とうにクリスマスを過ぎて

クリスマスがもう終わった〜っと思った瞬間に思いついたタイトルです。
他意はありません。年末にはタイトル変更か?

白妙の衣ほすてふ

2019-05-06 11:03:40 | 日記
春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
( 持統天皇『新古今集』)

部活に向かうのだろうか、白いセーラー服を着た高校生が、
祝日の坂道を自転車で駆け下りてゆく。
もう衣替えの時期なのだ。
しばらく坂道を登って振り返ると、あの少女の姿は
見えなくなっていた。

万葉集の「衣ほしたり」は、眼前の白い衣を指しているのに対し、
持統天皇御製は、今は不在の白を詠んでいる。
大事なことは、いつも遅れて気づいたり、残像を今に照らして
蘇らせたりするものなのだ。

シャンプー

2019-05-05 10:27:26 | 日記
子供の頃は、簡単に幸せになれた。
夏休みに海に連れて行って貰ったり、欲しかったおもちゃを買って貰っただけで、「完全な幸福」を感じることができた。
ところが、年をとるにつれて徐々に状況が変わってきた。
健康・家族・お金・恋愛・仕事など、自分を取り巻く要素のどれかひとつにでもネガティブな問題があると、他が大体うまくいっていても、それだけで不安だったり、暗い気持ちになったりする。
(中略)
不況とか格差社会とか云われながらも、誰もがそれなりに強く明るく暮らしているようで、なんだか騙された気持ちになる。それとも、表面上そうみえるだけなのか。みんなそれぞれの不安や焦りや苦痛を隠して日々を生きているのだろうか。
日常の風景は奇妙な滑らかさに覆われていて、いくら目を凝らしても、ひとりひとりの生の実相を読み取ることができない。かといって、テレビや雑誌を見ると、ますますよくわからなくなる。
みんなの人生の本当のところはどうなんだろう。


穂村弘さんの書評エッセイ集『これから泳ぎにいきませんか』の一節を長々と引用させてもらった。
長い連休ももう少しで終わってしまう今日という日に読み返すと、また別の感慨を抱く。日々の暮らしの辛さを忘れるように、救いの光明のように思い描いていた計画も、あっという間に終わってしまった。
もとの辛い日々に逆戻りだと観念した「みんな」の行列に流されるように、今という時間が通り過ぎてゆく。自分というものが頼りないゼンマイ仕掛けのようにも思えてくるし、みんなも同様なのだとすると、それはもう味気ない世の中ではないか、とも思う。

穂村弘さんがこの書評で紹介するのが、上原隆著『にじんだ星を数えて』だ。普通の人の普通の生活を描くノンフィクションという新たな地平を切り開く一冊。
難病の婚約者と別れた過去を持つ女性「もり」の生活を淡々と描いた作品「記憶だけで生きてる」の紹介で、穂村弘さんは、もりの「私、逃げたんだなって思うんです」という言葉に引き込まれ、次のように語る。

生身の人間は「ドキュメンタリー」の外側で生きている(ドキュメンタリーとはここでは難病の夫を支える妻などのことー引用者注)。その生の意味とは、誰が決めたのかもわからない「ちゃんとした生活」という「枠」を超えたものではないのか。

「なぜかシャンプーをしてる時に」もりがクスクス笑う。「いろんなことを思い出すんです」

この「シャンプー」に私は分類不能な生の手触りを感じる。
確かに、本書もまた一種の「ドキュメンタリー」には違いないだろう。だが難病の恋人から逃げなかったとか逃げたとか、「ちゃんと」しているとかしていないとか、そのような分類や価値判断は一切保留にされている。その代わりに描かれるのが「シャンプー」のような細部の実感だ。
みんなの人生の本当のところははどうなんだろう、と私は思った。でも、人生における本当などは、どこにもないのかもしれない。強いて云うなら「シャンプー」のようなギリギリの手触りだけが「本当のところ」なのだ。


「シャンプー」のような手触りを、そのときその場所に、錨を下ろすように生きてゆくのなら、人生はそれほど味気なくもない、と思う。

みやびたる花と我思ふ

2019-04-30 12:04:09 | 日記
梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ
一に云う 「いたづらに我を散らすな酒にうかべこそ」(大伴旅人 万葉集)

万葉集「梅花の歌三十二首」序文は、新元号の典拠になり、今最も旬な古典と言っていいと思う。
その三十二首のあとに、大伴旅人が四首を加えていて、そのうちの一首が冒頭の歌。

梅の花が夢で語りかけるには「みやびな花だと自分でも思います。お酒に浮かべてくださいな」
「無駄に私を散らさないで酒に浮かべてくださいな」

太宰帥に任じられた大伴旅人は、赴任後まもなく妻を亡くしていて、
梅花の宴三十二首には、旅人の傷心を気遣う山上憶良の歌も載せられている。
旅人の歌はこれに応えて詠んだ、亡き妻を偲ぶ歌のひとつ。

亡き妻が梅の花の姿で夢に現れる。
綺麗でしょう、どうぞお酒に浮かべてみてくださいな。
そんな対話が、亡き妻とのあいだで交わされているのですよ。
こう答えた旅人は、照れたような笑みを浮かべていたのだろうか。
1300年も昔の話です。

あ”ぁぁぁぁぁ~

2017-08-07 21:58:41 | 日記
「あ”ぁぁぁぁぁ~」。
聞きつけで集まった人々は大興奮。

「声が特徴的なので、なんとか人気が出るといいなと思っていたので、注目してもらえてうれしいです」とは飼育員の君島久恵さん。この珍しい叫び声を聞こうと、遠方からもお客さんが訪れているといいます。そこで、「なぜ人はケイジくんの声に魅了されるのか」を、音声分析の専門家、日本音響研究所の鈴木創所長に伺いました。まず、教えてくださったのは、ケイジくんの声は「危機迫った男性の叫び声と同じパターン」だということです。そのため、魅力的というより、「何だろう?気になってしまう、無視できない声」として、人は惹きつけられているのではとのことでした。
(ここまでTV朝日 モーニングショー記事より)

きのうのMr.サンデーで、名古屋に単身赴任の男性が東山動物園にやってきて「あ”ぁぁぁぁぁ~」を2時間待ち続けている姿が描かれていた。
「俺の心の叫びを叫んでくれ〜」と無邪気に話していたが、全国放送で大丈夫だったんだろうか。
ソリの合わない上司がおり、昨夜まさに「あ”ぁぁぁぁぁ~」と叫びたかったのだそうだ。
本当に大丈夫なんだろうか。

真夏の藤の花

2017-07-17 16:24:45 | 日記
藤の木が二房、花をつけているのを見かけた。
異常気象による狂い咲きかと思っていたら、
よくある現象なのだそうだ。



6月から7月にかけてに分化した花芽の、充実した先端だけが翌年が待ちきれずに開花してしまう。夏に花をつける藤の木は翌年、必ずきれいな花を付ける、ということだ。
来年のゴールデンウィークを楽しみにしていよう。