goo

都へ出かけた


都(みやこ)へ出かけたと言っても、東京ではなく日本の古都・京都だ。我が郷土宮崎市佐土原町にも、都の文字が入った地名がある。佐土原(現・西佐土原)は、戦国期には今の宮崎県の中心だった町だ。その中心から少し東に、都甲路という地名がある。トコロと呼んでいた。本当はトゴロのようでもあるが、意味は都への道と聞いたことがある。そのような事も頭の片隅に置きながら京都へと出かけた。
佐土原は京都との関係も深い。江戸期、佐土原藩は伏見に藩邸を持っていた。初代藩主島津以久(ゆきひさ)は伏見で亡くなった。そのため大雲院(銅閣)に葬られたそうだ。そのため、参勤交代時は大雲院に必ず参拝の習わしだったようだ。佐土原藩歴代藩主の菩提寺高月院には、「豊烈曜後之碑(ほうれつようごのひ)」という石碑がある。戊辰の役の石碑だが、大雲院から移設されたものと聞く。復元佐土原城(歴史資料館:通称・鶴松館)も無関係ではない。設計図は残っていなかったため、発掘調査時の柱穴や根石を基に、二条城を模してつくられたようだ。また、佐土原でよく知られているものに、佐土原人形があるが、ルーツの一つは伏見人形だ。(もう一つのルーツとして朝鮮説)。このように関係は深いのだが、今回はただ単に観光目的。お上りさんだ。
ということで、初日は定番の金閣寺、龍安寺、仁和寺へ急いだ。どこも旅行者でいっぱい。それも日本人より外国人の方が多い感じ。回りでは、英語、スペイン語、ロシア語、中国語、広東語、朝鮮語が飛び交っていた。それにまじって日本語。アジア各国からの旅行者は、同じように見えても大方区別はつく。顔つきや服装など、どこか雰囲気が少しずつ違うのだ。印象では韓国からの新婚旅行と思える人たちも目についた。


金閣寺
そう、お寺の正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)だった。舎利殿が金閣寺だ。門をくぐるなり目に付いたのはイチイガシの大木。漢字で書けば「一位樫」。樫の仲間では一番という意味のようだ。好きな木だ。どこに行っても、イチイガシに出会うとうれしくなる。手入れが行き届いた松も目につく。
足を進めると、池の向こうに写真でおなじみの金閣。想像していたよりすっきり感、さわやか感あり。回りはほとんど外国人ばかり。記念写真を撮りまくっている。私も違う角度から数枚パチり。遠景もさわやかだ。ただ、池の水はちょっと・・・・。

きぬかけの路
金閣寺から龍安寺、仁和寺へは「きぬかけの路」を歩くことに決めていた。「きぬかけの路」は、衣笠山麓を抜ける緑豊かなルートで散策に最適とのふれこみだ。名前のイメージから、車は通らない散策路を想像していた。そういう思い込みで歩き始めると、回りはお店などで緑はなく、車がひっきりなし。やっと途中から緑が多くなったが、それでも車は行き交う。行ってみなければ分からないとはこのことか。初めての路は学習効果もなく、思っていたより遠かった。



龍安寺
龍安寺は境内に入るなりモミジの緑が目にしみた。モミジはテッポウムシにやられることが多い。木の根元などにおがくずのような木くずが出ている時がある。放置しておくと木は全くダメになる。ミカンの木もそうだ。何本も枯らしてしまったことがある。龍安寺のモミジは全くきれい、手入れが行き届いているのだろう。さて、高名な石庭。英語では“Rock Garden”とある。石庭だからロックガーデンに違いはないが、Rockからは、大きな岩を連想してしまい、少しイメージが違う。
石庭は、緑に囲まれてそこにあった。何人もの旅行者が縁側に座り、石庭を眺めていた。人を引きつけてやまないものがあるのだろう。時間がじっと止まっているようであった。本当は立ってみるべきとか、どこから見ても見えない岩があるとか、解説は他に任せておきたい。少し乾いた感じを受けたが、印象に残る石庭であることには違いなく、天気も時も季節も違えて見てみたい。身も心も洗う気持ちのいい風が吹いていた。



仁和寺
正門の案内を横目に、脇道に長い塀が見えたので近道にもなるし、車も避けられるのでそちらへ。しばらくすると東門が見えた。そこから境内へ。案内を過ぎるとすぐに左手に大きな仁王門が目に入った。国の重要文化財にもなっている京都三大門の一つだ。東門から入ったのを少し後悔した。やはり正門から入るべきだった。正面に回ると両側に仁王様。阿吽の形をした金剛力士像、大迫力だ。その後、御殿や国宝の金堂、重要文化財の五重塔を拝観。どれも立派だ。絵になりやすい五重塔を写真におさめ、予定していた世界遺産コースは滞りなく終了。時間が余ったので、嵐山まで足を伸ばすことにした。


嵐山
宮崎にも嵐山と呼ばれたところがある。一ツ瀬川の中流域、西都市杉安だ。かつては妻線の終着駅があり、「日向の嵐山」と呼ばれた。、橋上から見る山並みと川面もそれなりに美しいし、河畔林も立派だ。しかし、京都の嵐山は、やはり数段上だ。電車から降りるとすぐにたくさんの人波。それも若いカップルやグループが目につく。人の歩きに任せて桂川にかかる渡月橋へ。映画やテレビドラマでもよく撮影されると聞く。どこも人、人、人。そして上流側にはボート、ボート、ボート。それより目にとまったのは、逆光の中の山の木々。芽を吹いたばかりの緑が目にまぶしかった。そして葛野大堰(かどのおおい)。嵐山まで足をのばしたかいがあった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )