創価学会問題を扱っていて、
最も面倒臭くていじりたくないのが、教義問題である。
これまで、わしも含め、
できるだけ教義問題を迂回して、創価学会を批判する事が多かった。
ここが、アンチの壁であったと思う。
アンチの壁とは、ひとえに「面倒くさい」という心理である。
「面倒くさい」「面倒くさい」と言いながら、肝心な作業を放置してしまう。
なぜ、面倒くさいかというと、「ただ働き」だからである。
「ただ」では人は、働きたくない。
だが、もう一度、原点に立ち戻ってみよう。
我々アンチが創価学会を批判する理由。
それは、創価学会が世の中にはびこり、直接間接的に、
我々の人生を邪魔しているからである。
実害があるから、創価学会を批判するのだ。
創価学会と闘っているのだ。
だから、面倒な作業も避けるわけには行かない。
そこで、いよいよ教義的に斬り込んでみようと思う。
「創価学会教義」と言うが、そのベースになっているのは日蓮である。
日蓮を斬る事が、創価学会を斬る事につながる。
わしを含め、日蓮を批判する事について、消極的なアンチが多い。
これは、創価学会員は、組織に疑問を感じていても、
日蓮に関しては盲信している人が多い。
それなのに、日蓮を批判してしまえば、
組織に疑問を持っている創価学会員も、
アンチの言う事に、まったく耳を貸さなくなる可能性があるからだ。
だから、軟着陸させるために、
あえて、「日蓮はいいんじゃないの」と、
相手の信仰の部分は、容認するという態度をとっていた。
だが、それではどうしても、創価学会の肝心な問題を封印する結果となる。
創価学会のさまざまな問題は、全て日蓮から来ているからだ。
日蓮にオブラートをかけている間は、創価学会の追求も、どうしても弱まる。
もちろん、日蓮仏法には長短がある。
「良い部分」というのも、存在する。
だから、「良い部分」だけ拾いあげて行けば良いと言う考え方もある。
これは、一往もっともである。
だが、一つ考えて欲しい。
オーム真理教の思想にも、実は良い部分があった。
世間の人は、オーム真理教を知らないから、良い部分を知らない。
オームが未だにアーレフとして存在し続けているのは、
この「良い部分」があるからなのだ。
「オームの悪い部分を捨て、良い部分を継承しているのだから、それで良いでは無いか。なぜ、世間の人は、それを咎める?」というのが、アーレフの主張である。
これについて、みなさんはどう思うか?
まず、アーレフは、本当にオームの「悪い部分」について、
認識しているのだろうか?という疑問を持つだろう。
「良い部分を見つめる前に、悪い部分を認識する必要があるだろう」と、みなさんは考えるのではないか?
同様に、日蓮仏法を修正的に用いるのは良いが、
その前に、日蓮仏法の「暗部」を徹底的に認識する必要がある。
日蓮仏法に「良い部分」があるとしても、
その上での話であろう。
わしも、日蓮仏法の長所ばかりを宣伝するキライがあったので、
赤面して反省したい。
日蓮を批判する事で、創価学会員の全てを敵に回す事になったとしても、
日蓮を徹底して批判すべきであると思う。
日蓮を批判し、批判し、批判し、
木っ端微塵に粉砕して、
にも関らず、最後にキラリと残る、何かがあれば、
それは採用しても良いのではないかと思う。
日蓮批判の具体的なやり方であるが、
亡くなる手前まで講義をしていた、
日蓮思想の最も凝縮された書物、
立正安国論について批判したいと思う。
最初、それを、このブログ上で連載してやろうと思ったのだが、
それよりも、一枚のページで一気に読める形にしたほうが、
読者の資料としても価値が出るだろうと考えた。
それで、非常に面倒な思いをしたが、
何とかページにまとめたので、お読みいただきたい。
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
できればで結構であるが、
みなさんのブログで、
このページを読んだ感想を書いて欲しい。
また、みなさんなりの、
立正安国論評価をやっても、面白いと思う。
何回分かの、ネタにもなると思う。
ブログネタに困っている人は、ぜひ、やってみてください。
題して「立正安国論プロジェクト」
内容なんて、ヘボでもいい。
参加する事に意義がある。
このブロジェクトに御参加いただける人は、
忘れず、この記事にトラックバックしてください。
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これまで、わしも含め、
できるだけ教義問題を迂回して、創価学会を批判する事が多かった。
ここが、アンチの壁であったと思う。
アンチの壁とは、ひとえに「面倒くさい」という心理である。
「面倒くさい」「面倒くさい」と言いながら、肝心な作業を放置してしまう。
なぜ、面倒くさいかというと、「ただ働き」だからである。
「ただ」では人は、働きたくない。
だが、もう一度、原点に立ち戻ってみよう。
我々アンチが創価学会を批判する理由。
それは、創価学会が世の中にはびこり、直接間接的に、
我々の人生を邪魔しているからである。
実害があるから、創価学会を批判するのだ。
創価学会と闘っているのだ。
だから、面倒な作業も避けるわけには行かない。
そこで、いよいよ教義的に斬り込んでみようと思う。
「創価学会教義」と言うが、そのベースになっているのは日蓮である。
日蓮を斬る事が、創価学会を斬る事につながる。
わしを含め、日蓮を批判する事について、消極的なアンチが多い。
これは、創価学会員は、組織に疑問を感じていても、
日蓮に関しては盲信している人が多い。
それなのに、日蓮を批判してしまえば、
組織に疑問を持っている創価学会員も、
アンチの言う事に、まったく耳を貸さなくなる可能性があるからだ。
だから、軟着陸させるために、
あえて、「日蓮はいいんじゃないの」と、
相手の信仰の部分は、容認するという態度をとっていた。
だが、それではどうしても、創価学会の肝心な問題を封印する結果となる。
創価学会のさまざまな問題は、全て日蓮から来ているからだ。
日蓮にオブラートをかけている間は、創価学会の追求も、どうしても弱まる。
もちろん、日蓮仏法には長短がある。
「良い部分」というのも、存在する。
だから、「良い部分」だけ拾いあげて行けば良いと言う考え方もある。
これは、一往もっともである。
だが、一つ考えて欲しい。
オーム真理教の思想にも、実は良い部分があった。
世間の人は、オーム真理教を知らないから、良い部分を知らない。
オームが未だにアーレフとして存在し続けているのは、
この「良い部分」があるからなのだ。
「オームの悪い部分を捨て、良い部分を継承しているのだから、それで良いでは無いか。なぜ、世間の人は、それを咎める?」というのが、アーレフの主張である。
これについて、みなさんはどう思うか?
まず、アーレフは、本当にオームの「悪い部分」について、
認識しているのだろうか?という疑問を持つだろう。
「良い部分を見つめる前に、悪い部分を認識する必要があるだろう」と、みなさんは考えるのではないか?
同様に、日蓮仏法を修正的に用いるのは良いが、
その前に、日蓮仏法の「暗部」を徹底的に認識する必要がある。
日蓮仏法に「良い部分」があるとしても、
その上での話であろう。
わしも、日蓮仏法の長所ばかりを宣伝するキライがあったので、
赤面して反省したい。
日蓮を批判する事で、創価学会員の全てを敵に回す事になったとしても、
日蓮を徹底して批判すべきであると思う。
日蓮を批判し、批判し、批判し、
木っ端微塵に粉砕して、
にも関らず、最後にキラリと残る、何かがあれば、
それは採用しても良いのではないかと思う。
日蓮批判の具体的なやり方であるが、
亡くなる手前まで講義をしていた、
日蓮思想の最も凝縮された書物、
立正安国論について批判したいと思う。
最初、それを、このブログ上で連載してやろうと思ったのだが、
それよりも、一枚のページで一気に読める形にしたほうが、
読者の資料としても価値が出るだろうと考えた。
それで、非常に面倒な思いをしたが、
何とかページにまとめたので、お読みいただきたい。
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できればで結構であるが、
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何回分かの、ネタにもなると思う。
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内容なんて、ヘボでもいい。
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