私は最初
【マスゴミ】━良い嘘があるのか━
という記事を書こうと思って
嘘は絶対にダメだという
カントの主張について
考えてみたのですが
考えれば考えるほどに
理解できないことが分かりました
資金源であるスポンサーからの圧力に負け
スポンサーにとって都合の悪い話(真実)を
一切報道しないマスゴミ
本当にそれで良いのだろうか
真実を知った人々は
きっと暴走するだろうけど
だからと言って
嘘を吐き続けて良いものか
「嘘も方便」に対抗するために
カントの主張を持って来ようと思った
しかし、私には理解できなかった
いや、理解できなかったのなら記事は書けない
私は理解してしまったのだ
では、今からカントについて情報を与える
カントによると
この世界には
絶対確実な道徳法則が存在する
そして
「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理と見なされうるように行為せよ」
と述べている
つまり
「どんな状況でも
絶対的に正しい行為が決まっているので
それに従って行動しなさい」
ということである
そしてその絶対的な立法原理によると
「嘘は絶対にダメ」だそうだ
また、結果(行為)なんてのはどうでもよく
大切なのは【動機】だとも言っている(動機説)
ちなみに彼は
「女なんかに哲学ができてたまるか」
という女性蔑視の考え方を持っていたそうだ
更には自殺は絶対にダメだとか...(以下略)
何を言っているのかさっぱり分からない
絶対確実な道徳法則?
まずそんなもの僕は知らない
女性蔑視?
何を考えてるんだこいつは?
あーあーあーあーあー
...........!?
おっおっおっおっ!!
ようやく僕は気づいた
「そうか!キリスト教だ!」
調べてみたところ
カントがまあまあ敬虔な
クリスチャンであったことが判明した
キリスト教を知らない人のために
軽く説明しておこう
キリスト教は
絶対です!
絶対的な神の御言葉が
聖書に記されています
聖書は絶対に正しいのです!
聖書によると
嘘は絶対にダメです!
また、神様は形式的な行いを嫌います(信仰によらない努力は無意味です)
「何をするか」ではなく「何故しようと思うのか」が重要なのです(行為<動機)
女が男に逆らうのも絶対にダメです!(女<男)
他殺はもちろんのこと、神様が与えてくださった命を
自分から放棄するなんて絶対にダメです!(自殺ダメ)
絶対的にダメなことをして
罪を犯してしまった人間は
イエス・キリストの
十字架上での死と
三日目の復活による
【贖罪】を信じることで
全ての罪を許されます
だから絶対に天国に行けます!
全ての人間は神から平等に愛されているのです!
(この愛をアガペーといい、このことを福音という)
福音(ヱヴァンゲリヲン)を述べ伝えましょう!
神は寛大なお方です
あなたが自分の意志で神を信じてくれるのを待ちます
(暴力的な勧誘はしません、愚かな方法とも)
(詳しく知りたい方は聖書を買って読んでね)
これでカントの言ってることが理解できましたか?
普遍的な道徳法則=聖書の教え
これによると
嘘は絶対にダメ!
なんですね~
カントの思想は悉く
聖書の二番煎じです
ここで問題をすり替えさせてもらいます
「良い嘘はあるのか」→「聖書は絶対なのか」
このブログを読んでくれてる
多くの日本人の方々は
聖書が絶対だとは思ってないでしょうから
カントの思想がゴミに見えるかもしれません
聖書が正しいと思うなら
当然マスゴミを批判すべき
逆は一般には成り立たない
私が言いたいのは
キリスト教を知らずに
カントの主張を理解するのは
不可能である
てか、西洋の思想家の大多数は
キリスト教の影響を
とてつもなく受けているので
キリスト教を知らずして
西洋思想を語ることはできない
ということ
ただそれだけです
追伸:カントの主張は
テロリストを擁護するものです
例えばイスラム圏の人々にとっては
クルアーンこそが絶対の教えであり
そこで説かれている道徳こそが
絶対なのです!
だからカントの主張は
【キリスト教徒のような間違った教えを説く連中(啓典の民)を殺せというクルアーンの教え】を
実行しようとするイスラム原理主義の方々(アルカイダ)を
擁護するのに使われてしまうでしょう
もっと言うと
今まであまり過激でなかったムスリム(イスラム教徒)が
アルカイダに入って
「他宗教をぶっ潰そう!正義を実行するのだ!」
ってなってしまいそうだと思うんです....
絶対的道徳法則=聖書の教え、と
ちゃんと明記しておかなかったカントは
本当に......(自重)
追伸2:この記事は西洋哲学におけるキリスト教の影響を確認するのが目的であり
そのためにカントを単なる手段(最も顕著な例)として利用させていただきました
私自身がカントのことをかなり嫌っているせいもあってか、このような皮肉的記事を書いたのです
私が彼を評価するとしたら、【目的論的判断力】でしょうか
気が向いたらそのうち機械論的な考えとの対比で紹介すると思います
それにしても、機械のように正確に動く彼が目的論を唱えるなんてね
【マスゴミ】━良い嘘があるのか━
という記事を書こうと思って
嘘は絶対にダメだという
カントの主張について
考えてみたのですが
考えれば考えるほどに
理解できないことが分かりました
資金源であるスポンサーからの圧力に負け
スポンサーにとって都合の悪い話(真実)を
一切報道しないマスゴミ
本当にそれで良いのだろうか
真実を知った人々は
きっと暴走するだろうけど
だからと言って
嘘を吐き続けて良いものか
「嘘も方便」に対抗するために
カントの主張を持って来ようと思った
しかし、私には理解できなかった
いや、理解できなかったのなら記事は書けない
私は理解してしまったのだ
では、今からカントについて情報を与える
カントによると
この世界には
絶対確実な道徳法則が存在する
そして
「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理と見なされうるように行為せよ」
と述べている
つまり
「どんな状況でも
絶対的に正しい行為が決まっているので
それに従って行動しなさい」
ということである
そしてその絶対的な立法原理によると
「嘘は絶対にダメ」だそうだ
また、結果(行為)なんてのはどうでもよく
大切なのは【動機】だとも言っている(動機説)
ちなみに彼は
「女なんかに哲学ができてたまるか」
という女性蔑視の考え方を持っていたそうだ
更には自殺は絶対にダメだとか...(以下略)
何を言っているのかさっぱり分からない
絶対確実な道徳法則?
まずそんなもの僕は知らない
女性蔑視?
何を考えてるんだこいつは?
あーあーあーあーあー
...........!?
おっおっおっおっ!!
ようやく僕は気づいた
「そうか!キリスト教だ!」
調べてみたところ
カントがまあまあ敬虔な
クリスチャンであったことが判明した
キリスト教を知らない人のために
軽く説明しておこう
キリスト教は
絶対です!
絶対的な神の御言葉が
聖書に記されています
聖書は絶対に正しいのです!
聖書によると
嘘は絶対にダメです!
また、神様は形式的な行いを嫌います(信仰によらない努力は無意味です)
「何をするか」ではなく「何故しようと思うのか」が重要なのです(行為<動機)
女が男に逆らうのも絶対にダメです!(女<男)
他殺はもちろんのこと、神様が与えてくださった命を
自分から放棄するなんて絶対にダメです!(自殺ダメ)
絶対的にダメなことをして
罪を犯してしまった人間は
イエス・キリストの
十字架上での死と
三日目の復活による
【贖罪】を信じることで
全ての罪を許されます
だから絶対に天国に行けます!
全ての人間は神から平等に愛されているのです!
(この愛をアガペーといい、このことを福音という)
福音(ヱヴァンゲリヲン)を述べ伝えましょう!
神は寛大なお方です
あなたが自分の意志で神を信じてくれるのを待ちます
(暴力的な勧誘はしません、愚かな方法とも)
(詳しく知りたい方は聖書を買って読んでね)
これでカントの言ってることが理解できましたか?
普遍的な道徳法則=聖書の教え
これによると
嘘は絶対にダメ!
なんですね~
カントの思想は悉く
聖書の二番煎じです
ここで問題をすり替えさせてもらいます
「良い嘘はあるのか」→「聖書は絶対なのか」
このブログを読んでくれてる
多くの日本人の方々は
聖書が絶対だとは思ってないでしょうから
カントの思想がゴミに見えるかもしれません
聖書が正しいと思うなら
当然マスゴミを批判すべき
逆は一般には成り立たない
私が言いたいのは
キリスト教を知らずに
カントの主張を理解するのは
不可能である
てか、西洋の思想家の大多数は
キリスト教の影響を
とてつもなく受けているので
キリスト教を知らずして
西洋思想を語ることはできない
ということ
ただそれだけです
追伸:カントの主張は
テロリストを擁護するものです
例えばイスラム圏の人々にとっては
クルアーンこそが絶対の教えであり
そこで説かれている道徳こそが
絶対なのです!
だからカントの主張は
【キリスト教徒のような間違った教えを説く連中(啓典の民)を殺せというクルアーンの教え】を
実行しようとするイスラム原理主義の方々(アルカイダ)を
擁護するのに使われてしまうでしょう
もっと言うと
今まであまり過激でなかったムスリム(イスラム教徒)が
アルカイダに入って
「他宗教をぶっ潰そう!正義を実行するのだ!」
ってなってしまいそうだと思うんです....
絶対的道徳法則=聖書の教え、と
ちゃんと明記しておかなかったカントは
本当に......(自重)
追伸2:この記事は西洋哲学におけるキリスト教の影響を確認するのが目的であり
そのためにカントを単なる手段(最も顕著な例)として利用させていただきました
私自身がカントのことをかなり嫌っているせいもあってか、このような皮肉的記事を書いたのです
私が彼を評価するとしたら、【目的論的判断力】でしょうか
気が向いたらそのうち機械論的な考えとの対比で紹介すると思います
それにしても、機械のように正確に動く彼が目的論を唱えるなんてね
気が向いたら、お立ち寄りください。
あなたのブログは面白そうなので最初から時間をかけて全て読ませてもらいます。外部リンクとしてサイドバーに表示させていただきました。
そもそもカントの定言命法が実質的な規範を積極的に産出する原理であるとあなたは考えてるようですね。つまり定言命法が具体的で絶対的な不変的かつ普遍的な道徳的命令を生み出すのだ、たとえば「嘘をついてはならない」といったような、というわけですね。
カント解釈史も研究史も知らないが、カント哲学をそう解釈すること、これは別に悪いことではないし個人の自由でしょう。
だが、その皮相で浅薄な解釈を普遍化して、カントはこのようにしか言っていない、と断言するのはどうなんだろう(直接的に断言せずともそのように思わせるような物言いはどうなんだ)。あまり哲学的な態度とは言えない。
つまり僕が言いたいのは、カントの哲学はこのように解釈される傾向があるが、しかしカント哲学はこのような皮相なことのみを言っているのではない、ということです。
そもそもあなたの定言命法の解釈からして一般的な解釈とはかけ離れた滅茶滅茶なものです。絶対的な具体的命令が先にあるのではなくて、当該の格率が普遍化し〈うる〉かどうか、という判定が問題になっているのですよ。
ご意見ありがとうございます
自分達の意見を間主観的に普遍化してしまう人々がいるので、カントの思想が良いものであるかのように紹介することは、私にはできませんでした。サルトルについてもうまく紹介できそうになく、悩んでいるのです。できればカントやサルトルのどこが素晴らしいのかということを教えてもらえたら嬉しいです。
まず僕の先のコメントがやたらとげとげしい調子になってしまったことを謝らせて下さい、ごめんなさい。
僕はカントを(ましてやサルトルを)研究しているというわけではないので(むしろ全然わからないにひとしい)、決定的な主張というのはできないんですが、取り敢えずカント哲学の素晴らしいと思われる点を書いてみます。
まず、カントの定言命法というのは、自分の個人的主張を普遍化して語るための道具のようなものではないと思われます。
むしろカントが彼の道徳哲学で目指していたものは、すべての人類に妥当な道徳秩序を構築するための原理を発見することです。
彼が定言命法で言おうとしたのは、ざっくりといえば、「仮に全人類が同じ行為基準(格率)にしたがって生活しても大丈夫である と、あなたが確信しうる行為基準にのみしたがって生活しなさい」ということ、つまりあなたの行為と同じ行為を全人類がおこなってもあなたは文句を言いませんね?ということだと思います。つまり、なすべき行為(道徳的行為)をどのように判定するのかという判定基準が定言命令なのです。
こう捉えると、もちろんキリスト教原理主義やイスラーム原理主義の主張はことごとく定言命法によって「非道徳的」の烙印をおされることでしょう!というのも、「宗教のためには人殺しをしても良い」とか「キリスト教布教のためには何をしても良い」とかいう格率は、(現に非キリスト者や無宗教者がいる以上)普遍化しえないはずです。
カントに従えば、すべての理性的存在者=全人類が道徳であると納得しうるような行為(と自分が確信できる行為)だけを、人間はすべきなのです。
彼はプロテスタントでしたが、神や宗教以上に人間理性と人間的真理に重きをおいた哲学者でもありました。宗教や古典的形而上学の独断主義(根拠地なき個人的主張を普遍化する立場)を徹底的に「批判」して、合理的であるとはいかなることかを考え抜いた哲学者です(合理的とは人間理性に即す、という意味です)。
だから、カント哲学の悪い面をあげつらうことよりも(200年前の人ですし現代人からみれば変なところもたくさんあります)、むしろ哲学を志すわれわれがカントを生かすにはどうすればよいのか?カント哲学が現代で通用するならばどういう点がそうなのか?を是非、僕としては、このようなブログでやっていただきたいところなのです。
長文ありがとうございます。
確かに彼の主張から考えて、自らの正当化の単なる手段としてカントというか彼の思想を用いることは間違っていますね。彼の主張をテロ擁護に使おうとする連中にはこの目的論的な部分を見せれば良さそうですね!ようやくカントの主張の良さが理解できた気がします。これからも、読者の皆様からのコメントで指摘を受けつつ、より良いブログにしていきたいと思います。ありがとうございました。
当然カントは面白いですよ。