東北地震における福島原発事故の最大の幸運は、福島原発の海没が起きなかったことである。実際に三陸沿岸では、東北地震により陸地の陥没が起きており、いまだに多くの場所が海中に没したままにある。原発事故による放射能汚染は、地震から3年経った今でも解決の目処は立たず、おそらくは数万年単位の対応、すなわち実質的に未来永劫に続く放射能対策が求められているようである。しかし未来永劫に続くにしても、対策の可能な放射能汚染なら、話としてまだ救いがある。もし東北地震において福島原発が海没していたなら、放射能汚染の拡散に防止策が無くなり、日本近海どころか世界の海が死滅していたかもしれない。もちろん福島原発は海没しなかったのだが、果たして次の予想される東海地震・南海地震に対して、沿岸にある日本の原発に海没の心配は無いのだろうか? 良く知られているように684年に起きた南海地震(白鳳地震)では、現在の四国高知沖にあった広大な平野が海没して、高知の平野面積がそのまま半減する形で現在に至っている。つまり原発の海没は、天が落下するような杞憂なのでなく、現実に可能な危機である。このような危機は、本来ならマスコミが煽りそうな恐ろしい話題なのだが、不思議なことに全くと言って話題にならない。それどころか自民党の甘利明経済再生担当相は、原発廃止論がその非現実性において、大和魂でアメリカに勝とうとした戦前右翼の感覚と同じだと言い放ってさえいる。しかし原発事故に恐怖する筆者の目には、よほど甘利明の発言の方が、大和魂で巨大地震に勝とうとする非現実性を持っているように見える。
このような原発事故への恐怖は、一旦頭に浮かぶと居ても立ってもいられないほどのものなのだが、なぜ誰も口に出さないのだろうか? 一つの理由は、この記事の冒頭の文章なのかと思われる。「東北地震における福島原発事故の最大の幸運」とは、あまりにエキセントリックな文章である。2万人近い死者を出し、10万人の被災者を出した未曾有の悲劇に対して「幸運」などと言う言葉を使うのは、不謹慎なのに違いない。そのような不謹慎な表現で叩かれるのはマスコミにとって割りの良い話ではない。また反原発論に繋がるような紙面は、自民党を擁護するアメリカ隷属分子の目の仇になるだけである。実際に筆者もこの記事のタイトルを「福島原発事故の幸運」にしようと考えていたのだが、ブログ炎上になるのを怖れて最終的に記事のタイトルを変えている。とは言え、所詮筆者は無名のインターネットブロガーに過ぎない。ブログ炎上になったところで、生活に困るわけでもない。しかし一度火のついた魔女狩りに対抗するのは、テレビ局や大手出版社には至難の業なのであろう。かつて管直人が脱原発をぶちあげたとき、マスコミやインターネット世論はこぞって管直人を罵った。管直人は福島原発事故のときに日本を救った英雄である。しかし世論は逆に管直人を福島原発事故の責任者として糾弾し、管直人を総理大臣の座から引き摺り下ろした。またそれだけに飽き足らず、脱原発を唱えた民主党を見放して自民党を政権党に呼び戻した。激しい管直人攻撃の中で、民主党の細野豪志が管直人を日本を救った恩人だと讃えたのも虚しく、事故調査委員会報告においても好評価と責任訴追の玉虫判定となり、可哀想なことに管直人は政治的に死滅してしまった。結果的に管直人は、斑目の虚言に翻弄されたあげく、ギリギリの局面で迎えた再臨界への怖れを責め立てられ、世間から放り出されたわけである。筆者は細野豪志と同様に、いまだに管直人が日本を救った恩人だと思っている。また巨大地震到来時に総理大臣として管直人が居たことは、日本の稀有の幸運だったと思っている。しかし状況的に日本人は、原発と自民党を好きらしく見える。当然ながらその限りで、管直人の復権は二度と無さそうに見える。もちろんそのことは同時に、現在の若い日本人、とくに子供たちが、生きているうちに人類の死滅を見る可能性を表現している。筆者は唯物論者であるが、最悪の原発事故を避けられるのなら、是非とも天に人類を救う神が居て欲しいと切に願わざるを得ない。
(2014/03/23)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます