dashi’s room

自閉症など障害者や介護の話、世間を騒がす社会問題をマジメに考えます

便乗商法あれこれ

2006-01-31 23:05:05 | 興味津々
PRの時代とあって、みんないろいろ考えるものです。
面白いなと思ったものを少々。

★受験用
http://www.rakuten.co.jp/mentai-n/1569627/
こんなものがありました。学業成就祈願で有名な太宰府天満宮のお守りがついた、昆布のうまみたっぷりの明太子。
「細胞の代謝をさかんにし<知能の発達に影響を与える>甲状腺ホルモンに欠かせない成分」ヨードを含んだ昆布をたっぷり入れた付け込みダレで、より自然なおいしさに仕上がっているそうです。刻み昆布つき。
おいしそう! 受験生じゃなくても食べたい。

お菓子では、
定番の「キットカット(きっと勝つ)」、
コアラは眠っていても木から落ちないことから「コアラのマーチ」、
ちょっと苦しい「カール(うカール)」、
もっと苦しい「ポッキー(キッポー吉報)」、
入るで「ハイレモン」、
などこじつけ便乗商品がたくさんです。

先日スーパーで見かけたコーナーには、合格祈願で名の通っている神社のお祓いを受けた(というふれこみの)豆製品(煎り大豆など)がたくさん売ってありました。豆は節分のときしか大々的に売ってないと思っていましたが、受験用とバレンタインにも便乗しようという意図のようです。
大豆は良質のタンパク質を30%以上(肉の5割増)も含み、コレステロールを下げたり抗肥満作用があるなど生活習慣病に有効。更年期障害や骨粗鬆症にもいいと言われる健康食品です。
便乗商法に素直に乗っかって積極的に食べるといいかもしれませんね。

他にも、
ゲンかつぎ靴下「すべらない靴下」
スタッドレスタイヤ(滑らない)の欠片入り「すべらないお守り」
などというのがあるそうです。
少しは気休めになるかもしれませんね。ニコッとして緊張をほぐせる効果もありそうです。

★ バレンタイン用
なんとチョコレートではなくプレゼント用の「納豆」です。
http://www.kodawariya.co.jp/ValentinesDay.htm
「納豆のように貴方を…粘り強く愛してみせます」
私のハート……税込み1080円。(ほかにも各種)
(納豆料理レシピ、メッセージシールつき。ハート型の化粧箱に入っているのは贅沢納豆×3個、道場六三郎スープ×2個、手作り温泉玉子×2個。)
温泉玉子にはハートのシールが貼られている芸の細かさです。
納豆の嫌いな人にはダメでしょうが、チョコレートより喜ばれるかもしれません。
個人的には、乾燥納豆の方がビールのつまみになるし日持ちもしそうな気がします。メーカーによっては全く納豆臭くないものもあり、苦手な人でもおいしく食べられますよ。あ、でも「粘り強く」ないといけないんでした。

それにしても、堂々と便乗しているこの商魂たくましさには脱帽です。


先生との出会い

2006-01-30 23:06:19 | 興味津々
時々覗いているサイトで、こういうやりとりがありました。
管理人さんが結婚式に出たら、カーペンターズの歌「I know I need to be in love I know Iユve wasted too much time~♪」が流れて泣けて来たとか。
まだ若い人のようなのに、と思って、カーペンターズを知ってるんですか、と聞いてみました。そしたら、
「カーペンターズは中1の時に英語の先生が教材として使っていたんです。先生はとにかく英語が好きになるように一生懸命でした。(中略)先生のおかげで英語が一番好きな教科になりました。今でも感謝しています。
出会いって大切ですよねぇ・・・。」
とお返事をいただいたのです。いい話だなあと思ってここにご紹介する次第です。

私も中1の英語の先生とは幸運な出会いをしました。
最初の授業のことを今でも覚えています。
先生は端っこの席の生徒から順番に、「一番大きいものは何か」と一人ずつ聞いていきました。私は「知識」と答えたと記憶しています。(そのあと他の子が「宇宙」と答え、あっそうか、と思いました。)
先生の答えは「脳の収容量」というものでした。人間には140億個の脳細胞がある。そして普通そのうちのごく一部しか使わないまま死んでしまう。
学校で習う英語の単語なんてせいぜい何千個かであるから、膨大な脳細胞のほんの少し使うだけだ。

先生は続けて、川の水をざるですくったらどうなるか、と質問しました。
みんな自信なさそうに「水はこぼれる」と答え続けました。
一巡したところでまた「こぼれてしまう」と答えた子に、先生は力をこめて「違う!」と声を大きくしました。毎日水をすくい続けたら、ざるには苔が生えて、ある日ついに水がすくえるようになると言うのです。
これは、一つずつ単語を覚え、毎日こつこつと努力したら難しい英語の文章もすらすら読める日が来る、ということを言いたかったのだと思います。

生徒の気持ちをひき付ける才能に長けた先生の授業は、とても楽しかったです。どう説明すればわかってもらえるか、ノートを作って授業の準備も怠りなくやる熱心な先生でした。
学校も勉強もキライだけど英語だけは好き、という生徒が私の周囲だけでも何人もいました。
この先生が一年で転勤してしまったのは本当に残念でした。

高校1年の担任だった先生も印象に残るいい先生です。特攻隊の生き残りとかいう噂で、小さい身体に似合わず度胸のすわった先生でした。
入学早々鞄の中のタバコを見つかった子がいたのですが、短い言葉でほんの少し注意しただけ。大きな声を出したわけでもないのに、当の生徒は泣き出さんばかりにしょげ返り、深く反省した様子でした。人望のある先生、というのはああいう人を指すのだと思います。
その先生は昔はヘビースモーカーだったそうです。高校生の担任をすることになった時、自分が吸っていては示しがつかないから、ときっぱり禁煙したと聞きました。

先生と幸運な出会いをすれば、その後の人生への影響は果てしないですね。
ヘレン・ケラーとサリバン先生。視覚も聴覚も失ってけだもののように行動するヘレン・ケラーに「ものには名前がある」と教え込むシーンは『ウォーアー(water)』といううめきとともに映画「奇跡の人」(古いですが)で有名です。
また、おそらく自閉症の山下清に貼り絵を教えてくれたのは、家庭的に恵まれず情緒不安定な清が収容された、入所施設の八幡学園の先生でした。
出会いがなかったら二人とも障害者として辛いだけの人生だったと思います。

そこまで決定的でなくても、学問の面白さに目覚めさせてくれ、自分でも気がつかなかった才能を引き出してくれる。その先生のことを思うと悪いことは出来ない。先生の笑顔が見たくて実力以上の頑張りが出来る。
そんな先生に出会えたら幸せですね。


それを言っちゃあ、おしまいよ

2006-01-29 15:32:24 | 社会問題
開き直りとしか思えない発言をした東横インの社長が、HPでお詫びを述べたそうです。
まさか本気で反省したわけではないでしょうが(文章だって他の人が書いたのだと思いますが)、思いがけず障害者団体の反発や世間の批判が無視出来ないほど大きかったということでしょうか。
スーパーなどで入り口に近い便利な場所に障害者用の駐車場が設けてあるのは、経営者の「障害者に優しい店」というPRのためだと思っていましたが、条例などで義務づけられているということを私も今回初めて知りました。障害者はあまり利用しないかもしれないビジネスホテルの経営者にとっては、とても迷惑なものであるということも。

障害者用の駐車場は、車椅子を出し入れするためにドアを大きく開くスペースを確保しなければなりません。隣の車にドアをぶつけないように気を使うような広さでは勿論ダメで、普通の5割増ぐらいの面積が必要だと思います。
こういう広い駐車場は健常者にとっても駐車しやすく、空いていると停めてしまう車が多くて、肝心の障害者が停められないという話はよく聞きます。
一人で買い物に来て、車椅子を出して乗り移っている人を一度でも見かけたことがあれば、その駐車場をふさぐことがどんなに困った事態を招くか、普通の想像力のある人なら見当がつくでしょう。
障害者に対して理解を深めてもらうには、障害者が出て行きやすい環境を整備することが必要です。まちづくり条例を作った人たちには、そういう思いがあったのに違いありません。

障害者用の駐車場があったら見栄えが悪いとか、障害者用の部屋は稼働率が低いとか、それは障害者の問題が自分とは何の関係もない他人事だと思っているからこそ出て来る発言です。
一時間後に交通事故に巻き込まれて瀕死の重傷を負うとか、糖尿病で両脚を切断するはめになるとか、孫に知的障害児が生まれるとか、可能性はいくらでもあるのに、自分には関係ないと思い込んでいる。そして軽率な発言を繰り返す。
好意的に見れば正直な人で本音を吐いただけなのでしょうが、サービス業トップの発言としては看過出来ないです。
件の社長にはこういってやりたいですね、
「それを言っちゃあ、おしまいよ」。


私の実家の近所に、大きな交通事故に遭った家があります。
運転していたのは30代のお嫁さん、助手席には赤ん坊を抱いた姑さん。
(チャイルドシート着用義務化の前の話です)
真っ昼間の見通しの良い道路で、急に中央線をはみ出して対向車に正面衝突。小さな軽自動車だったせいもあるのでしょう、車は大破して3人とも亡くなってしまいました。
ブレーキ痕がなかったそうで、お嫁さんの居眠り運転だろうという話でした。おそらく姑さんも眠っていたのでしょう。舅が癌で入院している病院へ看病のために向かっているところだったそうです。この舅がすごくワガママな人で、周囲はへとへとに疲れていたと言います。

この3人の葬儀の席で、一時帰宅を許された舅が飲んだくれて吠えたそうです。
「あの嫁がオレのカミさんを殺しやがった」
と。お嫁さんの遺族は黙って下を向いていたそうです。その悲しさ、悔しさを思うと、たまらない気分になります。こんな舅のいる家に大事な娘を嫁に出したことを、どれだけ後悔したことでしょう。
葬儀に出た姉が、
「アンタの方がさっさとくたばればよかったのよ、と言いたくてたまらなかった」
とぷりぷり怒り、そばで聞いていた父が舅にだか姉にだか、ぽつりと言いました。
「そりゃあ……言っちゃいかんな」

言っちゃいかん台詞を父が口にするのを聞いたこともあります。
遠い親戚のオバさんのお見舞いに、父のお供で出かけたときでした。母方の親戚なので父とは血縁関係はありません。父が行くことになったのは、母の代理で何か急いで届けなければならないものがあったのだと思います。
オバさんは重いパーキンソン病を患い、自宅でほとんど寝たきりの状態でした。定年退職したご主人が甲斐甲斐しく世話を焼き、抱きかかえるようにしてトイレにも連れて行きます。流動食のような食事を全介助で口にしていました。
身体はいうこときかないけれど頭ははっきりしていて、何年ぶりかに会った私たちを喜んで迎えてくれていました。でも表情でそれとわかるだけで、ろれつも回らないので会話も出来ません。

父はオバさんの姿を絶句して見ていましたが、思いあまったように言ったのです。
「オバさん、あんたはこんな哀れな姿になっても、まだ生きていたいのかい」
と。ご主人も私もびっくりして凍り付きました。
一瞬の間のあと、ご主人が取りなすように言いました。
「もう生きていたくないかもしれないね、でもお迎えが来ないからしかたないんだよ。自分で死ぬわけにもいかないしさ」
そして力なく笑ったご主人の顔を正視出来ませんでした。

父は4度も戦争に行き、八路軍に囲まれて全滅しそうになったり、インドネシアのどこかの島でも修羅場をくぐったようです。私たちとは死生観が全く違うのかもしれません。母には
「この世は地獄だと思っている」
と言った事もあるそうです。
不本意な事かどうか父は長生きして、昨年秋には米寿を迎えました。短期間入院した病院では、同室の全介助の老人の事を
「自分で出来るのは息をすることだけだ」
と言い放つなど、認知症が入った分たががゆるんでひどくなりました。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
の台詞が自分に向けられたら、あのご主人のように笑っていなせるものか、私には自信がありません。


高速道路を走って

2006-01-29 00:08:44 | 身辺雑記
久しぶりに高速道路を走りました。
産業道路や環状2号など高速で走れる道はたまに走りますが、100キロものスピードが当たり前の有料道路はあまり好きではありません。
自分で制御出来るスピードはせいぜい60キロと感じているくらいなので、運転の才能も適性もないのでしょう。ブレーキを踏んでもなかなか停まらない(と思われる)、そう思って車間距離を十分とっているとすぐ割り込まれる、車線変更は命がけ(笑)、コワイです!
よほど長距離を移動する時以外は、必要ないものとして過ごしています。

知り合いの奥さんが免許を取ったばかりのころ話をしていたら、藤沢近くの自宅から高速で東北に行ったと言うので驚きました。
「だって高速って走りやすいじゃないですかあ~、信号はないし道はまっすぐだしい。ぜーんぜん怖くないですよ」
と笑うので、それもそうだと納得したものでした。高速を若葉マークで走る車、きっとみんな慌ててよけてくれたことでしょう。
もっとも、運転には適性があって、それは普段の見た目からはわからないですね。彼女の場合は知りませんが、免許取り立てでも天才的に上手い人もいますし。

渋滞さえなければ快適に走れて、便利なものだと思います。私はきょう町田街道の大渋滞を往復したあとだったので、車線変更では緊張したものの、いったん高速に乗ってからはそのスピードにあらためて感動しました。渋滞で費やした時間のロスを一気に取り返す勢いでした。
高速に入る分岐点前でしばらく渋滞。のろのろと走っているように思ってメーターを見て、40キロも出ているのでびっくりしました。4車線ある広い道路をずらっと一斉に並んで走っているせいか、一般道だと少し遅め程度のスピードが渋滞に感じられるのですね。

せっかくの高速ですが、スピードを出し過ぎるのはやはり好きになれません。流れに乗って走っていると90から100になっていて、道はすいていて危なくはないけれど、やはり私には不相応な気がします。
走行車線を80キロぐらいで走る軽トラックがいたので、ちょうどいいとばかりにそのあとをついて走り、あまりスピードも出さなくてすんで助かりました。追い越し車線のない道路では迷惑がられるでしょうけどね。

A1の愛の手帳を持つ息子を乗せていると、高速料金も障害者割引を受けられます。料金所のオジさんに厳重なチェックを受け(手帳をじっくり調べ、助手席をじーーと覗き込まれました)、料金の半額400円を払って出ました。
高速を下りて見慣れた街に戻ると、助手席の息子も安心したように笑っていました。



なめられたもんだ!

2006-01-27 23:26:32 | 社会問題
それにしてもずいぶん大胆なことをやったもんです、東横イン。
建築許可が下りて図面通りに建て、営業許可が下りたらすぐ突貫工事をして、あらかじめ準備しておいた別の図面で条例違反のホテルに造りなおし、堂々と営業していたとは。
許可を貰うための、見せるためだけの立体駐車場を作って解体して、かなりの経費をかけても元は取れるらしいです。場所がいいからか連日満室状態とか。閑古鳥の鳴くホテルから見たらヨダレの垂れそうな話ですね。

驚くのはホテルのある場所が横浜日本大通りということ。
横浜スタジアムの北側、中華街もすぐそばです。
官庁の多いビジネス街だからビジネスホテルの需要も高いのでしょうが、県庁や市庁舎からもすぐです。大手新聞社や放送局の横浜支局、支社もすぐの距離に多数集まっていると思います。当然役所関係者やマスコミ関係者の目に触れる可能性も高かったはずです。
交番の前に駐車違反するようなものじゃないでしょうか。
摘発されるわけがないと高をくくった、その根拠はなんなのでしょう。

役所もマスコミも、ずいぶんなめられたものです。
そのせいかどうか、いったん噛み付いたら報道には気負いが感じられ、偽装問題で世間の注目が集まりやすいテーマだからか、けっこう大きな扱いです。
東横インにはほかにも条例違反物件があるらしい。半ば慣例化、常態化していたのだと思ってしまいますね。条例に違反しても罰則は甘甘のようだし、もう一度改修工事をして終わりなんでしょうか。

記者会見した社長の態度も、悪びれた様子はまるでなく、うちは運が悪くてバレちゃったけどみんなやってるよって言わんばかり。60キロ制限の道路を65キロで走るぐらいの認識だった、らしいです。
うーん、偽装問題って構造設計だけの話ではないのだろうなあと思ったことでした。

平気で偽装をする感覚もケシカランけど、今回の改修工事は安全面で問題になっているわけではありません。条例には違反していますが、建築基準法には違反していないそうです。その点で罪悪感があまりなかったのかもしれません。
横浜市の条例で、周辺の違法駐車を防止するために駐車場の建設が義務づけられ(市駐車場条例)、一定の割合で身障者用の駐車場と客室の設置が義務づけられています(市福祉のまちづくり条例)。

この条例を発案し練りに練って施行までこぎつけたとき、担当の人は自分の住む街をどんなに誇らしく嬉しく思ったことでしょう。おおっぴらに違反するやり方が横行しているなんて、実に情けないです。
善意ばかりで商売は出来ないでしょうが、せめて法律は守って障害者にも住み良い社会になるよう協力してほしいものです。役所も、許可を出して終わりではなくちゃんと監視もして、こういう悪質な業者になめられないよう、頑張ってほしいと思います。

「刷込み」について

2006-01-26 22:25:59 | 社会問題
ブログへ昨日書いた文章にコメントをいただきました。自分で話すことの出来る自閉症児が、犬が怖い理由を説明した内容です。
全文は昨日のページを読んでいただくとして、私の印象に強く残ったのは次の一文です。

>絵本や漫画などで、犬はほえる描写ばかりがあり(のびた君はいつも犬に噛まれる、おいかけられる)犬は噛むと思い込んでしまった。

そう、たしかにドラえもんに登場する犬はいつも吠えながらのび太を追いかけ、お尻に噛み付いているようです。
(のび太の町では野良犬が放置されているんでしょうか?)
話半分に聞くことの出来ない、そのまま信じ込んでしまう自閉症の子にとって、犬はすぐ吠えて噛み付く凶暴な動物、という認識になるのは無理もありません。
(ついでに言えば、もしかしたら女の子はみんなお風呂が好きで、昼間から入っているものと思い込んでいるかもしれませんね。)

刷込みという行為の罪深さについて考えさせられました。
(ちなみに「刷込み(imprinting)」は広辞苑には以下の説明があります。学術的にはこういう意味ですね。
『多くの動物、特に鳥類において最も顕著に認められる学習の一形態。ローレンツが最初に記載。生後間もない特定期間内に目にした動物や物体が雛に固定的に認識され、以後それを見ると機械的に反応する。刻印付け。』
母親と思って飼育員のあとをついて歩くヒナの姿などが思い浮かびますね。)

あの人は立派な人だ、尊敬してると親が言えば、自閉症じゃなくても反抗期前の子供ならそれを鵜呑みにするでしょう。
たとえ大人であっても、社会的地位が高くある程度信頼の置ける人が、
「この人は私の息子だ、弟だ」
と保証した人物なら、かなりの割合で信用に足ると信じるのは当然だと思います。この人が社長をしている会社は大丈夫なんだ、株を買ってみようかなと思ったとして、それを愚かだと切り捨てられるでしょうか。
まさかその人は全ての国民を自分の子供と思い弟妹と思っていただけなんて、こちらは夢にも思わないですよね。

マスコミはその前からずっと持ち上げ続けた。
一年も前からライブドアの経営に疑問を呈し続けた人もいたのに歯牙にもかけず、視聴率稼ぎにもってこいの刺激的な爆弾発言を繰り返す人物を、時代の寵児ともてはやし続けて来ました。
政治家とマスコミをうまく利用して作り上げた巨大な砂の城を、堅牢な城郭と思わせた若い起業家集団は、庶民に対する刷込みが実に上手だったのだと思います。
結果的に詐欺まがいの儲け話に加担したマスコミや政治家の責任は、軽くはないと思います。どうして責任を問われても子供だましの弁明でお茶を濁そうとするのか、どうしてそれが通るのか、不思議でしょうがありません。



マラソン大会、犬

2006-01-25 23:25:10 | 自閉症関連
きょうは息子の通う養護学校のマラソン大会でした。
学校からスクールバスで高台の広い公園に移動し、周囲約3.3キロの道を小学部1周、中学部2周、高等部はその子に応じて2周ないし3周します。
大半は都合のつくお母さんだけですが、中には夫婦で応援に駆けつけたご家庭もあり、高等部でぶっちぎりで優勝した生徒はご両親の声援がとても励みになったようでした。

私の息子は知的に遅れた自閉症ですが身体はなんともなく、定期的に検診のため歯科に行くだけで、かかりつけの病院もありません。めったに熱も出しませんし、出しても寝ているとじきに治ってしまう健康体に恵まれています。
そんな元気な身体を持ちながらも、このマラソン大会では毎年さえない成績です。
先生方は練習のときからしっかりタイムを計り、少しでも速く走れるように激励して下さるのですが、自閉症の子の常として(例外はもちろんいますが)闘争心、競争心がない息子は途中の池で石を投げて遊んだり、疲れてもいないのに休んで歩いたりするようです。
今日は伴走する先生の腕にしがみつき、ヨタヨタと先生を引き倒しそうな姿勢で走っていました。

自閉症の子のお母さん同士で、
「いい身体してるのにもったいないよね。その気になって走ると速いのにね」
「いたずらして怒られるときはすごい勢いで逃げるよね」
「犬に追っかけられたら速いよ」
「犬はたしかに怖がるね」
と盛り上がりました。ジヘイちゃんには犬が苦手な子は多いようです。
スクールバスのポイントで顔を合わせる人の中に、話題のホリエモン(ジム通いをしていたとか)を思わせる体格のいい子がいたのですが、この子は初対面の人には必ず「犬飼ってる?」と聞いていました。聞いては来るものの会話は出来ないので返事を聞いてもそっぽ向きます。
犬が好きなのだろうと解釈していたのですが、ある日、長めのリードで散歩している犬を慌てたように大きく迂回してよける姿を見て、みんなで顔を見合わせて微笑しました。苦手とわかったその犬は、ネコみたいに小さい種類だったからです。
犬が苦手なのは、急に吠えるなど予測出来ない行動をとるからだろうとうなずきあいました。自閉症の子の性癖にはいろいろ興味深いポイントがあって、そこをしっかり押さえておけば対応もラクかもしれません。

何年か前に卒業した生徒の中にとても速い子がいました。寒いさなかにやるのにランニング短パンという出で立ちで、もちろんタイムもダントツ。
その子のお母さんに聞いたら、小さい時は多動でとても苦労したということでした。ほっとくとどこかへ行ってしまうので、毎日のように電車に乗って出かけたそうです。乗り物に乗っている間はおとなしくて見失う心配がないから、と。
小学校は地元の特殊学級(個別支援学級)に行っていて、けっこう遠いところにある坂の上の学校に飛ぶような勢いで通っていたそうです。毎日トレーニングしていたようなもので、足も身体もこの時期にしっかり鍛えられたようでした。

もう一人、私が「韋駄天」と称した卒業生がいます。
この子はお母さんによると「ゆっくり歩くことが出来ない」とかで、一人で通っていた電車の駅から学校まで、ゆっくり歩くと25~30分の距離をあっという間に駆け抜けていました。バスに乗るより早いんじゃないかと言われていましたが、本当にその通りなのを目撃した人がいたそうです。
自閉症特有のハンサムな顔立ちで、苦しそうでもなく無表情で走ります。走ることを楽しむことはなくて、何かに追い立てられるように走らずにはおれないのです。
そのせいかどうか、よく食べても肥満とは無縁のようです。

息子は高等部専攻科に進学するので、あと2回マラソン大会に参加出来ます。
走る気になればそこそこ速いしスタミナもある(疲れ知らず)のは散歩で確認済み。小学部からずっと期待を裏切られ続けてますが、一度ぐらいマトモに走って、おおっと言わせてほしいな~と思っています。
ま、でも元気に参加出来るだけで十分ですね。


夢を叶えた人

2006-01-24 23:32:55 | 興味をひかれる人
「あんなこといいな、出来たらいいな」のドラえもんは中国でも大人気。
昔は「機器(中国語では機械という意味)猫」というそのものズバリのネーミングでしたが、現在は音訳した「多拉A夢(どらえもん、と読めます)」が定着しているそうです。
「あんな夢こんな夢いっぱいあるけど~みんなみんなみんな叶えてくれる」
夢を叶えてくれるロボットがいたらいいですよね。
夢は必ず叶う、と断言してくれる人もいるけど、諦めてしまい夢見ていたことすら忘れてしまう人がほとんどでしょう。だからこそ一旦は諦めた夢を叶えた人の話は、私たちを大いに勇気づけてくれます。

去年、61年ぶりという快挙でアマからプロに転向した将棋の瀬川晶司四段。
(そのニュースを読んでいて、プロになる儀式は「棋道指導員資格証書伝達式」と言い、プロになるというのは「棋道指導員」の資格を手に入れるということなのだと知りました)
彼は、いったんは諦めたプロ棋士の夢を、世論を味方に文句なしの実力で叶えました。オレももう一度頑張ってみようかな、と世の負け組を力づけた功績はとても大きかったんじゃないでしょうか。
いま彼のブログをのぞくと、夢が叶った喜びが素直に伝わって来ます。
http://segawa-challenge.at.webry.info/

プロ棋士を目指す人は奨励会というのに入って腕を磨きます。そこで26歳までに四段に合格して奨励会を「卒業」出来なければ、プロにはなれないことになっています。
瀬川四段の場合は人より遅めの中学3年で奨励会に合格しました(2年では落ちた)。その時一学年下で小学6年生で奨励会入りしていた羽生善治氏はすでに二段になっていたそうです。

瀬川四段の場合、競馬や麻雀にはまってよそ見をしたツケもあったのか、26歳でまさかの奨励会退会をしなければなりませんでした。
「将棋なんてやらなければよかった。ずっとやってきても何も残らなかった、」
と思ったとインタビューで答えています。
退会が決まった日は2時間も泣きながら街をさまよい、アパートを引き払って横浜の実家に帰るときには将棋関係の資料や棋譜もすべて捨ててしまったそうです。その無念さはいかばかりだったでしょうか。

それから「人生やり直すつもりで」受験勉強をし、神奈川大学第二法学部へ。昼間はスーパーで働きながら新鮮な「外の世界」を楽しんだそうです。
同じような境遇だったら、自暴自棄になってその後の人生を台無しにしてしまう人がいても不思議はない気がします。
彼の場合、実家暮らしで家族のフォローが受けられたことも大きかったでしょうし、夜間部のため級友には年齢層や事情がさまざまな人が集まっていたことで、年齢をあまり意識しなくても済んだのかもしれません。温厚な性格もあるのでしょう、仲のいい友人も出来て学生時代をのびのびと楽しめたようです。

この大学時代にアマチュアの大会に参加して再び将棋を始め、指す楽しみを思い出し、卒業後就職してからも「プロキラー」として活躍を続けます。
アマチュアで実績を積み、周囲の「どうして26歳以下じゃないとプロになれないの?」という、門外漢から見たら至極当然な質問と応援を励みに、プロ入りを求める嘆願書を将棋連盟に提出。難関の試験に合格して夢のプロ入りを果たしました。
かなり遅れてプロ入りしたと言っても、奨励会に11年も在籍していたので関係者には知己が多く、気後れや気負いはないようです。社会人としての人生経験や年齢を重ねたことによる落ち着きも、今後の対局に生かせるのではないでしょうか。
「外の世界」をよく知る異色のプロ棋士。スタートが遅れた分息長く活躍して、将棋の魅力を広く世間に伝え続けてほしいと思います。



やけどの話

2006-01-23 23:11:22 | 興味津々
今日はホリエモン逮捕にヤマハ発動機の事件と大きなニュースがあったから、こういうニュースは流れるのかもしれません。今ネットでどんなに探しても見つけられないのですが、昼間のテレビでこういうのをやっていました。
イラクの空爆で顔に大やけどを負った女性が、治療のために来日したそうです。
たまにロシアからとかアフガニスタンからとか同じような来日のニュースを聞きますから、日本はこの道の技術では一流なのでしょう。今回の女性も是非満足出来る成果とともに帰国してほしいものです。

この女性の被災直後の写真が画面に出ていました。真っ赤になってとても痛そうです。左目の下まつ毛が少し下にずれ、広島で被曝した人の写真を思い出す悲惨さでした。現在は赤味は引いています。
ところでこの女性が治療(整形手術になるのでしょうか)を受ける決心をしたのは、今の顔のままでは離婚すると夫に言われたからだそうです。そしてイラクでは男に親権があるため子供を引き取れず、身一つで追い出されるということになるようですね(日本人であることを感謝したくなります)。こんな薄情な夫はともかく、子供とは別れたくないのでしょう。

やけどというと、私は学生時代間抜けなことをやりました。
夏、住んでいたアパートの前の道ばたで、大家さんの子供たち数人と一緒に花火を楽しんでいました。なかなか活発な子供たちで、火のついた花火を面白がってぐるぐる回したりします。
危ないよ、と注意していると自分の手に持った線香花火から、先っぽがぽとりと落ちたのです。サンダル履きの私の足指に。しかも、手で言うと中指と薬指(足では第三指、第四指と呼ぶようです)の間にすっぽりはまり込んで、吸い付いたように取れないのです! 
ぎゅっと押し付けて消そうとしたり、指でとろうとして手までやけどしそうになったり、時間で言うと10秒もかからなかったかもしれませんが、コメディ映画みたいにジタバタしてしまいました。

あとから思うと、花火をしていたのだから水は用意していたはず、すぐかければよかったんじゃないかと思いますが、パニクると冷静な判断が出来ないものです。
なんとか取り除いたあとには、米粒ぐらいの穴が開きました。貧乏学生だったので病院に行くことは考えもつかず、水で洗っただけです。多少痛みはありました。
翌日大学の医務室に行って消毒してもらいました。くすくす笑われたことを覚えています。数日包帯をして過ごしました。
教訓。花火をするときはハダシはやめましょう。

主婦やってると台所には立ちますから、小さいやけどぐらいたまにはします。
小倉に住んでいた時、新日鉄の溶鉱炉で働く人たちが使うものだという真っ黒の塗り薬をもらい、それを使ったことがあります。さすがにプロの使うものは、素晴らしい薬効でした。
その後「暮らしの手帖」の特集記事で、やけどはとにかく流水で冷やすのが一番と知りました。
15分水を流しっぱなしにしろと書いてありますが、そんなに長いこと冷やすなんて出来るものではありません。手などじんじんして千切れそうになります。第一、水があまりにもったいなくて主婦には無理(笑)。
せいぜい1、2分というところでしょうか、それでもさっと蛇口の下に持って行って冷やすと、ほんとにすぐ治るようです。

ただ原因物質ややけどの程度によっては水がかけられない場合というのもあるようで、今回のニュースの女性などはそうだったと思います。
寒いと熱いものを扱う機会も増えますから、お互い気を付けましょう。
お湯もストーブも株も、やけどに注意。

「おむつが取れない」悩み

2006-01-22 19:18:49 | 子育て
教えて!gooというサイトに先日「入園前におむつを取りたい」という若いママの質問がありました。いま3歳7ヶ月で、春に入園を控えているとのこと。
そこに寄せられた回答の中に、ドイツの子供は5歳でおむつしてても平気(2歳から夏だけチャレンジするそうです)、入園したら他の子に刺激されて取れるかも、保育士してますが取れてない子も多いから気にしなくていいですよ、などいろんなアドバイスがあって面白く読みました。私も回答していますのでよかったらご覧下さい。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1893720

うちは長女のあと1年8ヶ月違いで次女が生まれました。(20年ちょっと前の話です)
長女は(私の育児が未熟だったのを差し引くとしても)万事奥手の子で、寝返り、ハイハイ、おすわり、すべてよその子よりだいぶ遅い方でした。話し出すのも遅かったので知恵遅れじゃないかと言われたこともありました。
だから当然おむつが取れるのも遅く、次女が生まれたあとは二人分のおむつを洗っていました。ストーブを使わない時期に雨が降ると乾かなくて困ったものです。
長女のおむつがいつ取れたかは覚えていません。当時は深刻に悩んだことでも、あとになったらそんなものです。

紙おむつは外出用で布のおむつを使っていましたから、二人分洗っていた頃は一日中洗濯しているような気分でした。夫が結婚前から使っていた小さい洗濯機だったのを幸い、大きいのに買い替えました。
この時全自動にするのは贅沢だとヘンな遠慮をしました。まだ高い時代だったからですが、がその程度のお金には困ってなかったのに、専業主婦だからとラクすることを優先しなかったのは愚かなことでした。
家事は合理化出来るところはやって、母親はなるべく余裕をもって育児に当たるべきだと今は思います。自分が疲れていては心から可愛いと思えないからです。

3人目に息子が生まれたとき、初めは上の子たち同様布おむつでした。でもこの子だけアトピー体質のせいかかぶれがひどく、紙おむつが安くなっていたこともあって、思い切って全面的に紙おむつに切り替えました。
今となっては笑い話ですが、息子に障害があるとわかった時、紙おむつで育てたからだろうかと一時真剣に悩みました。
(そのあとは新3種混合のせいかと。自閉症の原因がわからないだけに、いろいろ悩みました)

息子は知的障害で口がきけないこともあって、おむつが取れるのはかなり遅かったです。トレーニングパンツで濡れるとお風呂のシャワーで前とお尻を洗うようにしたら、出たら自分からお風呂に行ってパンツを脱ぐようになりました。
普通はこの段階まで行ったらそれから間もなく取れるものです。上の子たちもそうでした。でも息子の場合、キモチワルイとアピールはしても、なかなかトイレに直行してはくれませんでした。何ヶ月もかかったと思います。
知的障害があるのだからと諦める一方で、トイレも自立出来ないのかと情けない気分で落ち込んでいた私に、ある日、上の子の幼稚園で知り合った友人が屈託なく声をかけてくれました。
「大丈夫だよ、学校に上がる時におむつしてる子はいないって言うじゃん!」
いや養護学校にはたぶんいるよ、と思いながらもなんだか気が軽くなったものでした。そしてホントに悩むほどのこともなく、入学には余裕で間に合いました。

息子の場合、一旦取れたらすぐ夜もしなくなり、おねしょもほとんどしたことがありません。次女はいつの間にかという感じでごく自然に取れました。
(ついでに言えば、長女はちゃんと歩くようになるのは人より遅かったのですが、転んで怪我をするようなことは全くありませんでした。姉の子は8ヶ月ぐらいから歩き始め一歳の誕生のころは走り回っていましたが、よく転んでばかりいたそうです。)
同じ親から生まれたきょうだいでもこんなに差があるのですから、よその子とは全然違っているのが当然。
あとになって笑い話になる程度のことで悩んだりしないで、お母さんは楽しく育児に当たり、今しか見られない可愛い笑顔を堪能してほしいと思います。

器用な指

2006-01-22 00:13:51 | 興味津々
人間業と思えず、呆然としてその指先を凝視したことがあります。

ひとしきり麻雀をやって、疲れてやめたところでした。イカサマって可能だろうかと誰かが言い出し、無理だよねと笑っていると、一人(以下A)が「そんなの簡単」とつぶやくと目の前で実演してくれたのです。
麻雀を始めるときは牌を伏せてかき回し、適当にかき集めて並べて二段に積み上げます。そこからサイコロで出た目に従って交代で4個ずつ牌を取ります。それを3回ずつやったあと、ちょいちょいと2個(親)と1個ずつそれぞれ取ります。(だったと思うのですが、長いことやってないので記憶違いがあるかもしれません)

みんなに牌が行き届いたところで、A(東家)が自分の牌を倒して見せてくれました。なんと、上がっている(天和)ではありませんか。驚いている私たちを尻目に、再びかき回すとまた牌を揃え、国士無双13面待ちをテンパッた手を見せてくれました。私たちの注文に応じてほかのイカサマも。
牌を伏せてかき回すのですから、伏せる前の牌を記憶しているのだと思います。そして自由自在に配置出来るわけです。サイコロの出た目によって取る場所が決まりますから、サイコロの目もあやつれるはずです。
桁違いの記憶力と器用に動く指先、冷静な判断力。人間のすることかと恐ろしくなりました。

Aはその日メンツが足りないからと後輩が初めて連れて来た後輩の友人(初対面ではない)でした。大勝ちしたわけではなかったので、その日イカサマはしなかったのでしょう。
でも私たちがそののちAと一緒に卓を囲むことがなかったのは言うまでもありません。A自身も麻雀なんて退屈で付き合いでしぶしぶやっている感じでした。
図抜けた頭脳を持つ天才にとって、凡才の熱中していることは鈍臭くつまらないものに違いありません。そう考えると彼の孤独の深さが哀れになったりします。まともに働く気になるものでしょうか。

後日、Aがけん玉をやって見せてくれました。麻雀牌ですらあんなに自在に扱うぐらいですから、けん玉なんてお茶の子さいさい。玉の方を手に持って突き刺したり、腕を背中に回してやったり、しまいには空中に投げ上げて刺してくれました.。こんなワザもあるのかと見とれました。
マジシャンになったら一流になれたと思います。
Aは細い長い指をしていました。今はいったいどこで、どうしているのかとたまに思い出します。あの人間離れした器用な指を、悪いことに使ってなければいいのですが。

人並みはずれた頭脳や指を持っていれば、人は自分の持ち駒のようなもので、人の財産は自在に扱える麻雀牌のようなものかもしれません。
ライブドア強制捜査、粉飾決算の指揮を執った(らしい)税理士発覚、自殺した側近の通夜のニュースに、久しぶりにAのことをしみじみと思い出しました。


「親の因果は子に報う」のか

2006-01-20 23:56:09 | 自閉症関連
浪花節の一節に「親の因果が子に報い~~べんべん(三味線の音)」というのがあって、昔は見世物の口上にも使われていたようです。
親が(前世で)悪事を働いたからそれが子供に「報い」、足が萎えていたり奇形で指が6本ある子が生まれたのだ、行いを正しなさいと修身のお勉強の材料とされたわけです。
(もっとも見世物になる対象は巧妙に作られた偽物だったとも聞きます。)
今の時代にこんなことを信じる人はいないでしょう。いたとすればよほど古めかしい家庭に育ったか、時代遅れの教育を受けた人だと思います。

しかし、古めかしい迷信と笑うわけにもいかない事態が、障害児の周りでは起こります。障害児の誕生を親の悪行と結びつけたがる人が、今も周囲には案外いるものなのです。
「あんたの信心が足りないからこんな子が生まれたんだ」と信仰を持つ義理の妹から責められ、悔しくて泣いた、とダウン症の子のお母さんが言っていました。(ダウン症は生まれたらすぐわかります)
宗教の誘いを断ると必ず言われるようで、そういう話は何度も聞きました。入信しないのは最大の悪行なのでしょうね。
私は茶番劇と笑いたくなる経験をしました。そのお話をしたいと思います。

私はかなりの田舎の出身で、私の母は昔の教育を受けた時代遅れの人間です。
私が実家に身を寄せていた時に、当時4歳の息子が知的障害児であると宣告されました。母は孫もですが末っ子の私が不憫でたまらなかったらしく、なんとか治らないものかと「神さん」のところに連れて行ってくれました。
「神さん」というのは(神さま、じゃないところがミソですね。笑)土着信仰の予言者、占い師の類いでしょうか。普通のおばあさんなのですが、その人の御託宣(おつげ)はよく当たると評判だったようです。

私は親孝行と思ってついて行っただけで、御託宣を受け入れる気はハナからありませんでした。だから何と言われても構わなかったのですが、その「神さん」、私の態度(信仰が足りないですから。笑)が気に入らなかったのかどうか、ずいぶん失礼なことを言いました。
「この子は、治るどころかひどくなる一方で、大人になる頃には一人で歩くことも出来なくなるだろう」
「あんたのダンナさんにきょうだいがいるなら、そこにもこんな子が生まれる。もう生まない方がいい」。
黙って承ってその家を辞しました。

帰り道で私が怒ると、母もさすがに受け入れがたい御託宣だったようで、
「あの神さんは合わないようだから、別の神さんのところに行こう」
と言いました(この現金さはたくましい)。驚いたことに、まだ別口がいたのです。
後日行った別の「神さん」は、弁慶のような衣装をまとった、妖しげなオバさんでした。大音声でお経のようなものを唱えながら手にした玉の大きな数珠で息子の身体をしきりと撫で、もう一方の手で銅鑼のようなものをガンガン叩きます。信心深い人ならトランス状態になったかもしれません。
ひとしきり唱えたあと、始まりました、ウソ八百が。なんと、白蛇のたたりだと言うのです。

思わず楳図かずおのマンガを連想したバチアタリな私。でも母は真剣で、
「誰か白い蛇を殺した人はいないか」と聞かれて、
「家を建て替える時に大きな蛇がいたので殺したかもしれない。夫は何度も戦争に行ったので、蛇を殺して食べたこともあったのではないかと思う」
と生真面目に答えていました。
その「神さん」は、名称を失念しましたがなんとか料を納めてもらえれば、お祓いをしてやるがどうかと言いました。14、5年前のお金で20~30万ばかりだったと記憶しています。もちろんきっぱりと断りました。

障害や病気がそれで治るならと、藁にすがる思いで信じる人もいると思います。
あれがいけなかったか、いやこれか、自分が至らなかったために不幸を招いてしまった。お祓いをして許してもらえるのなら安いものだ……とカモはネギを背負ってやって来るのでしょう。人の弱みに付け込んだ悪徳商法ではないのかと腹立たしい思いもします。
親の因果が子に報うのなら、何の報いも受けない子はいないと思います。誰だって殺生のひとつはするでしょうし(バルサンたいて虫を大虐殺することも)、不本意ながらも上司の命令で法に反することだってあると思います。
私としては、一定の確率で生まれるのだから、たまたま私のところに来ただけだと思います。
地球上のどんな地域でも、どんな民族でも同じくらいの確率で障害児は生まれるそうです。神さま(神さんではありません)の配剤なのでしょう。

障害があると何故年金をもらえるのか

2006-01-19 21:20:13 | 自閉症関連
障害があると何故年金をもらえるのか

……障害と無縁の友人にこう聞かれて、一瞬答えに詰まってしまいました。すぐ気を取り直して、
「国がそういう子を集めて施設に収容し、職員を配置して面倒を見させるより安上がりだから。これをあげるからなんとか家で頑張ってよ、ってこと」
と答えても、相手は納得しません。
「産まれた子を育てるのはみんな一緒でしょ。何故、障害があるだけでお金をもらえるのかわからない」
と不満そうです。これが障害者と関わりなく生きている人の正常な感覚かもしれないなと、考えさせられました。

私は知的障害児(自閉症)を在宅で育てているので、普段そういう仲間や養護学校関係の人と接することが多く、普通の感覚はマヒしているかもしれません。
日々の生活で大変な思いをする分、特別児童扶養手当や障害者基礎年金を(今や将来)もらうことに疑問を持ったことはありませんでした。社会福祉の観念の全くない社会なら、生産性のない人間に恵んでやる金なんかない、と言われるかもしれません。それにも一理あります。
4人で話している時に上の話が出たので、あとの二人が取りなすように何か言いましたが、納得させるのは難しかったです。
「だってホントに大変だもの、そのくらい貰えないと、やってらんないよ!」
とヤケクソ気味に言うとやっとうなずいてくれました。

自閉症の子は人より健康な場合が多いので、病院にかかることは平均より少ないでしょう。人の眼鏡を壊すといった問題行動はある程度保険でカバー出来ます。一人で長距離旅行(?)してしまう子や、特殊な教育を受ける子もいますが、進学塾に通うより安いかもしれません。学齢期の場合、特に金がかかるとは言えません。
でも健常児と決定的な違いは、将来経済的に自立出来ないと思われることです。ちゃんと就職してやっていく子もいますが、非常に少ない。コミュニケーション能力に問題があることが多いので、高機能と呼ばれる知的に遅れがない人でも難しいのです。いったん仕事を始めても辞めてしまって、自宅から一歩も出られないという例も聞きます。
生涯にわたって援助が必要なのです。だから自分たちのいなくなる将来に備えて、手当を全額積み立てている人も少なくありません。年金だけでは人に託せないから。

ところで障害者の受ける年金のことは、私を戸惑わせた友人にとっても無関係ではありません。高齢になって頭や身体に障害のある立場になることは、彼女にとってもかなりの確率で起こることだと思います。
介護保険のおかげで自己負担は一部で済んでいるものの、そうとうの額の医療費を使っている高齢者も少なくありません。重い認知症の人の場合、今後自立出来る可能性はほとんどないでしょう。
財源には限りがあるというのに、なぜそんな人を援助しなければならないのか、と聞くとしたら、その人は天に向かってツバを吐いているのだと思います。

天知る地知る我知る人

2006-01-18 20:27:43 | 興味津々
昔聞きかじって気に入っている言葉があるのですが、
「天知る地知る君知る我知る」
だったと記憶していました。ところがあらためてネットで検索してみたら、出て来たのは
「天知る地知る我知る人」
一件だけでした。古い記憶はあてにならないと再認識した次第。
「誰も見てないから平気だと思っているかもしれないが、それは間違い。その行為をするアンタを天は知ってる、地は知ってる、するアンタ自身も知っているのだ。恥を知り、行いを慎むように」
という意味だと思います。

この言葉は「壁に耳あり障子に目あり」の類語として紹介されていますが、(http://www.kotowaza-world.com/koto-e/00096.php)ニュアンスはだいぶ違うんじゃないかと私は思っています。むしろ、「天網恢々粗にしてもらさず」の方が、感覚的には近いのではないでしょうか。
「誰が見てる(聞いてる)かわからない、人の口には戸が立てられないから気をつけなさい」というより、「アンタのことはちゃんとお見通しだよ」という感じですね。
(蛇足ながらおさらい。<天網恢々粗にしてもらさず>は広辞苑にはこういう説明があります:「老子第73章」天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪いことをすれば必ず天罰が下る意。)

天網恢々という言葉を聞くと、私には空からぱあっと降って来る巨大な投げ網のイメージが浮かびます。
必死に逃げる悪漢の身体に覆いかぶさり、もがく悪漢をからめとってて天上に引き上げられていく天の網。凶悪な犯罪が時効にかかって迷宮入りするというニュースを聞く度に、この網が降って来ないものかと思います。
でも警察には捕まらなくても、犯人はたぶんどこかでひどい目にあって天罰は受けているのでしょうね。

数年前に、自分の子どもが幼くして死んだ(子どもが障害を持って生まれた、だったかもしれません)のは罰が当たったのだ、と言って自首した殺人犯(従犯)がいました。殺された人の幻影に苦しんでいたそうです。まさに「我知る人」だったわけです。
芋づる式に捕まった主犯やその他の従犯はどうだったのでしょうか。自首した人とは量刑にだいぶ差がついたことでしょう。

先ごろ、すっかり信用して任されていた顧客の金を13億も流用、2億4000万を私的に使い込んだみずほ銀行のもと社員が逮捕されました。
銀行員と言えば人並み以上の待遇で、うらやまれる立場だったでしょうに、競馬にはまって将来を棒にふりました。ちょっとした操作で(所詮一時的なものではありますが)大金が自分の自由になり、上司も気がつかない。すっかり病み付きになってしまったのでしょう。

パンドラの箱を開ける前に、天の上から足の下から、そして自分の身体の中から、じっと自分の指先を見つめる視線を感じ取る感性があったら、そんな愚かなことは出来ないと思うのですが、どうでしょうか。
空を見上げて、そこに空いっぱいに広がる大きな網が見えたら、悪事に走る歯止めになりそうなものです。
今の子どもたちにそんな話をしたら、非科学的だと笑われるでしょうか。


障害がある場合の報道について(宮崎勤事件)

2006-01-17 19:30:23 | 社会問題
あの宮崎勤に、最高裁は一審、2審を支持して死刑の判決を出しました。
1988~89年、幼女を次々と殺してはゴミと一緒に焼いた遺骨を親のもとに届けたり、嘲笑するような犯行声明を新聞社に送りつけるなど、残忍で胸糞が悪くなるような犯行を続けて世間を震撼させた男です。
私も当時幼い娘二人を一人で育てていましたので、娘たちの命をちゃんと守ってやれるだろうかと不安でたまりませんでした。逮捕のニュースに安堵した日のことを、昨日のように思い出します。
事件を知っているなら、死刑は当然だと受け止める人が大半ではないでしょうか。これがすでに統合失調症を発症していたから罪に問えない、なんてことになったら、世の統合失調症の人は謂われない偏見の目にさらされることになると思います。

ところでこの事件当時、被告の手の障害について言及したマスコミはあまりありませんでした。手に少し障害がある、程度のことがちらっと言われていただけで、事件との関連性についてはほとんど触れられなかったと記憶しています。
ところが今回、この事件について解説したサイトをあらためて読んでみたら、
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
被告の手の障害は
「両手を上に向けて<お頂戴>をすることが出来ない」
という、本人にしたらかなり深刻と思えるものだったらしいと知りました。
手のことでからかわれていじめられた経験も、彼の人格形成にかなり影響したようです。

しかし両親は「日常生活にあまり支障がない」と言う医者の言葉に甘えたのか、障害という<負の要素>から目をそらしたかったのか(忙しさを口実に、こういうことから逃げたがる親も実のところ少なくありません)、この障害について何の対応も取らず、事実上無関心でほっておいたらしいのです。
非常に稀な障害で、手術で成功する確率も低かったということですが、本人の気持ちがないがしろにされていたという家庭環境ではあったようです。
その一方で就職やお見合い(4回失敗)には地元の名士である親のコネをフルに使って熱心だったといいます。名家ならではの苦労(思惑)もあったのでしょう。

宮崎勤が逮捕されて嵐のような報道の中で、(私の知る範囲でのことですから、きわめて卑近な報道に限定ですが)手の障害の話はタブーに近いものでした。
障害を言い訳にすることが、同じような障害を持つ人たちを傷つける、偏見を助長するという配慮なのかもしれません。同じような障害を持っていても、彼以外のほとんどの人は、暗いコンプレックスの塊の嫌われ者にはならず、ちゃんと社会に順応して生きていると思います。
でも、障害に対する親を筆頭とした周囲の目が、こういう犯罪者を作る遠因になる可能性があることは、もっと強調されてもいいんじゃないでしょうか。
障害をコンプレックスにしない人格を作ることは、障害を改善したり可能ならば排除するということよりも、はるかに大事ではないでしょうか。そのためには、家族はその障害(と、障害を持っている当人)から目をそらさず、真正面から向き合わなければならないと思うのです。


ところで、無理心中とか誘拐などの被害者には、知的障害児がかなりいるそうです。だいたい親の意向に配慮してかその点は伏せる場合が多いそうですが、そのために腰の引けた中途半端な報道になることもあるようです。
無神経な報道や心ない世間の風に傷つくという面はたしかにあるでしょうが、障害=世間に隠したい恥部、という思い込みが感じられるのは私だけでしょうか。逆差別ってやつではないのですか。
「育児に悩んで」「子育てに疲れて」思い詰めた母親等に殺される自閉症児は、少なくないだろうなあと思っています。もっとオープンになれば、ラクになるのでは。