朝青龍が引退した。私個人の気持ちであるが、朝青龍が日本の土俵から去った事は、嬉しい限りだ。格闘技だから当然かも知れないが、闘志丸出し、勝つことがすべて、抑えた作法、品格が、全く見られない、そして懸賞を受け取る態度もよくない、「頂く」と言う気持ちが全く見えない。たしかに自分の力で獲得したのであるが、謙虚さが欲しい。とはいえ相撲も「興行」であるから、引退は痛手であろうが、私はとても清清しい気分だ。外国人力士多数が占める今の国技、各部屋は強い力士を持つことが、有利として人種を問わないらしいが、日本人力士の居ない「日本国技」になってしまいそうである。とにかく、無頼漢朝青龍がが去ったことですっきりした。 おわり
娘が「湯」に行こうと言うので同乗した。其処は色々な施設が並立し何でもある。観覧車、道の駅、食堂、売店すべて揃っている。私達は、「湯」に直行した。露天風呂、ジャグジー、ジェットバス、サウナ、何でも揃っている。そして更に、別料金で岩盤浴、68℃の部屋,マイナス3℃など、そしてあらゆる効能書きのある部屋が並んでいる。私は、いわゆる床暖房のきつい岩盤浴の処でタオルを敷いて横になった、頭の処は冷えたパイプが通っていて心地よい、暫くすると、汗がどんどん出て着衣がびっしょりになる、こうして汗をかくのが目的でみんな「アザラシ」の様に寝そべっているのだ。そこまでして汗を出さなくてはならないのか、なんか厭な気持ちになった。散々汗をかき、ほかの部屋は覗かず、再びお風呂に入って外に出たら、大寒の風が涼しい。平和日本は有りがたい、と思いつつも、贅沢な商売に溜息がでた。 おわり
総理の施政方針演説を聞いた。テレビでは野次を取り込まないで、総理の演説を優先して放送したそうだが、猛烈な罵声であったようだ。「いのち」「いのち」を繰り返し、阿部総理の「美しい国」のように、抽象的な理念であって存在感がない。なんとか献金問題疑惑を乗り越えようとしている。総理の場合「知らない」で通す事はありえない、そんな金銭感覚の人間は国民一般として通用しない。生活に何の苦労もなく、何十億のお金に埋まって別荘ももち、ただ名誉だけを獲得したいのであろう。幹事長など、もっともっと、悪質である。
民主党の中からも、政治責任を明確にせよとの声もあると言う。大賛成だ。「がさがさ」している連立内閣、本当に大丈夫なのか、いまや、政策の一部は始っている。揺れながら時代はどんどん先へ進んでゆく。 おわり
民主党の中からも、政治責任を明確にせよとの声もあると言う。大賛成だ。「がさがさ」している連立内閣、本当に大丈夫なのか、いまや、政策の一部は始っている。揺れながら時代はどんどん先へ進んでゆく。 おわり
私の嫌いな政治家がまた地震を起している。いい事を並べ立てて獲得した政権だ。そう易々と手放せない。民主党も一致団結の姿勢を見せている様だ。不正に献金された金をいろいろにまわして、洗浄すると言う、なるほどと思う。そして恰も家の貯金であったかのように見せるのである。ずる賢い豪腕と、頭のよい坊ちゃん、果たしてどういうことになるであろうか。沖縄で岡田さんが困っている、コンクリートから人へで、前原さんが奮闘している、予算編成で倒れてしまう人もいる。とにかくみんな振り回されている。それらの改革を待ち望んでいる人たちも居る、様々な国民が居るのだ。国民がすべて満足という事は難しい、それぞれが「まあまあ」と言えるくらいのバランスの処へ落ち着かせる偉人が欲しい。先ずは幹事長を失脚させたい。 おわり
孫達が巣立つときがきた。少しづつ孫の名前で貯金がしてあった。結婚すると苗字も変わるし、家にいるうちに引き出そうとした、以前は印鑑さえあれば大丈夫と思っていたが、この頃は、本人の身分を証明するもの(免許証か保険証)代理人の身分証明も必要だ。某金融機関はそれだけでよかったので、そのつもりで別の金融機関へ行ったらそこは本人自筆の委任状がなくては駄目と言うことであった。当日は引き下がり、翌日孫に説明して証書ナンバー、金額、すべて事細かに書かせて出直した。何枚かの利息計算もあってかなり待たされた、外のものの通帳に入れると、贈与とかになるかと心配になり、現金で受け取ることにした。手提げ袋いっぱいになり緊張した。店員さんが私に「お孫さんどうされたのですか」と聞かれ「結婚しそうです」と答えたら「おめでとう御座います」と言ってくれた。家に帰り娘に話したら、振り込め詐欺にあうかと疑って言ったんだね、と言う。まだまだ、しっかりしているつもりでいたが、そんな風にみえる婆さんだったことを、思い知らされた。
「平安初期の僧。わが国真言宗の開祖。讃岐の人。804年(延暦23)入唐して恵果に学び806年帰朝、京都の東寺、高野山金剛峰寺の経営に努めたほか宮中真言院や後七日御修法の設営によって真言密教を国家仏教として定着させた。また身分を問わない学校として設立させた。弘法大師(774〜835)」と空海についてもっと詳しく電子辞書には書いてある。四国88箇所詣りはしていないが、とにかく立派なお坊さんであった。知多半島に新四国と言って四国を模した寺があり巡礼をするらしい。そのため弘法大師を偲ぶ史跡があるのであろう。そんな事を想像したが、如何であろうか?。
2010年が始った。暮れは、掃除、お歳暮の支度、年賀状、新年の招客準備など色々あって落ち着けなかった。それでも勤務を持つ、娘夫婦が誘って呉れたので暮れの28日、知多半島のリゾート地のホテルの温泉に行った。途中高台の公園に立ち寄ったり、漁港を覗いたりした。長年海一つ越えた処に住みながら知らずにいたが師崎近くの海に空海の像が建っている、そして、従者のような像が建つ石の祠があった。「由緒書」が書いてあったがしっかり読むこともなく、高台の展望台に登った。冬の海がひらけ、うち海とは言いながら太平洋につづく大海原である。私は海が好きだ。
ホテルの部屋でゆっくりくつろぎ、年の暮れの事とて閑散とした湯船につかりながら矢張り海を眺めた。食事も暇そうな職員が丁寧に運んでくれ、海の幸を堪能した。そして、按摩器にかかったり、卓球をしたりして遊んだ。子育てを終った娘達少し髪も薄くなったり、白いものも見え歳月の長さを感じた一日であった。
ホテルの部屋でゆっくりくつろぎ、年の暮れの事とて閑散とした湯船につかりながら矢張り海を眺めた。食事も暇そうな職員が丁寧に運んでくれ、海の幸を堪能した。そして、按摩器にかかったり、卓球をしたりして遊んだ。子育てを終った娘達少し髪も薄くなったり、白いものも見え歳月の長さを感じた一日であった。
孫達が結婚しても、なかなか子供を生まない、それは何故だろう、仕事が面白いのか生む時期を考えているのか理解し難い。育児と仕事の両立の難しさに悩んで居るのだろうか?問い詰める訳にもいかず、われ関せずで居るしかない。
親が子を育てるのが自然ではある。しかし女子も男子と同じように頑張って勉強もし職業について自立できる。そこで、「子育て介護は女性の役割」という訳にはいかないのだろうか。難しい問題である。女性が社会進出しているために、男子の職場をせばめ家庭の作れない事態を招いているのかもしれない。孫のお守りなど充分できる高齢者が、自分の余生とばかり遊んで暮らすことになっている。昔がいいのか、今の核家族がいいのか、それぞれにリスクを伴う。
娘に「母さんが専業主婦であんた達良かったでしょう」と言ってみた、かえってきた言葉は「家に母さんが留守だといいなー」と思いながら学校から帰ったものだよ」と言う。カバンを放りこんで遊びに行きたかったそうだ。いまごろ始めて聞いた述懐であった。そして大笑いであった。
親が子を育てるのが自然ではある。しかし女子も男子と同じように頑張って勉強もし職業について自立できる。そこで、「子育て介護は女性の役割」という訳にはいかないのだろうか。難しい問題である。女性が社会進出しているために、男子の職場をせばめ家庭の作れない事態を招いているのかもしれない。孫のお守りなど充分できる高齢者が、自分の余生とばかり遊んで暮らすことになっている。昔がいいのか、今の核家族がいいのか、それぞれにリスクを伴う。
娘に「母さんが専業主婦であんた達良かったでしょう」と言ってみた、かえってきた言葉は「家に母さんが留守だといいなー」と思いながら学校から帰ったものだよ」と言う。カバンを放りこんで遊びに行きたかったそうだ。いまごろ始めて聞いた述懐であった。そして大笑いであった。
かなり古い話であるが、職業婦人を云々された時代である(S20年代)その頃私は一応職業をもっていた。結婚しても仕事は続けたいと思っていた、しかしそれには家事育児というものを受け持つ応援者がなければならない、舅姑の応援がなければ何んともならない、子供は見られないと言うことで、泣く泣く仕事を止めた。そんな事にへこたれないで頑張る方法もあったかと思うが、心が萎えた。不満いっぱいの生活は皆を不幸にしたと思う。3人の子供を育て学校へ行くようになると急に暇になる。仕事への復帰もできず、そのまま主婦と言う立場で人生を過ごす事となった。仕事を続けられた友達達を羨んだ時期もあったが、それはそれで自分の意気地なさであると諦めた。やはり主婦と言う立場は何かにつけて、経済力もなく、一歩引いてしまう、それが悔しかった。しかし早くから趣味のサークルに入ったり、旅行も出来たり、悪い事ばかりではない。何事にも表裏がある。
今日の新聞に「自分の生家の物置にあった古い農具をインテリア用に貰った」と言う作文が出ていた。そのなかに大きな得体の知れぬ籠があったと言う、それは子供を畦道におき仕事をしながら子守するための物であったという。本人は勿論覚えていない。それを部屋へ持ち帰って感慨深く眺めていると言うことだった。
そんな事から思い出すのは、ある若い秀才が衆議院候補に出ると言うとき、近所のおばあさんが、「あの子は田んぼの畦道に座らされて母親が子守をしながら仕事をしていたのを、よく見たよ」など言っていたのを思い出した。そして彼は、元副大臣にまでなった。今も元気いっぱい国会で働いている。
少し前まで、子供は、親か祖父母が面倒をみて育った、半世紀経て今は幼児も老人も障害者も皆施設で暮らすことになった。そのために政治は経費を考えなければならない。そのため、仕分けで大騒ぎである。女性の社会進出、男女機会均等、子供は「社会の子」それは確かに尤もだが、少なからずリスクもある。 つづく
そんな事から思い出すのは、ある若い秀才が衆議院候補に出ると言うとき、近所のおばあさんが、「あの子は田んぼの畦道に座らされて母親が子守をしながら仕事をしていたのを、よく見たよ」など言っていたのを思い出した。そして彼は、元副大臣にまでなった。今も元気いっぱい国会で働いている。
少し前まで、子供は、親か祖父母が面倒をみて育った、半世紀経て今は幼児も老人も障害者も皆施設で暮らすことになった。そのために政治は経費を考えなければならない。そのため、仕分けで大騒ぎである。女性の社会進出、男女機会均等、子供は「社会の子」それは確かに尤もだが、少なからずリスクもある。 つづく










