気づきの瞑想

「イライラ、ムカムカ」「もっと欲しい!」「ぼんやり…」など心のツラ~イ症状に効きます

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる~ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2012年12月17日 20時40分03秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

よき実りをえるための、三つのよき縁

<1>よき縁に触れる
<2>よき縁となす
<3>よき縁となる

 

<1よき縁に触れる

よき人と交わり、よき環境を選ぶ。
能動的によい縁に触れるようにしましょう、ということ。
よい友だち、よい環境、そうした縁を「善友(ぜんゆう)」という。

ブッダが「善友」の大切さについて説いているひとコマがあります。

(ブッダが、コーサラ国王パセーナディに語る場面、その1)

大王さま。…修行僧アーナンダが、わたしのいるところに近づいて来ました。…アーナンダは、私に次のように申しました。--『尊いお方さま!善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近い』と。
このように言われたので、わたしは修行僧アーナンダに、次のように言いました。--
『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。…』


(サンユッタ・ニカーヤ 第八節 努め励むこと(二) 引用元:ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)中村元 訳)

善友があるということは修行の50%くらいにはあたりますよね?と弟子がたずねたら、
ちがいますよ、100%ですよ、とブッダは答えられたのでした。

 

<2>よき縁となす

現象(感覚、思考など)すべてを良き縁となす。

たとえば、料理をしようとしたとき、あんまりいい素材じゃなかったり、レシピ通りのものが手にはいらなかったりすることがある。
不本意な素材であろうが、足りなかろうが、なんであれ「縁」。
それらの「縁」、すなわちいまここにある素材を生かして栄養のあるおいしいものを作っていくこと、そうした工夫、学びが「智慧」。

こころにおいても、現実に生きていれば、難しい人間関係に身をおいたり、さまざまな言葉を浴びせられたりもするだろうけど、そうした「縁」を学びの機会として、生かして「智慧」にしていくということ。

たとえば雨…。

過去の心のクセからただただ生じる「イラッ」という感情にふりまわされるがまま、苦しむ?

OR

これも「縁」として生かし、「よいお湿り」などと学びなおして、智慧にする?

 

<3>よき縁となる

「慈悲」の実践。
自らが良き縁となり、ともに苦しみを減らし、ともに幸せになる。

自分が得た「智慧」は、みんなとシェア。
自分が「よき縁」となって、他の人も幸せにする。ともに幸せになっていくということ。

(ブッダが、コーサラ国王パセーナディに語る場面、その2)


大王さま。それ故に、あなたはこのように学ばなければなりません。--『われは善き友となろう。善き仲間となり、善き人々に取り囲まれるようになろう』と。実にあなたは、このように学ばなければなりません。--善き友であり、善き仲間であり、善き人々に取り巻かれているあなたは、一つの事柄、すなわち<善きことをなすのに努め励む>ということにもとづいて住(じゅう)しなければならない、と。


(サンユッタ・ニカーヤ 第八節 努め励むこと(二) 引用元:ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)中村元 訳)

「よき縁に触れ」るよう行動し、なんであれ
「よき縁となす」ことができるようになったら、
「よき縁となる」ことに努めていきましょう、といわれたのでした。

 

仏教における「善」と「不善」

ところで、仏教用語の「不善」とは、「下手(へた)」という意味。

たとえば、 お料理がちょっと悪くなっててお腹壊しちゃったとしても、料理した人に悪気があったからじゃなくて、ただ下手だった、上手くなかったから、ってこと。

こころにおいても同じ。悩みが深くなったり、心の病になったりしたのは、こころに触れる「縁」をうまく生かせなかっただけ、下手だっただけ。

いまここから、上手(善)になるよう、学び励んでいけばいい。

 

縁起観


これあるときに、これあり
これ生ずるが故に、これ生ず

これなきときに、これなし
これ滅するが故に、これ滅す

(引用元:仏法[新装版] ポー・オー・パユットー サンガ)

 

「縁起観」は、すべては同時生起であることを説く。

この世界において私たちが何をどう感じて、そこからどうやって苦しみが起こっているのか、またどうすれば苦しみを滅することができるのかを理解するときのポイント。

 

(縁起観のお話は、つづく…)
<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る 


<講義メモ、その3>~了~

※一部、まんがの中のエピソードは講義内容からでなく、私の着想したものが含まれますこと、ご了承ください。
※内容は改変されることがあります。 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

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<今回参考にした書籍>
ナラテボー師の講演内容にて引用がある部分について参照させていただいた書籍です。 
 
ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)
中村 元

岩波書店

上記で引用した「努め励むこと」が載っています。

 
仏法[新装版]
野中耕一

サンガ

上記で引用した「これあるときに、これあり これ生ずるが故に、これ生ず…」が載っています。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

現代の対機説法! 
ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれています。

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

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