている。だから、背後の「呵責の霊」が彼女を責め続ける。この「呵責の霊」をメフィストと考える人がいる。誤りであろう。霊は彼女の心から出たから「呵責」になる。彼女は己の犯した罪を知っている。

 「呵責の霊」は囁く。

          お前の胸には、何たる悪業が宿ってるのだ。

          長い業苦へ、落ち込んだ母の魂に祈るのか。

          お前の家の敷居には、誰の血が流されたのだ。

 霊は続ける

          お前の胸の下には、はやムクムクと動くものが、

          将来の不安を宿した現在の姿で

          お前を悩ませているではないか               (U)

 「将来の不安」はムクムクと彼女のお腹で動きだした胎児だ。ファウストに見捨てられ、妊娠を胎児から告げられたグレートヒェンは苦しみもがく、

         心の中を往き来して、私を責め立てる、

         この思いから逃れられたら 

 彼女は母親を誤って殺し、恋人に兄を殺され(恋人ハムレットに父を殺されたオフェリアを思い出そう)、しかも愛し頼りにしていた恋人に「捨てられ」、さらに胎児の動きを自らの内に感じていた。何という恐ろしい状態に彼女は陥っていることか!

 彼女はこの時点で、最も深い悲しみと苦しみ、そして不安を味わっている。だから、「寺院」後にこそ「市壁」のシーン、聖母マリアへの祈り、悲しみの祈りとなるべきだ。

 森鴎外の訳でも、Urfaustでも、「市壁」のシーンは「井戸の場」にすぐ続いている。ゲーテ自身もこの順序で良いと考えていたのだろう。しかし、聖母マリアによる救済が第二部で予定されているとしたら、ここでのグレートヒェンの悲しみ苦しみは、己の犯した罪、(親殺しの)罪は己の(性)愛にある、と自覚した後でなければならない。

          私の骨身にとおる苦しみを

          他の誰が感じてくれましょう。

          一人になります毎に/

          私は泣いて、泣いて、泣きとおし

          胸も張り裂けるようでございます

 

          お助けくださいまし、恥と死からお救い下さいまし。

          苦しみ多い聖母様

          私の悩みに対し、お恵み深く

          お顔をお向け下さいまし

 全くの孤独の内で、彼女は恐怖の中で胎内に成長するファウストとの子供を感じ、そして出産し嬰児と共に彷徨よい、終には水の中に嬰児を投じる。

  「嬰児殺しのテーマ」を、ゲーテは他の小説でも取り上げている。1809年刊の「親和力」で、女主人公オッテーリエは、恋人の田舎貴族エドワルドと彼の妻シャルロッテの子供、自分の「目」を持ち、シャルレッテの恋人(の大尉)の面差しを持って生まれたオットーを、「誤って」ボートから湖水に落とし死なせている。

 湖畔で密かにオッテリエと会ったエドワルドは、自分と妻の間に生まれた子供を恋人から見せられる。友人の大尉(少佐)に余りに似ている子供に、彼は妻の不貞を疑う。しかし開けられた子供の眼は、彼の恋人オッテエーリエのものだった。彼は叫ぶ。「二重の不貞で生まれた子供だ!」。

 別れ際に二人は固く抱き合う。彼女は

 「自分の胸を例えようもない優しさで、しっかりと彼の胸に押し当てた。希望が流星のように彼らの頭上をかすめて飛んだ。二人は互いに、自分は相手のものだと幻想して信じ、初めて決定的な、こだわりのない口づけを交わし合い、自らに強いて別れた」。

 彼女は対岸の離れ家へ、近道として湖水をボートで渡ろうとする。  

 「彼女の心は対岸に飛び、子供を連れて水上に出る危うさへの心配は、はやる気持ちの内に消え去った。・・・胸が高鳴り、足がよろめき、気も遠くなりそうになっていることを、彼女はもはや気がつかない。」

 「左腕に子供を抱え、左手に本、右手に櫂を持ったオッテリエは、船の揺れに重心を失って小舟の中に倒れた。櫂が手を離れて流れ、体を支えようとするうちに、子供と本も、体の傍をすり抜け、すべては皆一緒になって水に落ちる。・・・」

 「漸く起き直って、子供を水から引き離すが、その目は閉じられ、息はなかった」

                              柴田訳「親和力」、講談社文芸文庫、P368以下。

 子供の死は彼女の「過失致死」であったのか?父親エドワルドも母親シャルロッテも彼女を責める事は無い。また訳者は次のように書く。

 「子供を受け取るのは、幸せな恋の高揚のうちに復元が決定された太古の湖である」

 小説は如何様に書ける。が、解釈は如何様にも書いてならない。そもそも湖は「太古」などとゲーテはどこにも書いていない。かってに修飾語を乱用しないでほしい。

 「子供の死」に罪を感じたオッテーリエは、食を絶って自死を遂げる。訳者柴田氏は「子供の死の責任を、何故、行為者である二人でなくオッテ-リエが・・・・引き受けなければならないのか?」と書く。

 この芥川賞受賞歴のある文学者にして大学教授は、何を訳しているのかに全く自覚がないようだ。ゲーテは上記のように、オッテーリエの犯した罪、一種の不貞(抱き合いキスまですれば、十分にそう言える)による幼子「殺害」をちゃんと書いているではないか。その上で彼女に自死という責任(処罰)を与えている。それが分からぬままで翻訳するとは!!

 グレートヒェンはファウストに見捨てられ、「恥と死」の不安と恐怖を感じていた。この時、グレートヒェンにはファウストは勿論、母親もいなかった(「市壁の場」・・・筆者解釈による)。母親は既にファウストの与えた睡眠薬で永遠の「眠り」に落ち、兄ヴァレンタインの殺人犯ファウストはお尋ね者となり、グレートヒェンには合えない状態になっていた。彼女は全くの「孤独」の中で出産する。

 ファウストがメフィストと共に過している間(「ヴァルプルギスの夜」など)、彼女は子供を抱えて放浪し、ついには嬰児を池に投じ、逮捕され牢に繋がれる。裁判では「嬰児殺」犯人として、公開斬首刑の判決を受ける。処刑の前日となる。

 処刑前日の「曇れる日」、野原でメフィストを呪ってファウストは言う。

          悲惨な目にあって、絶望に沈んでいるのだな。

          長い間、惨めな思いをして、世の中を彷徨ったあげく、

          今は囚われの身になっている。あの可愛い因果な娘が、

          罪人として牢獄に繋がれて、恐ろしい憂き目をみているとは。

          役立たずの裏切り霊め――しかも貴様はそれを俺に隠していたのだ。

          ・・・・

          あれの苦悩をひた隠しに隠して、頼るものも無い破滅に陥れたのだ。

  メフィストは冷然として答える。

          なにもあの女が初めてと言う訳でもありませんや

  「幾千人の運命を、平気でせせら笑う」と非難するファウストに、悪魔は答える。

          どこまでもやり遂げる力が無いのに、

          何故こちとらと、縁を結ぶ気になったんです。

          空は飛びたいが、目眩は怖い、というところかね。

          一体、私の方から押しかけたんですか、

          貴方の方から持ちかけたんですかね?               (U)

 全てはメフィストの掌の内にあったのだろう。しかし、メフィストが言うように、グレートヒェンの過酷な運命を最終的に選んだのはファウストであり、またグレートヒェン自身であったと言わねばならないだろう。

 最後「牢屋」で、グレートヘェンを牢から、公開斬首刑から救おうと駆けつけたファウストへの彼女の言葉は悲痛である。次のようなセリフだ。

  グレートヘェン 私には何の望みもないの。

            逃げたってどうにもならない。待ち構えているの。

            乞食をして、その上良心の呵責まで引きずって。惨めよ!

            知らない土地を流離い歩く。嗚呼、なんて惨めなの。

            それでも私を捕まえるのだわ。

  ファウスト    私が側についているよ。

 グレートヘェンはファウストを信用しない。代わりに溺死した嬰児を救ってくれと頼む。

 グレートヘェン  すぐに捕まえて!

            浮き上がろうと、まだ、もがいているわ。

            助けてよ!助けて!

            ・  ・・・・・・・・

            貴方が私と夜を過ごしたなんて、誰にもいわないで。

・  ・・・・・・・・

  ファウスト    ああ、俺は生まれなけりゃ、良かったんだ。    (U)

 ファウストの「生まれてこなけりゃ良かったんだ」について、山下肇は「解説」で、太宰治の「グッドバイ」の文章、「生まれてきてごめんなさい」を説明なしに引く。訳者の解説であれば、この文言は第一部「天上の序曲」を受けて、ゲーテは書いている、と記すべきだ。何故なら「序曲は」旧約のヨブ記を下敷きとしている。

 ヨブは全てを奪われ、更に激しい苦痛を伴う病苦に犯され、自らの「生」を呪う(主を呪うのでなく)。「俺を産んだ胎よ、呪われろ」と。ファウストの「愛」の苦痛(「ああ、俺は生まれなけりゃ、良かったんだ」)は、ヨブの「生命」への呪いに近い。

 ファウストの自らの生への呪い、グレートヒェンの愛を裏切った自らへの呪いを述べて、ファウスト第一部の完結へと向かう。

 従来、ファウストの救済は、グレートヒェンの「愛」によると強調されていた。救出しようとするファウストの腕から逃れ、罪を認め、神に全てを委ねようとするグレートヘェン。ここで全ての訳者・解説者は感激し、第二部へ続く「天上」からの「救われたのだ」とのセリフの意味を強調する。確かにそうだろう。しかし最後のファウストの「自らへの呪い」、「自責の念」があって、初めて「天上」からのグレートヒェンの救いも可能となるのだろう。詩劇ファウスト第二部第一幕「爽快なる土地」で、心に深い傷を負ったファウストの「癒し」が必要になる所以でもある。グレートヘンには「救い」が、ファウストには「癒し」がゲーテにより与えられる。

 「救われたのだ」はUrfaustにはない。第二部の終末を予定して1808年刊の第一部に付け加えられた。

  最後の彼女のセリフ「ハインリヒ、ハインリヒ」は痛切だ。

 

 

 

 

 

 


13 第三幕 ヘレナ物語(オイフォーリン)

2014-11-25 20:23:33 | 「ファウスト」を読む

             オイフォ-リン物語

  「ヘレナ劇」は前半の「メネラオスの宮殿の前」と「城の中庭」の二場と、その後のアルカディアの家庭劇「オイフォ-リン物語」に分かれる。細かく言えば、「オリフォーリン物語」も二つに分かれる。幼児オイフォーリンと青年オイフォーリンだ。幼児オイフォーリンに、ゲーテの唯一成人した息子アウグストを重ねても良い。わが子を愛おしげに見つめる40歳そこそこの父親ゲーテの姿と視線を、ファウストのそれと。24歳の若き母親クリスチャーネをヘレナに重ねて見ることが出来よう。

  この幸せな「家族」はギリシャのペロポネス半島の北西部のアルカディアの洞窟に存在する。洞窟は他の世界から隔絶された環境だ。その中に川も湖もある「広大」な空間だ。それでもそこは洞窟、岩に取り囲まれている。ゲーテは他から切り離された世界に幸せなファウスト一家をおく。ゲーテもまた1790年から1800年頃までワイマールという領邦国家宮廷から自ら選んで距離をおき、詩人一家はあたかもアルカディア洞窟のファウスト一家のようだった。時と場所を異にした二つの「家族」は外部世界から孤立している。ここに登場するファウストは、アウグストという幼児を持った幸福な父親となった中年の詩人ゲーテだ。幼児オイフォーリンを語る詩(フォルキアス〈メフィスト〉が語る)は、その当時のゲーテの幸せな残像と考える。

  初めて子供を持った父親ファウストと母親ヘレナの気持ち、そして子供を見る暖かさと、万が一を考える親(ファウストとヘレナ)の不安。親なら誰でもが持つ普遍的な、同時に一時的な「幸福感」だ。いずれ子は育ち独立し親は老いる。子に願う幸せへの希望が、確実に満たされる保証はない。親になって初めて感じる不安。これも人生だろう。

  登場するや(フォルキアスのセリフ)、活発な幼児オイフォーリンは岩の間に落ちる。不安に駆られる両親の前に息子はいきなり青年となって再登場する。青年オイフォーリンは「高く、高く」飛ぼうとし、終にはギリシャ神話のイカロスのように墜落死する。

 青年オイフォーリンは好戦的だ。正義に呼びかけ戦争を正当化する。オイフォーリンは叫ぶ。

    君たちは 平和を夢みてろ。

    夢見たい者は みていろ。

    戦争が合言葉、そして、

    勝利、と言葉は続く・・・・・

    海の轟きが聞こえる。

    谷間じゅうのこだま。 

    陸でも海でも、軍が軍に激突し

    犇き合っての苦戦。

    死は、掟。当然の宿命だ。

 このオイフォーリンについて柴田氏は「美=ヘレナ」と「現実=ファウスト」の結合から生まれた「詩=オイフォーリン」は「現実」の制止も「美」の嘆きにも耳を貸さず、人間の限界を無視して高きを目指します。自由の為の戦い――それが「詩=オイフォーリン」の目標です(「読む」P311)と書く。氏の解釈は正しいのか?

  ゲーテはオイフォーリンについては「対話」で語っている(1829年12月6日)。「オイフォーリンは人間でなく、単なる比喩的な存在に過ぎない。どんな時間にも、どんな空間にも、どんな人間にも、一切束縛を受けない詩的なものが、彼の中に擬人化されているのだ。・・・・(彼は)いつ何時、何処にでも出現できる幽霊に似ている」。この言葉の意味は正直言ってよく分からない。

  「青年」オイフォーリンは、当時トルコ領であったギリシャの独立運動に参加し、ギリシャ上陸後のメソロンギで戦病死した英国ロマン派の詩人バイロン卿(1788-1824)を指すとされている。詩劇ファウスト中にも「死体は周知の人に見える」とあり、オイフォーリンのセリフからもバイロンと解釈される。上記ゲーテの言葉「一切束縛を受けない詩的なもの(人間)」がオイフォーリンなら、「一切の束縛」を嫌った詩人バイロンを思い描いているのだろう。詩人バイロンを知らぬ者には、歴史上の誰であろうと、あまり意味はないが、彼については「対話」中に、しばしば言及されている。オイフォーリンがバイロンの「幽霊」であるなら、バイロンについて多少は知らねばならないだろう。

       バイロンとファウスト(ゲーテ)

  オイフォーリンの死(詩)は、ゲーテのバイロンへの弔辞であるのは間違いないが、ゲーテのバイロンへの感情は複雑だ。彼の詩と才能を惜しむゲーテについて、全ての邦訳ファウストの解説・解釈は正しいとしても、それだけでは不十分だろう。詩人バイロンの死を悲しむゲーテは、詩と詩人さらには自分を語ってもいるから。

  ゲーテのバイロン評価を最も詳細に記しているのは先に記した「対話」になる。1823年の「マリエンバート悲歌」は、バイロンの影響下にあるのではないか?とのエッカーマンの問をゲーテは否定せず「大変な情熱的な状態から生まれたもの」としている。バイロンのゲーテに与えた影響の大きさが推定できるが、それが全てではない。むしろゲーテのバイロン評は「否定的」と云うべきだ。バイロンを語るには「対話」を読む必要があるが、残念ながらその作業は日本では一切されていない。「対話」の訳者は山下肇氏で、氏は「ゲーテ全集」の編集者で同全集のファウスト訳も手がけている。氏訳ファウストの解説にはオイフォーリンについてもヘレナへの言及もない。高橋「集注」でも「対話」を基にした注釈は、十分には為されていない。

  ゲーテのバイロンへの考えは「対話」(1825年2月24日付け)で詳細に語られている。

  「彼はあまりにも自分自身について無知だった(オイフォーリンがそうであるように・・・筆者)。常にその日その日の情熱の赴くままに生き、自分のやっている事を知りもせず、考えてもみなかった。・・・・・彼は反対と否定を続けた。国家や教会もその難を免れなかった。この分別無い無鉄砲さのおかげで、彼はイギリスから追放されたが、時ならずしてヨーロッパからも追放されたかもしれない。(彼は)無制限の個人的自由を享受していたにもかかわらず、自分では息苦しく感じていた。世界は牢獄のようなものだった。ギリシャへ行ったのも、自由意志で決めたわけでなく、世間との軋轢のためにやむなくそうしたまでのことだ」。      

 「(彼にとって)イギリス貴族という高い地位が非常にマイナスになった。・・・・中流程度の暮らしのほうが、才能ある人物にははるかにましだ。芸術家や詩人で偉大な人は皆、中流階級から出ている(ゲーテは自分もそうだと、考えているだろう)」。

  であれば、上記柴田氏の「人間の限界を無視して高きを目指します。自由の為の戦い――それが「詩=オイフォーリン」の目標です」は誤った解釈と言わねばならない。ゲーテはバイロンを否定するようにオイフォーリンにも否定的だ。「人間の限界を無視する」無意味さを、塾知しているのがゲーテという詩人だからだ。近い言葉でいうなら「人間の限界ぎりぎりまで挑戦」しようとしたのがゲーテだろう。「人間の限界を無視する」無意味さは、青年オイフォーリンの死に様に表現されている。

  ギリシャ神話のイカロスは父親の作った翼を持って「高く、高く」へ飛翔した。そしてあまりに太陽に近づき過ぎた為、羽を留めていた膠が熱で溶け翼を失い海(イオニア海)に墜ちてしまう。ゲーテの青年オイフォーリンは背に負う翼もないまま、愚かにも「徒に」高みから空中に飛び出しあっけなく死を遂げる。ここには柴田氏の書く「高きを目指す」高貴さも、「自由の為の戦い」もない。ただ無意味な「高言空語」と結果としての「墜落死」があるに過ぎない。

  ヘレナとファウストの嘆きの声に、息子は(地の底から)母親ヘレナに呼びかける。「お母様、僕を一人ぼっちにしておかないで」 と。合唱(挽歌)はオイフォーリン(バイロン卿)を悔やみ讃える。が、「勇ましい戦士」の筈のオイフォーリンは死んでも母親に呼びかける。「僕を一人ぼっちにしないで」と。いやはや、なんという駄々っ子振りだ。「愚かな事」とゲーテの嘆きと、顰めっ面が目に見える。ロマン主義の行き着く先は結局こんなものだ、とゲーテは言っているかのようだ。

 息子の呼びかけに母親ヘレナは応える。夫ファウストに彼女は語る。

       幸福と美とは永く、一緒にできぬとの、

       古い諺を、悲しくも確かめました。

       命の絆、愛の絆は、断ち切られました。

       嘆きながら、悲しいお別れの時です。

  彼女は冥府の女王ペルセポネーの下へと最愛の息子オイフォーリンと共に旅立つ。後に残るは彼女の衣装と薄いヴェイル、そして孤独なファウストのみ。古典的ギリシャの美を追求した第三幕は、「美の象徴」ヘレナの冥界への「帰還」となり、「家庭(ヘレナ)」も「命」の継続にも(オイフォーリンの死で)失敗した孤独なファウストのみが残される。

 第三幕のファウストは古典ギリシャの「美」との合一に失敗し、新たな出発をしなければならない。

 

 

 

 


17 補論2 「姦淫を犯した女」

2014-11-15 10:36:31 | 「ファウスト」を読む

        姦淫を犯した女

 イエスの有名な逸話の一つに、「姦淫」を犯した女の物語がある(新約聖書「ヨハネによる福音書」8章3~11)。律法学者やファリサイ人(びと)らは、「姦淫(姦通)の場」で捉えられた女を連れて来て、イエスに問うた。「この女は姦淫の場で捕えられたのです。モーゼは律法の中で女を石打にするように命じています。貴方は何と言われますか?」。勿論、この「モーゼの律法」は所謂「モーゼの十戒」である。モーゼの十戒を念の為に示せば次の様になる。

  1. 主が唯一の神である
  2. 偶像を作ってはならない(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名を徒らに取り上げてはならない
  4.  安息日を守る
  5. を敬う
  6.  殺人をしてはいけない(汝、殺す無かれ) 
  7.  姦淫をしてはいけない
  8.  盗んではいけない
  9.  偽証してはいけない(を言ってはならない)
  10. / 隣家をむさぼってはいけない

  1から4までは人間(ユダヤ人)と神の契約であり、第五から十までは人間と人間の規定(倫理規定)となるが、これらを破る時、ユダヤの律法から「石打(処刑)」が(神)により許可される。「姦淫」は第七戒となる。もし「モーゼの律法を守れ」とイエスが答えれば、彼女は石打の刑に処させる。「石打の刑」は処刑を意味する。これまで一貫して抑圧されていた者の立場に立ってきたイエスは、彼の「教え」からして民衆に「石打(女を殺せ)」を「命」ずることは出来ない。さらに次の事も考えねばならぬ。当時、ローマ帝国属国(紀元前64年以後)だったユダヤ王国での死刑判断は、帝国総督の権限にあった(イエスの磔刑は総督ピラトの命によって行われ、ユダヤ人の「最高法院判決」によって行われたのではない。最高法院の決定を最終的にピラトが是認して実行された)。帝国にとって「モーゼの律法」は、ユダヤ人のみを縛る「私法」であり、「石打による処刑」という「モーゼの律法」執行は、公的なローマ帝国の秩序(法)を破る事になる(「私法が公法に優先する」)。私法「モーゼの律法」が実行されれば、「石打(処刑)」を命じたイエスは、ローマ帝国支配への挑戦者となる。その意味においても、彼は「石打」を命じることは出来ない。

  他方「許せ」と判断すれば、ユダヤ人の最高法規「モーゼの律法」を破ることになる。「モーゼの律法」を破れと命じたなら、当時ユダヤ人中に生じていた彼の「ラビ(ユダヤ教の師)」としての権威は攻撃の対象となり、彼は「反律法者」として糾弾され、最高法院は彼を有罪にする可能性が高くなる。彼のユダヤでの宗教的活動は頓挫する。この前に彼は多くの「奇跡」を行って、「救済」の希望をユダヤ社会の底辺の人々に与えてきた。それは煩瑣なファリサイ的「律法主義」から人々を解放してきた「軌跡」でもあった。彼の運動は律法主義者には苦々しい事であっても、律法の基本(十戒)を犯す物ではなかった。しかし、「姦淫を犯した女を許す」のは「モーゼの十戒」の第7条そのものを否定することになる。この意味、「モーゼの十戒」を否定するのか?において、律法学者とファリサイ人らの問いはイエスを陥れようとする「罠」であった。

  イエスはどうしたか?イエスは身を屈めて指で地面を画いていた。執拗な彼らの問いに、イエスが答える。「あなた方の中で、罪の無い者が、最初に石を投げなさい。彼らはそれを聞くと、年長者から始めて一人一人出て行き、イエス一人残された。女はそのままそこにいた。イエスは女に聞く。あの人達はどこにいますか?貴女を罪に定める人はいなかったのですか? 女は答える。誰もいません。イエスは言う。私も貴女を罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません」。

  有名な感動的な逸話、イエス伝説の「姦淫を犯した女」である。ここで語られるのはイエスの「知恵」だ。ヘブライ語では、男性が既婚女性を誘って行う行為が「ナーアフ」、既婚女性が男性を誘惑する行為を「ザーナー」と区別されるという(“ウキペディア”参照)。ただし新約ヨハネ福音書はギリシャ語が元となり、この逸話は4世紀にヨハネ伝に載せられた。邦訳(聖書刊行会)では、彼女の犯した「姦淫」の具体的な事実は不明だが、「この女は姦淫の場で捕まえられたのです」との「証言」からすれば、彼女の犯したとされる「姦淫」は「姦通」であったろう。「律法」によれば、姦通を犯した「男女」は死刑と定められているという(レビ記および申命記。いずれも「モーゼ五書」に含まれる)。ここで疑問が湧く。もし女が「その場で捕まえられた」としても、相手の男は何故「捕まらなかった」のか?男は逃げおせ、女のみ引き出され罪を問われた、とすれば、女は本当に姦淫(通)を「実際」に犯したのか?の疑問が湧く。女は「姦通」を実際には犯していなかったが、「偽りの証言」の為に彼の前に立たされた可能性もある。「女のみ引き出され、男が罪を問われない」状態を見て、イエスは「直感的」にファリサイ人らの「偽り」と「罠」を知った。だから女の「無罪」を確信して、「私も罪に定めない(許す)」と言った可能性がある。そして、念の為に「今からけして罪を犯すな」と諭した、のかももしれない。それとも、実際に彼女は「罪(姦通)」を犯したが、その罪は許すが、「もう(繰り返)してはいけませんよ」と言ったのか?行為としての「姦通」を犯した彼女を「罪に定めない(許す)」のは、姦通を認めることになる。とすれば、このイエスの判断は「正しい」かったのか?彼女の犯した「罪」の真実は実際には不明であり、イエスは何を許したのかも眞訳聖書(ヨハネ伝)からは不明だ。

  更なる問題は、「あなた方の中で、罪の無い者が、最初に石を投げなさい」というイエスの回答だ。イエスの言う「罪」とは何を指しているのか?一つの解釈は「我々は全て罪人(広義の、宗教的)」の意味で「罪」とする考えだ。しかし「律法学者やファリサイ人」が、イエスのように「罪」を考えていたとは思えない。何故なら、こうしたイエスの「罪人観」を「律法学者やファリサイ人」が持っていた筈がないからだ。持っていれば「姦淫を犯した女」をイエスの前に引き出し「罠」を仕掛けることはない。彼らは「(彼らの考える)律法に反した(罪人)」の答の「如何」で、イエスを殺そうとしていたのだ。イエスを殺そうとする彼らが信じているのは、「律法」に反する事が処刑に当たる「罪」である、との教えだ。「律法」を守って暮らしている彼らは、自らを「罪なき者」と考えていた筈だ。だから「姦淫を犯した」として女をイエスの前に引き出し、彼に「モーゼの律法」に反した女への判断を求めた。彼らにとって「罪」とは、所謂モーゼ十戒中の「汝、姦淫するなかれ」の「姦淫(通)の罪」のみを指している。分り易く言えば、「律法」からは、イエスの言葉「罪の無い者」に律法学者やファリサイ人は分類される。彼らは自らを「罪なき者=白」と確信していた筈だ。

  その場にいた老若男女、全ての人々が女に石を投げなかった。聴衆は自らを「罪あり」と考えていたのだろうか?彼らは律法に定める「姦淫の罪」を犯していた為、女に石を投げなかったのか?それはありえないだろう。彼らの中に、密かに律法で禁じる「姦淫」を犯した「罪びと」がいたかもしれない。しかし圧倒的多数の聴衆は「律法学者やファリサイ人」と同じく「姦淫は犯したことがなく」、その意味で「罪がない者」と自分を考えていただろう。しかし、彼らは石を投げなかった。何故か?クリスチャンである荒井は次のように書く(前掲書、304p)。「人間は原初的に『罪人』なのだ、という限界を露にしている、と理解すべきであろう」。イエスに問いを突きつけた者の中に、この意味で「罪を犯したことのない者」は一人もいなかった。だから、彼らは「立ち去って」「誰も女を罪に定めなかった」。イエスの姦淫についての言葉(「山上の垂訓」マタイ伝5-28)は、「誰でも情欲をいだいてを見る者は、既に心の中で姦淫を犯したのです」となるだ。彼の立場は律法遵守主義ではない。イエスは「欲情を抱いてを見る者は、既に姦淫を犯している」と厳しい倫理的立場を明らかにしている。「姦淫」は男女間の「行為」で明らかになるのではなく、女見る時の欲情を抱く男の「心」で定義される。したがってイエスの定めは、極めて「厳しい」倫理規定と判断されている。イエスは「を見るもの」と言っている。では「女が欲情を抱いて男を見る」ケースを、イエスは想定していただろうか?イエスは、女は「欲情」を持たない存在と考えていたのか?筆者に言わせるなら、イエスは「欲情を抱いて『異性』を見る者は全て」と言うべきであったろう。男目線の福音書記者マタイが、口伝されたイエスの言葉を歪曲した、と考えよう。イエスは男も女も異性に「欲情」を持つ人間は、姦淫をなした「罪ある存在」と考えていたと理解する。女性もまた「欲情をもって男」を見て、心に「姦淫」を犯す存在であるだろうからだ。

 イエスの用いた倫理的意味で、ファリサイ人達が「姦淫」した女を引っ張って来た訳では勿論ない。又、その場にいた聴衆全てが、山上の垂訓での「イエスの言葉」を知っていたとは考えられない。ならば、彼らの圧倒的多数は、イエスの言葉「罪の無い者」を、「律法学者やファリサイ人」の言う意味で考えていただろう。実生活で(律法でいう)「姦淫」を犯してはいなかった彼らは、律法では「罪なきもの」に相当する。ならばイエスの言「石を投げる」資格を有している、と彼らは自らを考えたろう。しかし彼らは石を投げなかった。荒井の「解釈」は「宗教的には正しい」かもしれないが、現実理解として、あるいは「人間ドラマ=人間の真実」の解釈とては誤りだ。「律法学者やファリサイ人」を始め、殆どの「大衆」はイエス(荒井)の言うようには、倫理的・「宗教的」に「罪」を理解してはいなかった筈だから。では何故、律法上では「罪なき」彼らは、女に石を投げなかったのか?次のように考える。

  「(律法からは)姦淫を犯していない(罪が無い)」からといって、石を投じて女が死亡すれば、彼もまたイエスと同様に「ローマ帝国秩序」を破る者となり、処罰の対象となる可能性がある。イエスは「巧妙」に命じている。「罪ない者が、最初に石を投げなさい」と。イエスを罠にかけようとした「律法学者とファリサイ人」は、彼らの実生活で律法の「姦通」を犯した可能性は少ない。彼らは実人生で「姦通の罪」を犯したことの無い、所謂「善良な市民」であったと言って良い。さらに言えば、その「律法」で硬直した彼らの姿勢こそ、イエスの批判、攻撃の対象でもあった。イエスの立場は、律法で言う「姦通」を犯す罪人も、「人」としての弱さと悲しみを持っていた筈だ、であろう。彼ら「姦通を犯した罪人」ですらも、神の前で「許される」べき人々である、との考えだ。この意味でイエスは女に「私も貴女を罪に定めない」と言った、と理解する。

  ローマ帝国から見れば、「善良な市民」であるファリサイ人であれ、もしイエスの「命」に従って、「最初」に女に石を投げつければ、彼はイエスの言(教義)に従う者、イエスの「徒」とされるだろう。彼の言に従った行為、「自分は『罪なき者』だから女を『罪ある者』として石打の刑に処す」は、ローマの帝国秩序を破壊する行為として、ローマ総督から「犯罪」とされる可能性がある。その場にいた「律法学者やファリサイ人」そして聴衆の誰も、己が実生活で姦通した「罪にある」とは思わなかった。従って「石を投げる」資格があると思っていたが、ローマ帝国権力を恐れて、自らの責任として「モーゼの律法」を守ろうとしなかった、に過ぎないだろう。この問題をイエスに問うた「律法学者やファリサイ人」が、石を投じなかったのは、イエスの答えに、自分たちが陥ったジレンマ(「ユダヤ人の律法」と「ローマ帝国統治の現実」の矛盾と相克)を理解して、「律法の命ずる行動」を回避した為と考えられる。この意味で「姦淫を犯した女」の逸話は、「現実的人間」の物語、「イエスの知恵物語」となる。

  さらに「無信仰者」の我々に突きつけられる問題がある。イエスが危険な罠の内にいたことは間違いない。イエスの「知恵」は、この危険な罠からイエスと「姦通の女」を救い、しかも宗教的に多くの人を感動させもした。しかし、もし「聴衆」の中の誰か一人でも、愚かにも、己は律法で言う「姦淫の罪」、あるいは他の「罪」を犯した事がないとして、「最初」に女に石を投じたとすれば、どう事態は展開しただろう。おそらく、その場に居合わせた多くの他の「罪なき」聴衆も、付和雷同して石を投げつけ女を死に至らしめただろう。「最初」に石を投げた「愚か者」と共に、イエスは「民衆扇動」の責任者として、ローマ総督(ポンペイウス・ピラト)によって死刑に処されただろう。

  非宗教者として筆者には、この逸話は「感動する聖書物語」ではない。イエスの「知恵物語」であるが、同時に「罪の無い」善良な者、罪なき「扇動者」と不和雷同する罪無き「民衆」の危険性を示している物語と考える。イエスと女を取り囲み、イエスの「命」を聞いて、「年長者から始めて一人一人出て行った」民衆の一人として「己」を感じるよりも、誰かが石を投げ始めた時、それを見過ごして、そっとその場を立ち去る自分に、より可能性を感じてしまう。それは丁度、イエスが処刑される朝、イエスの予言どおり、鶏が二度啼く前に、3度イエスとの関係を問いただされ、3度とも「否定」した聖ペトロに通じる「神ならぬ凡人」だからだろう。

  もっと一般的に言うなら、現実には、人は「出てゆく人」となるよりも、「石を投じる人」になる可能性の方が高い。

 


18 補論3  スピノザ

2014-11-04 21:58:09 | 「ファウスト」を読む

      スピノザ

  ここでゲーテと離れてスピノザについて書く。この哲学者を凡人の筆者が理解できるか?といえば、それは不可能であると言わざるを得ない。1000分の一も理解してはいないだろう。スピノザの「エチカ」を始めとする著作を「哲学的」に筆者が論じるのは不可能だが、筆者理解によれば、スピノザの哲学は大きく三つに分けられるだろう。その一は新しい「神概念」の創造。第二はこの確認された「神概念」から生じる「人は如何に生きるべきか」の倫理問題(エチカ)、そして、そうした人間が構成する社会・国家のあり方も彼の思索にとって重要であった(「国家論」岩波文庫。および「神学・政治論」岩波文庫)。スピノザ理解に必要なのは、エチカの理解であろうが、彼をここまで理解するのは筆者には困難であるし、また本論となる「ファウスト論」からも外れてしまう。従って、以下は「哲学」としてでなく「文学的」に詩劇ファウストに沿って考える。

  彼の数学(幾何学)的な論理展開は、形而上学や西洋哲学の語彙に疎いものには理解し難い。しかし、スピノザが「エチカ」で展開する「神について」の幾何学的論理による論証は実に見事に感じられる。彼の「神について」の結論は、定理11以下「神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体は、必然的に存在する」。この「神=実体」概念は一般に考えられている「神」概念とは異なる。この為に彼は無神論者として悪罵の対象となる。一般的な宗教による「神概念」は人間の陥りやすい偏見(prejudices,)よる、とスピノザは主張する。細かくは第一部「神について」の付録(畑中尚志訳「エチカ」、岩波文庫、上、96頁以下)や「神学・政治論」(畑中訳岩波文庫上・下、2012)に詳述されている。極めて興味深い考察で、筆者のような「無神論者」には納得できるものだ。

   偏見(prejudices,)という用語は、主著エチカを含み、その他の著書には見られない。尤も近い概念として、受動的認識「想像智(イマギナチオ)=感覚的認識=経験的認識」を意味するか?対する能動的認識は理性智=共通概念=普遍的認識であり、何となく理解できる。その上位の認識として、スピノザでは直観智が考えられている。直観智は「神のいくつかの属性の形相的本質についての十全な認識から、ものの本質の十全な認識に進むもの(定理40の注解)」だそうだが、筆者には正直言って理解不能だ。

 「付録」(webで英・独語で利用可能)に於いて彼は書く。「神の本性を示し、その諸特徴を説明した。即ち・・(以下略)・・・・」。「私は機会あるごとに、私の証明の理解を妨げるような諸偏見を取り除こうと努力してきた」。「全ての偏見は次の一偏見に由来している。・・・人々は全ての自然物が、自分たちと同じく目的の為に働いていると想定していること、のみならず、人々は神自身が総てをある一定の目的に従って導いていると確信している(「神は総てのものを人間の為に作り、神を尊敬させる為に人間を作った」などと)。この理由として彼は二つ挙げる。

  一は「総ての人間は、生まれつき物の原因を知らないこと。自己の利益を求めようとするを有し、かつこれを意識していること」。これにより「第一に人間は自分を自由であると思う。

 第二に人間は万事を目的の為に、彼らの欲求する利益の為に行う」。為に「人間は、総ての自然物を自分の利益の手段と見るようになった」。「一度、物を手段と見てからは、それをひとりでに出来たと信じられないので、平素自分自身に手段を供給する場合から推し量り、人間的な自由を付与された自然の支配者が存在していて、これが彼らのために総てを熟慮し、彼らの使用の為に総てを作ったと結論した(創造神、あるいは創造神話・・・筆者理解)」。「(人は)この支配者の性情について知らなかったので、自分の性情に基づいて判断した(人格神の創造)」。結果として各人は、「神が自分を他の人以上に寵愛し、全自然を自分の盲目的欲望と飽くなき貪欲の用に向けてくれるように、敬神の様々な様式を自分の性情に基づいて案出した(宗教儀礼の発生)」。「彼ら(神学者たち)は、自然と神々とが人間と同様に狂っている事を示したに過ぎない。見るがいい、事態は終に如何なる結末になったかを!自然に於ける多くの有用物に混じって、少なからぬ有害物を、例えは暴風雨・地震・病気(そして戦争―-筆者)などを、彼らは発見しなければならなかった。そこでこうした事柄は神々〈彼らが自分たちと同種のものと判断しているような〉が、人間の加えた侮辱ゆえに、あるいは敬神に際して人間の犯した過失ゆえに怒ったからだと信じた」。「そして日常の経験は、これに反して、有用物ならびに有害物が、敬虔者にも不敬虔者にも差別無く起こることを無数の例を持って示すのであるが、(人間は)昔ながらの偏見から脱することをしなかった。・・・・・・生まれながらの無知状態を維持するほうが、前述の組織全体を破壊して、新しい組織を案出するよりも容易だったからだ」。「諸奇蹟の真因を探求する者、また自然物を愚者として驚嘆する代わりに、学者として理解しようと努める者は、一般から異端者、不敬虔者とみなされ、民衆が自然ならびに神々の代弁者として崇める人々(司祭や神学者―筆者)から罵倒されることになる。何故なら、神の代弁者と崇められる人々は、無知〈あるいは愚鈍〉が無くなれば、驚き、すなわち自己の権威を証明し、維持する為の唯一の手掛りもなくなることを知っている」。

  さらに彼は「第三の事柄」に移る。「(人々は)最も(自分にとって・・・筆者)重要な点を重要事と判断し、最も快く刺激する物を最も価値ある物と評価する。ここから物の本性を説明するために、善・悪、秩序・混乱,暖・寒、美・醜のような概念を構成しなければならなかった。又、彼らは、自分を自由であると思うが故に、賞賛と非難、罪科と功績のような概念が生じた」。「即ち、健康と敬神とに役立つ一切の事を、人々はと呼び、これに反することをと呼んだ」。「(我々が)容易に表象し得る物は、他の (困難な)表象より快いから、人々は混乱よりも秩序を選び取るのである」。「彼らは神が一切を秩序的に創造したと言う」。「彼らは総ての物が自分の為に造られていると信じ、そして或る物から刺激される具合に応じて、その物の本性を善あるいは悪、または健全または頽廃および腐敗というからである」。

 上記のスピノザの「エチカ」第一部の付録での議論は、そのまま、「対話」でのゲーテの言に重なる。再度記せば「自然は永遠の、必然的な、神自身でさえ何ら変更できない神的な法則に従って働いている。これについては全ての人間が、意識することなく、完全に一致している」。ゲーテは「統べての人間が意識することなく完全に一致している」と書く。意識をしていないが意識下ではそう感じていると詩人は理解している。

  エチカ第一部「神について」は定義と公理、それから導き出される定理で作られる。こうした幾何学の形式をスピノザが採用したのは、ユークッリド幾何学に人々は反論できないように、幾何学的に表現(証明)された神を否定できない。従って人々は諸偏見から離れて、スピノザの定義する「神」を受け入れる、と考えたからではないか。ただしエチカ本論は極めて抑制の執れた「冷静」な文章であるに比し、上記の如く付録(Appendictus)の文章は、俗人(神学者や一般人)にも十分に理解可能であり、彼らを激怒させる「挑発的」な文章が続く。彼は理解していたろう。この文章により、彼は「無神論者」、「反教会」、「反キリスト的」との悪罵が湧き出すのを。そして「エチカ」は禁書となるだろうことも。

 スピノザによれば、定義と公理から導き出される定理として確認される「神」は、その普遍性と永遠性により「自然」(もしくは宇宙)とも言い換えうる。従って彼の考え(神=自然=実体)は無神論あるいは汎神論として非難の対象となり、ゲーテが書き記すように「間、神と世界をないがしろにする人と考えられがちである、いや、全てが悪魔(!)の角と爪の仕業のように言いふらされる恐れすらないではない」。ゲーテはこの恐れ(スピノザ主義者、汎神論者、無神論者との非難)を十分に知っていた。だから彼は「死(1832年)後」に詩劇ファウスト第二部を出版した、と考えられる。またファウスト第二部は多くの人には理解されないだろう、とも考えていた。

 浅薄な筆者の理解では、デカルト(イエズス会の学校で学んだ)が宗教(神の存在)をアプリオリに前提とするのに対し、スピノザは論証をもって(客観的に)、アポステリオに世に言う「(啓示)宗教(神)」の本質を明らかにしたと感じる。当時はデカルト主義者も「無神論者」としての非難に曝されていた。自分たちへのカルヴィニスト(清教徒)達からの攻撃を回避する為に、反スピノザの合唱に加わったという。

  宗教に囚われたヨーロッパだけでなく、「日本教」という不可思議な概念に取り込まれていながら、異議を封殺される現代日本の言い知れない窒息感を、改めて強く感じざるを得ない。

       ユダヤ教会破門とスピノザ

  スピノザはもともとオランダの裕福なポルトガル系ユダヤ人の子として生まれ、その才能は早くから注目されており、ユダヤ教徒の希望の星でもあった。そんな若きスピノザ23歳の時(1656年)に彼はユダヤ教会から大破門された。破門には大・中・小があり、中小の破門は懺悔により、再度ユダヤ教会とユダヤ社会に迎え入れが可能であった。一種の再教育の機会でもあった。これに対し大破門は一切が否定され呪われる。ユダヤ教会と社会との完全な断絶を意味する。

  破門状には「呪いの言葉」があった。その有名な呪いは「彼は昼に呪われよ、夜に呪われよ、寝る時に呪われよ、起きる時に呪われよ、外出する時に呪われよ、帰宅する時に呪われよ。神が彼を許し給わざらん事を。神の怒りと憤りがこの者に向かって燃え,律法書に記されているあらゆる呪詛が彼の頭上に下さらん事を」と書かれている。この破門の理由については彼の死後に様々な探索が行われたが、未だに謎とされている。通常は彼の無神論あるいはキリスト教的解釈とユダヤ教との衝突の結果による破門とする説だ。これによれば23才のスピノザは、後の「神学・政治論」や「エチカ」で展開される宗教論を既に哲学的結論としていたので、破門は彼にとって予想された(覚悟した)出来事であるとする。ちなみに彼はユダヤ教徒して抹殺されたが、キリスト教徒となることもなく、新旧のどの教派にも所属する事はなかった。

  破門によってスピノザ哲学が「エチカ」への方向性を得た(論理的宗教と倫理的実践)とする議論もある。この主張には清水礼子氏の「破門の哲学」(みすず書房、1978年)がある。この主張には興味深い点もあるが論拠に乏しい。特に同書出版時には既にリュカス/コレルス「スピノザの生涯と精神」は翻訳されていた(渡辺義男訳、1996年再刊,学樹社)。同書を読めば氏の主張は受け入れ難い。スピノザの「破門」について詳細に記しているのは、英語文献として1932年に出版された「レンブラントの生涯と時代」(ヴァン・ローン著。著者9代の子孫による英語訳)であろう。(但し本書の原本は明らかにされていない。資料的正確さを確認することは筆者には不可能だ。ただ極めて合理的にスピノザを理解できる。その意味で信頼できると考える。所謂スピノザ関連の原本ともいえる1899年刊のフロイデンタールの著書“Die Lebensgeschihte Spinozas in Quellenschriften und nichtamtlichen Nachrichten”に触れられているが、細かに検討はされていない、という―――上記渡辺訳)。ローンは1600年に生まで若きスピノザにしばしば会い、30歳の年の差を越えて親しく交際していた人物だ。とくに「破門」前後のスピノザを誰よりも良く知っていた一人でもあった。何故スピノザは「破門」の道を辿ったか、それにどのように反応したのか。何が生じたのか、について他の誰よりも細かく報告している。同時代のスピノザを知っていた人物の、直接情報として貴重ではある(上記の原本が真実なら)。彼が記したのは友人であった偉大な画家レンブラントについてであってスピノザではない。したがってスピノザの弟子のイエレスやリュカスなどのスピノザ賛美者が陥りやすい過剰な思い入れはない。逆のコルトホルトやコレルスなど反スピノザ主義者の粗探しの偏向も無いから、叙述には客観性があり信用できる、と考える。(上記渡辺訳書。ただし本書は再版で、ローンのスピノザ関連部分は1996年版に追加された)。 

  「破門の哲学」の清水氏は1930年に出版された英語文書を読んでいるべきだった。氏は「少しずつ触れているので、こうした話そのものに果たしてどの程度の根拠があるのか、それは勿論不明である」と資料的価値に疑問を呈する。しかし氏の主張を真っ向から否定する論文なのだから、資料的意義を十分検討されるべきであった。氏は同書の存在は知っていても読んではいなかったか、氏には都合が悪い部分が多かったから、敢えて無視したのか?それとも哲学に「実証は不要」と考えているのか?「どの程度の根拠があるのか、それは勿論不明である」などと切り捨てるべきではない。根拠への疑問を書く前に、氏が「根拠」を検討したか否かを記すべきだった。少なくとも、当時のスピノザ学の泰斗である東北大学教授渡辺義男氏に、ローン文献の資料的意味を問い合わせるべきだった。東大哲学科は東北大哲学科と関係を持ちたくなかったのか?氏の指導教官は助言するべきだった。

  そもそもスピノザを論じるに「破門問題」などは大きな問題ではない。彼の受けた「大破門」の文言は、ユダヤ教の異様さを示す「呪い」の言葉として、現代人にとって、特に日本人にとってショックであるかもしれないが、彼の「哲学」からすれば大きな問題ではない。ただ清水氏のみが「大破門」を重大だと考え、その上に氏の「初期」スピノザ理解を組み立てているに過ぎないのだ。では何故、筆者が清水論文に拘るかと言えば、同じ事を柴田氏が疑問なく行っているからだ。柴田氏のファウスト論は先人の業績を検討することなく、またゲーテの他の著作を考慮することなく行われている。恐らく氏は「私は『詩と真実』や『対話』の専門家ではない。ファウストの『専門家』」だとして、他の訳されたゲーテの作品(「詩と真実」や「対話」)を無視しているのだろう。氏がハッキリと書くのは「親和力」(氏はこれを訳している)だけになる。「親和力」は彼の「分野」だ。したがって他の学者は取り上げない。この「専門馬鹿(ワグナー)的」の思考法を、ゲーテとファウストにそのまま適用するから、真のファウスト像やゲーテ像が画けなくなる。挙句の果ては恩寵や救済、信仰や宇宙空間、地霊空間だの「循環する時間」などの、自ら作り出した「概念」をやたらと振り回すことになる。

  詩劇ハムレットについての古田島氏についても全く同様の指摘が可能なのも残念な事だ。同様な「専門家思考」が清水氏の「破門の哲学」に認められる。狭い学問領域では学者同志は互いに「迷惑」となる言葉を避けるのが生きる為には必要なのだ。これは今日本の殆どの領域で起きている事だ。

 詩劇ファウストを読む事は、ヨーロッパ近代(その基礎となる古代ギリシャ・ローマ)への様々な思考への、豊かな入り口と考える。詩劇ファウストだけの解釈ではゲーテの豊かさを理解できない。この発想なくして「地霊空間」や「天上空間」、あるいは「永遠」「宇宙」「時間」「恩寵」「救済」などの概念を持ち出してきても、それは訳者の一人よがり、大学教授の「権威」による独りよがりの強制となる。詩劇ファウストは他の膨大なゲーテの作品、さらにそれを超える西欧世界に少しでも近づこうする試みのなかでしか理解はできない筈だ。それへの畏敬に充ちた態度こそ、訳者、解説者そして読者の基本的姿勢でなければならないだろう。


16 ファウスト補論(1) 「贖罪の女たち」

2014-11-02 17:22:51 | 「ファウスト」を読む

             「贖罪の女たち」 

  柴田氏によれは「ファウストの救済」は「仲介(贖罪)の女たち」によって為されるという。

 「『御空の高み』は聖母マリアと、それを囲む贖罪の女たちを中核とする『永遠の愛』の場です。そこでは『愛』から罪を犯した女達が、聖母を囲んで恩寵を願っています。・・・・贖罪の女たちは、性的快楽のゆえに罪を犯し、それ故に自らを救うは難く、かえって、しかし真にそれ故に、聖母マリアの『永遠の愛』において許され、その罪故に、かえって聖母を囲む事を許されているのです」。                                   (柴田、前掲書「読む」、417P)

 ファウストの愛人であった、母殺しと嬰児殺しで斬首されたグレートヒェンも「贖罪の女たち」に入っている。氏は「(女達は)性的快楽の故に罪を犯して」いながら、「それ故」に『永遠の愛』において許されると書く。何故「それ故」であるのか?根拠、理由は一切書かない。また「性的快楽の故による罪」とは、どのような罪かについても記さない。「性的快楽=罪」となるのか?つまり「性的快楽を享受する」そのものが「罪」なのか?それとも性的快楽によって二次的に罪(犯罪)を犯したのか?は氏の文からは不明のままである。恐らく氏は「性的快楽=罪」と考えているのだろう。歴史的にローマ・カソリック教会は「性」に対して、一貫して否定的な態度を取ってきた。それは新約聖書にみる使徒パウロの姿勢(ロマ書)に明らかであり、また聖アウグスティヌスの「告白」にも記されている。ただし「性」が否定されている訳ではない。パウロの「ロマ書(Ⅰ-26)」には「神は彼ら(不敬虔者)を恥ずべき情欲に引き渡されました。即ち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように男も、女の自然な用を捨てて男同士で情欲に燃え、男と男が恥ずべき事をおこなうようになり」とある。「自然の用」というのは「生殖(子を産む)」を言うのだろう。性の一面の生殖のみが「自然」であり、他方の性(愛欲=快楽。男と男も含む)は「不自然」に分類されているのだろう。ただし「性(殖)」は神が認めたものであることまでは否定しない。

  4世紀のラテン神学確立者である聖アウグスティヌスは、キリスト教徒として洗礼を受ける前には厳しい禁欲を聖職者に課したマニ教徒であった。マニ教では信者は聖職者と一般信者(聴聞者)とに区別される。彼は聴聞者に留まっていた。マニ教では性に対して前者(聖職者)には厳しく、聴聞者にはある程度「寛容」であった。他方キリスト教では聖職者にも一般世俗信者の双方に対しても、マニ教よりも姿勢は「厳しかった(否定的)」という。当時、身分の低い女性と同棲していたアウグスティヌスにとって、世俗信者の性への考えがキリスト教はマニ教よりも厳しかった為にマニ教に惹かれたと言われている(山田晶著「アウグスティヌス講話」(新地書房、1986年。1987年大仏次郎賞受賞)『アウグスティヌスと女性』)。余分な事だが、アウグスティヌスがマニ教徒であった時、最も会いたかった人がいる。マニ教の聖職者のファウストスなる人物だ。彼への失望からアウグスティヌスはマニ教からキリスト教へ「回心」したと言われる。ファウストのラテン語表記はファウストスとなる。16世紀伝説の「ファウスト博士」は、異教徒ファウストスを意味してはいないだろうか?神に逆らう者として地獄へ墜ちたファウスト博士の先例は、「告白」に出るマニ教の「師」ファウストスであった可能性もある。このように考えるのも又楽しい。

  彼がキリスト者へと「回心」した切っ掛けとなったのは、パウロの言葉(ロマ書13-13、14)「遊興、酩酊、淫乱、好色、争いと嫉みの生活」に対して「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲の為に心を用いてはなりません」であったという。「淫乱」は咎められているが、性そのものは非難されてはいない。その後に教会は世俗信者への禁欲は緩和したが、その分、聖職者(司祭・修道士および修道女)にはより厳しい性的禁欲を課した。マニ教の聖職者と聴聞者との区別と同じ、教会は性に対して二重構造を持つようになる。彼ら聖職者の「性愛」はキリストあるいは神への至高の「愛」の妨げになる、という理由付けからだ。1000年後のプロテスタントにおいては、ドイツの宗教革命の烽火を上げたルッターは、日本の浄土真宗の祖親鸞のごとく妻帯し多くの子供を作っている。イギリスの聖公会やカルビン派においても、聖職者は結婚し妻帯し子供ももうけている。無理な禁欲生活の強制が、カソリック司祭の同性愛や小児愛を誘発したとして、現在ローマ・カソリックへの批判の一つとなっている。カソリックにおいて、聖職者以外の世俗信者への禁欲は、夫婦においては強制されていない。つまり世俗信者に「禁欲」は強制されていない(推奨されている訳ではないが)。従って「性行為に伴う快楽」は論じられることはない。つまり「罪」とはされない。

  では(カソリック信者でもない筈の)柴田氏の書く「性的快楽の故に」犯された罪とは何であるのか?氏自身が「性的愛=罪」と信じているのだろうか?では氏自身が、己は「性的愛=罪」にあると「罪の意識」に苛まれながら日常生活を送っているのか?氏のパートナーも「罪を犯した人間」だと思っているのだろうか?恐らく氏は普通の性生活を送り、それなりに「性的快楽=罪」な日常生活を送る人であろう。氏が己の「性的快楽=罪」と信じておらず、日常生活を送っておられるなら、このような旧制中学生(しかも低学年)の書くようなレベルの文言は書くべきではない。性(愛)に引きずられ、当初思ってもいなかった「(犯)罪」を犯す。これは今でも世に良くある事だろう。日常的に報道される母親による「養育放棄や幼児虐待死」などは、これに入る現象だろうし、「犯罪の影に女あり」との俗諺は、こうした性の側面を男性の視点から言ったものでもあろう。

  ファウストの罪の一つはグレートヒェンを愛し、そして「捨てた」事であった。為に恋人グレートヒェンはファウストへの(性)愛により、誤まって母親殺しを犯し、ついで嬰児殺を行った。明らかにこれらの犯罪に、グレートヒェンは罪を負っている。しかし、その「罪」は彼女一人が負うべきものではない。ファウストも負わねばならない。トロイアのヘレンも女神アフロディテの為に、性愛ゆえに故国を捨ててパリスに走った、と言って良いかもしれない。性愛の持つ「二次的に犯罪を作り出す強力な力」は否定できないが、これと詩劇ファウスト「山峡」の「贖罪の女たち」は直接には関係は無い。彼女らは快楽故に「二次的な罪」を犯した訳ではないから。では「贖罪の女たち」とは、どのような女性たちであったかを見てみよう。ゲーテは丁寧に「山峡」で、彼女達の由来する「聖書物語」を明らかにしている。

          「娼婦」マリア・マグダレーナ

  第一の「罪深き女」は新約ルカ伝7章36行に記される、一般には娼婦マリア・マグダレ―ナとされている。彼女は娼婦であったため、己の生きる環境への悲しさから、キリストの足に涙を流し,髪の毛で彼の足を香油で拭ったとされる。ならば彼女は「性的快楽」に満足していたのではない。男たちの性対象として社会から阻害され差別され、その為に苦しんでいたと考えるべきだ。彼女は「性的快楽の故に罪を犯した」女性ではない。男の性の対象であった点では、むしろ1782年に嬰児殺しで斬首刑に処されたフランクフルトの女中グレートヒェン(マルガリータ・ブラント)に近い。彼女は性愛に「満足し罪を犯した」ファウストのグレートヒェンと異なっている。

          「エジプトのマリア」

  彼女は12歳から17年間、「愛」や「金銭」の為でなくて「性的快楽」に耽り、為にエルサレムの聖墓教会に入れず、聖母マリアに祈ったところ、直ちに「風にのるように」キリスト磔刑の十字架の前に行けた、という教会伝説の聖女である。彼女は己の行き方(性的快楽に囚われた)を悔い改め、砂漠でその後40年間にわたり悔悟の生活をし、聖女の称号を教会から与えられている。彼女が聖職者(修道女)ならば「性的快楽=罪」に陥ったとカソリックの教義から言えようが、聖母教会に行った時に彼女は聖職者ではなかった。であれば彼女に「贖罪」は本来求めるべきではない。東西のキリスト教会は、自己の宗教的権威の維持のために、性を否定した聖女を必要とした。この為に作られた物語が「エジプトのマリア」に過ぎない。前記したようにカソリックでは、修道女には「性的快楽=罪」という図が当て嵌められようが、世俗信者にも「性的快楽=罪」なる等式を当て嵌めるのは短絡的だ。又、彼女が聖女名を得たのは聖職者として認知されたのであって、その意味でも柴田氏のように「性的快楽の故に罪を犯し」た、などと書くべきではない。この意味でゲーテは「誤っている」と判断しても良いが、作家ゲーテはどの様に書いても良い。それは「作者の自由」の問題だ。妥当かどうかは読者が判断すればよい。「贖罪の女たち」は「絵画的なシーン」を「詩的」に表現する為に書いただけで、「性的快楽」や「贖罪」などを、単なる「材料」として「感動的=芸術的」に書いたと筆者考える。詩人はこうしたカソリック的物語を、自らの「価値観」に基づいて作ったのではない。文学の解釈と創作を混同してはならない。この意味で柴田氏の「解釈」は誤りなのだ。

           「サマリアの女」

  「サマリアの女」は新約ヨハネ伝(福音書)に登場する。彼女はキリストの問いに応える。「私には夫はありません」。キリストは言う。「貴女には夫が5人あったが、今貴女と一緒にいるのは、貴女の夫ではないからです」。

  詩人ゲーテは、彼女が「正式」に結婚した女性でないから、「贖罪の女」に分類しているのか?そうだとしても、それは作者ゲーテの理解であって、それを正しいとするか否かは、読者の判断にまかされる。しかし何度も書くが解釈者は作者と違う。ゲーテの考えが「正しいか?」の問題提起する義務を負っているのが解釈者だ。柴田氏は、彼女が5人もの夫を過去に持ち、現在内縁関係の夫と同棲しているから「性的快楽のゆえに罪を犯した女」とする。筆者は次のように解釈する。彼女に「5人もの夫があった」事実は何を物語るのだろう。イエスの生きた紀元一世紀初頭(イエスの刑死は紀元30年頃とされる)のサマリア人の庶民女性には、「性的快楽」の為に、自らパートナーを選ぶ「権利」は無かったと考える。彼女の過去の5人の「夫」は、何らかの理由(戦争や病気での死亡、その他の理由による夫側からの「強制的」離婚など)で別れねばならない理由があったはずだ。(例えば日本でも「嫁して3年、子なきは去る」という時代が最近まであった)それは決して彼女の望んだものでも、名誉であったのではない。だから彼女は炎天下、他の女たちが水汲みに来ない時間に、イエスが休んでいた泉に人目を避けて水汲みにきて彼に会った。荒井献は「女性の場合、結婚相手は殆ど例外なく「家父長」によって決められ、当人の自由意志は、事実上認められていなかった。一旦婚約し、結婚したら、夫は「何かの理由があれば」妻を離縁できたのに、妻には事実上離縁する権利は認められていなかった(「問いかけるイエス」NHK出版、1994,306p)と書く。イエスが彼女に水を求めたのは、彼女が5人もの夫と別れざるを得ず、今も又、正式の結婚生活を営めない「苦しみ」の内にいたからだ。だからサマリア人にとって敵対的なユダヤ人ラビ(宗教的教師)のイエスが、積極的に彼女に「水」を求めた意味がある。イエスは彼女の苦しみの生活に「永遠に渇きを癒す水」を与えよう、との言葉を与える。彼女は己の苦しみを知っているイエスを、待ち望んでいたメシア(キリスト)=救済者であると直感する。彼女の歓びがここで爆発する。だから彼女はサマリア人達に、自ら積極的にイエスがキリストであると語り、ユダヤ人イエスもこうしたサマリア人の下に二日間留まる。

  上記の新約聖書からの解釈からすれば、ゲーテがサマリアの女を「贖罪する女に」分類するのは、「今日の」聖書解釈からすれば正しくない。しかしそれは個々の読者の判断に任される事だ。少なくとも言えることは、「贖罪の女達」は、柴田氏の解釈する「性的快楽の罪」に陥った女とは関係がない。「罪=性的快楽」と連想するのは、はなはだ浅薄な解釈であり「文学者」として失格だ、という事実だろう。ゲーテは作者として如何様にも書ける。しかし、解釈者は作者の意図を、勝手に作り上げてはならない。ゲーテのカソリック的「罪」なるものは、創作上の「自由」の範疇に入り、これを「良」とするか「否」とするかは、読者の自由に任される。しかし解釈者に自由は無い。ゲーテが「贖罪の女たち」を、聖書から正しく選んでいるかどうかを読者に伝える義務がある。ましてや氏の如く「性的快楽による罪」などと、詩劇ファウストの何処にも書かれていない、ゲーテ自身が考えてもいない「文言」を振りかざして、ゲーテの論理(絵画芸術の言語的表現)を、無批判にズブズブに受け入れるべきではない。特に日本人には新・旧聖書物語は良く知られていないだけに、東京大学(名誉)教授であり、芥川賞受賞者でもある氏の「無責任性」が指摘される所以だ。

 氏は次いで「(彼女らの)性的快楽故の過ちは、他者の欲求を優しく受け入れる点、他者を冷たく拒否しない点で、遠く『永遠の愛』に繋がっていくものだからです」と書くが、この柴田氏の「説教」を聴いたマグラダのマリアは、「優しく」この解釈を拒否するのではないか?彼女は言うかもしれない。男たちを「優しく受け入れた覚えはありません。『拒否』したくても娼婦の私には許されなかったのです」。だから、「悲しみの余り、キリストの足に涙を流し髪で拭い、香油を塗ったのです」、と。「エジプトのマリア」も言うだろう。「私は優しく男たちを受け入れました。彼らも私に優しくしてくれました。その為に私は神を忘れ、神(キリスト)は私を拒否され会うのを拒まれました。それが、その後の40年間もの間、私が砂漠で一人暮らし『贖罪』した理由です」と。「サマリアの女」はイエスに言ったかもしれない。「私の事を総て知っている貴方は、きっとキリストでしょう。ならば、私が過去にどんな思いで夫達と別れ、又新しい夫を迎えたか、そんな毎日の暮らしの中で何を思っていたのか、また今の私の思いもご存知でしょう」と。要するに氏の主張なるものは、総て出鱈目だ。氏の出鱈目さは次の文章「従って『仲介する女たち』の空間は、宇宙の生命が循環する空間です。そこでは、宇宙の生命の働きに促されて『行為』へと没入する男たちを、救済へと媒介する『仲介する女たち』の祈りも又、同じ宇宙の生命の現れです。宇宙の生命の働きが宇宙の生命の働きによって、救済へ媒介される。『仲介する女たち』の空間は、宇宙の生命の働きによる宇宙の生命の働きの容認、つまり宇宙の自己肯定空間です」で明らかになる。この文章中に「仲介する女たち(7文字)」という字句が3度、「宇宙の生命(5文字)」が7度、「働き」が5度、「空間」4度、「救済」が2度用いられる。7×3+5×7+2×4+2×7=78。驚く無かれ、たった200字に満たない文章中の78文字・句が繰り返され使用されている。約2分の一弱が同じ文字の繰り返しで作られている文章だ。まともな文章とはいえない。まともな内容でも勿論ない。

 上記の文章を一度だけ読んでは、何を言っているのか理解不能だろう。筆者は熟読して次のように読み解いた。つまり簡単に40文字以内で次のように書ける。「『仲介する女たち』によって、行為へと没入する男達は『救済されるのだ』」と。さらにこの文章を「精密らしく」、あるいは「荘厳に飾り立てる」のなら、適当な名詞(宇宙、空間、生命、救済、働く、etc)、動詞(媒介する、)を、あるいは好きな形容詞や副詞を、過剰にならない程度に添えればよい。これらの語を2倍使用しても、せいぜい80字以内に収まるだろう。勿論、問題は文章ではない。氏の説教する「内容」だ。これまた何と古臭いジェンダー観だろう。彼の弟子のドイツ文学専攻の女性学徒達は、氏の講義を如何感じていただろう。(駒場教養部の女性同級生の何人かは、本郷でおそらく氏の講義を聞いたはずだ)。

 先に相良守峰氏の解説を示した。氏は「聖母マリアや塵の世を離れて浄められたグレートヒェンなどの女性によって代表されるような永遠の愛を意味する。このような、女性において現れる没我的な永遠なる愛が男性を救うという思想は、ゲーテは生涯持ち続けた(太線筆者)」と書くが、彼の言の証拠をゲーテの著書の中に、訳者の責任において示すべきだろう。「女性において現れる没我的な永遠なる愛」なる概念は、「文学」上は意味を持つだろうが、当の女性たちに聴いてみるが良い。笑い出す事は必定だ。彼女らは、相良氏のような男たちに逆に訊く権利を有している。「貴方たち男には、『没我的な永遠の愛』がありますか?貴方にそれが無ければ、多分、私にも無い。貴方にあれば、私にも多分ある。同じ人間ですものね」。

  筆者は上記の意味で、氏らの感激する「没我的な永遠の愛」なるものを、ゲーテは信じていなかったと考える。彼は「贖罪の女たち」を書いているが、詩人自身は40才を越えてから、17才年下の妻クリスチャーネと、十分に満たされた性生活(性的快楽)を謳歌した。柴田氏の「性的快楽故の過ち」などを、「山峡」を書いた時のゲーテは、劫も考えていなかったと思われる。また「贖罪の女たち」なるものを、ゲーテ自身は信じて書いてはいない。では何故、こうした信じてもいないテーマを最後に詩人は書いたのかと言えば、先に述べたように芸術上の立場、「絵画芸術の言語的(詩)表現」からであろう。  皮肉に考えれば、「救済」や「恩寵」、「テーマ」だ「哲学」だといった解釈を、学者達に200年に渉って論議させて、雲の上でニヤニヤ笑いながら喜んでいるのが詩人ゲーテなのかもしれない。

          聖アウグスチヌスとゲーテ

  先に述べた聖アウグスチヌス(A.D.354~430)とゲーテを対比してみよう。興味深い点が明らかになる。ただしゲーテはアウグスチヌスを「対話」の中では、一言も言及していない。彼はこの聖人に何を感じていたのかは一切不明だ(山田晶前掲書「アウグスティヌス講話」(新地書房、1986年、参考)。アウグスティヌス(AD354年~430年)の自伝とされる「告白」によれば、彼は紀元370年頃に北アフリカのカルタゴに遊学した(16才時)。その時、彼は「放蕩」の結果、ある身分低い女性(コンクビーナ、妾と訳されている。英語ではconcubine)と出会い同棲し、しかも18才で息子アデオダートゥスまでもうけている。女性との身分違いと母親の聖女モニカ(A.D331~387。息子アウグスティヌスとの関係から聖女となった《と考える》)との確執から、彼女との正式な結婚はせずに、女性は内縁の妻、息子は私生児として16年間(16歳から32歳まで)を共に過ごす。この間、彼は敬虔な母親のキリスト教から離れ,マニ教徒(一般信徒=聴聞者)として生活している。

  彼の「放蕩」なるものについて、「告白」(服部英次郎訳、岩波文庫、第四巻二章二節)は「この年月の間に、私は一人の女性と同棲したが、所謂正式の結婚によって知り合ったものでなく、思慮を欠く向こう見ずの情熱が彼女を見出した。しかし私は、彼女一人を守り、彼女に愛情を捧げた」。「私は彼女を知って、児を産む為に結ばれる婚姻の契約と、情欲的な愛による結合との間に、何と言う相違があるかを、本当に身をもって経験した」。「愛欲で結ばれた場合、子は親の意に反して生まれるのであるが、生まれたからは愛せざるを得ない。私は彼女を知って、子を産む為に結ばれる婚姻の契約と、情欲的な愛による結合との間に何と言う相違があるかを、本当に身をもって経験した」なる表現には、彼の思いが籠められているように思う。彼は「情欲的」にであれ、真実に彼女を愛したのだ。翻訳された字句を読む限り、彼の表現「放蕩」なるものは、今日的な意味の「放蕩」には当たらない。「彼女一人を守り、彼女に愛情を捧げた」の言葉に、「内縁の妻」を心から愛していた「人として誠実」なアウグスティヌスを、むしろ感じることが出来るだろう。山田晶氏の前掲書では「私は彼女一人を守り、彼女に対して閨の真実を尽しました」と訳されている。筆者にはどちらの訳が正しいのか分らないが、「閨の真実」の翻訳の方が具体的に「性愛」に捉われたアウグスティヌスという男の本音を示しているように思う。「愛情を捧げた」では、彼の心を正確に表しているとは思えない。また彼は「性」の二面性も正しく認識している。すなわち「子を産む為に結ばれる婚姻の契約(生殖)」と「情欲的な愛による結合(性愛)」の「性」の二面だ。彼の言葉は、キリスト聖職者として、生殖のための「婚姻の契約」を「正しい」としているが、ここではむしろ聖職者になってもなお、かっての性愛を否定しきれない、女性との「愛」を否定できない「聖者」の気持ちを見ることが出来る。

  社会や教会や親が認める「子を産む為に結ばれる婚姻の契約」を否定して、「情欲的な愛による結合」を優位とする彼の「若い時(マニ教徒であった)」の姿勢は、今日的な意味を失っていない。その為に著書「告白」は、今に到るまで古典として読み継がれてきたのだろう。また「愛欲で結ばれた場合、子は親の意に反して生まれるのであるが、生まれたからは愛せざるを得ない」と書いた時、既に彼は15才の一人息子を失っている(387年)。彼の「愛の結晶」への痛切な思いが、この文章には籠められている。

 「告白」はA.D.397年から8年にかけて,彼が聖職者となって後に書かれた。つまり彼の「放蕩」は現在一般的に考えられる「放蕩」ではなく、キリスト教の聖職者(受洗387年。修道士となり391年司祭職)として,結婚せずに「内縁関係」を続けた事実を、「放蕩」と表現しているに過ぎない。「女性」との内縁関係は15年以上続き、彼は嘆き泣き悲しむ母親モニカをアフリカに騙して残し、カルタゴから首都ローマ(ついでミラノ)へ旅立つ。その後もイタリアで女性との「内縁関係」は継続するが、後を追いかけてきた母親モニカの「嘆願」、「圧力」に屈し、自らの「将来」を考えて、女性との内縁関係を清算する。紀元313年、皇帝コンスタンチヌスのミラノ勅令でキリスト教は公認され、新プラトン主義者であったとされる「背教者」ユリアヌス帝の死後(363年)、キリスト教は急速に勢力を拡大していった。マニ教徒に留まれば帝国内での「出世(母、聖モニカが何よりも願っていたこと)」は、聖俗いずれにおいても不可能であった。

  「告白」は次のように書いている(第6巻15章)。「これまで同棲していた女は、結婚の妨げになるという理由で、私の傍から引き離された。彼女に執着していた私の心は傷付けられ血を流した。彼女はけっして他の男を知るまいと貴方(神)に誓いながら、彼女の産んだ庶子(私生児)を私の下に残してアフリカに帰った」。「告白」には、彼女の宗教については一字も書かれていなが、彼女がクリスチャンであった可能性は無い。「彼女はけっして他の男を知るまいと貴方(神)に誓いながら」とアウグスティヌスは書くが。彼女が「誓った」相手は、未だクリスチャンの洗礼を受けていない男、16年間もの時を「閨を共にした男」アウグスティヌスだったと考える。「女」は息子アデオダートゥスを(「神からの授かりもの」の意であるという)アウグスティヌスに託し一人アフリカに帰る。残された彼(当時32才。いまだ聖職者ではない)は同じ身分の10才(!!)の少女と婚約する。当時未成年との結婚は12才以後で可能となり、為に2年間は生活を共にはできなかった。この間に彼は別の女性を家に入れる。「聖者」は書く「勿論、正妻としてでは無かったが、私は結婚を望んでいたのではなく、肉欲に縛られていたのである。こうして長い習慣に守られて、私の魂の病気は持続し、その病勢は減じることなく、むしろ増しさえして妻を迎えるまで治らなかった。また、前の女との離別によって生じた私の傷も癒されずに、激しい痛みの後に化膿して、痛みはかなり和らいだ様であったが、いっそう絶望的になっていった」と。

  上記「妻を迎えるまで」からすれば、新たに家に入れた「女性」と手を切り、彼は少女と結婚したようだ。ただし彼はキリスト教洗礼(387年)を受け、その後さらに修道士となった。一度結婚した夫婦に教会は「離婚」を許さない。彼はこの少女との結婚について、その後「告白」に何も記してはいない。この少女がキリスト教徒であったか否かも「告白」は記していない。妻帯したままで「聖職者」になる(391年)のは不可能だから、少女(12・3才)は彼と結婚後まもなく、おそらく彼が洗礼を受ける前に死亡したのだろう。あるいは「妻を迎えるまで」と書いているが、その前にゲーテがリリー・シェーネマンとの婚約を破棄したように、彼も婚約破棄を行ったのかもしれない。アフリカに帰った「女性」は彼の洗礼の前年(386年)に死亡したという。希望どおり息子を教会に引き戻した母親(聖女モニカ)も、次いで同じく彼と同時に洗礼を受けた息子アデオダートゥスも、同じ年(387年)に死亡し聖者の直系の肉親は全て途絶えてしまう。洗礼を受けた聖者アウグスティヌスは、第二部第三幕のファウスト―美女ヘレナと一子オイフォーリンを失った―ファウストのように地上に一人残される。ファウストは「所有と支配」を求めて神聖ローマ帝国に回帰し、アウグスティヌスはローマ・キリスト教会へと深く入ってゆく。

  「告白」は「あなた=神」へのアウグスティヌスの「呼びかけ(告白)」形式を取っており、神を彼は如何考えているか?が「長々」と繰り返し語られるが、教会外の人間にとって、これらの文章は文学的「告白」として、著作として面白くはないし理解不能でもある。筆者にとって興味深いのは、紀元4世紀後半、キリスト教会が地中海世界、ローマ帝国で圧倒的に優勢な宗教となって出現した当時の世相であり、その中での若者像であり、母親(キリスト教徒)と彼(マニ教徒)との葛藤だ。また書かれた文章は短いが、彼の「内縁の妻」への愛の深さであり、一家の「長」として彼の責任感だ。

  聖者アウグスティヌスの著書「告白」は、第九章まで「母の死」までを書いており、息子の死も「女」の死も12歳になっただろう少女との「結婚生活」についても書かれてはいない。ここまでが所謂「個人史」の形をとり、十章以後は彼の「神」への「語り」の形をとるので、内容は神学的および哲学的に偏し、あまり筆者には興味がない。それでも398年頃、「告白」執筆におけるアウグスティヌスの「感覚」への執着は、叙任司教アウグスティヌスを久しく苦しめていたようだ。彼はキリスト教神学に深く入りながらも、なお「凡人」としての苦悩から自由にならなかった。聖アウグスティヌスはなんと「素直な男」である事か!(Webを覗くと、聖モニカの名を冠した幼稚園がある。カソリック系の施設であろう。聖モニカ幼稚園と言うだけに親の子によせる期待が大きい幼稚園のようだ)。

  ここでゲーテとの関連を述べる。ゲーテの自伝とされる「詩と真実」との差異は明らかだ。一人の人間としてどちらに共感を覚えるかと言うなら「告白」だ。しかしこれは好き嫌いがあるので、これ以上は立ち入らない。第一部のクリスチャーネ・ヴェルピウスとの関係でも述べたが、ゲーテはクリスチャーネとの内縁関係を始めたのは、39歳(1788年)であった。彼らはワイマールの社交界から絶縁した私生活を「楽しんだ」。1791年には一子アウグトを得た彼らの「内縁関係」は18年間も続いた。そしてこの時のゲーテの(性)生活は、柴田氏らが「望んだ」ようなものではなかった、とも第一部論で記した。内縁関係を長期にわたって強いられた事において、ゲーテの正式で合法的な妻クリスチャーネも、聖アウグスティヌスの「女性」も同じだが、彼女らは内縁関係という「不安定な生活」に耐えざる不安を感じていただろう。ゲーテは1806年に18年間の内縁関係を清算し、幸いにしてクリスチャーネと結婚し彼女を正妻とする。この時にゲーテは57歳、妻クリスチャーネは40歳を越えていた。他方アウグスティヌスは16歳で「女性」と内縁関係を持ち、彼女を詩聖ゲーテがクリスチャーネを愛したように愛した。ただ、彼は16年も続いた関係を「神(母親)」の希望の為に清算する。女性は愛する息子とすら別れさせられ、一人北アフリカに帰り、その地で死亡する。

 ゲーテは聖アウグスティヌスについては何も語らない。しかし、この二人には大きな共通点があるように思われるし、ゲーテが何も語らないだけに、彼は聖者の気持ちを理解していたのではないかと思われる。ゲーテが聖アウグスティヌスの「告白」を読んでいないとは思われないからだ。