FUNAGENノート

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技術的特異点(シンギュラリティ)のお話をしよう

2017-09-10 13:45:23 | コラム
技術的特異点(シンギュラリティ)のお話をしよう
 今回は、「そろそろ人工知能の真実をはなそう」(ジャン・ガブリエル・ガナシア・伊藤直子・小林重裕訳・解説西垣通・早川書房)を読んで学んだことを述べてみようと思う。
 まずはじめに「技術的特異点(シンギュラリティ)」について、どういう意味かを、ガナシアの話を聞こう。
『情報技術や人工知能に代表される現代のテクノロジーは、制御不能となるほど発展し、人間社会を大混乱に陥らせるかもしれない。いや、情報技術や人工知能だけではない。生物学とナノテクノロジーも、科学や情報技術と連携して、この天変地異的な進化に加わるのだろう。』と述べた後、
『ごく自然に、日々確実に数を増やす機械によってもたらせる。それは、機械は自らを製造し、成長をして、最後はわれわれを飲み込んでしまうのである。それはなんの前触れもなく始まるだろろう。すべてが円滑に進み、後戻りはできない。きっとすぐには理解できないはずだ。事実はだんだんと加速して、ある時突然、暴走が起きる。世界は変わり、人間が変わる。自然も、生活も、意識も、時間さえ、まったく別物になってしまうのだ。この変化こそが、技術的特異点と呼ばれるものである。』
 このようなことを起こることを、信じている人、その中でも楽観的に考えている人、悲観的に考えている人もいるだろう。また、そういことにならないと思っている人もいるだろう。しかし、世の中の様相はもうすでに、強い影響を受けているように思う。この点については、以前のエッセイでもいろいろ取り上げたところである。
 人工知能は、膨大な資料を優れた情報処理を駆使して、知識を得るのだが、次から次と新しい情報が生まれ、そこに限界がないのだから、そう簡単にはいかないだろう。
 それに、人間の行動は、自らが行動する際に、感性が働き、自ら美意識を作り出すはずだ。そんなこと人工知能に求めても限界があろう。人工知能は人間に教えられた理論やルールにのとって行動するわけだから、独立して勝手に自由に意のままに動くとは考えにくい。
 しかも、人工知能は、膨大な情報を処理する力にまかせて結論を導くが、それはあくまでも帰納法的手法を使っているにすぎないので、そこに確実な因果関係をと思っても、そこには限界がある。数学の公式というレベルではないということだ。つまり、そこには蓋然性という性質がつきまとっているのだ。
 ところで、蓋然性とは、ガナシアの言葉を借りれば「絶対に確実というわけではないが、真実と認められるものを持っているので、ある事柄が起こる見込みはかなり高いということである。」天気予報、地震予知、火山爆発予知、発ガン性物質の特定などは、その典型だろう。天気予報に裏切られることは良くあることだ。
 今の時代は人々は何かをしたいかを人工知能が編みだし、満足させたり、欲望を持ったら即座に充足させてくれる。それにわれわれは操られているのだ。おかげに、われわれの時間は、可能性にあふれた時間ではなく、ただそこにはまっすぐな線があるのみになってきている。それをはみ出すことが出来なくなっている。まして、曲線を自在に楽しむことを奪ってしまっているのだ。
 科学者というものは本来ならば、可能性と蓋然性を示し、人々が自分で決めて行動する手助けをするべきだ。何もかも人工知能に任せるような研究に没頭すべきではない。ここまでは機械(人工知能)、ここからは人間ということをもっと考えに入れなければならない。彼らの頭に哲学があるのか倫理観がるのか疑いたくなる。頭にあるのはサイボークを作ることだけらしい。
 一方、企業は強力な情報処理能力を駆使して、消費者のニーズ、消費者の心を知ろうと必死になる。新しい流行を作りだそうとすることに躍起である。
 特にIT大企業は、膨大な情報を手に入れている。それは、国家の公的機関の持つ情報を遙かに越えている。その結果、国家の権威は地に落ちている。それでなくても、グローバル化の波の中で、国家と領土の関係が変わっていく中で、近代の主権国家が受け持っていた役割の中で、いくつかの役割は、ハイテク企業の能力に大きく先を越されている。その範囲は、保安関係、税の徴収、貨幣の管理などの、伝統的に国家に属していた役割にも及ぶ。そればかりでなく、教育、保健、文化、環境に関しても、現実にはその役割の企業への移行が進んでいる。
 ビットコインという仮装通貨の問題は国家の持つ重要な特権であるお金にかかわる特権を圧迫している。グーグルは国土地理院よりも詳しく正確な地図を持っているかもしれない。以前、グーグルで我が家の住所を検索したら、我が家と庭先に寝そべっているゲン(相棒・ラブラドール)がはっきり写っていた。教育分野や医療の分野での企業の果たす役割も増えている。      
 ガナシアは、『人間を最大限に賛美するヒューマニズムは、テクノロジーに支えられたポストヒョーマニズムに座を譲る。疑いはシンギュラリティという名の民間療法薬に追い払われる。自由が消える。こうして未来は消えるのだ。』と言っている。
 AIと言えば、汎用ロボットの開発、付加価値の高い製品の開発とか、あるいは景気を良くするとかの話に終始していていいものかどうか。もう一度、立ち返って、これで良いものなのかを考える必要のあるテーマであろう。