最近すごく思っていることがある
社会貢献をして楽しみたいと。
一般的に仕事をこなして対価を頂くということは一種の社会貢献なのかもしれない。
俺も一端の社会人として仕事をしてお客様に喜んでいただける綺麗な仕事をしているつもりだが、それはそれとしておいて、
もう少しこう、もっと深く喜んでもらい、感動してもらえる社会貢献をしたいと思っているのだ。
そこには対価や見返りなどもあまり期待がなく、限りなく無償に近いものかもしれない。多分。
そしてその社会貢献とは札幌と関連した社会貢献でなければ俺にとって意味が無いのだ
心の底から生まれ故郷である札幌が大嫌いで、札幌が嫌いな個性と情熱に絶対の自信を持っていて、こんな札幌社会にリベンジしたくてしょうがないのが私である。
そう、その札幌社会へのリベンジは社会貢献かなーと思うようになってきたのだ。
行き着く先は社会貢献なのかなーと思うようになってきたのだ。
もちろん札幌を良くするために何かをしたいとかは1ミリたりとも思わないのだが、
札幌が嫌いだから出来てしまう社会貢献というのを無償にしたいなというのが今の私である。
そう、本当に札幌が嫌いじゃないと出来ないこと、札幌が嫌いな俺じゃないと出来ないことというのがあるなと思ってきたのだ。
札幌嫌いに無限の可能性を感じてしょうがない
社会貢献をして楽しみたいと。
一般的に仕事をこなして対価を頂くということは一種の社会貢献なのかもしれない。
俺も一端の社会人として仕事をしてお客様に喜んでいただける綺麗な仕事をしているつもりだが、それはそれとしておいて、
もう少しこう、もっと深く喜んでもらい、感動してもらえる社会貢献をしたいと思っているのだ。
そこには対価や見返りなどもあまり期待がなく、限りなく無償に近いものかもしれない。多分。
そしてその社会貢献とは札幌と関連した社会貢献でなければ俺にとって意味が無いのだ
心の底から生まれ故郷である札幌が大嫌いで、札幌が嫌いな個性と情熱に絶対の自信を持っていて、こんな札幌社会にリベンジしたくてしょうがないのが私である。
そう、その札幌社会へのリベンジは社会貢献かなーと思うようになってきたのだ。
行き着く先は社会貢献なのかなーと思うようになってきたのだ。
もちろん札幌を良くするために何かをしたいとかは1ミリたりとも思わないのだが、
札幌が嫌いだから出来てしまう社会貢献というのを無償にしたいなというのが今の私である。
そう、本当に札幌が嫌いじゃないと出来ないこと、札幌が嫌いな俺じゃないと出来ないことというのがあるなと思ってきたのだ。
札幌嫌いに無限の可能性を感じてしょうがない