傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第四編下

2017-02-21 05:05:09 | 金毘羅舩利生纜
かくて浄蔵師弟はその夜ある草の家に宿りしに、主の女房で鞍掛(くらかけ)の刀自(とじ)と言う者が浄蔵の馬を見て、「こは、いずれの所より盗み来たるや」と言うと岩裂は怒って、「いかでかは盗み来つべき。何を見とめてしか言うや」と問い返されて、
「さればとよ。御身の従馬(じゅうめ)なら鞍鐙(くらあぶみ)があるべきに、これはさもなき裸馬なり。よってわらわは盗み物ならんと推量するなり」と言うと浄蔵は微笑んで、しか思われるは理(ことわり)ながら此の馬は斯様斯様と愁鷹の谷川で馬を龍に呑まれた事、また観世音の利益によってこの馬を得たれども、先に馬具さえ呑まれればこの馬に馬具なき事は斯様斯様と説き示すと鞍掛は聞いて大きに驚き、
「さては聖は多く得難き名僧にこそおわすなれ。わらわが夫は馬を好んで良き馬を多く持ったが、世を去ってより家は衰え寡婦(やもめ)暮らしとなれば、馬とてなけれども秘蔵の馬具がはべるなり。結縁のために参らすべし」と言いつつやがて鞍鐙▲一式を取り出して皆浄蔵に贈れば、浄蔵も岩裂も喜ぶこと大方ならず、その馬具を馬に掛ければ、鞍掛は甲斐甲斐しく浄蔵師弟をもてなして、馬には馬草をかいにけり。かくて師弟は道の疲れにその夜の明けるを知らざりしが烏の声に驚かされてひとしく覚めて辺りを見ると昨夜泊まった家はあらず、朽ち傾いた堂の内にその夜を明かせしなりければ、浄蔵はことに驚き、本尊を見奉るにこれすなわち馬頭観音で方辺の柱に大慈大悲の方便で当所に収めある所の馬具一領を浄蔵法師にたまうものなりと書き付けあれば、
「□は主の女房は観世音の化身なりけり。こはありがたや、尊や」と感涙すこうに及びつつ、身を投げ伏して本尊をしばらく拝み奉れば、岩裂もまた驚いて、今に始めぬ観音菩薩の利益を深く感じける。
○かくて岩裂は浄蔵法師を馬に乗せ、また行くとも行く程にある日観音院という額を打った大寺のほとりに来にけり。浄蔵はこれを見て喜んで言うには
「我は日の本を発ちし日より堂に会うては堂を祓(はら)い、寺に会うては仏を拝み奉らんと誓いしが、両界山を越えてより初めてかかる大寺を見たり。いざ本尊を拝まん」と本堂に赴きつつしばらく祈念をこらすと、寺男が立ち出て七つの鐘を突きにけり。その時岩裂は堂のほとりにたたずんで浄蔵を待つ程に、一人退屈に耐えざれば鐘突き堂によじ登り、しきりに鐘を突き鳴らせば、一山の宗徒は驚いて、皆本堂にぞ集まりける。
そもそもこの観音は七堂伽藍(しちどうがらん)の大寺で二百七十余人の法師あり。住持(住職)は廣念(こうねん)上人(しょうねん)と呼ばれ、今年二百三十歳になりぬ。その時法師ばら(ども)は岩裂を見て再び驚き、事の由を尋ねると浄蔵は斯様斯様と渡天の由を告げ知らせ、その夜の宿を求めるに廣念上人はこれを聞いて早く客殿に招き入れ、浄蔵、岩裂に茶をすすめ、菓子をすすめてもてなすと、その器物(うつわもの)は得も言われず皆珍しき細工なれば、浄蔵はしきりにこれを誉めるのを廣念上人は聞きあえず、
「そは誉めらるべき物にはあらず。伝え聞くに日本には萬の宝が多いとなん。携えたる宝物があるならば、見ま欲しくこそ候」と言うと浄蔵は頭を撫でて、「長き旅寝の事なれば、携えたるものは候わず」と言えば岩裂が進み出て、「我が師はなどて隠したまうぞ。旅包みに入れられたあの金襴の袈裟を取り出して見せたまえ」と言うのを浄蔵は押しとどめ、
「ことわざに言う事あり。得難き宝を欲深き人に示せば災いあり、人の心も知らずしてそぞろなること言うべからず」と忍びやかに戒めるとは知らずして、廣念上人は「袈裟衣はそれがしも年頃多く所持したり、取り出して見せ奉らん。まず見たまえ」と色々の錦の袈裟を四五十くだりを衣桁(いこう)に掛けて誇り顔に見せれば、岩裂はあざ笑い、「かばかりの袈裟は見るに足らず、我が師の袈裟を見たまえ」と浄蔵法師の止めるを聞かぬふりして取り出す袈裟は上無き▲宝にて、これなん如来の賜物なれば世にまた類あることなく、辺り輝くばかりで廣念上人、法師ばらは見とれてしばし呆然なり。その時廣念は涙を拭って浄蔵法師に言いけるは、
「それがしらは幸いにしてかかる尊き仏の袈裟を見る事を得たれども、早夕暮れに及びし故に老眼の悲しさは、これを定かに拝むに由なし。今宵一夜さ貸したまえ。明日の朝とくと見てそのまま返し奉らん」と言うと浄蔵は困り果て、黙然として答えをせず、岩裂はこれを聞いて、
「住持の懇望を黙(もだ)し難し。貸しても何ほどの事あらんや。明日の朝は相違なく返したまえ」と後(ご)を押して、その袈裟を貸しにければ、廣念は大きに喜んで、袈裟を戴いて急いで早方丈へ退きける。浄蔵法師は此の体たらくに岩裂をいたく恨んで、
「人の心も知らずして由なや袈裟を見せびらかし、例え一夜の約束なりとも彼返さずばいかにせん。うかうかと貸すことやあるか。誠に烏呼の痴れ者なり。もし間違いの事あらば後悔そこにたちがたし」と繰り返しつぶやくを岩裂は聞きあえず、
「さのみは思い過ごしたまうな。彼、何ほどの事をかすべき。只それがしに任せて明日まで待たせたまいね」と言い慰めて、なかなかに騒ぐ気色はなかりけり。
○さる程に住持廣念はその袈裟を借り受けて、見れば見るまま欲しければ、浄蔵法師が察せしごとく大悪心を起こしつつ腹心の法師ばらを方丈へ招き集めて、その袈裟を奪い取るべき謀り事を問えば、廣謀(こうぼう)と言う弟子坊主が進み出て言うは、
「もしこの袈裟を寺にとどめて彼に返さじと思いたまわば、得心ずくでは叶うべからず。今宵客殿に忍び寄り、あの旅僧を殺したまえ。これより他に手短なる了見なし」とすすめける。その時、また廣智という僧が進み出て、
「その謀り事は良しといえども、あの面赤く鼻の高き一人は手強かるべし。漏らせば毛を吹いて瑕(きず)を求める後悔なしと言うべからず、所詮客殿に火をかけて、両人ともに焼き殺せば後腹(あとばら)病めず祟りもあらじ。この義はいかが」とささやけば廣念しきりにうなずいて、「そは究竟(くっきょう)の計略なり。よく計らって仕損ずな」と言うと廣智は心得て、廣謀と諸共に寺男らを語らいつつ、その夜人静まってから幾輪(いくわ)ともなき柴焼き草を客殿の出口出口におびただしく積み重ね、火をかけんとぞしたりける。
○この時岩裂は未だ眠らずに、何とやらん外の方に人の足音が聞こえれば、こはただ事にあらじとて、身を小さき虫に変じて明かり窓の格子の隙より立ちいでて密かに見ると、果たして二人の悪僧らが焼き草を積み重ねて焼き殺さんと企るなり。岩裂はこれを見すまして
「・・・・・我が師が▲推量せられし如く、袈裟欲しさに彼奴らは我々師弟を焼き殺さんと巧む事の愚かさよ。詮術あり」と心にうなづき、例の法術で火を司る天津神(あまつかみ)の廣日天(こうじつてん)を招き寄せ、
「斯様斯様の事あれば、客殿と方丈とただ此の二カ所を残し置き、この寺を皆焼くべし。この義を心得候え」と言うと廣日は頭をかいて、
「それがしは火を司れども日の神の仰せなくては、私(わたくし)には焼き難し。かかる事はまず火の神が折々するものなれば、あの禍津日(まがつひ)と示し合わせてともかくも仕らん。風は神尊が起こさせたまえといそがわしく答えつつ、そのまま早く退いて事の用意をしたりける。
○さる程に岩裂は白雲に乗り客殿のほとりにあり。既に廣智、廣謀らは柴を積んで用意し急いで退く時に、岩裂がすかさず風尊の秘文を唱えれば、大風さっと吹き起こり、その柴を吹き飛ばせば、その火は本堂に燃え移り、炎四方に散乱すれば哀れむべし、経蔵、輪蔵(りんぞう)、庫裏(くり)、所化寮(しょけりょう)、甍(いらか)を並べし七堂伽藍にたちまち煙が立ち上り、わずかにつつがなき物は客殿と方丈のみ。此の二所は離れ家で、かつ岩裂が指図によって廣日天王が守れば、猛火(みょうか)を逃れて現前(げんぜん)たり。されば観音院の法師どもは毛を吹いて瑕を求めた火難に慌てふためき、水を汲み炎を防ぎ働く者も少なからねど、禍津火(まがつひ)の神がなす業なればいかでかは逃れるべき、煙にむせび身を焼かれ半死半生の者は十人にして五人に及べり。その中に悪僧廣智、廣謀は早くも煙に取り巻かれ燻(ふすぼ)り返って死んでけり。さればまたこの寺より二十里ばかりあなたなる黒風山(こくふうさん)という山に黒風大王という曲者あり。黒風洞に城を構えて数多の手下を集めつつ年頃観音院の住持廣念と交わって、ちとの仙術を伝えれば廣念は深く信用して二百三十の齢(よわい)を保ちぬ。しかるにその黒風はこの夜観音院の辺りに火が燃え上がるのを見て大きに驚き、自ら行って火を消さんと手下の妖族を従えつつ雲に乗って来てみれば、客殿の屋根のほとりにいと怪しき修験者あって、しきりに風を呼べども方丈はつつがもなければ、住持の安否を問わんと一人方丈に進み入ると、そこらに人はおらずして辺りも輝く金襴の袈裟一ト下りあれば、手に取り上げてつらつら見ると如来の御袈裟なれば、大方ならず喜んで火を消さんとする心もなく、その袈裟を奪い取り、更に手下を従えつつ再び雲にうち乗って黒風山に帰りしを知る者絶えてなかりけり。▲
かくてその明け方に火はようやく鎮まりしを浄蔵法師は知らずして起き出て、大きに驚き事の由を尋ねれば岩裂はありし趣(おもむき)は斯様斯様と告げ知らせると浄蔵は再び驚き、
「汝、またいかなれば風を起こし火を起こしてこの寺を焼きたるぞ。真に言語道断の悪行なり」と罵るを岩裂は騒がず微笑んで、
「それがしは此の寺を焼くべしと思わぬに、彼奴らかえって我々を焼き殺さんとしたるによって、たちまち寺を焼かれしなり。こはその悪の報いなれば、さのみは憤(むつか)りたまうべからず。いざ方丈へ赴いて貸した袈裟を取り返えさん」と言うと浄蔵はうなずいて、連れ立って行く時に、住持の廣念上人は廣智、廣謀らが仕損じて客殿を焼かず、かえって寺を焼き失って、その身も焼け死んだ由を伝え聞いて大きに驚き、またあの袈裟を尋ねると、早何者かが盗み取り行方も知らずなりにけるに浄蔵、岩裂らはつつがもなくて客殿を起き出て袈裟を求めて催促すと法師ばらが告げると、面目なくや思いけん、長押(なげし)に布を投げ掛けて、たちまちくびれて死んでけり。かかる所に岩裂は住持法師諸共に方丈に赴いて袈裟を返せとわめくと、法師ばらはおののき恐れて袈裟が紛失した事、またあの悪事を目論見た廣智、廣謀は焼け死んで住持はくびれ死したる由をあからさまに告げ知らせ、死骸を見せて詫びれども岩裂はなお疑って、一山の法師ばら、寺男まで呼び集め厳しく詮議したけれど、袈裟の行方が知れざれば浄蔵は恨み憤り、またあの秘文を唱えれば岩裂は七転八倒して、「あら苦しや頭が割れる。それがしが袈裟を取り戻すべし。行かせたまえ」と叫ぶと浄蔵は秘文の唱えをやめて、さぁ取り戻せと催促す。その時岩裂は身を起こして法師ばらに向かい、「いかにこの寺の近きほとりに怪しき者は住まざるや」と問えば皆々、
「さん候。これより二十里隔たって黒風山と言う山に黒風大王と言う者あり。よく仙術を得て、空を飛行し、数多の手下を従えたり。我が住持の廣念はその黒風と交わって行き通い候」と言うと岩裂はうなずいて、
「□は袈裟はその魔王めが盗み取りしに疑いなし。この廣念はさる妖怪と近頃深く交わりたるにて悪僧なりとは知られたり。我、今その山に赴いてその魔王をうち殺し、袈裟を取り返して来たらんに、汝らは我が師の坊をなおざりならず饗応し、我が返るを待ちていよ。もしその袈裟の行方が知れずば汝ら始め此の寺の人種を絶やすべし。心得たるか」と説き示せば、皆々一義に及ばずして浄蔵、岩裂に席をすすめ、また様々に機嫌を取って、厚くうやまいもてなしけり。▲
さる程に岩裂は早くも雲に乗り黒風山に赴いてその山中をうかがうと、岩を組んで台(うてな)としたその中央に魔王はいたり。その身の黒きこと漆(うるし)を塗るが如く、筋骨太く力士めいて、真に希有の曲者なり。かかる所に大禄仙人(たいろくせんにん)と名乗る者が白花仙女と言う者と連れ立って来れば、黒風はこれを出迎えて、
「只今これより遣いをもって申し入れんと思いしが揃っての来臨はいと喜ばしくこそ候へ。それがしは昨夜観音院に赴いて図らずも如来の袈裟を得たり。□明後日(あさて)は例の如くにそれがしの誕生日に候えば、寿のむしろを開き、続いてまたその次の日は此の袈裟を披露して仏衣会(ぶつえかい)を催すべし。両日共に来臨あれ。待ち奉る」と言えば、大禄、白花女は喜んで、「そはいと目出度き会合なり。必ず推参仕り、御席を汚すべき。あな目出度し」と寿いて歓談数刻に及びけり。岩裂はこれを聞きすまし、大盗人ども動くなと声をかけつつ金砕棒を引き伸ばし、振って既に打たんと進むになん、思い掛けなき事なればその妖怪らは驚き迷いて周章(しゅうしょう)大方ならざりけり。その時黒風は身構えて、何者なれば理不尽に無礼をなすぞと罵れば、岩裂は眼を怒らし、「汝は知らずや。我が師の坊は日本国の大名僧。勅命を受けての渡天の道中。我はその弟子にして天上天下に隠れ無き威如神尊岩裂の迦毘羅坊なるを知らざるや。汝は我が師の袈裟を盗んで仏衣会を催す事まで今つまびらかに聞き知ったり。覚悟をせよ」と息巻き猛く打つを早くも引き外す、黒風と大禄は煙の如く消え失せたり。続いて逃げんとするあの白花女を岩裂が躍りかかって丁と打つ、拳の冴えにしばしもたまらずあっと叫んだ声ともに頭を二つにうち割られ仰け反り倒れて死したるを岩裂が再びよく見れば、白き蟒蛇(うわばみ)の化けたるにて、その本体を現しけり。岩裂はこの体たらくにからからと笑い、
「この者がかくの如くなれば、残る二人の曲者らも幾年(いくとせ)か経る獣の化けたるにあらんずらん。行方は既に見とめたり。イデ追っかけて我が師の袈裟を取り戻さん」と一足出して後を慕うて追うて行く。▲岩裂がまたたく間になお山深く分け入ると大きな石門あって、緑林黒風洞という大字の額を掛けてあり、ここなりけりとうなずいて割れるばかりにうち叩き、「似非(えせ)魔王め、袈裟を返せ返せ」と呼び張れば、黒風の手下の妖怪が狭間の陰より覗き見て驚き騒いで奥へ赴き、事しかじかと告げれば黒風は聞いてあざ笑い、「しやつ何ほどの事かあらん。いでうち殺してくれんず」といそがわしく身を固め、長き鉾を引き下げて手の者引き連れ石門を押し開かせて現れ出て、
「あな鼻高の蟹守めが。我が昨夜観音院にて火を救わんとしつる時、拾い得たあの袈裟を汝に返すことやせん。これでもくらえ」と罵って鉾取り直して突かんとすれば、岩裂は怒ってちっとも疑義せず、金砕棒をうち振って踏み込んで戦うこと半時余りに及べば、黒風は力衰えて叶わじと思いけん、黒風洞に逃げ籠もり門を閉ざしていで合わず、岩裂は押し続いて攻め討たんと思えども日は早西に傾いて、師の坊の事が心許なければ再び雲にうち乗って観音院に立ち帰り袈裟の行方が知れた事、かつ黒風らの事の由を浄蔵法師に告げれば、観音院の法師ばらもこれを聞いて大きに喜び、「袈裟の在処(ありか)が知れたれば疑い解けて明かりは立ちぬ。我々の露の命につつがはあらじ」と喜ぶと岩裂はきっとにらみつけ、「袈裟の在処が知れたとて未だ我が手に入らざれば、汝らがいかで安穏なるべき。戯言(たわごと)を言わずとよくよく我が師をもてなさずや」と噛みつく如くに叱られて皆々慌てふためいて、早夕膳の用意をしつつ浄蔵法師と岩裂に進めて厚くもてなしけり。
かくてその明けの朝、岩裂は観音院の法師ばらに我が師の坊をもてなせと早朝飯も果てれば、今日は必ずあの袈裟を取り返さんと寺を発ち出て黒風山を指して行く時に、あの山の麓にて黒風の手下の妖怪が状箱を携えて使いに行くとおぼしきがこなたを指して来にければ、岩裂は早くも耳に挟みし金砕棒を引き伸ばし、ただ一ト打ちに打ち殺し、その状を開いて見るに、是黒風が観音院の住持廣念に送る一通で、それがし先に釈尊の袈裟を得たれば明後日に仏衣会(ぶつえかい)を催し候。当日ひとえに来臨あれ。待ちまち奉ると書き記して子路再拝(しろさいはい)廣念上人と名宛あり。岩裂はとくとこれを見て、
「あの黒風めは何者が化けたるにやと思いしが自ら子路と称すれば年ふる熊の化けたるなり。我、今廣念となって彼処に赴き、黒風めをたばかって術良く袈裟を取り返さん。さは」とてやがて身を変じ、あの老僧となりすまし黒風洞に赴いて石門をうち叩き「観音院の廣念来たれり。ここ開けたまえ」と音なえば門番の妖怪は奥に至ってしかじかと言い継ぐに、黒風は聞いて眉をひそめ、
「・・・・・そはいぶかしき事ぞかし、彼処へ使わせし我が使いが未だ行き着く頃にはあらず。かつ仏衣会は明後日なるに、如何にして廣念が思い違えて只今来べき。これには様子のある事ならんにあの袈裟は秘め置いて今日は見せぬにますことあらじ」と思案をしつつ出迎えて、
「上人、先に使わした使いには会いたまわずや。招き申しは明後日なるに、只今の来臨は心得難し」となじり問えば岩裂は答えて、
「さればとよ、使わされた使いには折良く道で行き会うたり。久々疎遠に過ぎたれば安否を問わんと思いつつそれとは知らず来つる折に▲たまわりし書状より、早くその袈裟を見たく欲しさに道を急いで参りしなり」と言うと黒風はあざ笑い、「その袈裟はそこの寺にて拾い得たる物なれば、上人もよく見られしならん」となじれば岩裂は微笑んで、
「見る事は見たれども、黄昏時のことなれば未だしかとは見ざりしなり。さぁ取り出して見せたまえ」とまことしやかに欺(あざむ)く折から手下の妖怪が走り来て、
「大王、大変いできたり。先に観音院へ使わされた使いの者はこの山の麓であの岩裂にうち殺されて御状を奪い取られたり。必ず御油断なされるな」と告げるに驚く黒風はいそがわしく立ち上がり、長押にかけた鉾取り早く小脇に脇挟めば、岩裂は謀り事が現れしを見てちっとも騒がず元の形を現して金砕棒を引き伸ばし、打つを支える黒風は黒雲に乗って表の方へ立ち出ると岩裂はすかさず追っかけて石門のあなたにて丁々発止と戦うたり。
既に黒風は次第に拳も衰えて、敵し難く思いしかば、洞(ほら)の内に逃げ籠もり門戸を閉じて出て合わず、岩裂は詮方なきに無念ながらもそのままに観音院へ立ち帰り、事の赴きを告げれば、浄蔵はいよいよ憂いもだえて、
「これ皆、汝の過ちで始め漫(そぞろ)ろにあの袈裟を見せびらかせしに事起これり。速やかに取り返さずば、またあの秘文を唱えんず」と言うと岩裂は驚き慌てて
「秘文はしばらく許したまえ。つらつら物を案ずるに、この寺は観世音の憩い所の別院なるに、妖怪変化と交わる悪僧を住持せしめ、この災いに及ぶ事、あの菩薩もまた手抜かりあり。それがしは南海へ走り行き、観世音に由を告げ、あの黒風を滅ぼして袈裟を必ず持ち来るべし。南海は遙かなれども神通で往来すれば明日は吉相あるべきなり。しばらく待たせたまえ」とたちまち雲にうち乗って南を指して飛び行きけり。
○さればまた岩裂は南海で観世音に見参し、廣念ならびに黒風の事の趣を斯様斯様と告げ奉り、
「菩薩、いかなれば休息所のあの寺にあの悪僧を住持として袈裟を盗ませたまいたる。かくても仏と言われるや」と言えば観音は笑わせたまいて、
「この痴れ者の舌の長さよ。人の心も知らずしてあの袈裟を見せびらかし、あまつさえ我が別院のあの寺を焼き失いしは此の上もなき汝の罪なり。しかるに我を咎めるはこれいかなる道理ぞや」と苦々し気に宣うと、岩裂は観世音の過去未来をよく知りたまう妙智力に舌を巻いて、
「それがし実に誤ったり。あの袈裟を取り返すために日を過ごす時は▲師の坊が怒って菩薩が教えた秘文を唱えられるなり。願わくばそれがしを助けて黒風を退治せしめたまえかし」と乞い願えば、観世音は受けひきたまいて、その夜は岩裂を竹林の元にとどめ、明けの朝未だきより岩裂諸共に雲に乗りまたたく間に黒風山に近づきたまう。かかる所に一人の仙人が水晶の台に乗せた薬籠(やくろう)を捧げ持って黒風山の方へ行く姿あり。岩裂はこれを見て、雲の上より飛び降りて金砕棒を引き伸ばし、や声をかけてその仙人を只一トうちに打ち殺す。観音はこれを御覧じて、「こは岩裂、何事ぞ。さしたる咎もなき者を打ち殺すことやはある。まだ悪行を止めずや」と叱りたまえば、岩裂はからからと笑って、
「菩薩は知ろしめされぬならん。こやつは黒風の友達で大禄と名乗れる者なり。この仙丹(せんたん)を携えて黒風山へ赴くは今日黒風の誕生日に招かれし故なるべし。よく見たまえ」と言うと、うち倒された大禄は元の姿を現して馬よりもなお大きな鹿となって死んでける。その時岩裂は小首を傾け、「それがしに今謀り事あり。力を費やす事なくて黒風を退治すべし。菩薩、従いたまわんや」と言うと観音はうなずいて、その謀り事を問えば岩裂は答えて、
「これ見たまえ。大禄めがもたらしたる丸薬は二粒(にりゅう)あり。それがしがこのうちの一つの丸薬に身を変じて薬籠の内にあるべし。菩薩はまた大禄に身を変じて元の如くに薬を携え黒風洞に赴いて斯様斯様に謀りたまえ。その丸薬には大小あり、大きなるはそれがしが変じたる物なれば是をもて目印とすべし。この義はいかが」と囁けば観音は微笑えんで、「岩裂、いみじく謀りにけり。さは」とてやがて身をひるがえし、その大禄に変じたまえば、岩裂は一粒の丸薬を摘み捨てて、その身を丸薬に変じつつ早くも薬籠の内にあり。
かくて観世音はその薬籠を捧げ持ち、黒風洞に赴いて、友人大禄に不老の仙丹を呈上(ていじょう)して黒風大王の誕しんを寿き奉ると言えば、黒風はやがて出迎えて、設けの席にいざなうと観世音はうやうやしくその丸薬をおしすすめ、「これはそれがしが此の月頃に製法した薬なり。大王、一粒きこしめし齢を延ばしたまえかし」と言うと黒風は受けいただいて、「かく有り難き仙薬をそれがし一人が飲むべからず。貴老も共に用いたまえ」と譲れば観音は心を得て、小さき方の丸薬を摘み取り飲めば、黒風も残る一つを摘み取って飲む時に、岩裂は黒風の腹の内にて姿を現し、
「大盗人(おおぬすびと)め、思い知れ。只今袈裟を返さねば五臓をつかみ破るべし。如何に如何に」と呼ぶと黒風は七転八倒して、「あら苦しや耐え難や。只今袈裟を返すべし。許せ、許せ」と叫ぶと岩裂は黒風の鼻の穴より飛び出けり。その時に観世音も真の姿を現して、
「如何に黒風。仏法▲微妙(みみょう)の尊き事をただ今思い知ったるや。志を改めて真の道へ入らんとならば汝の命を助くべし。如何にぞや」と責めれば黒風は我慢の角折れて血の涙を流しつつ観世音を伏し拝み、「南無大慈大悲の観音薩た、速やかに魔法を去って正法に帰依いたしたり。助けたまえ」と念じつつ奥の間へ走り行き、金襴の袈裟を取り出して岩裂に返せども岩裂はこれを受け取って金砕棒をひらめかし怒りに任せて黒風をうち殺さんとするを観音は急にとめて、
「ヤレ待て、岩裂。此の畜生は今や真実に悪心をひるがえし、早仏法に帰依すれば命を助け得させよ」と仰すと岩裂は棒取り直し、
「しかりとも、なお此の所に置きたまえば、焼け木杭(ぼっくい)に火が付き易き例えにも似て、遂にまた世の人に害をなさん」と言うと観音は押し返し、
「いやとよ。我が住む補陀落山には未だ山の守護神なし。我はこの者を召し連れ帰り山を守らせんと思うなり。黒風もしかと心得よ」とこれかれに示したまいて、緊□咒(きんそうじゅ)と名付けた秘文を唱えて黒風の身をわがままになさざるように向後を厳しく戒めて、頭を撫でて五戒を授け、また岩裂を見返って、「汝は観音院へ立ち返り、事の由を師の坊に告げ知らせて安心させよ。我は南へ帰るぞ」と御手の糸を投げ掛けて黒風の大熊を繋ぎ留めつつ引き立てて、補陀落山へ飛び去りたまえば岩裂は是を見送って、大慈大悲の方便は物一つだも損なわず真の道へ伴いたまう、実に有り難き御得やと喜びを述べ恩を感じてしばらく残りとどまりつつ、黒風の手下の化け物どもをうち殺し、祠(ほこら)に火をかけことごとく城郭を焼き崩し、観音院へ立ち帰り、観世音の助けによってあの黒風の大熊を退治した一部始終を浄蔵法師に告げ知らせ、あの袈裟を渡しにければ浄蔵は深く喜んで感涙を流しつつ遙かに南の方に向かって観世音を拝み奉れば、この寺の法師ばらも事の由を伝え聞いて、我々ようやく生きたりと喜ぶこと大方ならず更にまた斎を勧めて浄蔵、岩裂をもてなしけり。さればまた浄蔵法師はあの黒風が熊なりと聞きしより心に深くいぶかって
「よしや数多の年をふるともさる畜生が如何にして仙術を得たりけん。まいて仏の道に帰依して観世音の御手に従い、五戒を受けしと言う事は心得難し」と言うを岩裂は聞いて、
「さればとよ、身に九つの穴ある者は熊にあれ鹿にあれ仙術を皆得つべく、また仏法に帰依すれば成仏せずと言うことなし。それがしなども人にはあらねど修行したれば人にも勝れり。これにて思い合わせたまえ」と言うと浄蔵はたちまち悟って、仏なるも悪魔となるも心一つによるという教えをいよいよ尊みける。
○かくて浄蔵法師は観世音の利益によって金襴の袈裟が再び手に入れば、岩裂は諸共に観音院を発ちいでて、またあの馬にうち乗りつつ西を指して赴けば、浄蔵法師の道徳を尊み、岩裂の神通に感服した一山の道俗二三百人が▲山門までぞ送りける。さる程に浄蔵法師はまた六七日行く時に、高老(たかおい)荘(わら)と聞こえた富める百姓の家に宿取りし、その夜、ゆくり(思いがけ)なくまた妖怪に出会いしを岩裂の通力でうち従えたる物語は第五編に著すべし。そもそも当時の唐土の都より唐と韃靼の国境の両界山まで五千余里、両界山より観音院まで五千余里、合わせて一万余里を経たり。されば十万八千里の長旅をわずかに三十丁づつの草紙に年々綴れば、年折り重ねて数十編の編を継ぐに至らねば真の金毘羅大王を迎え奉る段に編み着け難し。されども一編一編が分からずと言う事なければ末の長いに退屈なく、なお年々にいやましの評判を願うのみ目出度し目出度し■

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