本当のヨーガを体得しましたので皆さんにご紹介したいと思い、これからいろいろと活動していきます。

 私の体験したヨーガの創始者はゴータマブッダ、即ちお釈迦さんで、日本には大正時代に中村天風によってもたらされました。

空と輪廻転生

2013-08-26 10:03:29 | 日記
 インド人は昔から宗教的であったと言われます。その元はバラモン教。途中仏教が大きくなり、その後イスラム教に占領されましたが、ヒンズー教に戻りました。
 此の点、パキスタンやバングラデシュとの違いは大きいでしょう。

 さて、現在でもインドはカーストが残り、それが社会の発展を阻害しているようです。カーストとは「この世界を作り統括するブラフマンという神にアートマン(人間の魂)を供えた時、ブラフマンの身体から生じた人間の階級の事だそうで、ブラフマンの口から生まれた者を婆羅門、脇の下から生まれた者を利帝利(クシャトリヤ)、眼から生まれた者を吠舎(バイシャ)、足から者を首陀羅(シュ―ドラ)と言います。

 シュードラとは奴隷階級と訳されますが、奴隷を持たなかった日本では誤解される訳でしょう。天風さんがカリアッパ師についてカンチェンジュンガのゴーク村に入った時シュードラの身分で有ったそうですが、彼は「奴隷とは本当は4番目の階級では無くて5番目だ。」と言っています。というのは、まず家畜の世話をしてからでないと飲食する事が許されないからで、家畜が4番目で奴隷は5番目だ、と言っています。

 さて、このカーストにさえ入れて貰えなかったのがチャンダーラ(せんだり)という階級の人達です。この階級には様々な職業の人達が居るようで、日本人の感覚とは大きく違うようです。

 あまりいい加減な事を書いてはいけませんので、ご自身で少し調べててみてください。この階級の中で特に悲惨な人生を送っていた人達を、せめて死ぬ時ぐらいは人間らしくさせてあげたいと「死を待つ人々の家」を作って支援したのがマザーと呼ばれたテレサです。

 岡山県北部、神郷町出身の坊さん(お名前を忘れてしまいました)が印度に仏教を再興し、信者2億人ともいわれています。時々、新聞に取り上げられていますから、ご存知の方も多い事でしょう。信者のほとんどはセンダリ階級の人達だそうです。

 おんころころ せんだり まとおぎ そわか
という言葉は有名ですね。意味は忘れてしまいましたが。日蓮さんは自らをせんだりと評したとか。


 さて、インドの人達はカーストの他に生まれ変わりを信じていました。生まれ変わりとは、人が人に生まれ変わるという意味も有りますが、人が虫に生まれ変わって鳥のえさになる、牛馬に生まれ変わって一生こき使われるなどと言う事も含み、これを身近な事として人々は心底怖れていたようです。

 この考えとカーストとは表裏の関係に有ります。例えば生き物を殺せば来世に於いて人間扱いされない「せんだり」に生まれ変わる、などという考えです。

 日本においては生まれ変わりの思想は根づかず、代わりに、死後あの世で極楽に行くとか、地獄に落ちるという考えの方が受け入れられたようです。
 人を殺す事を生業としていた武士たちが怖れていたのが、死後地獄に散る事だったでしょう。


 処で、この世の人生とは繰り返し得られるものなのか、それとも一度こっきりのものなのか?

 天風さんは「人生は何と言っても一度のものだ」と言っています。

 他方、前世を語る人達もいます。

 私の考えはこうです。
「この世界にはさまざまな思いが漂っている。特に強い思いを持って死んだ人の思いは何時まで経っても消えることなく流れている。その思いと自分の脳波が一致した時、それを取り込んでしまう。まるで、その思いが自分自身で有るかのように。不幸しか心に無い人は不幸の思いしか同調しない。そういう人は不幸でしか自分の存在を確認できない。幸せな話を受け入れない。幸せしか心に無い人は、不幸な話を聞くといらいらしてしまう。」

 もし、生まれ変わりが有ったとしても、前世がどうであったのか覚えていないならば全く新しく生まれた事に変わりはありませんでしょう?

 私は生まれ変わりを信ずるのは愚かな事だと思います。催眠療法という本が有って、キリスト教国においても生まれ変わりを主張する(これはキリスト教を否定する事にもなりかねません)人達がいたようです。しかし、催眠をかける度に患者は違った前世を語るなど信用性が足りません。

 
 ところで、高名な人達の中で「人生は魂を進化、向上させるためにある」と仰る方達が居ます。天風さんは「宇宙は延びよう、より完全に成ろうとする自然傾向を持っている。人の此の世に存在する目的はこの宇宙に同調する事に有る」と言っています。

 つまりいつも「より良くなろう、より完全に近づこう」と思って生きる事が人生の目的だ、と言っているのです。

 さて、釈迦の仏法は空の理論。「貴方がこの世を見て感じている世界は、散在意識に於いて好き嫌いと欲求を基にして作られた妄想の世界であり、それらは涅槃に於いて空になるものである。それらは実在の世界とは異なっているのだから、そんなものに執着して苦しんではならないのだよ。」というものです。

 これを実感的に納得する方法が4禅です。これによって空を会得したならば「自分は今何を考え、何を求めているのか?」と自信の内部に向かって探求の旅が始まります。
 多くの人達は、自分の外へ外へと欲望を向けて行きます。

 魂を向上させる、進化させるというのは、外に向かっているのと同じです。

 実世界において経済活動、健康などは重要な事です。しかし、それだけで自分や家族の幸せが得られると思うのは誤りです。

 私は取り返しのつかない事件を起こしてしまった。現在死刑執行を待つ身である。
 私は身に覚えの全くない事件の犯人として死刑囚とされている。


 貴方は、自身がこのような境遇になったとしてどうしますか?この世ではこうだったけれど、生まれ変わった時にはもっと幸せな毎日を送るように努力したいと思いますか?

 でも、それは出来ないのです。そうでは無くて、いまいかような境遇に有ろうとも
 「これでいいのだ!これが私の人生なのだ。私は完全に満足している。」
と、このように思える自分になる必要が有ります。

 過去の出来事にいつまでも縛られているのは愚かな事です。こういうと「自分の子供を理不尽にも殺された私の気持ちの何が分かる!」と怒りを爆発される方もおられるでしょう。
 そうであっても、宇宙は同情しません。過去の苦しみに縛り付けられている限り、その人は不幸の道を進むだけなのです。


 自分が大変な犯罪者であろうと、冤罪で囚われた身であろうと、はたまた犯罪被害者の家族であろうと、現在の人生に完全に満足した人は無の境地のまま宇宙に帰ります。それがあの世の涅槃です。釈迦はその境地を終生説いたのです。
 
 この世にはやり直しがきかない面が有ります。逆の見方をすれば、いつでもやり直しが出来るものでもあります。重要なのは、自分のこれまでの生き方がどう有ろうとも、今から以後は絶対的自信を持って(=すべてを肯定して)生きて行く事です。

 
 これは理論では有りません。4禅によって自身の精神を固める事から得られる境地です。ですから、理論だけで自信を作り上げようとしない事が需要です。






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