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集中力をつける方

2012-11-24 09:55:54 | 日記
ピカソは真似ることが格段にうまい「あの松の木を右にすればどうだろう」とか真似ながら想像してみる。これは、勉強する上で大変参考になる。例えば、漱石の名文を写しながら、この、接続詞をこう変えればどうなるだろうとイメージしてみると、文章力はつくのではないか。
 ピカソは「自分はミノタウロスだ」と常に言い聞かせている。自分を生命力を持った物に置き換えることは大事だとわかる。「自分は賢い」とイメージするより、自分を具体的神話めいた人物置き換える。
 ピカソは青の時代というものがある。三年は青ばかりで描いた。それが三年続いたという。一区切りの時間は三年でしょう。自分は三年、一つの事に集中する。ニーチェを三年読み続けるでもいい。ある一定のレベルになるには三年が必要です。ある時間一つの事に集中すれば、それが済むと、禁欲のパワーもついてくる。それがいずれ表面に出てくる。
 画家は長寿の方が多い。なぜだろうか。一つには立って描く体力があるからだといわれます。そして、座り続ける集中力があるからです。さらに、ボケない人も多い。描くことで暗記力やイメージ力が養われるからでしょう。目で捉えたものを写すだけでも相当な鍛錬が必要です。これは、これからの社会で生きる上で勉強になります。
 また、ピカソは仕事が即休息になっている。飽きないことが必須です。何時間同じことをしても面白い、集中できる。仕事が面白いのです。仕事はある部分が働いていて、それ以外は遊んでいる。それを意識的に使い分けることができるかどうかが鍵です。
 最後に、ピカソは自分の領域外の人と積極的に交際している。全く違った角度から自分を冷静に観てみる。例えば、ニーチェの本を読みながら、わき道に寄って、日本の歴史を読んでみるなどです。

 次の天才に宮沢賢治がいる。彼は歩くのが猛烈に速かった。山登りではかなりなものだったようです。大股で歩くのです。机の前でイメージして詩を書くより外の自然に触れて全身で風の音やや匂い、花などを聴いたり、感じたり、観たりする。今の社会は歩くというと、健康法に取り入れることで、詩的イメージを喚起するために歩くのはほど遠い。心像スケッチをするために歩くのはどうでしょうか。歩いていると、あれは富士山だとか、最上川だとか、すぐに名前が出てくる。名前が浮かぶと、固定概念に惑わされるのです。人でもそうです。あの人は社長だとか、エリートだとかという概念があると、それ以外は見えなくなるでしょう。これは心像スケッチする上ではマイナスです。むしろ、名前をとってしまう。名無しで、そのものにどっぷりつかる。川を見て、「何と光に満ち溢れていることか」とか、山を見て、「今日は何とどす黒いんだろう」と感じてみるのです。
 賢治はこの岩手山登山をを習慣のように何度も何度も繰り返します。この繰り返しが感性を鍛えるようなのです。そして、首にペンシルとメモ用紙をぶら下げて歩いたようです。速歩しながら、一瞬、見えたものをスケッチしていく。感動すると、「ほほう」と言う。身体表現をすぐにしてみるのです。
 現代、悲しみや死はタブーとされています。見たくない、聞きたくないというのが本音でしょう。だからといって、日本社会は元気があるかと問うと決してそんなことは無い。戦後の焼け跡時代の方がずっと、精神的に元気があった。これはどうしてなのでしょう。哀しみや死を常にイメージした方が活気が出るのではないか。賢治は幼い頃、浄土真宗の「白骨の御文章」をたたきこまれたようだ。内容は「されば朝に紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」という文章です。幼い頃にこれを教え込まれたのですよ。無常観を教えられると、元気がなくなるかと思いきや、賢治は反対の人物になったのです。これはおもしろいですね。哀しみを常に心において置く。それがバネになって成長するのではないでしょうか。その元気さの例として、賢治は原稿を一ヶ月三千枚書いたのです。一日換算、百枚。一日百枚は相当なものですよ。それも傑作です。これは、これからの元気術のお手本になります。賢治は精神的に自分のためよりももっと大きなもののために仕事をしたのです。金や名誉より農民生活をよくしたいと思っていた。自分中心になると、どうも長続きはしないようだ。人のため、家族のため、恋人のため、その自分以外の何かを探さなければならない。
 賢治には膨大な読書量があった。だから、こんなに本を書くことが出来たのです。インスピレーションが湧くと、即、仕事にかかってたくさんの原稿を書いた。このインスピレーションが湧いてきたと思う自覚が大事なのです。湧いてきても平然といつものように寝てしまうと、重要な仕事ができないようです。その瞬間を捕らえて、すぐメモをするだけでもいいです。
 賢治には、田舎でよりも東京での仕事量が多い。周りに刺激物が多い方が仕事がはかどったようです。都市パワーというものが確かにある。小さい例では、本を読むのに家ばかりだと、長続きしないと思う。むしろ、時間を決め、近くの喫茶店や図書館に足を動かして、場所を変えてみるだけで効果はあるはずです。特に、図書館では周りが勉強する目的がるので、人の表情や動作からして道行く人と違います。そのエネルギーを分けてもらえるから活力が湧いてくるのだと思います。
 次に、賢治は日々、色々なイメージで生きていた。「今日はヨダカでいくか」とか「苦しい時は毒もみ好きな署長でいこう」と明確にイメージしていた。賢治の童話を借りてイメージしてもいいし、好きな映画や小説の主人公になった気分でイメージして振舞ってみると面白いですよ。そして、今の思っていることを好きな作家の文章を暗記して発してみる。これは相当鍛錬しないと出来ないと思いますが、頭のトレーニングにもなりますよ。
 次に、元気の出る人物を紹介しましょう。フランスのココ・シャネルです。シャネルは挟みを常に持ち歩いた。自分の道具がともにあるということは威力を発揮するようです。賢治はメモとペンシルだったように。シャネルの香水は値段もクリア。中身も透けて見える。虚飾がない。ゴテゴテしたものを嫌っています。黒と白は絶対的な色だとシャネルは言うのです。他の色は黒白に負けるのです。 シャネルは幼い頃、修道院の孤児院で育ちます。ここでのシンプルさを武器にして生涯生きます。さらに、どうしてこんな孤児院で生活しなければならないのかという復讐心があったようです。怨みを捨てた父に向けないで、十九世紀の美意識に標的を絞りました。より大きなものに標的を変えてみる。もし、自分の仕事がA氏のために台無しにされたとしよう。この反発心を別の趣味の情熱に置き換えてみる。
 シャネルには性格的に好き嫌いがはっきりしていた。媚びないことをモットーにしていた。クールな印象が強い。好きな人と会話してもべとべとしだすと、「帰ってくれ」とはっきり言うのです。この人はこういう人なんだとはっきり相手にわからせるのは、長続きさせるコツではないでしょうか。そして、シャネルは教養豊かな人としか交際しない。この教養豊かというのは「あの人はどこどこの大学教授」とか「A社の重役」とかで判断していない。相手と話して感じるもので判断した。相手にエネルギーがあるとこちらにも伝わってくるのです。エネルギーあれば、エネルギーある人と会えばさらに力が湧いてくるのです。これも面白いですね。シャネルの名言として「実際どう生きたかではなくて、大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。夢は死んだ後も生き続けるから」と。
 
 天才と言われる人物は仕事量が多い。作品や日々の動作が練習になっているのです。こうやって文を描けば書くほど色々イメージが湧いてきます。どうやら仕事量と天才は密接な関係があります。
 集中力をつけるには、一つの技術ですね。同じことを繰り返す。これがヒントのようです。集中力を養うにはテレビやゲームでは駄目です。飽きないように仕向けているので、こちらの鍛錬に向きません。映画や小説、ラジオの落語で登場人物になりきることが大事です。
 集中するポイントの一つは臍下丹田を感じることです。お臍の下の膨らんだ所に意識を集中させてください。これを習慣にするとかなり仕事量が増えるはずです。
 イチローや王は道具といえるバットやグローブを大切にしています。天才と言われる人物に共通して言えることです。道具を大切にするとはどういうことか。作ってくれた人に感謝できるということです。トップになれば、誰かに感謝しなければ孤独に耐えられないかもしれません。イチローはプロ入団当初、どこかの新聞記者が「彼は使い続ければ必ず首位打者をとる」と言ったようです。それを聞いてイチローは「この人のために」という感慨が湧いてきたというのです。人のためにするというのは我々身近なことです。誰にでもできる。西洋人は神のためにいつも祈ることでパワーが出るという。日本人は神よりあの人を喜ばすためでいいと思う。
 そして、天才に共通するのは子供ぽさを持つことです。昔の憧れのイメージを継続させています。イチローは大リーガーのカール・リプケンにサインしてもらったユニフォームを、崇めていることです。
 最後に、仕事師になるには、日々、仕事を楽しみ、普段の何気ない所作にまで型をつくることではないでしょうか。自分の憧れの人物を何人も作る。そして、その人の生き方、動作などすべて盗んで自分も真似るのです。それを長年して、少しずつ自分なりの型を変えてみるのです。出来ないことではないです。天才や仕事師は世界中に山といます。彼らの伝記を読むのが最善の方法です。