歌人の枡野浩一さんによる『失恋論短歌』の募集が終わりました。
そこで、以前挙げさせていただいた時期以降に発表された中で気になった作品について、こちらでも語っていきたいと思います。
失いたくなくて家族になって序々に失恋しているようだ(茅野枝葉)
http://edaha.blog45.fc2.com/blog-entry-4.html
「すべての恋は失恋である」という『失恋論』のオビにも掲げた言葉は、どんな仲の良いカップルや夫婦もいつかは「死別」するという認識でしたけれども、その後私の中で「いや、死別しなくても、恋が別のものに変わることが『失恋』なのかもしれない」つまり「家族」になることもそうなのかもと思えてきました。
手放していないのだからモテない、か そんな冗談思いついたり(茅野枝葉)
http://edaha.blog45.fc2.com/blog-entry-3.html
これは「冗談」としてはありますが、痛切です。人が心からなにかを「失う」ということを初めて経験するのが「失恋」だ、などとわかったようなことを書きましたが、恋において、あらかじめ自分のすべてを失う覚悟がなかったのかもしれません。
失恋をしたから逆に近づいた気がするけれど伸びていく影(嶋田電気)
http://blog.livedoor.jp/headbads/archives/50079432.html
失恋したときに、相手と向き合えた気がする。でもその時はもう決定的に恋の可能性はなくなっている。そう感じたことが僕にも何度かあります。
さよならを最後にちゃんと言うためにもう一度だけ会えるかなしみ(紺野さちこ)
http://nonnon-1971.at.webry.info/200604/article_13.html
僕にとっては上の歌に近い気分です。その瞬間があらかじめわかってしまっているのが「かなしみ」なのでしょうか。
読むことはないのに借りた本だから なくさなかった証拠に返す (伊勢谷小枝子)
http://d.hatena.ne.jp/saeko-i/20060422#p1
わかるなあ。失ったときに示したい「つながり」です。
意外にも指輪じゃなくて馬鹿げてるメモに泣けるの サヨナラの後(小野伊都子)
http://cahier-bleu.cocolog-nifty.com/izu1969/2006/04/post_2bdc.html
目的がなくても戯れていられたあの頃こそが、真に吊り合った時代だったかもしれない。
あまりにも静かな朝だ 嗚呼そうか わたしあなたを失ったんだ (香原よう)
http://yo-kahara.cocolog-nifty.com/tanka/2006/04/post_f235.html
もうこの空間はあの人の居る空間とつながっていないことが、別々に居てもわかる。『失恋論』まんまではありますが、その実感を照射してくれています。
この恋は失いません ちょっとだけむこうにあって届かないけど (岡本雅哉)
http://furyu.way-nifty.com/namajikka/2006/04/post_e7b4.html
これもまんまではあります。一縷の可能性がないと片想いにもならない。そして片想いは失恋して初めて片想いだとわかる。『失恋論』前半の展開そのものです。
花びらが散ってしまった隅っこでほっとしている 嘘じゃないのに
(根岸絹)
http://d.hatena.ne.jp/moon-sherbet/20060422
ほっとしているのも本当なら、嘘であってほしいとも思っている。その「間」の時間が伝わってきます。
今日だけはイイ女だと思わなきゃやってられない だから泣かない(根岸絹)
http://d.hatena.ne.jp/moon-sherbet/20060426
ありがちなシチュエーションではありますが、カッコイイ女性が流す心の涙には惹かれます。
軽はずみでもはずんでた失恋を一人で解こう運命だから(本原隆)
http://miyagara.cocolog-nifty.com/tokyoto/2006/04/post_f235_3.html
「運命」は、そっちの方にあるのですね。
※先月に三回行われた『失恋論』トークショー第一回、内藤みかさん編が公開され始めました。
http://www.kadokawagakugei.com/renewal/topics/special/20060201_01/
そこで、以前挙げさせていただいた時期以降に発表された中で気になった作品について、こちらでも語っていきたいと思います。
失いたくなくて家族になって序々に失恋しているようだ(茅野枝葉)
http://edaha.blog45.fc2.com/blog-entry-4.html
「すべての恋は失恋である」という『失恋論』のオビにも掲げた言葉は、どんな仲の良いカップルや夫婦もいつかは「死別」するという認識でしたけれども、その後私の中で「いや、死別しなくても、恋が別のものに変わることが『失恋』なのかもしれない」つまり「家族」になることもそうなのかもと思えてきました。
手放していないのだからモテない、か そんな冗談思いついたり(茅野枝葉)
http://edaha.blog45.fc2.com/blog-entry-3.html
これは「冗談」としてはありますが、痛切です。人が心からなにかを「失う」ということを初めて経験するのが「失恋」だ、などとわかったようなことを書きましたが、恋において、あらかじめ自分のすべてを失う覚悟がなかったのかもしれません。
失恋をしたから逆に近づいた気がするけれど伸びていく影(嶋田電気)
http://blog.livedoor.jp/headbads/archives/50079432.html
失恋したときに、相手と向き合えた気がする。でもその時はもう決定的に恋の可能性はなくなっている。そう感じたことが僕にも何度かあります。
さよならを最後にちゃんと言うためにもう一度だけ会えるかなしみ(紺野さちこ)
http://nonnon-1971.at.webry.info/200604/article_13.html
僕にとっては上の歌に近い気分です。その瞬間があらかじめわかってしまっているのが「かなしみ」なのでしょうか。
読むことはないのに借りた本だから なくさなかった証拠に返す (伊勢谷小枝子)
http://d.hatena.ne.jp/saeko-i/20060422#p1
わかるなあ。失ったときに示したい「つながり」です。
意外にも指輪じゃなくて馬鹿げてるメモに泣けるの サヨナラの後(小野伊都子)
http://cahier-bleu.cocolog-nifty.com/izu1969/2006/04/post_2bdc.html
目的がなくても戯れていられたあの頃こそが、真に吊り合った時代だったかもしれない。
あまりにも静かな朝だ 嗚呼そうか わたしあなたを失ったんだ (香原よう)
http://yo-kahara.cocolog-nifty.com/tanka/2006/04/post_f235.html
もうこの空間はあの人の居る空間とつながっていないことが、別々に居てもわかる。『失恋論』まんまではありますが、その実感を照射してくれています。
この恋は失いません ちょっとだけむこうにあって届かないけど (岡本雅哉)
http://furyu.way-nifty.com/namajikka/2006/04/post_e7b4.html
これもまんまではあります。一縷の可能性がないと片想いにもならない。そして片想いは失恋して初めて片想いだとわかる。『失恋論』前半の展開そのものです。
花びらが散ってしまった隅っこでほっとしている 嘘じゃないのに
(根岸絹)
http://d.hatena.ne.jp/moon-sherbet/20060422
ほっとしているのも本当なら、嘘であってほしいとも思っている。その「間」の時間が伝わってきます。
今日だけはイイ女だと思わなきゃやってられない だから泣かない(根岸絹)
http://d.hatena.ne.jp/moon-sherbet/20060426
ありがちなシチュエーションではありますが、カッコイイ女性が流す心の涙には惹かれます。
軽はずみでもはずんでた失恋を一人で解こう運命だから(本原隆)
http://miyagara.cocolog-nifty.com/tokyoto/2006/04/post_f235_3.html
「運命」は、そっちの方にあるのですね。
※先月に三回行われた『失恋論』トークショー第一回、内藤みかさん編が公開され始めました。
http://www.kadokawagakugei.com/renewal/topics/special/20060201_01/