(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2011年1月17日号 掲載
欧州を彷彿とさせるレンガ色の校舎と石畳の小道。「ハーバードの街」、マサチューセッツ州ケンブリッジには、自由と権威が共存する独特な雰囲気が漂う。
なかでも、ひときわ強烈なオーラを放っているのが、同大学のサンダーズシアターだ。のべ1万4000人が履修した、マイケル?サンデル教授の名講義「正義」の舞台である。サンデル教授は、難解で抽象的な思考を身近な問題に置き換えることで政治哲学への関心をかき立てる手法で広く知られている。
「能力は、多くが生まれ持った条件で決まる。とすれば、マイケル?ジョーダンの高額報酬は正当といえるのか――」
10年11月のある日。スーツに身を包んだ教授がシアターの壇上に軽やかに登場すると、学生の間から拍手がわき起こった。
「アリストテレスは、政治とは、より高邁な理想を追求し、市民にコモングッズ(共通善)を考える機会を与え、意義ある生活を提供することだと論じている。みんなはどう思うだろう。異論のある人、前に出て。マイクを回そう」
教授の講義が、同大学で史上最多の履修生を集めた理由は、こうした学生との対話型の講義形式にあるのだろう。講義のなかでは、賛否両論の議論が取り上げられ、ひとつの結論を押しつけることはない。たとえば、サンデル教授は、功利主義を鋭く批判することで論壇の中心にいた政治哲学者ジョン?ロールズを、功利主義とは異なる「共通善」の概念を用いて再批判し、脚光を浴びた。だが、授業のなかでは、ロールズの唱えたリベラリズム(自由主義)も、サンデル教授の唱えるコミュニタリアニズム(共同体主義)も、公平に論じられる。
今回の取材では、学問上のライバルだったロールズとの親交について、メディアにはじめて口を開いた。いま注目の「サンデル哲学」の原点とは――。
【マイケル?サンデル】まだ20代のころのことだ。英オックスフォード大学大学院の留学から戻り、准教授としてハーバード大にやってきたとき、同大学で長く教鞭を執っていたロールズに初めて出会った。
私は、オックスフォードで、ロールズを厳しく批判する論文を書き、学会の注目を集めていた。その論文は、のちに、私の1冊目の著書『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)にまとめた。
執筆時は、ロールズとの面識はなかった。そこで、私の赴任を知った友人の学者が、ロールズに私のことを一報した。ハーバードに到着して間もなく、研究室の電話が鳴った。受話器を取ると、「ジョン?ロールズですが」という声が耳に飛び込んできた。電話口の男は、「R-A-W-L-S」と、ラストネームのスペルまで読み上げた。もちろん、この私が、彼だと気づかないはずがない。ロールズは、私をランチに誘ってくれた。以来、私たちは、折に触れて意見交換の場を持ち、お互いの主張に耳を傾け合った。
確か2000年前後だったと思う。学期の終わりごろ、「正義」の最終講義を聴講しないかと、ロールズに声をかけた。議論を挑むためではない。彼は、議論好きなタイプではなかった。非常に物腰が柔らかく、静かで、シャイといってもいいくらいの人物だった。とはいえ、講義の最中、われわれは、正義と政治的リベラリズムについて意見を交わし、ロールズも、満足した様子だった。何人かの学生からの質問に丁寧に応え、テキストへのサインまで申し出てくれた。とても楽しいひと時だった。それからしばらくして彼は他界した。私たち2人は、最後まで、いい関係を保っていた。ロールズは、とても優しい人だった。
私が講義で試みるのは、学生に賛否両論を学ぶ機会を与えることだ。
今日の授業では、アリストテレスの政治と法の役割について議論した。ある学生は、「政治は、経済成長ばかりを問題にするのではなく、目指すべき国家のモデルや人間のあり方など、より高い次元の議論をするべきだ」と主張した。聴講生全員に賛否を問うと、45%の学生は、「ノー」を突きつけた。「いや、それは危険だ。政治や法が、個人の人格や徳にかかわると、少数派に多数派のモラルや価値を押し付け、圧政につながりかねない」と。
私個人としては、現代政治は、国内総生産(GDP)や個人消費ばかりに腐心し、より大切なものを忘れているように思う。だが、コースの最終段階まで、それは明かさない。学生たちがさまざまな意見に耳を傾け、議論を重ねていくことが非常に重要だからだ。
続きを読む