旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

555 1月20日(毎週土曜日に更改しています)

2018-01-20 06:05:24 | ブログ
 今日、1月20日は特別な日です。デンマークの避暑地フリボーで子供の為の施設で忙しくてる時に、父の死を知りました。57才でした。一人で大泣きしました。翌年、54才の母が逝きました。あれから約半世紀が過ぎました。時が過ぎるのが早すぎます。

 その時以来、私は無神論者。元々、考えると、考えなくても、そう信心深い方では無かったです。我が家の宗教は雑多なもので、家は真宗で、父は結構な位で、母は金光教、子供の頃、船岡山にある教会に行き「高天ヶ原にかしこみかしこみもうす」未だに覚えています。裏庭には巳(み)さんの社がありました。又ある時から母は、世界救世教に入信。それを不思議と思わなかったです。父は並べてある、仏壇、金光教、世界救世教と毎日お祈り。
 従業員の依頼でモラロジーの集まりに貸したり、中には、創価学会員がいたり、兄はキリスト教で、お婆さんは霊友会、我が家は何でもありでした。ある時、上の兄は、義姉さんの実家に行って確か天理教に入って来ました。節制が無い日本人らしい家庭と言えます。それよりももっと全く特別な特殊な宗教家庭と言えます。

 その宗教環境が底辺にあって、一度、正月にキリスト教の元旦礼拝に出て、八坂神社、そしてお寺、知恩院さんと周りました。まあ、この熱心さ?が両親が早く亡くなったかなと思います。

 それよりも生きたくても、若くして亡くなった方達は、もっともっとやる事、やりたいやりたい事があっとたと思います。逸見政孝(アナウンサー)さんの様に、生きたいとテレビで訴えた映像が忘れられないです。豊中の我が家に近くにお父さんが住んでいた、若くして亡くなった成田空港の仕事の先輩Kさん。今、その方達の事を考えると、父親が57才で無くなって、もっともっと話をしたかったですが、その後の家の没落等見なくて良かったと思いたいです。

 長く生きているとは、いいものだと思います。しかし、もっと何かを、やりきる事を考え続けていかなくては早く亡くなった方には申し訳ないです。

 現在は新語ばかりで、情けないですが、私も良く分からないです。今、両親が生きていたら時代に付いて行くのが大変だったと思います。多分、約半世紀の進歩は想像以上です。後10年もすれば平均寿命はもっと伸び、世の中、昼間歩いているのは年寄りばかりとなってしまいます。我々年代、高齢者施設も満杯、死ぬ時は沢山すぎて焼くのを待たなくてはならないのです。最後までこんなものです。後、10年生きるのもどう無く分からないですが、50年経ったら世の中どうなっている事やら...想像もできないです。
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