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五時八教の教判

2006年01月08日 | Weblog
創価学会では、日蓮の教えのみを尊び、それ以前の教えは、原始仏教(※)も、法華経も、天台も、本来、無用という立場である。

しかしながら、あらゆる経典の中では、法華経を最も尊いとする。
その根拠について考えてみたい。

このように、釈迦一代の仏法(※)を通観して、五時八教を比較していくと、妙法蓮華経の教えは、釈迦仏法の最高原理であり、骨髄であり、大綱である。
(池田大作「人間革命第一巻」昭和62年版)


「五時八教」とは、天台智ギ(※)が説いた教判である。

仏教上には、さまざまな経典がある。
そのほとんどは、釈迦の教えを反映したものではなく、後世の人間が、独自に生み出した思想であることは、今日の研究により、推察されているところである。
しかしながら、以前は、すべての経典が、釈迦の教えを忠実に表現していると考えられていたのである。

だが、Aという経典と、Bという経典では、まったく異なった思想が説かれていたり、それぞれの経典に、「この教えこそ最高」と書かれているので、どれが本当に最高なのか、よくわからない。
そこで、各宗派では、それぞれ、経典ランキングをつくった。
それが「教判」である。

たとえば、法相宗は三時教判で、「華厳経」「解深密経」などを最高とする。
華厳宗は五教十宗の教判で、「華厳経」を最高とする。
空海の真言宗では、十住心を教判とし、密教経典を最高とする。
天台宗では、五時八教の教判により、法華経を最高とするのだ。

宗派というのは、華厳経が好きな人が華厳宗を開き、浄土経典が好きな人が浄土宗を開く。
客観的な判断の前に、経典の好みがあり、その好きな経典を、自分の宗派の拠り所としている。
しかし、自分の宗派に、お客(信者)を集めるには、ただ「好き」と主張するのではなく、「この経典こそが最高」という、理屈を作ったほうが有利である。
その理屈が教判なのである。

どの生命保険でも、自分の生命保険が有利でおトクだということを、理屈をこねまわして説明している。
一般人は、その理屈を聞いても、チンプンカンプンで、他者の生命保険との差がわからない。
でも、「理屈」を並べられると、「ああ、そうかなあ?」と思ってしまう。

各宗派の教判も、一般大衆には、ワケがわかんなくても、とにかく、理屈を並べて、それらしく思わせてしまおうという狙いがある。

そもそもが、すべての経典を釈迦の教えだとする、無理のあるところから理屈が構成されているので、どの教判も、ムチャクチャである。
天台宗の教判が華厳宗で通用することはなく、華厳宗の教判が天台宗で通用することはない。
教判とは、自分の宗派の内部でしか通用しない。
客観的説得力を持たないものである。

天台宗出身の日蓮は、五時八教の教判をもって、他宗を批判・攻撃していたが、それは、自国の法律をもって、他国を取り締まるようなものであり、まったく無意味な行為だ。
その証拠に、日蓮に鋭く反応したのは、一部の念仏宗徒と、真言律宗の忍性(※)だけである。他宗派には、ほとんど相手にされていないのだ。

創価学会では、五時八教の教判をもって、法華経を最高とする。
だが、そもそも、すべての経典を釈迦の教えとするということを前提としているところに決定的な論理破綻があり、経典の勝劣の判定も、天台智ギの主観に基いている。

人間というのは、自分の知らぬような難しい言葉を並べられると、「ああ、そうかな」と思ってしまう。
教義というものは、往々にして、そうした心理を見越してつくられているということを忘れてはならない。

近代の仏教文献学は、宗派的立場を超えて、釈迦の教えとは一体、何であったのか?ということを、科学的に究明している。
「科学的」というのは、客観的説得力がある、ということである。
「信じないのならばそれでいい」というのは、宗教であって、科学ではない。
従来の、各宗派の「教判」というのは、しょせん、そのたぐいのものだったが、それでは問題があるということで、イギリスの学者が、文献学的に仏教思想を探究して行く方法論を生み出した。

「伝言ゲーム」は、前の人間ほど、その内容は、オリジナルに近い。
後の人間ほど、メチャクチャになる。
仏教文献学も、基本的には、そういう態度である。
経典も、釈迦滅後、100年後に書かれたものもあれば、500年後に書かれたものもある。
どちらが、釈迦の真説に近いかといえば、100年後に書かれたものであろう。

また、経典の中に、たとえばカラーテレビのことが書かれていれば、それはインチキだとわかるだろう。
釈迦の時代には、存在しないことが書かれていれば、それは釈迦の教えではなく、後世の作り事なのである。

ちなみに、「最古の経典」とされているのは「スッタ・ニパータ」である。

詩の部分はアショーカ王以前につくられたものであるから、西紀前二六八年よりも以前のものであり、散文の部分は西紀前二五〇-150年頃にほぼ原形のようにまとめられたのだろうと考えられる。(中村元「ブッダのことば」)

対し、法華経の成立は、釈迦滅後、300~400年の紀元前後であり、約半世紀ほどの開きがある。
内容に関しても、スッタ・ニパータが『身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。』のような素朴な言葉の連続であるのに対し、法華経は『そのとき、世尊の眼の前で、集っていた会衆の真中に、高さ五百ヨージャナ(3700km)・幅もそれにふさわしい、七宝づくりの塔が地中から出現した。』のように、SF的である。

法華経、華厳経は、悪く言えば荒唐無稽であるが、良く言えば、ロマンがあるので、昔の人に好まれた。
一方、地味な思想を語る原始仏典は、あまりウケが良くなかったと思われる。
よって、原始仏典よりも、法華経、華厳経こそが、深く尊いという見方が生まれた。



※釈迦一代の仏法:阿含経、維摩経、法華経、華厳経など、あらゆる経典について、数百年前までは、すべて釈迦一代の説法であると考えられていた。日蓮も、そうした立場だったため、創価学会もまた、すべての経典を、釈迦一代の説法であると考えている。
※天台智ギ(豈+頁):(538~597)中国天台宗の開祖。法華経と竜樹の教学を、独自の形に体形づけた。
※忍性:日蓮の遺文では、「極楽寺良観」という名称で登場する。ちなみに、江戸時代の禅僧、良寛とは別人である。
※原始仏典:大乗仏教はサンスクリット語で記録されており、それ以前の経典はパーリ語で記録されている。このパーリ語で書かれた一連の経典を「原始仏典」という。このうち、最古の成立とされているのが「スッタ・ニパータ」、準じて「ダンマ・パダ」。原始仏典を漢訳したものを「阿含経典」という。ちなみに、「原始仏典」に記録された仏教を「原始仏教」という。