★【 ▼真のキリスト教766 主は凡ての人のもとに現存されている。そしてご自分を受け入れるよう強く望まれ促しておられる。「夜明け」と呼ばれる主の最初のご到来は人が主を受け入れるとき、すなわち主を自分の神、創造者、贖罪者、救い主として認めるときになされる。
次いで理性においてその人の霊的な事柄が照示され、知恵は増大しはじめる。この知恵を主から受けるにつれて朝を経て昼へと進んで行く。
この昼はその人と共に老年、さらに死に至るまでも継続し、死後は主ご自身によって天界へ上げられる。たとえ年老いて死亡したにしても天界では生命の朝に復帰し、その人が自然界で最初に導き入れられた知恵は永遠に進展して行く。
▼天界の秘義3016 人間の生命は、幼少期から老年にいたるまでも、この世から天界へ進んで行くこと以外の何ものでもなく、死はその移行そのものである。
▼黙示録講解659:1 「埋葬されること」は聖言では目覚めること又は復活することを意味する。それは人間は死んで葬られるとき彼は目覚める、又は永遠の生命によみがえるためである。何故なら人間は死後、この世で生きていた時と同様に生き続けるが、自然界で人間に役立った物質的な身体を脱ぎ去り、霊的な身体の中でその生命を生き続けるからである。それゆえ埋葬は、彼が自然界で持ち回った言わば抜け殻を捨て去ることでしかない。
▼天界と地獄447 甦りは、霊が肉体から引き出されることと、その霊が霊界に入ることとを意味し、これは普通、復活と呼ばれている。心臓の運動が停止するまでは霊が肉体から分離されないのは、心臓は人間の生命そのものである愛の情動に相応するからである。
▼天界の秘義10591 人間は その内なるものに関しては、死ぬことが出来ないように創造されている。というのは、人間は神を信じ、また神を愛することができ、こうして、信仰と愛とで神と結合され得るからであり、そして、神に結合されることは永遠に生きることであるからである。
▼天界の秘義10592 この内なるものは生まれてきた人間の誰にも存在する。人間の外なるものは、この内なるものに属した信仰と愛とを実現させるための手段的存在である。この内なるものは「霊魂」と呼ばれるのに対して、外なるものは「身体」と呼ばれる。
▼天界の秘義2049:4 人間がその身体の生命の間に、仁愛の生活を…すなわち相互愛を何ら持たなかったときは、他生でそれを受けることは全く不可能である。それは彼らがそれに反感を持ち、憎んでいるためである。なぜなら人間は死後も地上で送ったと同じ生活が続くので、そのような人たちが相互愛の生活をもつ社会に単に近づくだけで、震え、戦慄し、責め苦を感じるからである。
▼天界の秘義2449 他生に入ってくる者はすべてその者たちが肉体にあって送っていた生活に類似した生活へ再び導き入れられる。そして善にある者は、善と真理によって主により天界にあげられるために、悪と虚偽とが分離される。しかし悪にある者では、善と真理とが分離されて、地獄へ連れ去られるのである。
▼天界と地獄463 人が考え、意志し、語り、行なったりする全ての最小のことも、彼の内的または霊的記憶に銘記され、決して消し去られない。そして霊はこのように、本人が考え、意志し、行動したことに一致して形成されるのである。
▼天界と地獄205 天界にいるすべての者には、霊的な親戚感関係がある。同じような善と真理にある天使たちは、この世の血族親戚のように、あるいはまるで幼い頃から知り合っていたように、互いに認め合うのである。
▼天界の秘義3815 天界では類似した善の中にいないかぎり、父は息子をまたは娘を認めはしないし、兄弟も兄弟または姉妹をも認めはしないし、夫さえも妻を認めはしないのである。かれらは最初他生に入って来ると実際会うには会うが、間もなく離れてしまうのである。なぜなら、善そのもの又は愛と仁愛とが各人をその人自身の社会へ決定づけ、振り分けるからである。
▼天界の秘義7181 自分の中に天界が有るか又は地獄が有るか、を知ることにまさって人間に必要なことはない。何故なら、人間は永遠にそのいずれかの中に生きなくてはならないからである。】
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「現世においては 地獄の影響を多々受けても、
善に生きる励みを継続する限り
なんぴとにも 天界への道は開かれている」
ということである。
スウェデンボルグの著作から
ごく一部ではありますが
「人間生命の永遠性」に関連する箇所を
掲載させて頂きました。k
次いで理性においてその人の霊的な事柄が照示され、知恵は増大しはじめる。この知恵を主から受けるにつれて朝を経て昼へと進んで行く。
この昼はその人と共に老年、さらに死に至るまでも継続し、死後は主ご自身によって天界へ上げられる。たとえ年老いて死亡したにしても天界では生命の朝に復帰し、その人が自然界で最初に導き入れられた知恵は永遠に進展して行く。
▼天界の秘義3016 人間の生命は、幼少期から老年にいたるまでも、この世から天界へ進んで行くこと以外の何ものでもなく、死はその移行そのものである。
▼黙示録講解659:1 「埋葬されること」は聖言では目覚めること又は復活することを意味する。それは人間は死んで葬られるとき彼は目覚める、又は永遠の生命によみがえるためである。何故なら人間は死後、この世で生きていた時と同様に生き続けるが、自然界で人間に役立った物質的な身体を脱ぎ去り、霊的な身体の中でその生命を生き続けるからである。それゆえ埋葬は、彼が自然界で持ち回った言わば抜け殻を捨て去ることでしかない。
▼天界と地獄447 甦りは、霊が肉体から引き出されることと、その霊が霊界に入ることとを意味し、これは普通、復活と呼ばれている。心臓の運動が停止するまでは霊が肉体から分離されないのは、心臓は人間の生命そのものである愛の情動に相応するからである。
▼天界の秘義10591 人間は その内なるものに関しては、死ぬことが出来ないように創造されている。というのは、人間は神を信じ、また神を愛することができ、こうして、信仰と愛とで神と結合され得るからであり、そして、神に結合されることは永遠に生きることであるからである。
▼天界の秘義10592 この内なるものは生まれてきた人間の誰にも存在する。人間の外なるものは、この内なるものに属した信仰と愛とを実現させるための手段的存在である。この内なるものは「霊魂」と呼ばれるのに対して、外なるものは「身体」と呼ばれる。
▼天界の秘義2049:4 人間がその身体の生命の間に、仁愛の生活を…すなわち相互愛を何ら持たなかったときは、他生でそれを受けることは全く不可能である。それは彼らがそれに反感を持ち、憎んでいるためである。なぜなら人間は死後も地上で送ったと同じ生活が続くので、そのような人たちが相互愛の生活をもつ社会に単に近づくだけで、震え、戦慄し、責め苦を感じるからである。
▼天界の秘義2449 他生に入ってくる者はすべてその者たちが肉体にあって送っていた生活に類似した生活へ再び導き入れられる。そして善にある者は、善と真理によって主により天界にあげられるために、悪と虚偽とが分離される。しかし悪にある者では、善と真理とが分離されて、地獄へ連れ去られるのである。
▼天界と地獄463 人が考え、意志し、語り、行なったりする全ての最小のことも、彼の内的または霊的記憶に銘記され、決して消し去られない。そして霊はこのように、本人が考え、意志し、行動したことに一致して形成されるのである。
▼天界と地獄205 天界にいるすべての者には、霊的な親戚感関係がある。同じような善と真理にある天使たちは、この世の血族親戚のように、あるいはまるで幼い頃から知り合っていたように、互いに認め合うのである。
▼天界の秘義3815 天界では類似した善の中にいないかぎり、父は息子をまたは娘を認めはしないし、兄弟も兄弟または姉妹をも認めはしないし、夫さえも妻を認めはしないのである。かれらは最初他生に入って来ると実際会うには会うが、間もなく離れてしまうのである。なぜなら、善そのもの又は愛と仁愛とが各人をその人自身の社会へ決定づけ、振り分けるからである。
▼天界の秘義7181 自分の中に天界が有るか又は地獄が有るか、を知ることにまさって人間に必要なことはない。何故なら、人間は永遠にそのいずれかの中に生きなくてはならないからである。】
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「現世においては 地獄の影響を多々受けても、
善に生きる励みを継続する限り
なんぴとにも 天界への道は開かれている」
ということである。
スウェデンボルグの著作から
ごく一部ではありますが
「人間生命の永遠性」に関連する箇所を
掲載させて頂きました。k