KGセミナー塾長の日記 生徒との日々の生活と高校野球 個人塾型予備校を始めて、40年目になります。

初めての人は、2008年2月26日の「みんなに伝えたい話」を読んで下さい。私がこの仕事をやり続ける支えとなった話です。

塾業界、離職率1位

2012年11月02日 | 塾・予備校選び

 昨日は、高校3年生の基礎クラスをの後で、向陽の2年生バスケットボール部の生徒を個別に補習を行って、そのあと、8時半から、北高校と那賀高校の野球部の1年生に授業をしました。今まで、家に帰っていた時間を、補習に使うのは、なかなかいいです。日頃の授業ではわからない、その生徒の姿が見えてきます。せっかく、たくさんある塾の中から、KGを選んでやってきてくれた生徒に、少しでも、行ってよかった!と思ってもらいたいのです。

 

 昨日の新聞に、大卒で就職をした人の、3年以内のそれぞれの業種での離職率が出ていました。1位は、「教育支援業」いわゆる塾や、予備校、私立の学校です。48%を超えていました。半分の人が3年以内にやめてしまう業界、それが塾です。

 

 辞める理由は、「思っていた仕事と違う!」、それが一番の要因だと思います。たとえば、化学薬品の会社で働くとします。その業界のことについて詳しい学生なんて、ほとんどいませんよね。だから、かえって与えられた仕事を、「こんなものか。」と思いながらやり続けられると思うんです。

 

 ところが、塾の業界だと、学生時代に、何らかの形で、教えてもらったり、バイトに行ったりして自分にとっては、親しみのある業界です。こんな先生になりたいという自分なりの夢も持っています。しかし入ってみると、教えるという教師の役割と、営業活動をするという、経営を考えた面との、相反するギャップに耐えきれなくなってしまうのです。真面目に、生徒のためにと思ってこの業界に入ってきた人ほど、悩みます。

 

 入社するとすぐに、自分の受け持ったクラスの、夏期講習の出席率を上げること、それをまずひたすら、要求されるのです。生徒のこと、その家庭のことを考えると、日ごろの月謝に加えて、高い夏期講習代をさらに請求するのは、心が痛みます。しかし、それでも出席率を上げないと上からしかられる。経営第一だったんだということを思い知らされるのです。

 

 ある、株式を上場している塾の経営者と話をしたときに、彼がこう言ってました。「日本人は、なかなか自ら進んで手をあげたりしません。夏期講習に参加する人?と言っても反応はないです。そこで、うちの塾では、夏期講習に参加しない人手をあげてというようにしてるんです。そうすれば手をあげないでしょう。出席率が高いですよ!」

 

 そりゃそうかもしれません。しかしなんか、あくどい業者のようなやり方に思えて仕方がなかったです。そういうことをしないと、株式を上場するような大きな塾になれないんだと思いました。ただ、大きな塾になって、それでその経営者の心が満たされるのか、いや、そんなことを考えるこころさえもない人間にならないといけないのかと思ってしまいました。

 

 今、町の中から、塾がどんどん消えていってしまっています。個人でやってるような塾が少なくなってしまいました。フランチャイズの塾か、大手の傘下に入った塾ばかりになってきました。ただ、個人塾が生き残っていくためには、「生徒のことを一番に考える」、その姿勢をしっかり示すことだと思います。


憧れの予備校教師 「河井昌巳 先生」

2012年03月20日 | 塾・予備校選び

 僕の予備校の「師匠」は、大阪にあった富士予備校校長謙英語教師であった、河井昌巳先生だ。勝手に師匠と決めつけている。先生の本をたまたま見つけ、感銘を受けて、手紙を書いた。そうすると丁寧なお返事をいただいた。何度か手紙のやり取りをして、1度、吹田にある教室を訪れたことがある。

 

 先生は、1926年生まれ。北野中学から海軍兵学校に進まれ、復員後大阪市立大学に編入、米軍翻訳員、中学・高校教員、商社マンなどを経て予備校を開業した。

 

 先生の「予備校学入門」という本にこういう話が出てくる。

 

 先生は、決して優秀な生徒を学費免除で集めたりするような、そんな心のないことはしない。自らの体験から、「お金がなくても、何とか学びたいと心の底から思っている生徒」を免除生として受け入れていた。昭和52年、京都工業繊維大学に合格しているのだが、浪人して大阪大学工学部に挑戦したい、何とか免除生にしてくれないかという生徒がやってきた。先生は、なぜ免除生の制度を置いているのかを彼に話した。自分を学校にやるのに、兄が一生懸命になって、工面してくれたこと。その兄は、フィリピン沖で戦死したが、最後まで言い続けた、「貧乏人でも行ける学校がほしいのう。」という言葉に沿うべく免除生制度を設けている。兄のために勉強をしてやってくれと説明したという。学生は、「わかりました。」と言って帰ったが、翌日彼の父から電話があった。

 

 「河井先生、息子のどんな話をしてくださったのでしょうか。実は息子は高校に入ってから親と口をきかなくなり、この3年間親子で話をしたことがありません。それが、昨夜の夕食のときに、富士予備校に行ってきた話をし出し、夜遅くまで親子で話し合いました。息子が言うには、阪大を受け直すのは止めて、京都工繊大に行く、今までろくにものも言わずにすまなかった。これからもよろしく頼む、ということを言うのです。せっかく合格した大学に行く気になったこともうれしかったですが、3年ぶりに息子と話をすることができて何よりうれしくて・・・・」

 

 この生徒に語りかけた時、河井先生は、51歳。いつの日か、いつか、先生のような「教師」になりたいと思いながら、やってきて、去年、とうとうその年を越えてしまった。

 

 浪人を考えている人たちに、ただ、勉強ができるようになるだけではなくて、いい心で勉強することの大切さ、浪人生活を送ることができる、ありがたさなどをわかってもらいたいと思って、話しかけるようにしている。いつの日か、「河井先生」のように、優しく、まっすぐで、それでいて反骨精神はだれにも負けない、そんな予備校教師に一歩でも近づけたらと思っている。

 


免除生

2011年02月09日 | 塾・予備校選び

  この仕事を始めて3年ほどたったころ、「予備校学入門」という本に出会った。黄色い表紙の本だった。その本に書かれていることは、本当に核心ついていることばかりで、若かった私は大いに心を揺さぶられた。その著者に手紙を書き、その予備校を見学させてもらったことがある。丁寧な御返事もいただいた。その手紙は、今も大事にしまってある。

 

 大阪吹田市役所の近くにあった「富士予備校」の校長である、河井昌巳先生だ。河井先生は北野高校58期、海軍兵学校76期で、その後大阪市立大学を卒業されて、米軍の翻訳員、高校教員などを経て、予備校を開学する。また僧侶でもあった。この予備校には、特別講師として京都大学の数学者でもある森教授も毎年来校している。

 

 先生からの手紙を読み返してみると、Yゼミが江坂に大阪校を開いて、T進も関西に進出し、大阪北部の予備校は、軒並み生徒が集まらなくなったそうだ。そんな中、個人塾型予備校として、企業戦争の中に巻き込まれながら、それでも自らの意志を貫きながら頑張っておられる様子が手に取るようにわかる。

 

 そんな厳しい状況の中でも、「免除生」という制度は、ずっと続けておられた。

 「家庭の経済的事情があって真剣な向学心のある人には、授業料を免除します。ただし、当校は、他校のような合格実績をのために成績優秀者を集めるためではなく、真に向学心のある苦学生の教授のためで、その資金は教職員の奉仕によるためのものなのでまじめに利用してください。」

 と、入会説明書に書いてあった。当時は、進学校の生徒を、実績作りのために、授業料免除で集めることが横行していた時代だった。この仕事に従事する者は、向学心のある若者を何とかしてやらなければ・・という気持ちが何より大切だと語っていた河井先生の言葉が、今でも蘇る。

 

 私も、自分にできることをと思って、「免除生」として生徒を受け入れてきた。それは、公にすることなく、生徒と話をして決めてきた。そんな生徒たちが大学に入って旅立っていく。それっきりの生徒も多い。「愛想ないなあ。」と正直思ったこともある。ただそんなことを思っているうちは、まだまだ「無料にしてやっている」という気持ちが心にあるからだ。

 

 2浪の女の子がいた。親には、働けと言われているが、どうしても大学に行きたいと訴えてきた。「その気持ちをこの1年にかけてくれ!」といって免除生にした。大学に合格。その後連絡はない。しかし、5年経った夏のある日、朝、塾に行くと彼女が待っていた。「今まで何の連絡もなくてすみません。お金のありがたさは、身にしみてわかりました。ありがとうございました。今、金融関係で働いています。授業料を一括でお返ししたかったので、今になってしまいました。」と2年目のボーナスで返済に来てくれたことがあった。もう言葉にならなくて、その気持ちの「お菓子」だけを頂いた。こんなことがあると、これだけで、この仕事をしていてありがたいというか、ずっとやり続けたいという気持ちが心の底から湧きあがってくる。

 

 「予備校学入門」。河井先生の言葉に触れていなかったら、もっと塾は大きくなっていたかもしれない。自分は教えることなく、経営者としての道を歩んでいたかもしれない。ただ、この仕事をするうえでの、喜びも、プライドも持てないままで、生徒の数を競っている自分がいるかもしれない。いつ、誰と出会うか。その時自分が何を感じるか。人生は目に見えるものだけでないところがいい。


心に残った「カス」

2010年12月10日 | 塾・予備校選び

  大学に入ってからも、よく塾に立ち寄ってくれる人もいる。去年の浪人生では、S君だ。ほんわかとした癒し系の性格なので、後輩たちも親しみやすい。学校の帰りにふらっと現れる。後輩とたわいない話をして帰る。ただそれだけだが、気分が和やかになる。本気になって勉強した一年間があるから今がある。心のどこかに、KGが残ってくれているのが、何よりうれしい。

 

 大学に入るために、この予備校にやってきて、必死になって覚えたことでも、1年もすれば、すぐに頭の中から消えてしまう。教えたことなんてそんなものだと思う。ただ、すべて消えてしまっても、心のどこかにこびりついている「カス」のようなもの。それが、何より大切なことだと思う。「思い出」というものではなくて、しっかりと自分の一部を形成しているようなもの。それが、「教育」の本質ではないかと思う。衛星授業やDVDの授業が全盛を極めている。教えることはなるほど、僕よりもはるかにうまいだろう。効率もいいかもしれない。ただ、「カス」がどれだけ身体の一部になっていくか。その分野では、まだまだ戦えると思って今日も生徒の前に立つ。


本 気

2009年05月15日 | 塾・予備校選び

 予備校をやっていく上で、大切なことは、生徒の気持ちを本気にさせること。「適当に勉強して、思っていた大学に合格して…」と思って入ってきた生徒に、力の限り努力することの大切さを身をもって体験してもらうことだ。

 大学の名前だけで就職や、これから先の人生が決まることはないのは昔から当たり前のことだった。しかしながら、一方では就職の際には歴然とした「差別」があるのも事実だ。

 ただ、「本気になってやってみる!」という習慣を身につけることはこれから先の人生でもらならず役にたつ。

 本 気

    本気で すれば

    たいていのことは できる

    本気で すれば

    なんでも 面白い

    本気で していると

    だれかが 助けてくれる

    人間を 幸福にするために

    本気で はたらいているものは

    みんな 幸福で

    みんな えらい

                            後藤 静香 「権威」より

 机の前に貼ってある、この詩を見つめながら仕事をしている。