希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車140

2010-07-29 18:52:06 | 日記
地球上における、最大の神秘(しんぴ)とは一体(いったい)何か?

アメリカの民衆詩人「ホイットマン」は結論(けつろん)しました。

『それは、あなたにも、そして、あらゆる人の中にも存在する生命である!』

自分自身の生命こそが、最大の神秘であり最大の宝(たから)・・!

その無限の可能性と幸せを秘(ひ)めた存在が、自分の生命・・・!


だから、自分自身の生命ほど、スゴイものは、ない!
自分自身の生命ほど、素晴らしいものは、ない・・!

だから、本当は、宝も幸せも、どこにあるのでもない・・。
自分の生命の中にある・・!!

そう素直に思える人もいるかもしれませんが、そうは、素直に思えない人も、いるかもしれません。「こんな自分が宝なもんか・・」
そう自分を卑下(ひげ)してしまう場合も、あるかもしれません。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『幸福の尊極(そんごく)の当体(とうたい)が、わが生命なのだ。

 その宝蔵(ほうぞう)を開く秘術(ひじゅつ)が、妙法(みょうほう / 南無妙法蓮華経のこと)の信仰である。』

人間の生命が、素晴らしいことは、理屈(りくつ)では、わかる・・。
けれど、それを、心から感じ、納得(なっとく)できなければ、それは、現実的なものには、ならない。また、自分にとって、本当のものには、ならない・・。

自分で感じ、自分で納得(なっとく)し、自分で体験し、現実に結果として、その生命の素晴らしさを、人生の上で、さまざまな形で実現できなかったら、なんの意味も無くなってしまう。

その現実の上で、自分の生命と人生によって、感じ、納得し、幸せと勝利という現実の結果を出すことによって、自分の生命の素晴らしさを、実感できるのが、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

だから、スゴイいんです。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちを、幸せにしているんです。

池田先生が言うように、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分の中の無限の宝(たからを開く「秘術(ひじゅつ)」なんです・・!!

幸せは、すべての人の中にある・・。

無限の神秘(しんぴ)と言える生命の宝(たから)は、すべての人の中にある・・。

けれど、そんなこと言ったって、なかなか信じられないし、その素晴らしい生命の可能性を、どうして開き、つかんでいくか?なんて、わからない。

だから、自分の生命は、無限の宝であり、無限の幸せが、つまっているのに、せっかく、自分自身の中にあるはずの「幸せ」を、つかむことができないまま、人生を終わってしまう。

そうなっては、つまらないし、不幸です。

だから、本当の意味で、自分の生命という無限の宝から、無限の幸せを、つかみ開花させていける方法が、求められます。

その自分の生命の無限の宝を感じ、味わい、最高の幸せと勝利を、現実の中で開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・。


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希望列車139

2010-07-26 14:09:21 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
『かっこいい』ことを、言っています。

それは・・・、

『光は闇(やみ)を恐(おそ)れない。

 光を持つ人は
 何も恐れない。』

です・・。


スゴクかっこいいと、思います。しかも、確かにその通(とお)りです。

光は闇(やみ)を恐れない。

さらに、池田先生は、言っています。

『闇(やみ)に生きゆく人は、心も暗い。
 創価(そうか)とは、
 あらゆる人々の心を、
 強く正しくする
 勇気の光だ。

 闇は光を塞(ふさ)がんとする。
 しかし
 光は立ち止まらない。
 創価とは、
 限りない希望の未来を
 照(て)らしゆく前進の光だ!』

どんなに真っ暗(まっくら)な闇(やみ)があっても、光がサッと入れば、パッと明るくなる。どんなに闇が光を塞(ふさ)ごうとしても、いったん光が差(さ)し込(こ)めば、闇は光を押(お)さえることは、できない・・!

それが、光だと思う。

だから、光は闇(やみ)を恐(おそ)れない・・。
光を持つ人は、何も恐れない・・!

だから、光を持つ人は、強い。
光を持つ人は、幸せだ・・!

だから、幸せをつかむために、どうしても、光を求めるべきです。

その人生においても、自分の生命においても、絶対の光が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
また、その絶対の光を持った太陽のような存在が、創価学会だとも、言えます。

単純(たんじゅん)に言うと、だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです。

なぜなら、絶対的な光を、持っているからです。だれびとも、さえぎることのできない最強の光を、持っているからです。

それが、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

すなわち、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命にパッと光が差(さ)し込(こ)む。どんなに暗い悩みや苦しみがあったとしても、いったん光が入ってくれば、闇(やみ)は、光を、さえぎることは、できない!だから、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命に光が差し込めば、闇(やみ)といえる悩みや苦しみは、消えるしかないんです・・!すなわち、悩みや困難が、解決していくことになっていきます。

また、暗雲(あんうん)ただよう暗い人生であったとしても、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の人生に、パッと光が灯(とも)されるんです。人生に光が灯(とも)されたならば、暗い暗雲(あんうん)は、消え去り、幸せと希望が見えてくるんです。

南無妙法蓮華経は、無限の光と言える太陽なので、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の人生にも太陽がサンサンと輝(かがや)きだすんです。

すなわち、自分の人生に勝利と幸せを、もたらすことになっていきます。


光は闇(やみ)を、恐(おそ)れない・・!

光を持(も)つ人は、何も恐れない・・!

その、なにものも遮(さえぎ)ることのできない、最強無敵の光が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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希望列車138

2010-07-22 00:08:49 | 日記
よく、なんでも、いろいろと集めたがる人がいる。それは、コレクターというのだろうけれど、不思議と集めるということは、楽しいものです。それを集めて、どうなるということでもないけれど、何故(なぜ)だか知らないけれど、人は、いろいろなものを集めたがる。

人それぞれ、個性があるし、趣味だから、犯罪を犯(おか)さないかぎり、何を集めてもいいとは、思う。

けれど、ひとつだけ・・!
宗教に関してだけは、いろいろなものを、集めるのは、絶対にやめるべきです。

よく、お守りや神札(かみふだ / しんさつとも呼ばれているようです)などを、やたらと集めたがる人がいますが、絶対にやめるべきです。

それらのお守りや神札(かみふだ)をたくさん、持っていると、なんだか護(まも)られそうだし、良いことが、たくさん、ありそうだけれど、逆(ぎゃく)です。

それらのお守りや神札をたくさん持っていればいるほど、自分の生命と人生が、不幸になっていきます。具体的には、体調が悪くなったり、さまざまな病気になったり、また、自分の人生にさまざまな形で、不幸が、もたらされます。

なぜかというと、それらのお守りや神札を作っている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ、観光宗教にしろ、神社信仰にしろ、それらの宗教は、あきらかに間違った宗教だからです。

葬式仏教や観光宗教、神社信仰が、間違った宗教であることは、ちょっと、まともに考えれば、わかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

ひとは、このことが、わからないのですが、『間違った宗教である』いうことは、当然、間違った結果を生むんです。

『間違った宗教』から、幸せが生まれることは、100パーセント、ありません!!

逆(ぎゃく)に、間違った宗教なので、やればやるほど、どんどん、不幸になっていきます。

これは、当然の道理(どうり)です・・・。

だから、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教が作った、お守りやお札、神札などを、いくら持っていても、間違った宗教なので、病気や災難(さいなん)などの不幸になる原因になるだけで、良いことなどありません・・。

たとえば、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などのお札・神札、お守りや祭(まつ)ってあるものを、すべて捨てただけで、病気などが良くなり、治(なお)ってしまったという例も、多々あるようです。

くだらないようでいて、宗教というものは、人間の生命と人生に、大きな影響(えいきょう)を、与(あた)えているんです・・!

バカにし、笑っている人もいるかもしれませんが、間違った宗教は、必ず不幸を、もたらします。そう断言して、間違いありません!!

だから、宗教に関してだけは、お守りやお札・神札などを、集めるのは、やめるべきです。
逆に、ためらわず、捨てるべきです。

友だちや知人から、そういうお守りなどを、もらったりすると、せっかく、もらったのだから、取っておきたいけれど、それで、自分が、ほんの少しでも、なにかしらの不幸になったら、当然、いやです。けれど、お守りや神札などは、実際、人に、なにがしらの不幸を、もたらすものなんです。
だから、かりに友だちや知人から、お守りや神札を、もらったとしても、躊躇(ちゅうちょ)なく、捨てるべきです。大切な自分の人生だもの、ほんのちょっとだけでも、なにか不幸なことがあったら、耐(た)えられないはずです。

それが、葬式仏教や観光宗教、神社信仰が作る、お守りやお札・神札です。
かりに、良い事があったように見えても、あとから、どっと不幸が、もたらされます。
だから、そのようなものは、捨てるべきです。

人は、そのようなことには、まったく、無頓着(むとんちゃく)ですが、宗教というものは、自分の生命と人生に、根底の部分で、大きな影響を、及(およ)ぼしています。


・・・
今まで、宗教の悪影響、マイナス点について、話してきましたが、その間違った宗教が、人に不幸を、もたらすことを、徹底的(てっていてき)に研究し見極(みきわ)め、逆に、どんな人でも必ず、幸せになっていける真実の宗教を、発見し、広めたのが日蓮大聖人です。

そして、その日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)を、一点の狂(くる)いもなく、実践し広めているのが、創価学会です。

だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです。
また、実際、幸せになっていけるから、創価学会は、世界192カ国に広がっているんです。


宗教に関して、大切なことは、まず、その宗教が間違った宗教であるか、正しい宗教であるか。
それによって、幸不幸が、決定的に分かれてしまうからです。

そして、それが間違った宗教であるならば、絶対にやるべきではないし、捨てるべきです。
けれど、それだけでは、人生を勝利していくには、足(た)りません。

次に、必ず、幸せになっていける、必ず勝利していける宗教を、求めるべきです。

本当は、宗教というものは、幸不幸を、決定的に左右するんです。
だから、最終的に、本当に幸せになれる最高の宗教を、求めるべきです。

その必ず、幸せになっていける、悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえて、必ず勝利していける、本当の正しい宗教が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車137

2010-07-15 17:48:19 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)の信仰者には、絶対に敗北はない。
敗北のない人は、永遠に勝利者である。幸福の王者である。人生の長者である。

そのための信仰だ。そのための道を、歩(あゆ)み、走っているのだ。

走れば走るほど、宝(たから)の山が待(ま)っている。幾千万(いくせんまん)という諸天善神(しょてんぜんじん)が、喜んで待っている。』

・・・と。

※ちなみに諸天善神(しょてんぜんじん)とは、自分の人生を助け、守り、幸せに導(みちび)くような、あらゆる働きや現象(げんしょう)のことを、諸天善神と、言い、それらの幸せに導(みちび)く働きや現象を、諸天善神と、とらえることが、できます。


最後の『宝(たから)の山が待(ま)っている』という表現は、とても新鮮(しんせん)な気がしました。

なぜかというと、普通、宗教というと、宝とか財宝とか、物質的な話しは、しないような気がしたからです。一般的に、精神的な話しに終始(しゅうし)して、現実的な話しは、しないのが、宗教のような気がするからです。

けれど、逆にそれは、現実的な力(ちから)が、まったく無(な)いので、現実から離(はな)れた話しで、ごまかしている・・!とも言えます。

そういう宗教は、人を騙(だま)しやすく、人を、惑(まど)わしやすいからです。けれど、それらの現実離れした精神的な話しばかりしている宗教に、人々を幸せにしていく力(ちから)が、あるわけがなく、はっきり言えば、それらの現実の人生を切り開いていく力(ちから)のない宗教は、間違った宗教であり、人々を不幸にします!

また、逆に、何々にご利益(ごりやく)があると言って、ご利益(りやく)合戦(がっせん)をしている宗教もありますが、それらは単(たん)なる人集めであり、まったく当(あ)てにならないというのが、本当のところです。また、それらを、まともに当(あ)てにしている人など、ほとんどいないし、単なる気休め、レジャーや遊び感覚と同じなのが、世間一般的な宗教だと、言えます。

それらの一般的な宗教が、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などですが、それらの宗教が、いくら精神的な話しをしたとしても、また、ご利益(ごりやく)合戦(がっせん)をしたところで、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、現実的な力(ちから)のまったくない、もともと間違った宗教なので、ご利益(りやく)どころか、間違った悪(あ)しき宗教であるがゆえに、逆に真剣に祈れば祈るほど、さまざまな形で、不幸が出てきてしまいます・・!

それが、世間一般的に広められている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などです。


ところが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、違う!!!

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、現実の中で、結果が出てくるんです。

経済的な悩みであっても、病気など健康面の悩みであっても、家庭などの環境(かんきょう)の悩みであっても、それらを現実に解決し、結果として『ボーーン!!』と出してしまうんです!

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです!!

自分の人生の中で、現実に結果が出て、実際に幸せにしてしまうんです!!

だから、スゴイ!!

だから、真実の力(ちから)ある宗教だと言えるんです。

そうでなかったら、創価学会が、世界192カ国に広がることは、ありませんでした・・!

だから、池田先生が言うように、
『走れば走るほど、宝(たから)の山が待(ま)っている』んです・・!

創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰を真剣にやれば やるほど、自分の人生が開け、無限に幸せになっていけるんです!


・・それが、やれば、やっただけ、必ず幸せの結果を出せる、現実の人生に、ドーン!と結果が出る、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車136

2010-07-12 16:18:34 | 日記
人は、それぞれ、個性や希望はあると思うけれど、基本的には、何でもできる。未来は無限に広がっていると言うことが、できます。


けれど・・・、勇気がないと、なんにもできない・・・。

これも、事実だと思う。

なんでも、できるけれど、勇気がないと、なんにもできない・・・。


それが、人生なのかもしれない・・。


だから、『勇気』は、大切・・!!

『勇気』は、未来を開く『鍵(かぎ)』となる。

あと、もう少し勇気があれば、未来は変わっていた。
あのとき、勇気を出したから、未来が開けた・・!

そういうことも、あると思う。

大切な大切な『勇気』!
未来を無限に開いていける「勇気」!

その『勇気』を、無限に強く、大きくしていける方法が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです!!

その『南無妙法蓮華経』とは、『勇気の元(もと)』みたいなものなんです。

南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中から、強い強い生命力が、湧(わ)き上がってくるんです。その、わき上がってきた生命力は、『勇気』となって、その人を動かし、未来を切り開いていくんです!

南無妙法蓮華経を、となえていくと、無限の生命力が、湧(わ)き上がってくるので、元気が出てきて、自分の生命が蘇生(そせい)していくんです!だから、さまざまな悩みが解決できたり、病気を克服(こくふく)できたり、さっきも言ったように、『勇気』となって、人生を勝利へ幸せへと、導(みちび)いていくんです・・!


・・・勇気は、未来を開く鍵(かぎ)となる!
確かに、勇気があれば、なんでもできるかもしれない!
勇気は、未来を無限に幸せにしていってくれるからです!

だとしたら・・、南無妙法蓮華経を、となえることは、無限の勇気を生み出すことなんだから、南無妙法蓮華経を、となえることによって、未来が無限に開け、無限に幸せになっていけることに、なります。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、創価学会の人たちは、幸せになっていける!

その、なんでもできる未来を、無限に開く『鍵(かぎ)』である『勇気』を、無限に強く、無限に大きくしていけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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