本当のヨーガを体得しましたので皆さんにご紹介したいと思い、これからいろいろと活動していきます。

 私の体験したヨーガの創始者はゴータマブッダ、即ちお釈迦さんで、日本には大正時代に中村天風によってもたらされました。

釈迦とヨーガと中村天風と  抜粋文を何回かに分けてお読みください

2013-05-12 07:28:42 | 日記
 人は何の為に生まれ、何の為に生きて行くのか。この重大な問いかけに心ある人達が
 「この世は魂を向上させるために有る」
と答えています。

 しかし、現在の仏教は「人間には魂など存在しない。あらゆる物事にも(恒常の)本質は無い、全ては空なのだから。本質が無く空であるからこそいつも(現象は)変化するのだ」と考えています。
 従って現在の仏教理論からすると「この世は魂を向上させるために有る」という考えは有り得ません。
 しかし実は仏教のこの考えこそが間違っているのです。現在の仏教理論は釈迦が教えたものとは正反対の考えです。

 汝は何の為に生まれ、何の為に生きて行くのか?
 何処より来りて何処へ行かんとす?
 汝は何者なりや?

 この崇高な問いに即答できる人は少ないでしょう。釈迦はこの問いに自力で答えを見いだせるように、その方法を体系化して人々に説いて回りました。彼は神仏を崇め信仰する事を説きませんでした。彼は神を否定も肯定もしませんでした。ただ、貴方が神(もしくは後の仏教が作り上げた仏)だと考えている存在は「貴方が心の中に描いたもので実在しない」と説いたのです。

 さて宗教とは何か、私なりに定義してみます。
 「宗教とは人間を超えた存在、例えば神、仏を信仰し、呪文を唱えたり祭祀を行ったりして縋りつき、この世かあるいは死後の世界に於いて幸せに成ろうとするものである」

 従って「宗教とはこの世での自己の努力を放棄して楽して幸せに成ろうとするものである」とも言えるのです。釈迦は現在のようなお頼み宗教、神仏依存型宗教を全面否定し「本当の自分を見つけて、それを何よりも大事にして生きなさい」と説きました。
 彼は「本当の自分以外の存在にすがりついて生きるようなまねをしなさんな」と言ったのです。

 現在の仏教は基本的に次のような考えを持っています。
諸行無常:全ての現象(或いは物事)は無常(絶え間なく変化し続ける事)である。
一切皆苦:全ての物事は苦しみである。
諸法無我:全ての物事は無我(=空)である。
涅槃寂静:全ての物事は空であると知った悟りの境地、涅槃は安らぎである。

 これらの考えは釈迦の考えがまるで分らなかった不出来の弟子達が師の教えを曲解し歪曲したものですから全面的に見直されなければなりません。

 ではこれらの言葉を正しく解釈してみましょう。まず諸行と一切、原語は同じなので諸行に統一します。
諸行無常:貴方が心に描いたもの(諸行)は無常である。
諸行皆苦:貴方が心に描いた諸行は無常であり、潜在的に欲求されており、苦しみである。
諸法無我:諸々の仏法(諸法)は苦しみの元である諸行を空にした無我の境地を説いている。
涅槃寂静:四禅によって得られた無我の境地、すなわち涅槃は全ての諸行が消えた寂静である。

 のちの仏教者達は諸行とは何の関係も無い諸法(釈迦が説いた諸々の仏法の意)を無理やり諸行と同じものと歪曲し、「諸法無我とは、全てのものが自我(人間の魂、あるいは恒常の本質)を持たない事である」としました。現在の世界中の仏教はこの誤りをそのまま受け入れており、だからこそ釈迦の仏教では無い、と言うのです。

 では釈迦の本当の仏法を順次説明していきます。
 釈迦はこう言いました。
 「貴方にとって唯一大切なものは魂(=アートマン、真実の自我)である。自分の本体である魂を大切にするために心を涅槃(=空)に入れなさい。涅槃は(人間の)唯一の安楽である」

 釈迦の仏法の重要な点は次の四つです。
①貴方の世界(=諸行)は貴方の心が創った虚構である。貴方はその虚構の世界に執着して苦しんでいる。
②その苦しみから逃れるには心を涅槃(=空)に入れる必要がある。
③涅槃は不苦不楽の無我の境地である。
④涅槃に到達するには四禅の修行が必要である。

 釈迦の仏法は、理法(空の理論)と行法(空を会得する為の修行法)の二本立てですが、四禅とは釈迦が空を会得した行法(修行法)です。これによって空を会得した釈迦は空の理論を確立しました。

 現在の全ての仏教は空の理論も空を得るための行法である四禅も完全に失っています。だから仏教で救われた人は一人もいなかったのです。
 ただ四禅の行法は釈迦の弟子であったヨーガ行者達に受け継がれ何とか残りました。それを継承したのが中村天風であり、彼の師であるカリアッパ師です。
 ただ天風さんは、自分が会得したヨーガが釈迦の四禅から来ている事は知りませんでした。私がそれを解明できたのは中村元博士の業績によるものです。しかし皮肉な事に博士は私とは異なる考えをお持ちでした。

    -以下次号ー

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