坐忘日記

このコラムは、僕が日々の出来事のなかで、何か変だぞ、と感じたことを
縦横無尽に書き殴ります。

沖縄集団自決冤罪訴訟傍聴記

2006-09-03 13:03:22 | Weblog
 写真は原告の梅澤さん、矍鑠としている。 

 9月1日に大阪地方裁判所大法廷において 沖縄集団自決冤罪訴訟第5回口頭弁論が開かれた。原告側と被告側(岩波書店・大江健三郎氏)の双方の支援者や、この裁判に関心を持つ傍聴希望者が、80席の傍聴券を求め、開廷30分以上前に裁判所北側に150名を超える列を作った。
 
 昭和20年の沖縄戦のさなかで起きた沖縄・座間味島と渡嘉敷島での住民の集団自決について、自決を命令したとする書物の誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の梅沢裕・元少佐(89)と、故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一さん(73)が、岩波書店(東京)とノーベル賞作家の大江健三郎氏を相手取り、計2000万円の損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求めている訴訟だ。

 対象の書物は、岩波書店が発行した大江健三郎氏の『沖縄ノート』、故家永三郎氏の『太平洋戦争』、故中野好夫氏らの『沖縄問題二十年』の3作品。原告の梅沢元少佐は、沖縄戦当時、座間味島の守備隊長、赤松元大尉は渡嘉敷島の守備隊長を務めていた。両島の集団自決は、米軍の攻撃に伴い、20年3月25日から28日にかけて起きた。
 
 訴状では『沖縄ノート』と『太平洋戦争』は名指しもしくは個人が特定できるような形で、座間味島の集団自決が梅沢元少佐の命令によるものだった、とし『沖縄ノート』と『沖縄問題二十年』は渡嘉敷島の集団自決が赤松元大尉の命令によるものだったとそれぞれ記載されている。

 集団自決を「軍の命令」によるものと決めつけたのは昭和25年に沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』という書籍である。その後、なんの具体的検証をされないまま「軍命令による集団自決」が一人歩きを始める。これに初めて疑問を呈したのが昭和48年5月に出版された曾野綾子氏の『ある神話の背景』だ。同書では曾野氏が渡嘉敷島の住民や元部隊関係者に聞き取り調査を行い、徹底的に検証された。 

 最近になって元琉球政府職員の照屋昇雄さん(82)が「赤松さんは、自ら十字架を背負ってくれた」と証言した。それによると敗戦後、疲弊していた渡嘉敷島の島民達に、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用を受け、遺族年金や弔慰金を国から支給されるためには準軍属扱いにならないと無理であると旧厚生省援護課の職員から言われ、故赤松元大尉に頼み、了解してもらった経緯が明らかになった。
 ※このブログ記事は9月3日付けのオーマイニュースにも転載されている。 

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1 コメント

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Unknown (田中範継)
2008-10-31 05:43:46
お疲れ様です。

がんばれ、梅沢元少佐!

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