志摩半島周遊

2012-02-13 09:36:05 | Weblog
 隣の県でありながら、一度も行ったことのない志摩半島に行ってきた。次女夫妻の協力で夫と四人のマイカーの旅である。寒波の来襲がきつく、延期も考えたが、10日~11日予定どうり出かけた。安城〜豊橋は23号線のお陰で楽に行ける、いつも対岸の知多半島から眺めるばかりの伊良子半島を走るのだ、上天気の蔵王の展望台から一望出来る風景を堪能した。これも映像で見るのとでは大違いだ。展望台の座敷でお茶をして、しばらく休憩し、田原の吉胡貝塚の資料館を見学、ここでも風景を展望できた。昼食ののち朝熊山の山頂からの景色を見て島々や山並みを確かめたりしたが、風の冷たさに追われ、スカイラインを下り、フェリ−のりばへ。
 船は大きくても車は数台しかなく、ガラガラで人も10人足らずの様に思われた、これでは航路の経営も困難ではなかろうかと気の毒になった。湾岸道路を回る方を選択するのだろうか。海を眺めたいと言う観光航路なのかと思ってしまう。鳥羽のホテルの高みから海を眺望し宿泊。
 翌朝、伊勢参りは、いつも陸路なので、二見ヶ浦も違って見えた。そして伊勢神宮へ行くと、あいにくと言うか、幸いと言うか、「建国の日」であったためか、すごい人出であった。伊勢の本宮の砂利道を心配していたが、地面をセメントで固め上に細かい砂利に変えられずいぶん歩くのに楽になり、ご遷宮の準備の鞘堂も建てられていた。再びはないと思われゆっくり拝観した。
 そして「伊勢志摩スカイライン」にのり景色を堪能し、「牡蠣」が食べたいと言う婿が海辺をまわったが、何処も満員の盛況で牡蠣を焼く煙だけを見て引き上げた。こんなに牡蠣の好きな人が沢山いるのかと驚いた。ちなみにわたしは、ぬるぬるしている様なものは嫌いで、いちども食べた事はない。
 最終として、国々の先端が「岬」が見たいと言う婿どのの執念で大王崎、そして「和具」の我慢の丘の高齢者の集うところへ行ったと言う。(私は欠)いよいよ帰路の時間がきていたが、まだ「斎王」の史跡を見るということで探しまわってやっと見つけ見学した。これでいよいよ帰路であるが、東名阪高速道路が渋滞で参った。高速を降りて地元の店で夕食を済ませ家に辿り着いたのは午後9時頃になった。無事に最期になるかも知れない旅が出来て「よかった、よかった」である。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

医療今昔

2012-01-18 14:24:07 | Weblog
 この頃或る知人が胃がんの手術を終えて元気になったとの知らせがあった。ちょっと胃の具合が悪いとのことで町医者にかかり、胃カメラで撮り、細胞を採取し胃がんであることが解かったと言う。そして開腹手術ではなく穴を開けて癌を取り出したと言う。
 そんな話を聞くうち、私達の子供の頃の診察を思い出した。今はおそろしい死病とされる「癌」を色々な病名で知らされていた。昔のお医者さんは、先ず脈を診る、熱を測る、顔色を見る、口を「あーん」して喉を覗く、眼の中を覗く、そして仰臥して腹を隅々まで力をいれて押圧する、聴診器で胸の音を聴く、背中に平手を当ててその手を片方の手でたたき音を聴く、癌を見つけることは容易ではない。押さえて硬いところがあれば、それが胃がんであっただろう。だから触診で解かるようになれば、癌末期であろう。そんな訳で昔の人の多くは死んでしまったことと思う。いまはあらゆる検査で病気を見つけてしまう、そして治療が可能である。
 長寿国の筆頭になった日本は幸せと言うべきか、認知症を心配しながら生きのびている。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

映画鑑賞

2011-12-23 15:13:13 | Weblog
 先日、雨でどうしようもない日にテレビで、昔騒がれた映画「羅生門」を観た。黒澤明監督の作品である。1950年ごろの国際グランプリ賞とか、アカデミー賞を得た作品だ。三船敏郎、志村崇、森雅之、京マチ子、など私達の若い頃のヒーロー、ヒロイン達が出演している、懐かしいものであった。
芥川龍之介の「藪の中」という短編が原作である。舞台は平安時代、社会の秩序も法律も治安も無い時代の中、人間の性や深層心理を描いたものであった。あまり楽しいものではないが、迫るものがあり、締めくくりに温かい人間性を出していた。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

年の瀬

2011-12-16 11:19:59 | Weblog
 私の家の中は大きな緊張感のない身辺であった故か、あっと言う間の一年であった。東北での大震災は日本人として耐えられない出来事ではあったが、直接何に参加することも出来ない老人にとっては、復興を祈るのみの毎日であった。後半、世界では専制的支配者が次々国民のちからで権力の座を追われた、チュニジアのベンアリ、エジプトのムバラク、リビアのカダフィ大佐、シリアのアサド大統領、そして北朝鮮の金正日の突然の死、世界の時代がゆっくり動いてゆく。今どき、世襲で権力の座を維持することは時代錯誤も甚だしいと思うが北朝鮮と言う国はわからない。核の恐ろしさ、原発の恐ろしさを身に沁みて知る吾々にとって北朝鮮は気味悪い。
 私の身辺も年齢順とはいかないが、それでも高齢者が次々亡くなってゆく、もう充分そのリストにあがっている。そんな事を夜な夜な考えながら眠りにつく、それでも朝が来るとうれしい。
 もうすぐ正月で、子や孫が家に集まる、それらのイベントの書き込みを楽しみにしているばかりである。 気温が一桁となり黒い雲が寒々と足早に流れるこんにちである。
    
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

あるイベント

2011-11-10 14:34:24 | Weblog
 先日、ちょっと面白いから行って見ないかと、娘が誘ったのでついていった。そこは嘗て建設会社であった跡地に、解体した古い木材を集めて色々なリサイクル作品が展示してあり、食卓テーブル、椅子、遊具、キッチン戸棚、流し、階段戸棚、などの作品が並んでいた。古い民家の「のもの」[鴨居][桁」「縁側板」などを巧みに使い大工の「智慧と技」が面白く反映されていた。しかし困るのは「むく」であるため重いことが障害になり購入は難しいと思われる。私は古い築百年と言う家で育ち黒く燻された木材は厭で堪らなかったので、それらを見ても厭な気分になってしまった。その会場はほかに昔懐かしいものが色々売られていた。
 驚いたのは、「こども能楽教室」の子らが袴をつけ、笛、太鼓、つずみ、を使い「たかさご」や「はるがすみ」など中学生~3歳の子までいっしょに声をかぎりに謡うので、おかしさもひとしおであった。意味も言葉もわからないのに、よく覚えたものだと驚いた。
 白髪の師匠が、「つづみ」の打ち方を教えてくれ、生まれて始めて鼓を打ってみた。何事もやってみればそれぞれの好さや、価値があるものだと感じた。趣味とは無縁に生きてきた人生を痛感した一日であった。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

市民茶会

2011-10-19 15:11:18 | Weblog
 長女の家に、孫が出産のために滞在しているので、様子を見るため出掛けた。順調に成長しているらしくお腹をつきだして見せてくれた、もともと天真爛漫なところがあり、その姿に思わず笑いがこみあげた。一安心であった。
 帰りしなに、市民茶会へどうかと言うので、立ち寄る事にした。文化センターではお天気が好いこともあり大盛況であった、中高年の女性たちが一張羅の和服で興奮気味に動いていたが、何処と無く難儀そうに見える、しかし頑張っての正装なので美しいと思いたい。裏千家のお手前を拝見し、若い娘さんのお運びが始ったが、急なことで懐紙を持っていなかったので、隣の人が気を使ってくださったので事無く頂くことが出来た。若い娘さんが緊張して手と足とが一緒のような歩き方もあり、ほほえましかった。駐車場は満車、うららかな秋の一日、平和を満喫しうっとりした今日であった。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

花展鑑賞

2011-10-13 11:37:39 | Weblog
 日曜日、名古屋松坂屋の催事場で「小原流」の花展が行われていた。娘と車で出かけた。地下2階の駐車場には入れることが出来た、名古屋の昼間日曜日はすごい人出で車も渋滞気味で見ているだけで疲れる。田舎暮らしで都会に出るのは稀であるため尚更である。
 会場に行くと、まず家元の大作が圧倒する、どうやって運び込んだのかと思うほどで、びっくりであった、この秋の、もろもろの植物を全部集めたかとおもうほど、まんめんの秋が表現されている。工夫を凝らした作品を一つひとつ鑑賞した。華道の世界のことは知らないが、流派による対立や、競争もあることだろう。私の娘も上の子は草月流、中と下は石田流とかを少しかじったようである。
 折角久しぶりの名古屋なので、名古屋は高いなーと思いながら、買い物をして家路についた。
帰路学生時代に習った華道のことなど思い出しながら、時代の移りゆくすべてのものに深い感動を覚えた。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

矢勝川の彼岸花

2011-10-08 10:11:08 | Weblog
 先日半田の矢勝川の彼岸花を見物に行った。ウイークデイと言うのにすごい人出で驚いた、前日の日曜日には更に多くの人出だったと言う。暇な高齢者が多いことがここでも証明される。テレビで見るのとでは矢張り違う、空気とか知多全体の雰囲気が身に感じられ、はるばる走って行く価値はある。赤く染まった土手が延々と続く、見慣れない風景であった。
 折角なので「新美南吉記念館」へ入って見た。建物も独創的なつくりで屋根に芝があったりして[エコ」の代表みたいで今時、真似したいような設計である。
 私達の女学校時代の恩師であるため、懐かしい思いでじっくり見学した。私達が知っているのはほんの一部で、膨大な資料を見て更に深く知ることが出来た。戦時中を病んで痩せ衰えて悔しいおもい、いっぱいで逝かれた先生が哀れでならなかった。学校の廊下の掲示板に絶筆が小さく貼ってあり、涙ぐんでそれを見た日のことを思い出した。狐の出そうな小高い丘陵の続く知多半島に愛知用水が引かれ肥沃な地方に変身した知多は、セントレア空港と共に賑やかになって発展した。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

発起

2011-09-21 10:05:25 | Weblog
 年々体力は落ちてゆく、旅行もあまり気が乗らず家にばかり居て、家事と畑に少し出るくらいなので、「それでは駄目だ」と娘に諭されて、とあるジムに行くことになった。会員申し込みも、付き添いもされ、強引であった。まず身体的な「オリエンテ−ション」また色々な運動器具の使い方、陸上、水中などのクラブのカリキュラムなどの説明など聞き、それで OKとなった。「色々なことを試してみたら」と言うことであったが、何にしても齢である、昔、毎日「1万歩」歩いて足の裏を痛め、卓球をして、膝を痛め、それぞれ1年がかりで癒えたという過去がある。だから吾が娘の云うことを「マトモ」に聞くわけにはいかない。30年ほど前教室に入っておぼえた水泳が一番故障が無いと思われ、マシンを使ったり、飛び跳ねたりはしないに限る、故に私はマイペースと決め誰とも組せず、4〜5百メートルを泳ぎ、温泉の様なお風呂に入ってゆっくり休んで帰る。齢をとると頑固と言うか、強制を好まなくなるようだ、端的には「わがまま」と言うことか。
 このことの効用は、家からでてある種の緊張すること、いろいろなルールを護ること、帰路に買い物ができること、体力相応の疲労感があること、などである。何時まで出来るか疑問であるが。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

敬老会

2011-09-20 07:41:00 | Weblog
「敬老会」を行うと 町内会より案内があり夫婦で参加した。78歳以上の老人が対象であるが暑い中での外出であるから、まあまあ元気な人たちである。それでも若い人たちからみれば、動きや反応がスローである。スタッフの人達が道路の横断には車を止め、履物の保管、受付の名簿へチェック、階段の見張りなど、細かく配慮されていた。会場にはエアコンが入っていたが、寒がる人、なお暑がる人、個人差がある。久し振りに会う人たちは少しづつ老いながら、去年来られた人も今年はもう彼岸に立たれた人もある、寂寥を感じながら開会を待つ。
 来賓は市長、県会議員、市会議員、駐在員、知事の祝電、町内役員などである、それぞれ長寿を誉め、なお元気で長寿をと言う趣旨の言葉である。この鄙の100歳以上が4人と他町との比較で住みよい環境であるなど、男女の長寿比較など、しきりにパーセントで示し女性の長寿を言い苦笑させる。男性にかかるストレスを言ったりする。いずれの来賓もソツなく弁舌さわやかであった。
 最期はアトラクションで漫談、歌謡ショウなどのサービスでしばらく和んだ。それでも3時間もキープされると、家に帰るとほっとする。   おわり

 
コメント (0) |  トラックバック (0) |