傾城水滸伝をめぐる冒険

傾城水滸伝を翻刻・校訂、翻訳して公開中。ネットで読めるのはここだけ。アニメ化、出版化など早い者勝ちなんだけどなぁ(^^)

馬琴・西遊記/金毘羅舩利生纜 第二編上

2017-02-27 09:17:12 | 金毘羅舩利生纜
白龍(はくりゅう)の魚腹(ぎょふく)たる余諸の網を脱(のが)れること易からず、老狐(ろうこ)のれいたる□先(もせん)が才をはかること難(かた)かり、高明(こうめい)もまた天機を漏らさば、鬼神の憎みを恐れざらんや、その智をさること、その智にあり、汝が智慧(ちけい)を施す事なかれ

賛曰 人をのらば例えの節の穴二つ走る野狐蟠(わだかま)る蛇

書生 村崎志賀蔵(むらさきしがぞう)
三善清行(みよしきよゆき)
水海屋 樽奴川太郎(たるひらいかわたろう)

念々億萬慮(おくまんりょ)すべてこれ莫妄想(まくもうぎょう)
迷うが故に衆生(しゅじょう)なり、悟れば終(つい)に仏とならん、迷悟(めいご)本来我に在り、また何処をか求めんや、また何処をか求めんや

賛曰 渋柿のしぶしぶに世を捨てしかど早尼法師となるぞ目出度き

大見の次官 仲起(なかおき)
清行が妻 玉梓(たまづさ)
新菩提寺のこしょう 細江水之助

大和物語に中興(ちゅうこう)の近江のすけが娘物の怪に患(わずら)いて、浄蔵(じょうぞう)大とくをげんざにし奉るほどに人とかく言いけり、しのびてありへて後しかじかと記し付けたり、或いは浄蔵子どもを産ませて後、我が法力の衰えやしつるとて、その子二人を膝(ひざ)の下しきながら祈りけるに、なお談ありけるなどもいえり、かかる有□(うげん)の名僧にもこれらの説あるはいかにぞや、宜(むべ)なり、元弘(げんこう)釋書(しゃくしょ)には右の異説を収めざりけり、今またたすけてかのちやうの物語をつぐること古□をおもに老婆心、もし浄蔵を世に在らせなば実は道具に使わるるといわまし
賛曰 ながれての余のことぐつにぬれ何もとき洗ひせんの里をちからに

太郎□(子+需)
乙□
雲居寺(うんこじ)の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)
大見仲起が娘 小鮮姫(わかおひめ)

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かくて岩裂の威如神尊は大社(おおやしろ)の新嘗会(にいなめえ)に日の神へ参らせる神酒を飲み、餅飯を喰らって、また天上へ昇る時に思わず月読尊(つきよみのみこと)の宮へ迷い入り、あちこちと見歩くと、ここには数多の兎(うさぎ)どもが不老(おいせぬ)薬を突いており、彼処(かしこ)には天乙女(あまおとめ)が甘露の酒を升で測ってすいせちの壷に、その香りは得も言われず、岩裂はこれを垣間見て腹の内に思う様、
「・・・・・月読がおわします月宮殿(がつきゅうでん)には甘露の酒あり。これを飲む者は老いせず死なずと予てより伝え聞きしはこれなるべし。宝の山に入りながら手を空しくして帰らんや。要(えう)こそあれ」と心でうなずき、例の小羽根を引き吹き掛ければ、不思議や小羽根はたちまちに眠り虫と変じつつ皆その背中に取り付くと、さしも今までべちゃくちゃと朋輩仲(ほうばいなか)のいと良きままに、四方山話(よもやまばなし)に興じた乙女は眠りをもよおし、こくりこくりと漕ぐ船の舵(かじ)にはあらぬ肘枕(ひじまくら)、一人も残らず臥したりける。
「サア、してやった」と岩裂はその壷を引き出して瑠璃の升にて汲み取り汲み取り、いくらともなく飲む程に、その美味き事は今更に例えるものなし。三千年に一度実ると言う天安田の□□をもて作る神酒(みき)に増すとも劣りはせずと舌打ちしつつ早一壷を飲み干したり。その時、岩裂は思う様、
「・・・・・我、出雲の大社にて神酒を飲み餅を食べ、今また此の月宮殿で甘露の酒を飲みたるに、事遂に現れれば日の神は必ず怒らせたまいて、ゑうどき咎めにあわせやせん。うかとしているところでなし。これまでなり」とそのまま走り出て、ひらひらと下界を指して飛び去りけり。
さればまた無量国方便山の夜叉天狗らは数十年の月日は経れども訪れ絶えて帰り来ぬ岩裂を待ちかねて、噂のみして居るほどに、岩裂は神通力にて、またたく間に数万里の雲をしのいで風を起こして方便山へ帰りにければ、天狗どもは喜んで皆諸共に出迎えて、威如天堂の設けの席へかしづき入れて言葉を揃えて、
「神尊、先には日の神へ仕え奉るといでたまいしが、既に六千余年を経たり。天上にはいかばかりの楽しき事が候しぞ」と問われて岩裂は心を得ず、
「我が天上に在りし日は二月(ふたつき)ばかりと思いしが六千余年になりたるか。実(げ)に天上の一日は人間の一年なりとことわざにすら言う事のかえすがえすもしるしあり。我、日の神に仕え奉り、威如神尊の位をたまわり、不足無きには似たれども大社の新嘗にもらされし事の遺恨に耐えず、斯様斯様にたばかって、神酒を飲み、また餅を食べ、その帰り道に月宮殿の甘露の酒を飲みしにより▲後の祟(たた)りの後ろめたさににわかに帰り来つるなり」と告げると皆々微笑んで、
「それは我らの幸いにて、その事なくばいかにして神尊が今日(けふ)しも帰りたまわんや。まず一杯を傾けて疲れを休めたまえかし」と大方ならず慰めて、酒肴を並べ、早杯をすすめれば、岩裂はその酒を飲みも終わらず眉をひそめて、「これは余りに悪酒なり。今少し良き酒あらば銚子を替えよ」と急がすと天狗共は聞きながら、
「神尊、何故に此の酒を悪しと宣うぞや。そは此の年頃、天上にて良き酒ばかり飲みたまいし口がおごれる故ならん。されば隣のぢんはみそこなたになきをいかがわせん」と言われて岩裂はうなずいて、
「実にさる事もあらんかし。遠きが花と世にも言う天上へ飛び行って、甘露の酒をかいさらい、汝らにも飽くまで飲ませて百万年も生き延びさせん。さぁさぁ」と言いかけて、端近く出るとそのまま飛行自在のいつとくはたちまち雲にうち乗って、またたく間に月宮殿のぎかくと門へ飛び行って奥深く忍び入ると、この時あの天乙女らは始めのままで眠りこけ、同じ枕に前後を知らず、岩裂はこれをと見かう見て、「うまいわろじゃ」と舌を吐き、僅かに一壷残る甘露の酒をう□・・・□て、方便山へ飛び帰り、壷を開いて我も飲み、眷属どもにも飲ませれば、天狗共は岩裂の今に始めぬ通力と、またその酒の世の常ならぬを喜び勇んで、寄って酒盛りしたりける。この時、日の若宮では天照大神が出雲の大社より参らせる新嘗を聞こし召さんと、天のうずめらの女官たちに供御(ぐご)の用意をせさせたまうが、かかる所に保食神(うけもちのかみ)が大社より帰り参りて、「お召しにより参内(さんない)せり」と慌(あわ)ただしげに奏したまえば、日の神は驚きいぶかり、「朕(ちん)は保食を呼ばせし事はなし。そは聞き違えたるならん。心得難し」と宣えば、保食もまたいぶかって
「さん候、先の程、岩裂の神尊を御使いにたてられて、にわかに召させたまうにより、萬を差し置き参りたり。聞き違えには候わず」と重ねて奏したまうと日の神はますます驚いて、
「朕は決して岩裂を使いにたてた事はなし。しかるにあの神が偽って大社へ赴きしは良からぬ訳のあるにこそ」と宣う言葉も終わらぬ折から、大社を預かりたまう大穴牟遅(おおあなむち)の尊より下司の神をもて、
「さても今日(こんにち)誰とも知らず供御に用意の神酒、餅、飯を盗み喰らいて候なり、よりてぬらふる神たちを厳しく詮索すれども、その事未だ定かならず、只これ□□(わくら)が過ちにて申わけなしと言えども包み申さん由のなければ、御沙汰を仰ぎ候なり」と恐る恐る訴えたまう。これのみならで月読の尊より天乙女を使いとして、甘露の酒の二壷までも紛失したる事の事情は斯様斯様と奏させたまえば、日の神はしきりに驚いて、
「かれこのひこれと言い、察するところに岩裂の正無事(まさなごと)にぞあらんずらん。さぁ岩裂を呼ぶべし」と御使いを遣わされしが▲しばらくして使いが帰り、
「それがし急ぎ神尊の社へ赴きしが岩裂は彼処におらず、その下司に尋ね問うと神尊は今朝早く何処へか立ち出て帰りたまわずと申すにより、八方へ手分けして行方を尋ね候いしが、その影もなく候」と息付きあえず奏すれば、日の神はいたく怒らせたまいて、
「そは蓄電(ちくでん/とうそう)せしならん。一度ならず二度三度とよからぬ業をしだせしは実にさばへなす悪しき神なり。今はしも許し難し。早く討つ手の神兵を遣わして召し取るべし」とぞ勅定(ちょくじょう)ある。これにより此の度も建御雷命を総大将として天兵命を差し添えて、更に十万の神兵を起こさせて方便山へぞ遣わしたまう。
その頃、岩裂は甘露の酒に酔い臥して威如天堂にありけるに、眷属の天狗どもが慌(あわ)ただしく走り来て、「神尊、眠りを醒まさせたまえ、討つ手の軍兵が向かうたり」と声々に呼び張れども岩裂は騒ぐ気色なく、「そは何ほどの事があらん。只うち捨てて置けかし」と答えて起きも上がらねば、天狗どもは気を揉んで、「いかがせんか」と躊躇(ためら)う時に太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将がおいおいに走り来て
「神尊、何故に起きたまわぬぞ。大手門の方は御雷を大将にして五六万騎が押し寄せたり。また搦(から)め手門には鳥船と兵の神を大将に四五万騎もあるべきか、これも間近く寄せ来たれり。さぁさぁ起きさせたまわずや」と皆々しきりに揺り起こせば、岩裂はむっくと頭をもたげ、
「あながまや、さもこそあらめ、汝ら四人は白狼王と巴蛇、錦馬、子路王の魔王らと諸共に搦め手門の討つ手を防げ、我は大手門を押し開いて御雷を打ち散らさん。急げ急げ」と勇気の広言、鎧をさっくと投げ掛けて八万四千の眷属を二手に分かちて下知を伝えて大手の門を押し開かせ、金砕棒を打ち振り打ち振り、込み入らんとする敵を四角八方へ打ち散らせば、さすがに勇む神たちも進みかねてぞ見えたりける。▲かかる折にも搦め手門には太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の四大将、またその四人の魔王と共に数多の天狗を前後に備え、面も振らず突いてかかれば、鳥船、兵の二柱の神たちは得たりやおうとひらき合わせて、「かかれ。かかれ」と下知したまえば、その手の神たちはちっとも疑義せず、追いつ返しつ戦いたまう。音に聞こえし神兵(かみいくさ)、石の矢尻(やじり)の飛び違う音もすさまじき憤激吶戦(ふんげきとつせん)、しばし勝負は分かざりけり。
かかる所に日の神の御使いとして手力雄命(たちからをのみこと)、彦五十瀬命(ひこいせのみこと)が手勢を引き連れ、戦の勝負を見んために方便山の搦め手門へ天下りたまうに、思うに違わぬ戦の最中、何かはちっともゆよすべき、岩裂勢の後ろより鬨(とき)をどっとつくかせて、突き伏せ、突き伏せ攻めたてれば、岩裂方は思いがけなく後陣の方より斬り崩されて防ぐべうもあらざれば、只蜘蛛の子を散らすごとくに威如天堂へ逃げ籠もる。されば鳥船、兵の二神はその機にかなう戦の駆け引き、思いがけなき助けに勇んで、そのづをぬかず追い討ちたまえば引き遅れた四人の魔王の白狼、錦馬、巴蛇、子路らは枕を並べて討たれたり。
既にして天狗どもは一人も残らず逃げ失せければ、鳥船、兵の両大将は手力雄命、彦五十瀬命と共に談合して、この手の戦に勝つといえどもあの岩裂は大手門にあり。彼処(かしこ)の勝負は心許(こころもと)なし。いざや戦を一つにして岩裂を討ち取らんと只その所を打ち捨てて、大手門へ押し寄せれば、果たして戦のただ中で、只一人の岩裂に数多の神たちはかけ破られて、既に危うく見えしかば鳥船、兵、手力雄、彦五十瀬の神は諸共に名乗り掛け名乗り掛け、岩裂の前後より隙間もなく攻めつけたまうと、岩裂は騒ぐ気色もなく▲一万三千五百斤の金砕棒を水車の如くに振って四人の神を左右に受け止め、ひるまず去らず戦う程に、ややもすれば四人の神たちも受け太刀になりたまう。建御雷命はこれを見て、采配うち振り諸軍を進めてしきりにかけたてたまいしかば岩裂の手の天狗どもは先陣遂に崩されて、主を捨ててぞ逃げ迷う。岩裂も心猛しといえども逃げる味方に引きたてられて、かつ戦い、かつ退き、威如天堂へ閉じこもり金戸(かなど)を固く差させけり。
その時、搦め手門の負け戦に逃げ籠もる四人の眷属太郎坊、次郎坊、山水、木の葉の天狗どもは忙わしく出迎えて、さめざめと泣きつつ、またからからと笑えば岩裂はこれをいぶかって、まずその故を尋ねれば、四人の天狗は、
「さればとよ、初め我らが泣きしは、さしも腹心と頼まれし四人の魔王が討たれしを深くも痛み嘆きしなり。されども神尊はつつがなく立ち帰らせたまえば、喜ばしさに思わずもひとしく笑いをもよおせり」と言うと神尊はうなずいて、
「汝ら、心を安くせよ。あの魔王らは討たれしとても蛇なり、鹿なり、狼なり。元より我が種類に非ず。今日は全く勝ち得ずとても我が眷属は一人も討たれず。しからば何をか嘆くべき。あの似非神どもが懲りず間に重ねて押し寄せ来る事あれば、皆殺しにして腹をいん。休め休め」と鷹揚に騒ぐ気色は無かりけり。
さる程に建御雷神たちは本陣に立ち帰り、日の神の勅(みことのり)を謹んで承り、再び軍議をこらしつつ、御雷の神は頭を傾け、
「今日の戦で岩裂の四人の魔王を討ち取って、勝利あるに似たれども、彼の真の眷属を只一人だも討ち止めず。いわんや岩裂の神通勇力(しんつうゆうりき)には容易(たやす)く勝ちを取り難し。いつも互角の戦して徒(いたずら)に日を送れば曲者に侮(あなど)られん。所詮助けの大将を申し下して力を合わせ、短兵急に捕りひしがねば、いたずらに後悔するのみ甲斐なからん」とこれらの由を相聞(そうもん)あれば、こよなき幸いなるべしと思い入りて述べたまえば、彦五十瀬、手力雄の二神は、
「この義は真にしかるべし。我々は帰り上って相聞をとどけるべきに、そなたからも一人の使いを差し添えたまえ」と急がして早立ち去らんとしたまうに、御雷の神は喜んで二人の御使いに鳥船の尊を差し添えて、日の若宮へ参らせたまう。これにより日の神は御雷の神の願いの趣(おもむき)、その義は如何にと勅問あるに、天のやこねの命、太玉(ふとだま)の命が承り、ひとしく奏したまう様、
「今また助けの大将を下界へ下したまわんには、日本武尊(やまとたけるのみこと)にます者なし。あの神が知勇に優れし由は世もって知れる所なり」としきりに聞こえ上げれば、日の神はこの義に従い、その尊を大将として重ねて神兵をおこさせたまい、更にまた手力雄と彦五十瀬の神を差し添えて方便山へ差し向けたまう。
出陣またたく間なれば鳥船の神は先立って本陣に立ち帰り、事の事情を斯様斯様と父の尊に告げたまうと、御雷の神は喜んでしばらく戦を止めつつ助けの勢を待ちたまう。
かかりし程に日本武尊は彦五十瀬、手力雄と共に方便山のほとりの本陣に天下り、建御雷の神たちと神議(はか)りに計りつつ、戦の評定したまう様
「あの岩裂は熊襲(くまをそ)にも建部(たける)にもます大敵なり。されども知謀を巡らせれば生け捕らんことは難くもあらじ。明日の戦いには我が岩裂と戦うべし。鳥船、兵の二神は五万騎を従えて、彼の眷属を討ち取りたまえ。岩裂は通力ありと言えども▲味方が敗北するのを見れば心慌てて逃げ走らん。その時、彦五十瀬、多力雄の二神は五万騎を従えて、その逃げ道を切り塞ぎ、彼を城へ帰したまいそ。御雷の神はおんとしやくに此の所にとどまって本陣を守りたまえ。その余の手分けは斯様斯様」と軍議は既に定まりぬ。
さて、その明けの朝、日本武尊は新手(あらで)を従え、方便山へ押し寄せたまえば、岩裂もまた八万四千の眷属を従えて、真っ先に馬を乗りすえ、来たる者は誰ぞと問う時、尊も馬乗り出して、
「知らずや、我は日本(やまと)だけしう□の□神なり。天地(あめつち)開けそめしより、帝(みかど)に背きまつりし者、誰かは滅び失せざるべき。汝はしばしば天意を犯し、いかでか逃れる道あらんや。前非を悔いて降参せば、命ばかりは助けんず」と声高らかに呼び張りたまえば、岩裂は怒りに耐えずして、「ほざいたり。その顎(おとがい)を叩きくじかん。覚悟をせよ」と罵りながら金砕棒(かなさいぼう)をひらめかしつつ打たんと進むを尊はすかさず叢雲(むらくも)の御剣をもって戦いたまう。互いに得たる道なれば、受けつ流しつ、劣らず増さず、三百余打ちに及べども勝負も分かず見えしかば、岩裂の眷属どもは等しく呆れて目も離さずに眺めをる油断を見すまし、思いがけなき後ろより多力雄の神、彦五十瀬の尊の伏せ勢が一度にどっと起こって無二無三に討ってかかれば、天狗共は驚き騒いで更に戦う擬勢もなく、方便山へと逃げ籠もれば、岩裂はこれに心慌てて隙を見合わせ引き外し、山路を指して退く折に鳥船、兵の二神は数多の神たち引き連れて、遮(さえぎ)りとどめて声々に
「岩裂、逃げるとも道はなし。降参せよ」と呼び張りたまえば、岩裂はいよいよ驚いて虚空遙かに飛び昇るのを日本武尊は引き続き、また空中にて戦いたまう。
しかれども岩裂は身を逃れんと思うのみにて、更に戦う心なければ、身をひるがえして天下り、小鳥と変じて草むらに隠れんとする所を日本武尊はご覧じて白き鷹と変じつつまっしぐらに落とし来て、かいつかまんと追っかけたまえば、岩裂は驚き身を逃れ、その山の麓の山の神の祠(ほこら)に変じて息をこらしてをる時に、尊はすかさず追っかけたまうが、早岩裂は逃げ失せて山の神の祠のみあり。ここらにあるべき物ならぬに▲これは岩裂が化けたるならんと早くも悟って手鉾を持って走り近づき扉に打たれる金物を突き破らんとしたまえば、岩裂はますます驚き騒いで扉に打たれた金物と見せしは眼(まなこ)なるものを突き破られてはかなわじと、再びそこをも逃げ去って道のほとりの池に飛び入り、小鮒と変じている間もあらせず、尊はひたすら追っ掛けたまうに早岩裂が見えざれば、そこかここかと尋ねたまうと池の内に小鮒あり。その鮒の色は常に変わって緋鯉(ひごい)のごとく朱(あか)ければ、これもまた岩裂の化け損ないに疑いなし。詮術ありと立ち寄って、水に向かって御息をふっと吹きかければ、その息たちまち大きな川獺(かわうそ)と変じつつ、くだんの小鮒を飲まんとす。岩裂はあなやと身を逃れて、また空中へ逃げ昇れば、尊も続いて追っ掛けたまうが早岩裂は見えざりけり。
されども尊は予てより八方遠見の神たちに天眼鏡を照らさせて、あちこちに置きたまいしかば、またその所に立ち寄って、各々(おのおの)は岩裂の行方を見留めざりけるかと一人一人に尋ねたまうが見留めし者がなかりしかば、尊はしきりにいらだって、なほしも残る隈(くま)もなく尋ね歩かせたまいけり[物語二つに分かる]
ここにまた、天の中国(なかつくに)におわします八百万(やおよろず)の神たちの御中(おんなか)に仏の道にも疎(うと)からぬを両部神道(りょうぶしんとう)と唱え申して両部の宮におわしますその神たちは三十番神、五番の若神、日吉の七社、熊野権現、富士白山その数も多かる中にわきて八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は両部の宮の主として仏法帰依の御神なれば南海のきやうしゆ観世音と御交わりも浅からず、これにより観世音はある日両部の宮へ来まして八幡宮と衆生済度の御物語りをしたまいけり。なお詳しくは次に見えたり。
そもそも八幡宮と申し奉るは応神天皇(おうじんてんのう)の神号なり。この帝は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御子にして日本武尊には御孫にてぞおわします。しかるに御祖父日本武尊が岩裂退治の大将に選ばれて重ねて方便山へ向かいたまいしかば安否はいかにと思(おぼ)し召す八幡宮の御心おだやかならぬ折からに、補陀落山(ふだらくさん)の観世音が両部宮へ影向(えうごう)あれば、八幡宮は岩裂の事の事情、再度の討つ手を遣わされたる始め終わりを御物語りましまして、この事はいかがあるべきと思い入りてぞ問いたまうに観音はつくづくと聞きたまいて、
「あの尊の武略においては大功疑いなしと言えども神は正直を旨として、仮にも偽りの謀(はかりごと)を好みたまわず。これによりてその戦のはかどらぬこともあるべし。それがしがあの地へ赴いて戦難儀に及ぶと見ればいつひの力を尽くさん事、元より願う所なり。この義はいかが」とまめやかに問い返されて、八幡宮は御喜び大方ならず
「大士、あの地へ赴きたまえば朕が心は初めて安し。よきに図らせたまえかし」とねんごろに頼ませたまえば、観音は重ねて一義に及ばず、御供にはべる恵岸童子(えいがんどうじ)を引き連れて雲に乗りつつまたたく暇に無量国へぞ赴きたまう。
これはさておき岩裂はようやく身を逃れ、威如天堂へ帰らんと思えども方便山には数万の神たちが隙間もなく陣取って、行くべき方は風も通さず、空へ昇って隣国へ逃げ行かんと欲すれば、遠見の神たちが空中に天眼鏡で護りおれば、如何にとも詮方なく、しばしよそ目を忍ばんために日本武尊に変じてその本陣へ赴くと、この陣所を護る神たちはいかでか見知るべき、只これ尊が帰りたまうと思いにければ、出迎えて設けの床机(しょうぎ)にいざない参らせ、建雷の神にさえ▲しかじかと告げ申せば、建雷の神もまた忙わしく立ち出て、戦の様子を尋ねつついとねんごろにもてなしたまう。
かかる折から日本武尊は岩裂を見失い、心ならずも手勢を引き連れ本陣指して帰りたまえば、門守(かどもり)の神がそれを見て、「こはそもいかに。またひとり日本武尊が来ましたり。それかあらぬか」とばかりに呆れ迷って立ち騒ぐのを尊は心得ずとそのことの事情を尋ね問いつつうなずき、
「神たち、必ず騒ぐべからず。先に来たのは岩裂ならん。奴(しやつ)が我が身に変ぜしのみ。捕り逃がすな、討ちとめよ」と言いかけて、早ずかずかと進んで奥へ入りたまえば、岩裂はこれを見返って驚きながら減らず口、さては真の尊めが立ち帰ってはここにもいられず、お暇(いとま)申すと足早に逃げんとするのを数多の神たちが逃がさじ行かじと取り巻いた後ろの方には日本武尊、御雷の神が諸共に弓矢を取り上げよっ引き固めて射て倒さんとしたまえども、鏃(やじり)は砕けてかの身に足らず、されば数多の神たちも支えかねた折しもあれ、方便山より退き来た鳥船、兵、多力雄、五十瀬の神たちはこの体(てい)を見てちっとも疑義せず、とうまの如く取り込めて絡め捕らんとしたまえども岩裂は物とも思わず、多勢を相手に早速(さそく)の働き、ここに現れ彼処に隠れて千変万化と□を砕く古今無双(ここんぶそう)の神通力に勝ちを取ること難ければ、捕り逃がさじと神たちは思わず時を移しけり。
かかる所に観世音は紫の雲にうち乗って本陣近く影向(えうごう)あり、遙かにこれを見そなわして、恵岸ゆみやに持たした楊柳水(ようりゅうすい)の壷を取り、しきりに水を振りかけたまえば、さすがに猛き岩裂も道のぬかりに足元乱れて滑ってはたと転びにければ、得たりやおうと手力雄、鳥船、兵、彦五十瀬の神四人はひとしく折り重なって手取り足取りようやく押さえて縄を掛けけり。
しかれども身を変じて逃れることもやと、琵琶骨(びわこつ)という骨をしたたかに捕り縛り、仕合わせよしと神たちは勝鬨(かちどき)上げて皆諸共に岩裂を引きつつ日の若宮へ凱陣(がいじん)し、勝ち戦の事の趣、観音大士の楊柳水が味方の助けとなりたる事まで斯様斯様と奏したまえば、日の神の御感は浅からず、
「しかればこれ岩裂は西の聖の助けにより容易く絡め捕られしものなり。かかる因(ちな)みのあるなれば両部の宮へ引き立てて、ともかくも計らわせよ」と掟(おきて)させたまいしかば、御雷、日本武(やまとたける)の両尊は勅命に従い岩裂をは絡めたままにて両部の宮へ渡したまいぬ。
これにより両部の主の八幡宮は三十番神の神たちと計りたまうに、岩裂の罪は莫大なり▲さぁさぁ頭(こうべ)をはねるべしとおのおの定め申すにぞ、さらば頭をはねよとその神どもを急がせたまうが、司の神が申す様、
「岩裂の五体へはいかなる剣もたち候わず、しひて斬らんとする時は刃砕けて詮方なし。また大石をおし掛けて押し潰さんといたせども、その石砕けて岩崎の身には少しもつつがなし。かかればいかがつかまつらん」と大息ついて奏し申せば、八幡宮も呆れて、また神議りに計りたまうが、武内宿禰(たけのうちのすくね)かうらの□神が進み出て申す様、
「そもそも両部宮(りょうぶきゅう)には開闢(かいびょう)の昔より用いられたる湯立(ゆだて)の釜あり。その竈火(かまどび)は二六時中しばらく消えることなく、湯もまた増減あることなし。かかる不思議な熱湯なればあの岩裂をその釜へ押し入れて湯で殺し候わば、いかなる神通ありとても煮えただれんこと疑いなし」としきりに進め申せしかば、遂にその義に任されけり。
これにより下司の神たちは岩裂に八重縄掛けて湯立ての釜に押し入れつつ蓋の上には千引(ちび)きなす大盤石を押しとして、薪(たきぎ)をすえ、湯をたぎらせ、昼夜暇なく煮たりける。
既に日数は七十五日に及びしかば、武内の神は思案して八幡宮に申す様、
「岩裂を釜茹でにして七十五日になりて候。今では煮えただれて、どろどろになりつらめ。蓋を取らせて釜の内を見候ばや」と申すに、八幡は実にもうなずいて、「しか計らえ」と仰せけり。さる程に武内は下司に下知しつつ釜の蓋を取りのけて、あらため見よとぞ急がせける。さればまた岩裂は二月余りも煮られし故に戒めの縄は煮え切れたれども、その身はちっともつつがなく精神健やかなるものから、ただその釜の奇特によって蓋押しのけて出て行き難かりに、今下司が立ち寄ってそろりと蓋を取るより早く釜の内より躍(おど)り出て、耳に挟んだ金砕棒を引き伸ばし打ち振りて、荒れに荒れたる有様に、下司の神は驚き騒いで得物得物と引き下げ引き下げ、逃がしはせじと取り巻くも岩裂は物ともせずに当たるに任せて打ちかえせば、数多の神たちはどよめくのみで支えかねたる折しもあれ、日本武尊の御使いとして八幡宮へ参りたる火灯しの童(わらわ)はこれを見て、「岩裂、天意を恐れずや。無礼なせそ」と呼びとどめ、しばし支えて戦う程に、武内の神もまた鉾を持って立ち向かい、力を合わせて挑みけり。
この時までも観世音は西天(さいてん)へ帰りたまわず両部の宮におわせしかば、岩裂の体たらくを伝え聞きつつ驚いて八幡宮に言う様、
「真に、かかる曲者は法をもって征すべし。力をもって勝ち難し、奇妙の者を速やかに降伏せんと思し召さば、それがしが西天へ赴いて釈迦如来を迎え来つべし。御心安くおわしませ」と言いも終わらず、紫の雲にうち乗って、瞬(またたく)く間に西を指してぞ飛び去りたまう。▲
この時、仏祖釈迦牟尼如来は霊山(りょうぜん)の沙羅双樹(さらそうじゅ)の元に趺坐(ふざ)して法を説いておわせしに、観音大士が参りたまいて、あの岩裂が体たらくかつまた如来の智力(ちりき)をもて降伏させたまわん事を乞い願いたまえば、釈尊はしばしばうなずきたまいて、
「良きかな良きかな。八幡宮は仏法帰依(ぶっぽうきえ)の神にして、本地大日におわします。いわんやまた苦をぬいて楽しみを与え、迷いをさまえて陥(おちい)る者を救わんとは元より仏の請願なるに、いかでかは行かざらんや。さらば急げ」と仰せもあへず第一の御身なる阿難如来(あなんにょらい)を従えて、観世音を先に立て、両部の宮へぞ影向(えうごう)ある。
さればまた、武内かうらの神、火灯しの童らは下司の神で岩裂を取り巻かせ、八幡宮のとりいさきにておめき叫んで挑み争うまっただ中へ釈尊は早くも影向ましまして、まず神たちを退かせ、一人自ら進み寄り、「やおれ岩裂、ものにや狂う。我はこれ釈迦牟尼仏なり。無礼なせそ」と制したまえば、岩裂はそれ見てあざ笑い、
「汝は世にも無き事を作りて□俗をなかする痴れ者(しれもの)なるか。我が通力は神も及ばず、まして仏を恐れんや。汝がただ今取り持って、我をこの両部天の主となさば許すべし。さなくば決して許し難し」と声すさまじく罵ったり。釈尊は聞いて微笑みたまい
「良きかな良きかな。汝の神通、我が妙法に勝つとあらばならず望みに任すべし。例えば今、汝を我が手の平へ乗せんに汝は容易(たやす)く逃れいでんや。いかにいかに」と問いたまうを岩裂はせせら笑って、
「それははなはだ易き事なり。さはとて持った金砕棒を針の如くに押し縮め、耳の内に差し挟み、その身も一寸余りになって、釈尊の御手の底へひらりと乗ると釈尊はそのまましかと握りたまう。その時に岩裂は通力で釈尊の指の股より逃れ出て、走り行くこと五六余里、その地に一座の高山あって、その峯は五つに分かれたり。岩裂はやがて走り登り、中なる巌にうち向かい小羽根を抜いて筆となし、つを吐いて墨となし、岩裂迦毘羅(かびら)大神尊、それの月それの日にこの所に来たりて遊ぶなりと墨黒(すみぐろ)に書き付けて、身をひるがえして釈尊の御手の平へ立ち帰り、内より高く声をかけ、
「釈迦坊、釈迦坊、我は既に指の股より漏れ出て、五六に里の外に遊べり、その所の山の岩にしかじかと書き付けて、確かな証拠を残したり、約束のごとく我を両部の主にせよかし」と言わせもあえず釈尊はからからと笑わせたまい、
「さても嗚呼(おこ)なる痴れ者かな。汝が何処(いずこ)へか漏れ出られんや。眼を定めてよく見よ」と言われても岩裂は心を得ず、辺りをつらつら見返ると五つの峯と思いしはこれ釈尊の御指にて、その中指へしかじかと我が書き付けし筆の跡はまがうべくもあらざれば、さすがの岩裂も呆れ果て、これはとばかり呆然たり。
さもこそあらめと釈尊は御手を開いて岩裂を二つ三つ四つ手玉に取って、ただ一弾きに弾きたまえば、不思議なるかな岩裂は幾万里をか落ち下り、唐天竺(からてんじく)の境の両界山(りょうかいざん)という山のほとりへどうと落ちたりける。その時にまた釈尊は大法力を施して大盤石を岩裂の背中(そびら)の方へ投げかけて▲右の人差し指でヲムマニハニウンと書かせたまうとその文字たちまち石に入って彫れるがごとく鮮やかなり。
かくてまた釈尊はその国の山の神と金剛神を呼び寄せて、
「汝たち今より油断なく岩裂を守るべし。後に名僧あってこの神は世界に出現せん。夢々怠るべからず」とねんごろに掟(おきて)たまえば、山の神、金剛神は昼夜も巌の左右を離れず、もし飢えたりと見る時は岩裂に一尺(いっしゃく)の金生水(きんじょうすい)を飲ませつつ、厳しく守っていたりけり。
既にして釈尊は岩裂を静めたまい、八幡宮に別れを告げて帰り去らんとしたまいしを八幡宮は押しとどめ、三十番神、熊野権現、富士白山の神たち諸共に喜びを述べて様々な布施物を参らせたまえば、釈尊は再び坐に立ち返り、両部の神たちに告げたまう様、
「あの岩裂の始めは火の神迦具土(かぐつち)の血潮なりしを伊耶那岐(いざなぎ)の尊が嫌わせたまいて遙かに投げ捨てたまいしに、そのこれる血潮は二つになって、一つは讃岐の国に落ちとどまり、一つは方便山にとどまりぬ。しかるに方便山にとどまりしは悪血で悪しき血なる故に岩裂の神と現れて良からぬ業を事とせり。また讃岐の国へとどまりしはその精血(せいけつ)にて良き血なれば金毘羅大王と現れて、仏法守護の誓いを起こし、年ごろ我らに仕えるなり。さればまた薬師十二神の内にも入りて宮毘羅大将と唱えられ、第十二なる亥童子(いどうじ)これなり。されば岩裂、宮毘羅、金毘羅と三つの名ありて、一つの神なり。また一つの神にして善悪二つの神となれり。かくて今その悪しき者は石より生じて石に入り、その悪は遂に滅び失せて、皆良き神となる時は必ず国土に利益あり。夢々相違あるべからず」と説き示したまうに両部の神たちはかしこみたまいて、「金比羅が国土に出現あらば喜びこれにます事なし。ただその時節を待たんのみ」と等しく答えたまえしかば釈尊は座を立ち、阿難如来を伴いつつ早西天へ帰りたまえば、観世音も続いて恵岸童子と諸共に趺陀落山へ帰りたまいぬ。
かくてまた釈尊は霊鷲山(りょうじゅせん)におわしまして法を説き衆生を救い数多の年月を送りたまう。ある日、観世音に宣う様、
「昔、我が両部天に赴いて岩裂の神を鎮めしより既に数百の春秋を経たり。我が法は大千世界に伝えて、至らぬ所はなけれども南瞻部州(なんせんぶしゅう)日本国には未だ金毘羅金天童子経が伝わらず、この他あの神の利益を説いた阿含(あごん)宝積(ほうしゃく)の経文も先に唐土で翻訳せしはすこしづつの過ちあり。よりて我は唐文字でこれを補い正したる経文ここにあり。金毘羅王と諸共に我この経を日本へ渡さんと思いしかども未だその人を得ざりしに、あの土に名僧誕生(たんぜう)せり、太士、あの国へ赴いて、その法師を導きつつ金毘羅の行者とせば、これより利益いやちこならん。先には役の行者小角が初めて讃岐の象頭山を開き、その後、弘法大師空海もまたあの山に登るといえども衆生に利益薄かりしは金毘羅一体分身で、その一つは我に仕えまた一つは岩裂の神にして無量国にありしに分かり。
しかるに今わがさす法師この経文を信心して金毘羅王の神徳を世に知らせんとするに至れば▲悪魔の障げ(しょうげ)多かるべし。その時に助けとなるものは両界山に鎮め置いた岩裂にますものなし。大土、あの坐に赴いて斯様斯様に計らいたまえ。またこの金襴(きんらん)の袈裟(けさ)と鉢(はち)は年頃我が身に触れし物なり。これをあの名僧に与うべし。
しかれども時なお早し、今より三十余年を経て、その願は成就すべきなり。その余の事は斯様斯様」と詳しく示したまいけり。この時、大大和(やまと)人王六十代の帝、宇多天皇の御宇にあたって文章博士(もんじょうはかせ)三好清行(みよしきよつら)と言う止ん事無き儒者のありけり。易学、天文の上までもその妙を得し学者なれば、帝の御おぼえ浅からず萬に不足なき身なれども、歳三十に余るまで未だ子供がなけれかば、これのみ心にかかりけり。
かくてまた清行は妻の玉梓(たまずさ)諸共に、ある日端近く立ち出て庭を眺めていた時、忽然(こつぜん)として白い鶴に乗った仙人が目の前に降り下り、清行夫婦に向かって、
「我は役の小角なり。仏法が渡り始めた頃より葛城山に山籠もりして、数百年を経て後に文武(もんむ)天皇の御時に人間に身を現し、その後また淳仁(じゅんにん)天皇の御時には弘法大師と再誕(さいたん)して、その法力を現したる。国土に利益多しと言えども本願なおも飽きたらず今より御事(おこと)の子となって大名僧の名をあげん。我は金蝉菩薩(きんせんぼさつ)の再来。弘法もまた我なり。かかれば御事がもうける子は金蝉菩薩にして小角なり。小角にして弘法なり、弘法にしてその身なり。その徳おして□・・・・・・□▲

<翻刻、校訂、現代訳中:滝本慶三 底本/早稲田大学図書館所蔵資料>


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