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ブログ的なアレです。

マナーと様式美と思いやり

2007年03月27日 | なんとなくアレなやつ
マナー。

それは持っていなくても困る事はないが、持っているだけで言葉にならない品格や知性などがジワリと滲み出るものである。

そもそもマナーとは、ゲストをもてなすため、さらにはもてなしをしてくれたホストに対する感謝の表現方法の一つである。それは思いやりの精神に則った行動様式であり、その限りでは品格や知性もさることながら、その人が思いやりを持っているかどうかを定めるための一つの基準であると言っても過言ではないだろう。

ところが、今日におけるマナーとは、その様式美ばかりが重要視される傾向にあり、そもそもの思いやりがあるかどうかは別問題になってしまっている。

特に、どこぞの番組で細木数子が、マナー云々で口うるさく言っているのを見ていると、まぁ、言ってる事は間違っていないのかもしれないが、あの厳しい言動の裏に思いやりや優しさが本当にあるのかどうかは疑問だ。
まずはその根底にあるべき「思いやり」を確認した上で、その「思いやり」の表現方法の一つとしての様式美を説明するべきなのではないかと考える。

もう一つ疑問に思っていた事がある。
それは日本人がパスタを食べる際にフォークとスプーンを使っているという事だ。
そもそもの話でいけば、外国でズルズル音をたてながら食べる事が失礼だという認識があるため、その音を最小限に抑えるために、フォークでパスタを絡め、スプーンで掬い、口まで持っていくという様式美が確立されたのだと思う。

しかしながら、数年前にパスタの本場、イタリアに行った際に、パスタにスプーンは一切出てこなかったし、現地のイタリア人の誰もがスプーンを使う気配すらなかった。本場の人たちが失礼だと思っていない事を日本人が進んでやるというのは何ともおかしな話だ。

さらには、日本人は麺を音をたてながら食べる事に美学を求めていたはずだ。
蕎麦にしたって、生粋の江戸っ子は噛まずに飲み込み、まさしくノド越しを楽しむという粋な食べ方をしていた。

それが日本の美なのだ。

だからパスタを音をたてながら食べたって良いじゃないか。
オシャレな高級イタリアンで、ワインをガバガバ呑んで、箸を使って〆パスタを豪快に音をたてながら飲み込んだって良いじゃないか。

スプーンなんて必要ない!






そんな事を思ったんですよね。
コンビニで買ったパスタにスプーンが付いていた時に。



コンビニのパスタにスプーンはいらねーだろ。

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