FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
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SNS空間のもたらすもの

2017-11-06 13:46:45 | コラム
SNS空間のもたらすもの
 SNS空間のもたらすもの
 SNS空間に入り浸り、現前の存在との交流が不足しているために、奇怪な事件が起きているのが現状である。座間の事件は、特に猟奇的であると思う。しかし、最近を振り返ってみると、程度の差こそあるが、結構考えられない事件が起きている。
 現前にある存在は、私たちの前に現れる対象として存在する。そこに、存在と私の感性が作り出す感覚との緊張関係が生まれることとなる。現前の存在を前に、存在と私が感覚として読みとる存在者の間の緊張関係が生まれるといっても良い。
 多くの人は、現前の存在に対峙して生活しているし、SNSは必要な時だけ利用している。ところが、ほとんどすべての時間をSNSの世界に入り浸りという人生を送っているものがいる。特に、若者に多くなっている。彼らが生まれた時には、もうすでにSNS空間は存在していた。そういうことも原因としてあるだろう。
 このSNSに入り浸りの人たちは、現前の存在への接し方が、「読む、書く」(SNSの持っているコミュニケーションの特性)の世界が中心となり、「見る、話す」の世界の欠落という状況にある。そのことが、緊張関係の欠落となって現れているように私には思われる。しかも、SNSで発信されてくる存在は、断片的な情報と現実に存在しないバーチャルリアリティでいっぱいだ。しかも、相手の存在は目に見えない。それを見えていると勘違いしている。
 彼らは、情報の質の低下、発せられる仮想空間のなかで、感情が歪められている。そのことが考えられない事件を引き起こすことになっている。まるでそこらにあるたんなる物、あるいは仮装空間の中の存在と同一視するような感覚で、実在の対象に接することになる。その結果簡単に人や動物を殺すことになる。あるいは心や体を傷つけることとなる。
 感情の歪みが、たとえば今回の座間の事件だと、「自殺したい。」「私と自殺したい人いませんか。」というようなツイッタとなって発信されることとなる。ツイッター中には、「ばか、あほ、認知症かおまえは。」というような品格を感じないものも結構ある。SNSだけの人生ではないはずのタレント、政治家などのツイッターでさえ、現前の存在に面と向かって、直に言えるような言葉でないものもが見受けられる。そうかと思えうと、バカ丁寧な言葉で、だまして誘い出すことも行われている。たぶん、SNSの特有な空間がそうさせてしまうのであろう。
 よく、「最近の人間の中には、人を人と思わず殺すとか、犬や猫なども簡単に殺すものがいる。」といわれる。そうなるのは、現前の存在に対峙することを積極的にしないためである。彼らはSNSの空間の中だけで、物事を考えているように見える。
 現前の存在との交流の中で、五感を生かすという行動によって、人間の素晴らしさ、我ら地球の仲間の愛らしさ、生命の素晴らしさなどという感情が生まれるのである。現前の存在はそういう力を持っている。居場所を見つけることができる力を持っている。
 私の言っている現前の存在とは、いつも言っているように、人間だけでなく、自然や動植物、芸術、スポーツ、科学、哲学などである。そういう存在に接することが求められていると思う。
 だから、SNSだけにうつつを抜かすのではなく、とにかく、現前の存在に目を向ける機会をふやそうではないか。もちろん、適度なSNSの利用は必要であろうことは当然であるとしてもだ。とにかく、存在に立ち向かい自分の居場所を定めることを考えようではないか。

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 この度、私のエッセイをまとめ、出版することになりました。タイトルは今のところ「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(船場 幸二著・風詠者・1200円(予定)です。一月に発売予定です。その節はよろしくお願いします。書店やアマゾンでも扱うようになると思います。


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