サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

映画「アイ・コンタクト」DVD発売中!
サッカー・映画・手話、各障害者サッカーにまつわる話もUPしていきます

電動車椅子サッカー の選手たちが 10kmか6kmルールに専念出来ることに

2017年01月16日 | 電動車椅子サッカー

今週末の1月21日土曜日、横浜F・マリノス主催の電動車椅子サッカーの大会『横浜F・マリノスカップ』が開催される。
会場は日産スタジアムにほど近い障がい者スポーツセンター『ラポール』。
今回で14回目となる大会が昨年までと大きく様相を異にするのは、電動車椅子サッカーの制限速度が10kmと6kmの2カテゴリーで開催されることだ。

日本の電動車椅子サッカーは、この10年ほど2つのルールでおこなわれてきた。電動車椅子の制限速度10kmと制限速度6kmである。
前者が国際ルール、後者が国内ローカルルールである。この2つは別の競技かと思えるほどの違いがある。
別の競技に例えるなら硬式野球と軟式野球、あるいは硬式野球とソフトボール。硬式テニスと軟式テニスのような違い?
それよりも「走ってもいい通常のフットサル」と「走行禁止のフットサル」をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。通常のフットサルではスペースに出したパスに追いつくことができるが、走ってはいけないというルールがあるならばパスは足下に出すしか無い。
観戦する側からすると前者は迫力があり、後者は迫力にかけるだろう。しかしプレーする側からすると、後者はより緻密さが求められるという面もある。
このことはまさしく10kmルールと6kmルールにもあてはまる。

また国際ルールは10kmであるため、当然日本代表は10kmでプレーすることになる。ということは日本代表を目指す選手達は10kmでプレーする必要がある。
これまでも各地区の代表が対戦するブロック選抜大会や、電動車椅子サッカー協会の公式的な大会ではないがクラブチーム同士が争うドリームカップなど10kmでおこなわれる大会はあったものの、クラブチームの日本一を決める『日本電動車椅子サッカー選手権大会』が予選を含めて6kmで開催されてきたため、日本代表を目指す選手達は10kmと6kmの両方をプレーする必要に迫られて来た。
極端な言い方をすれば日本のプロ野球が普段軟式で行われていて、時々カップ戦で硬式野球も経験、そんな選手達が WBCに出場し硬式野球をやるようなものだ。
あるいはマラソンでオリンピック出場を目指す選手が普段は競歩もやらなくてはならない。
例えれば例えれるほどわかりにくくなったかもしれないのでこのあたりでやめておくが、電動車椅子サッカー日本代表を目指す選手達が2つのルールをプレーすることを余儀なくされ、強化という面ではとてもマイナスに作用してきた。
そういった意味で、彼ら彼女らにとって10kmルールに専念できる環境作りが望まれてきた。

しかしながら仮に10kmに統一してしまうと、電動車椅子の性能の問題や身体的な理由、あるいは考え方の相違でついていけない人たちがいる。むしろ全体の数で言えばそちらのほうが多いだろう。
日本における電動車椅子の法定速度が6kmであることも関係しているし、日本代表になるためにはストライクフォースというアメリカ車に乗らないと実質的には無理であるといったことも関係しているだろう。
当然「6kmで楽しくプレーしたい」という人も多いだろうし、「6kmを突き詰めたい」という人もいるだろう。
いずれにせよ、普及という観点から6kmルールは欠かせない。

 ということはプレーヤーが2つのルールのどちらかに専念したうえで共存していくしかないわけだが、それはそれで簡単ではなかった。
例えば審判の確保の問題や2つのルールを同一大会で運営する難しさもあっただろう。
クラブチームの立場からすればチームごとすんなりと10kmか6kmを選ぶことができれば問題はないだろうが、意見が分かれてしまえば悩ましい事態になる。
チームが多いエリアであれば移籍もあるだろう。しかしチーム数が少ないエリアではそうもいかない。

といった簡単ではない様々な課題を日本の電動車椅子サッカー界は抱えてきたわけだが、どうやら今年の全国大会から6kmと10kmの2つのカテゴリーに分かれて開催されるようだ。予選も2つのカテゴリーに分けて行われ、選手達は10kmあるいは6km、どちらかのルールに専念できることになる。
7月に世界大会を控える日本代表候補の選手達にとっては遅きに逸した感も否めないが、朗報であることは間違いないだろう。 
6kmを選択したチームは、これまではむずかしかった全国大会出場、そして上位進出が現実的なものとして立ち上がってくるかもしれない。
もちろん10km、6kmの選択の際、各チームで容易ではない選択もあるだろう。 前述した移籍もあるかもしれないし分裂もあるかもしれない。
簡単ではない課題も立ち上がってくるかもしれないが、進むべき方向に歩を進めていることは間違いないだろう。 


前述した『横浜F・マリノスカップ』は全国大会と比べると小さな大会であり電動車椅子サッカー協会の公式的な大会でもなくローカルな大会であるが、変革の序章として、2つのルールで開催されるという意味でエポックメーキングな大会と言えるかもしれない。
これまでも6kmの大会でデモンストレーション的に 10kmが行われるなど、同時に観戦出来る場が皆無なわけではなかったが、正式な形で両ルールでの試合が行われるのは初めてではなかろうか。
そういった意味でも今年の『横浜F・マリノスカップ』は、観て損はない大会だろう。


私も当然行きます。 


詳しくは
http://sp.f-marinos.com/news/detail/2017-01-14/100000/183322

開催日時 1月21日 10時〜19時(試合開始は11時50分〜) 両カテゴリーの決勝が行われる夕方近くの観戦がお得かもしれない。


追記 わかりにくいようだったのでアップした後、少し訂正しました。 

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MARCH上映予定

2017年01月14日 | 映画『MARCH』

福島県南相馬市小中学生のマーチングバンド“Seeds+”を描いた短編ドキュメンタリー映画『MARCH』の上映予定

1/14(土) 11:00〜 大坂・中崎町ホール
『大坂市北区から何ができるか…防災について考えてみませんか?』という防災フェスタの一環として。
http://osaka-kitakusyakyou.com/
今日でした。

1/16(月) 13:30〜 東呉大学(第一教學研究大樓10F樓 R1006)
東呉大学ってどこだ? 台湾だそうです。

 1/28(土) 17:30~ 東京都水道橋
村上アシシ×ちょんまげ隊長ツン(映画のプロデューサー)による座談会&映画MARCH上映会
http://atsushi2010.com/archives/9065

2/11(土) 13:30~ 横浜・みなとみらい ブリリアショートショートシアター 
ヨコハマ・フットボール映画祭2017初日に上映
http://2017.yfff.org/march/
私も行きます。


 “自主上映会”の問い合わせはこちらに
http://seedsplus.main.jp/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E4%B8%8A%E6%98…/

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ドラマ『奇跡の人』とヘレン・ケラー

2016年12月30日 | 手話・聴覚障害

NHKBSで放送されていたドラマ『奇跡の人』が文化庁芸術祭でテレビ・ドラマ部門の大賞を受賞したそうで。

 以下の段落はORICON STYLEよりの引用記事。
 ロックバンド・銀杏BOYZ峯田和伸が主演し、NHK・BSプレミアムで4月~6月に放送されたプレミアム・ドラマ『奇跡の人』が、平成28年度(第71回)文化庁芸術祭でテレビ・ドラマ部門の大賞を受賞した。27日、文化庁より発表された。
 同ドラマは、重いハンディキャップを克服したヘレン・ケラーと、彼女に光を与えた“奇跡の人”サリバン先生の実話をヒントに、うだつの上がらないダメ男・亀持一択(峯田)が、目と耳に障害のある娘・海を抱え、さまざまな困難と格闘していた鶴里花(麻生久美子)と出会い、「人生で何も成し遂げていない自分がやるべきことは、この母娘を助けることだ!」と一大決心。ダメ男のいちずな想いが信じられないような奇跡を生む、正真正銘の愛の物語。  
 受賞理由として、「岡田惠和の大胆だが繊細な脚本、狩山俊輔の遊び心たっぷりの演出、主演の峯田和伸や脇を固める俳優陣の好演が光り、娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた傑作ドラマに仕上がった」と指摘。「盲ろうの少女が世界を発見していく奇跡は、私たちがこの世界を、人生を再発見していく奇跡でもある」と絶賛している。

 
 私も題材故に「観となかきゃ」ということで10月からの再放送を観ていた。ロック嫌いの人にはうざく感じられたかもしれないが、なかなか面白いドラマに仕上がっていた。無理を感じる部分もあったのだが、物語全体に寓話性を持たせたことによりうまく処理している印象だった。盲ろうの女の子がおざなりに描かれている部分もかなりあったが、盲ろうに関するポイントポイントは押さえていたように思う。欲を言えば10回ではなく6〜7回くらいの尺だとちょうど良かったのかもしれないと思った。そこは連続ドラマの難しいところで、内容によって適正回数が変動できれば良がなかなかそうもいかない。


 で、ドラマのモデルになっているヘレン・ケラーとサリバン先生について少し書き込みことにする。
 ヘレン・ケラーに関して、映画『アイ・コンタクト』を作るまでは人並みの知識しかなかったのだが映画制作を機に、ヘレン・ケラーの著作、サリバン女史の著作、ヘレン・ケラーについて書かれた何冊かの本、漫画などを読んだ。
 読んでいて印象的だったのは、ヘレン・ケラーが1歳7ヶ月までは「聞こえていた」「見えていた」ことだった。1歳7ヶ月と言えば、いくつかの単語を発し、言語が脳内に浸透し始めていく時期だろう。実際ヘレン・ケラーもある程度の単語を発していたようである。元々知的能力は高かったようでもあるし、ものに名前があるということはこの時点である程度理解できていたのではないかと思われる。そして1歳7ヶ月の時点から高熱のため、聞こえなく、見えなくなっていったようだが、全く聞こえなくなったのか?少しの残存聴力は残っていたのか? 正直よくわからない。

 サリバンと出会うのはその5年後で、その間は家庭内でのみ通じるホームサインでコミュニケーションをとっていたようである。ドラマで亀持一択が自分や母親の名前の手話を教える場面があるが、ヘレン・ケラーの場合はサリバンと出会う前からその点はできていたようだ。ただしその背後にある感情まではわからない。(ドラマでは単なるサインということではなく、親愛の情を示すコミュニケーションツールとして昇華していく様が描かれていた。)
 
 自身も弱視者であるサリバンは(荒っぽく言うと)ベルの紹介で派遣されてきた。ベルは電話の発明で有名な人物。その電話は難聴者である妻が何とか会話できるようにと開発したもので、ベル氏はろう学校の設立もしている。また強烈な口話主義者でもあったらしい。(口話主義のことは後述する)。サリバンは母親と早くに死別し父親はアル中、盲学校は卒業したが後が無いと言えば後がない状況。
 
 ともかくサリバンとのマンツーマンのやり取りのなかでヘレンは急速に文法を理解し、世の中には文字というものがあり、その文字で言語を書き現すことができるという事実を知ったようだ。それからは点字書物の乱読につぐ乱読。あるとあらゆる点字書物を読み尽くすほどの勢い。そうやってヘレンは貪欲に知識を吸収していき大学にまで進学することになる。
 
 ヘレンはベルの影響も多く受けており、口話(要するに音声でしゃべること)の習得にも情熱を燃やした。前述した口話主義とは聞こえなくてもしゃべれるようになるという主義。実際に世界のろう学校で口話教育がおこなわれ、日本でも昭和8年にろう学校での手話が禁止された。しかし実際しゃべれるようになったのは残存聴力が残っていると思われる一握りの子供たちだけであった。口話教育は(大げさでも何でもなく)人類の教育史上における大きな失敗となった。
 
 ヘレンに話を戻す。彼女はサリバンの口のなかに手を入れ、ある音の時の舌の位置はどこ、振動の具合などをチェックしくり返し発音練習したようだ。残存聴力も多少はあり活用したのではないだろうか?よくわからないが、個人的には残存聴力が少しあったのではないかと思っている。ただ補聴器もない時代であり活用できるほどの残存聴力ではなかったのかもしれない。
 
 そしてともかく不明瞭ながらヘレンは音声言語も話せるようになった。実際はごくごく近しい人しか聞き取れなかったようで、そういった人が通訳代わりとなり明瞭に言い換えたようだ。実際彼女の音声を聞いたことがあるが、不明瞭だということはわかるものの、英語なのでどの程度不明瞭なのかがよくわからなかった。

 ヘレンは生前、取り戻せるのなら聴力と視力、どちらを取り戻したいかと問われ明確には答えなかったようだが、言語によるコミュニケーションという面から聴力というような意味合いのことを語ったようだ。知性の人、ヘレンらしい返答とも言えるが、ひょっとしたら手話言語の豊潤さを理解できていなかったのだろうか。もちろん彼女は手話の存在は知っていて、日本からヘレンを訪ねたろう学校のろう教員から日本語の指文字作成の相談にものっている。当時は日本で指文字ができる前で、世界的にも有名なヘレンに意見を求めたのだ。
 ヘレンが触手話、あるいは触手話的なものをどれほど使っていたか不勉強ながらあまりよく知らないのだが、少なくとも視覚言語である手話(アメリカ手話)を見たことはなかったわけで、手話言語の持つ言語的豊かさに気付いていなかったのかもしれない。それとも多数者の言語である英語のほうが良いと思ったのだろうか。

 
 ドラマに関連づけてヘレンケラー のことに言及しようと記憶を頼りに書き始めたが、わからないことも多かった。詳しい方がおられたらご教授ください。

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『JIFF(障害者サッカー連盟)インクルーシブフットボールフェスタ2016』開催

2016年12月28日 | 障害者サッカー全般

 12月24日のクリスマスイブ、東京都多摩市でJIFF(障害者サッカー連盟)主催の 『JIFFインクルーシブフットボールフェスタ2016』が開催された。
 今年4月1日に JIFFが正式に立ち上がって以来、JIFF主催の初めてのフェスティバルである。

 イベントには障がい者サッカー7団体の関係者や選手たちをはじめ、多くの健常児や障害児童、ご家族や関心のある大人達が参加。電動車椅子サッカー、アンプティサッカー、ブラインドサッカーを体験するとともに、健常者も障がい者も混ざり合うピッチで、ボールを蹴った。
 ピッチ上には、健常児、知的障害児、聴覚障害児童、脳性麻痺、片足切断のアンプティサッカーの選手達が混在。一つのボールを追いかけた。

 また在京のJリーグ(FC東京、FC町田ゼルビア、東京ヴェルディ)、なでしこリーグ(日テレベレーザ、スフィーダ世田谷)、Fリーグ(フウガドールすみだ、ペスカドーラ町田、府中アスレチックFC)等、各チームのコーチや選手、サッカースクール関係者、OGなども参加、健常児・障害児への指導、というか楽しい場作り、そしてともにピッチでプレーした。また聴覚障害のプレーヤーを中心としたチーム、バルドラール浦安デフィオからも監督、選手が参加した。

 北澤JIFF会長をはじめ、元なでしこジャパンの小林弥生さんも参加、元JリーガーでCPサッカー日本代表監督島田祐介氏もともにプレー、元日本代表監督岡田武史氏、日本代表GK川島永嗣選手は、各種サッカーを体験、プレーの難しさを体感していた。

  
 これだけの人々が集まったのも、やはりJIFFが正式に発足しサッカー協会と障がい者サッカー7団体とJFA(日本サッカー協会)が太いパイプでつながったことによるだろう。

 しかし以前より数は少なくとも、各県各地域で各障がい者サッカーが集ったイベントが開催されてきた歴史を忘れるべきではないだろう。
 例えば『メリメロ』は、「障害のあるなし関係無しに『ごちゃまぜ』 にサッカーを楽しむことができる空間作り」を旗印に活動を続けて来たが先日発展的解消をとげた。私も何度か参加させてもらった。

 また2010年に開催された別団体によるイベントには、南アフリカW杯を終えたばかりの川島選手も参加、ブラインドサッカー体験している姿が印象に残っている。
 その時のブログの書込み  
 障害者サッカーのイベントに川島選手が

 ちなみにその時、初めてアンプティサッカーを目撃。ヒッキ選手のボールタッチの柔らかさに驚いた。

 北澤会長もブラインドサッカーにかなり前から関わりを持たれて来た。ロンドンパラリンピック予選の前くらいからは煩雑にブラインドサッカーの現場でお見かけしたように思う。ブラインドサッカー版『ドーハの悲劇』も目の当たりにされていた。 

 岡田武史氏は以前より電動車椅子サッカーに関わりを持たれ、私が電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画を撮るきっかけになった日本代表の壮行試合(2011年)も観戦されていた。

 さらに言えば、岡田氏をフランスワールドカップアジア予選の真っただ中、監督に抜擢した故・長沼健JFA会長(当時)は、晩年、ハンディキャップサッカー連盟会長として知的障がい者サッカーと深く関わられた。2006年のドイツ大会ではご一緒することができた。

 そういった前史があって、今に連なっている。もちろん順風満帆な流れではなく、様々な問題を抱えながらの歴史だっただろう。


 具体的にどのイベントというわけではないが、以前のイベントでは健常者と障害者がともにプレーする、一同に会すること自体が目的のように感じられ、「楽しさ」が全面に押し出され「素晴らしいこと」で終わっていると思うことも少なくなかった。また『健常者、障害者ともに』ということを強調するがあまり各々の障害理解にはつながっていないような気がすることも多かった。

 もちろん健常児・健常者にとって何らかのきっかけになればで良いのだが、その場での疑問にも明確に答え得る人が少なく、浅い理解で満足しているように思えることもあった。

 やはり大切なのはその場で何かを感じて、その後も継続して考え続け、出来れば発信につなげることだろう。
 そのことが『サッカーなら、どんな障害も超えられる』 ということにつながっていく。

 閉会式の挨拶でも北澤会長がそういった意味合いのことを述べられている。

(以下は閉会式の岡田武史氏、北澤会長の閉会式での挨拶。当日の様子を撮影した映像をインサートしていますので雰囲気は伝わるかと思います)
 【JIFF】JIFFインクルーシブフットボールフェスタ2016 岡田武史氏、北澤豪会長コメント動画  


 私自身は当日撮影等に追われていて時間的な余裕もなかったのだが、インクルーシブのサッカーを見て思ったのは、かなりガチの瞬間が多かったこと。
健常児が障害児からガチンコでボールを奪う、障害児も懸命にボールを取り返そうとする。もちろんそこには笑顔はない。しかし真剣にサッカーを、フットサルをプレーしている姿がある。
「楽しい」って、そういうことだったりもするだろう。
 何か少しだけインクルーシブサッカーの進化形を見たような気がした。

 また健常児がアンプティの選手にパスを出す場合、足は1本しかないわけでより正確なパスが求められる。もちろんスペースへのパスもより工夫が必要だ。CP(脳性麻痺)の選手にパスを出す場合は麻痺していない方の足で受けやすいようなパスを出すべきだったり、場合によっては健常児だけでプレーしているよりもより高度な瞬間的な判断が要求されることもあるだろう。あるいは接触プレーで倒した場合、さすがにそこまでの接触はよくないと学習もするだろう。知的障害児にはあまり複雑な動きは要求できないと学習するだろう。聴覚障害児とはジェスチャーやアイコンタクトが有効だと感じるだろう。
 そうやって身をもって『障害』を 体感できるのも、サッカーを互いが真剣にプレーするからだ。 

 

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横浜で映画『MARCH』上映とブラインドサッカー体験会

2016年12月08日 | 映画『MARCH』

今週末の土曜日(12月10日)横浜市港北区で短編ドキュメンタリー映画『MARCH』の上映があります。
その前には落合啓士選手も来場しブラインドサッカー体験会もあるそうです。

日時 12月10日(土曜)
9時20分~ ブラインドサッカー体験会
11時 映画映画『MARCH』の上映
(上映の前にプロデューサーであるツンさんの被災地報告会有)

場所 横浜市港北区 城郷小机地区センター

いずれも無料、当日城郷小机地区センター体育館へ。
映画上映のみの参加も可能だそうです。

詳しくは下記参照
http://www.chikusen.ne.jp/kodukue/event/detail.php?id=698

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サムライブルー オマーン戦

2016年11月12日 | サッカー
最近はフェイスブックの投稿のみでお茶を濁す場合も多くあまりブログ更新していないので、フェイスブックの書き込みをそのままアップしておきます。


今日は鹿島でサムライブルー生観戦、現在バスにて帰京中。

試合の立ち上がりは何だかバラバラだったけどピッチ上でコミュニケーションをとりつつ徐々に良くなった印象。
その後の大迫の2得点は、ゴールへの渇望と落ち着きが同居した素晴らしいもの。
小林のボランチ起用もなかなか興味深かった。前回は「俺が俺が」といった自己アピールに終始していた印象もあったが、今日は与えられたミッションを忠実に果たしつつ最後は代表初ゴール。
これからのボランチのポジション争いがとても面白くなりそう。本人は前めでやりたいんだろうけどボランチもありかとも思う。

この試合はサウジ戦に向けての調整でもあり適度に選手を休ませたりしていたが、山口蛍はフル出場。その点はやや心配。
とにかくサウジ戦で勝ち点3を取らないと今日の試合も意味がなくなってしまいます。

ところで鹿島スタジアムは火が使えて食べ物がとても美味くて良いんだけど、平日開催はかなり無理もあり空席が目立っていた。まあ今回は大迫の2得点で鹿島で良し、ということでしょうか。
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第22回日本電動車椅子サッカー選手権大会

2016年10月30日 | 電動車椅子サッカー

 先週末の10月22日~23日、大阪で開催された『第22回日本電動車椅子サッカー選手権大会』に行って来た。大会を簡単に振り返るとともに歴史にも少し触れてみたい。
 
 大会には各地区の予選を勝ち上がってきた16チームが参加、電動車椅子サッカーのクラブ日本一を決める。各ブロックから選抜された選手たちが集うブロック選抜大会が、国際ルールに準じた電動車椅子サッカーの制限速度10kmで行われているのに対し、こちらは国内ルールの6kmで開催されている。
 もっとも国際ルールが統一され日本に持ち込まれたのは2006年以降であり、それ以前は日本独自のルールにて国内の電動車椅子サッカーは行われていた。現在のサッカーとの大きな違いはボールの大きさと2on1(ツーオンワン)というルールの存在の有無である。ボールは現在直径32.5cmなのに対してて以前は直径50cmの巨大なものだった。運動会の玉転がしの玉のようなイメージだろうか。
 2on1はボールに対して半径3m以内に各チーム1 人しかプレーに関与してはいけないというルールで、噛み砕いて言うと「一人の相手選手に対しては一人の選手しか守備に行ってはいけない」というもので、以前は団子状態でパスなどほぼ皆無だった電動車椅子がボールゲーム化する大きな改革となった。
 私が最初に電動車椅子サッカーを観たのは2006年富山で開催された12回大会で以前のルールにて開催されていた。
 
 さらに大会の歴史を遡ってみる。
 以下電動車椅子サッカー連盟初代会長であったジョージ土井氏の著作『車椅子のジョージ』(リトル・ガリヴァー社刊)からの情報による。
 第1回は1995年名古屋で4チームが参加し『第1回電動車椅子サッカー全国大会in名古屋』という名称で開催された。現在は試合前に各自の電動車椅子が制限速度を越えてスピードが出ないように設定されているかどうかのスピードチェックが必ずあるが、以前はそういったものもなかった。回を重ねるなかでアメリカ製の電動車椅子が導入され国産では太刀打ちできないような状態が生まれ、スピードチェックを行うことになったようだ。
 また今大会の開催地である大阪は電動車椅子発祥の地でもある。大阪市身体障害者スポーツセンターのある日の出来事から電動車椅子サッカーは生まれた。
 とある女性指導員が体育室で遊具の後片付けに追われていた。前述したジョージ氏は彼女に恋心を抱いていた。彼女の手助けをしようとジョージ氏が電動車椅子を使ってまるでブルドーザーのようにスムーズに遊具を運ぶ。するとジョージ氏の前方に直径1m大の大きなバルーンが立ち塞がる。最初はうまく転がすことができなかったが、途中からわりとうまく運ぶことができた。その様子を見ていた男性指導員(ジョージ氏と2人3脚で障害者スポーツの可能性を探ってきた)が飛び出してきてこう言った。
 「これだ!これを使って楽しめる競技スポーツにできないものだろうか?」 
 それが電動車椅子サッカーへとつながっていった、らしい。

 実際電動車椅子サッカー練習の前後、ゴールポスト代わりのカラーコーンを小型ブルドーザーのように器用に運んでいる選手たちの姿を何度も見かけたことがある。

 そして今大会の試合会場は発祥の地の体育館とは異なるものの同じ大阪での開催となった。

 大会は予選を勝ち上がってきた16チームがトーナメント制で雌雄を決する。決勝と3位決定戦を除き2試合が隣り合わせのコートで同時進行に行われた。
 初日の1回戦第1試合は、Yokohama CrackersとYOKOHAMA BayDreamの横浜対決となった。この2チームはともに練習を行う機会も多く1週間前にも合同練習をおこなったばかり。地力に勝るCrackersをBayDreamがどこまで抑えられるのか? しかし開始早々にCrackersが先制点をあげた。クリアボールを紺野が左サイドの永岡へ、永岡がそのままゴールに流し込む。開始わずか35秒ほどの先制点だった。
前半19分には右サイド紺野のキックインを三上がファーで合わせて追加点。前半終了間際にはこぼれ球を再び三上が押し込んで3-0。後半終了間際にはFKからのこぼれ球を三上、紺野とつないで4点目。4対0とCrackersが横浜対決を制した。
 通常トーナメント制では一度負ければ試合はない。だが今大会は1回戦で負けたチーム同士のエキシビションマッチが組まれた。つまり最低2試合はできるわけだ。せっかく全国から集まったのだから少しでも経験を積んでもらおうという配慮だろう。BayDreamは翌日廣島マインツと対戦。2点をリードしたものの、廣島マインツ谷本の意地の2ゴールで追いつかれ2-2と引き分けた。
 もう1試合は奈良クラブビクトリーロードと兵庫パープルスネークスの関西勢対決。2-0と奈良の勝利。こちらは全く観ることができなかった。

 1回戦第2試合は、中部のFCクラッシャーズと東京のFINE、ERST広島M.S.Cと金沢ベストブラザースの対戦。FINEと広島は3人での参戦(通常は4人対4人で試合が行われる)となり敗退、FCクラッシャーズ(7-0)と金沢ベストブラザース(2-0)が2回戦に駒を進めた。  クラッシャーズの飯島は先をイメージしてのプレーや、タメを作ってのパスなど相変わらず“上手い”プレーを見せてくれた。

 第3試合は廣島マインツとNanchester United鹿児島、Wings(中部)とプログレス奈良の対戦。Nanchester United鹿児島はゴールラッシュ、東のハットトリック、塩入の2ゴール、小学生井戸崎や女子選手野下のゴールなどで8得点(もう1点を誰がいれたか不明)をあげマインツを撃破。Wingsもプログレス奈良を2-0と退け2回戦進出。

 第4試合は昨年度優勝のレインボー・ソルジャー(東京)がスクラッチ香川を5-1で下し2回戦へ。Red Eagles兵庫もSONIC~京都電動蹴球団を6-0で下し2回戦へ進んだ。

 1回戦は実力差の大きいチーム同士の対戦となることも多い。一方組み合わせによっては1回戦を勝ち抜ける力を有しているチームもある。例えばYOKOHAMA BayDreamなどもそうだろう。

 1日目第5試合からは2回戦に突入。実力も拮抗し、2日目への切符、即ち準決勝進出ををかけての熱い戦いが繰り広げられた。
 第5試合のYokohama CrackersとNanchester United鹿児島の対戦は息詰まる熱戦となった。前半3分鹿児島はフリーキックからの流れで右コーナー付近の東がワントラップしボールを保持、ニアポストにわずかなシュートコースを見つけるや否やシュートを放ち先制点をあげた。一瞬の隙をつかれたCrackersも前半アディショナルタイムにチャンスを迎える。右サイド三上からのキックインのこぼれ球に竹田がうまく詰めてファーポスト付近で待つ永岡へつなぐ。永岡の逆回転シュートが決まりCrackersが同点に追いつく。その後延長までもつれた試合の決着はPK戦に持ち越された。Crackersの永岡が鹿児島のキーパーに止められ、準決勝への切符を手にしたのは Nanchester United鹿児島。キーパーが一瞬早く動いたようにも見えたが判定は覆らなかった。

 一方、奈良クラブビクトリーロードはWings相手に8-0の大量得点差勝利で準決勝進出。

 第6試合ではレインボー・ソルジャーが金沢ベストブラザーズを4-2、Red Eagles兵庫がFCクラッシャーズ4-3と、それぞれ下し準決勝へと駒を進めた。

 そして迎えた2日目の準決勝、Nanchester United鹿児島とRed Eagles兵庫の対戦で先制したのはRed Eagles兵庫。 左コーナ―付近で有田が粘りを見せ球際で競り勝ち、こぼれ球がファーサイドの内海のもとへ。内海がゴールに蹴り込み雄叫びをあげた。前半5分の先制点だった。鹿児島は追いつくことができずRed Eagles兵庫が決勝進出を決めた。Nanchester United鹿児島はRed Eagles兵庫に持ち味を抑え込まれた形の敗戦となった。組み合わせの妙も感じる試合だった。

 準決勝のもう1試合は奈良クラブビクトリーロードとレインボー・ソルジャー。前半奈良が先制するものの、レインボーも粘りを見せる。後半3分、右サイド北沢のキックインをニアで吉沢が1タッチで方向を変えファーで待つ内橋へ。ゴールゲッター内橋がきっちりと流し込みレインボーが同点に追いつく。試合は前後半5分ずつの延長にもつれ込みPK戦の気配も漂ってきた延長後半2分、ついに均衡が崩れた。奈良の山田が自陣深いところから振り向きざま思い切りのいいシュートを放つ。やや前目にポジションをとっていたレインボーのキーパーをあざ笑うようにボールはゴールラインを越え勝ち越しゴールとなる。そしてそのまま試合終了。昨年の優勝チームであるレインボー・ソルジャーを押しのけ決勝に進んだのは奈良クラブビクトリーロード。

 決勝はRed Eagles兵庫と奈良クラブビクトリーロードの関西勢同士の対戦となった。
 先制点は早い時間帯に生まれた。前半3分、奈良は左サイドで強気のキックインを繰り返していた山田のボールがエリア内で守る2人の選手の間を抜けていき、安井がファーで粘って折り返す。そして2on1(ツーオンワン、前述した電動車椅子サッカー独自の反則)ぎりぎりの位置まで詰めていた山田が蹴り込み先制点をあげる。
 しかし後半3分には兵庫が同点に追いつく。右サイド内海のキックインを有田がシュート、奈良の中井がいったん弾き出すもののボールは木下と中井の間でピンボールのような動きを見せゴールに吸い込まれ、1-1と試合は振り出しに戻った。
 追いつかれた奈良は後半13分、左サイド山田のキックインをファーで安井が合わせて勝ち越す。さらに19分には中井が自陣からの目の覚めるようなロングシュートを決めとどめを刺し、奈良クラブビクトリーロードが2010年16回大会以来5度目の優勝を飾った。
 奈良クラブビクトリーロードは中井・山田など若手パワーが炸裂、木下が後方を締め安井も前線で決めるべきところで決めた。MVPは安井悠馬が受賞した。

 今年の大会は昨年に比べると6kmであることのもどかしさはあまり感じなかった。昨年は大きな体育館でコートも広くとってあったが今年は狭く、スペースのボールに追いつけないという局面は少なかった。だが今後は世界を目指す選手たちは10kmだけでプレーできる環境を整えていくべきだろう。もちろん初心者にやさしい6kmルールが普及という意味で大きな役割をはたしていくべきだろう。
 
 今大会いろいろと思うことは多岐にわたった。2011年以来6年連続で撮影に訪れれば当然だろう。それはともかく撮影は今回が最後。来年以降も是非観戦には訪れたい。

 今大会優勝できる可能性があったチームは奈良クラブビクトリーロード、Red Eagles兵庫、Nanchester United鹿児島、レインボー・ソルジャー、Yokohama Crackersの5チームだろう。いわば5強と呼べるのかもしれない。FCクラッシャーズなども好チームだがやや後塵を拝しているのは否めないだろう。そういった勢力図が来年以降どう変化してくのだろうか。

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“聞こえない映画監督”のドキュメンタリー映画『Start Line』

2016年10月16日 | 手話・聴覚障害

先日、“聞こえない映画監督” 今村彩子さんのドキュメンタリー映画『Start Line』を観てきた。
ブログに書き込もうと思っているうちに随分時間がたってしまった。

どんな映画かというと以下(チラシからの抜粋)のような映画だ。

 “聞こえない映画監督”今村彩子は2015年夏、自転車で日本縦断の旅に出る。
 荒天、失敗にすぐ失敗、“聞こえる人”とのコミュニケーションの壁に、ヘコみ、涙し、それでもひたすら最北端の地に向けて走り続ける。そんな彼女 の姿を追うのは、伴走者にしてカメラ撮影を担う“哲さん”。
「コミニュケーションを、あなた自身が切っている」
 相手を思うがゆえの容赦のない言葉に、一触即発の危機が訪れる…。
 そして、聴力を失ったサイクリスト、ウィルとの奇跡的な出会い。
 はたして彼女はどんな答えを見つけるのか?人生の旅そのものの3,824km。
 ニッポンのためらう人に観てほしい、一遍の勇気のおすそわけです。 


 なかなか面白かった。今村さんの作品は結構観ているが、この作品は初めて“一般の聞こえる人”にも薦められる作品なのかという気がする。過去の作品は“聞こえない人”向けだったり、“聞こえない人に関心がある聴者(聞こえる人)”の教材映像という感じだった。
 この映画はコミュニケーションがテーマとして企画されたようだが、映画の前半、“主演女優”でもある監督は聴者とうまくコミュニケーションがうまくとれず、半ばコミュニケーションを放棄したような状況になる。
 聞こえない聞こえにくい人は聴者の口形を読み取ることが出来るなどとまことしやかに語られることがあるが、実際には慣れない人の口形を読み取ることはとても疲れることであり、すべてを理解することなど至難の技だ。映画ではそのあたりのことが痛いほど伝わってくる。それだけでも一見の価値がある。
 監督はそんな困難からまるで逃げるかのように、ろう者の友人を訪ね活き活きと手話で会話する。その対比もとても興味深い。

 前半は今村監督が自暴自棄のような行動で監督を放棄し、まるで“哲さん”が監督のようにも見えたりすることもあるが、撮影の前にかなりのディスカッションをしたのだろう。というか監督が熱く語ったのだろう。“哲さん”のなかに「あなたはこれこれこういう映画を作りたいと言っていたじゃないか」みたいなことがベースにあってのやりとりとなっている。
また彼女の行動は計算なのか?とも一瞬思うが、まったくそんなことはないのだろう。
 
 今村監督は旅が終わった後、当初思い描いていたようなことにはならず随分へこんだようだが、弱い自分と向き合い編集作業を進めた。その結果、まさに等身大のろう者のむき出しの『とても素敵なドキュメンタリー』に仕上がっている。

またこの映画の音に関しては聴者スタッフが何名か関わっているようだ。このあたりも映画の強度を高めている。

東京での上映は終わったが今後各地での上映が予定されているようだ。観て損はないと思う。

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単行本『サッカーならどんな障がいも超えられる』発売

2016年10月15日 | 障害者サッカー全般

『サッカーなら、どんな障害も超えられる』 

今年
41日に発足した障がい者サッカー連盟のキャッチフレーズだ。各障がい者サッカーの大会には必ず横断幕が掲げられ、パンフレットの裏表紙を飾る。そして『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』という本が講談社より発売された。

著者は旧知の江橋よしのり氏。「購入しなきゃなあ」と思っていたところ献本していただき早速読了した。

 

 内容は、ブラインドサッカー、アンプティサッカー、電動車椅子サッカーの選手などへの取材を軸にあたかもオムニバス青春小説(本人談)のようにまとめたもの。

 ブラインドサッカーは男女含めて4名の選手が取り上げられ、幼いころから見えない選手やある程度の年齢になって失明した選手などを織り交ぜブラインドサッカーが多面的に浮かび上がってくる。アンプティサッカーは、エンヒッキ・松茂良・ジアス選手の半生を通して日本のアンプティサッカーの歴史そのものが見えてくる。冒頭で取り上げられた電動車椅子サッカーの永岡真理選手からは競技に対しての強い想いが伝わってくる。もちろん競技への想いの強さは他の選手たちにも共通するものだ。

 
 
またブラインドサッカーと対比してデフフットサル(及びサッカー)の植松博美選手夫婦を取り上げたコラムでは、聞こえづらさの多面性や顔を上げないとプレーできないデフフットサル(サッカー)の独自性にふれられている。
 その他ソーシャルフットボール(精神障がい者のフットサル)に関しては医師の立場からのコラムが掲載。知的障がい者サッカー、CP(脳性麻痺)サッカーは紹介だけだが、7つの障がい者サッカーへの入り口としては最適な本だ。


 
この本は女子サッカーにもこだわった本になっている。そういった意味でも興味深い。著者の江橋氏は、なでしこジャパンが一躍有名になる以前より地道に女子サッカーの取材を続けてきた人であるし当然の流れでもあるだろう。
 
 ちなみに私も知的障がい者サッカーのドキュメンタリー『プライドinブルー』を制作した後は“ろう者サッカー女子日本代表=もう一つのなでしこジャパン”を追った『アイ・コンタクト』を制作。その当時、障がい者サッカーのなかで唯一の女子日本代表チームだった。そしてその後“もう一人のなでしこジャパン候補”と遭遇、それがこの本でも取り上げられている永岡真理さんである。現在彼女を中心とした電動車椅子サッカーのドキュメンタリーを制作中だ。

 また著者の江橋氏や編集担当の矢野氏はかなり以前からブラインドサッカーなどの取材をおこなっている。
2011年末に宮城県で開催されたブラインドサッカーロンドンパラリンピック予選にも江橋氏は姿を見せていたし、矢野氏がブラインドサッカーを初めて観たのは2005年だという。(私は2006年です)。矢野氏はブラインドサッカーの試合を観に行くと必ずいるし、ミックスゾーンでも鋭い突っ込みをしていた。
 そういったコンビが作った本であるから安心して読むことが出来る。

 

 以下は『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』アマゾンのURL
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E9%9A%9C%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E8%B6%85%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E6%B1%9F%E6%A9%8B-%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A/dp/4063787184


 以下はこの本への批判ではないが、常々感じていることを少しだけ。
 7つの障がい者サッカーを初めて見るとすると、一般論として圧倒的に魅力を感じやすいのはブラインドサッカーとアンプティサッカーだ。「凄い!」と言いやすい競技とも言える。体験しやすいという共通点もある。メディアも同様にこの二競技には集まりやすいだろう。ことにブラインドサッカーは東京パラリンピックで開催される唯一の障がい者サッカーということもあってダントツの注目度である。もちろんブラサカ関係者の長年にわたる努力の結晶でもあるのだが。アンプティサッカーは今はまだ注目されていなくとも注目されやすい要素はあると思う。
 
 電動車椅子サッカーは迫力もあり派手とも言えるが競技の特殊性故に入り込みやすいとは言えないだろう。
その他の競技は、はっきり言って地味だ。あるいは障害的にもわかりにくかったりする。
 その壁は高いと思う。

 

 自らの経験で言えば、知的障がい者サッカー選手に話を聞く際、こちらの観念がしょっちゅう空回りしていた。そういう時はサッカーボールを取り出して無心に蹴り合うことでなんとかコミュニケーションを図った。デフサッカーに関しても手話や聞こえない人々の世界への理解が必要だったが、サッカーという共通言語がなかったら一歩も前に進めなかっただろう。

 

 きっとサッカーならどんな障壁、障害もきっと超えられる、だろう。健常者側からも障害者側からも。

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三宅健さんの手話がわかりやすい????

2016年09月28日 | 手話・聴覚障害

 本日、知人からのメルマガに「パラのテレビでV6の三宅さんの手話がわかりやすいと好評だったそうです。」という一文がありびっくりしました。

 そのことはこのあたりの記事にも出ています。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215843

 驚いたのは、三宅健さんの手話がわかりにくいという書込みなどを何度か見かけていたからです。

 パラのテレビというのはNHK-Eテレでパラリンピック期間中に聴覚障害者にもパラリンピックを楽しんでもらおうという意図で放送されていた番組。私もパラリンピック期間中何度か見ました。 三宅さんは『みんなの手話』(NHK-Eテレの番組)などで学んだ手話力を活かして司会を務めていました。私がいうのもなんですが、手話力は確実に上がっているという印象がありました。


 ただわかりやすいという言い方は、誰にとってわかりやすいのかという話になってきます。
 例えば私は手話関係のTV番組を見る時は基本的には音声をオフにしてみます。 
そうすると『日本手話』の早瀬さんの手話はわかりやすいと思った場合、『日本語対応手話』で表出する三宅さんの手話はとてもわかりにくいことになります。もっと詳しく言うと日本語とは異なる言語である『日本手話』のモードで番組を見ると早瀬さんの手話はすんなり頭に入ってくるが、日本語である『日本語対応手話』で表出する三宅さんの手話はわかりにくいということになります。逆に三宅さんの手話のモードに頭を切り替えると今度は早瀬さんの手話が見えなくなってしまいます。どういうことかと言うと三宅さんの日本語に頭が引っ張られて日本手話が見えなくなってくるんです。

ろう者はこのモードの切り替えが瞬時に出来る人も多いのですが、私のような若輩者はなかなかうまくできません。

 日本手話者にとっては三宅さんの手話はわかりやすいということはないでしょう。仮にモードの切り替えがそれほど苦痛ではないとしても番組としてはやさしくはないでしょう。
 ただ三宅さんは口の形が読み取りやすいように配慮したり、現場にいるろう者にも伝わるように手話を表出しているでしょうからそういった意味では、音声を発する日本語対応手話のなかではわかりやすいほうなのかもしれません。

 もちろんまた日本語対応手話使用者の立場からするとわかりやすいでしょう。しかしこちらもやはりモード変更をせざるを得ないという点はあります。


 では誰にもっともわかりやすいのかというと、手話を知らない方や初心者にわかりやすいということかもしれません。何よりも日本語をしゃべっていますし、手話単語の表出もはっきりしているからでしょう。

 でもこれは何だか変な話で英語に例えると、日本人に分かりやすい英語だから素晴らしいという話なわけで、それって何だ?
 ネーティブにも日本人にもわかる微妙なラインの発音??
 音声言語の外国語に例えると話が変になってくるのですが、手話の場合、こういった奇妙なラインを求められたりもします。うーん何だかよくわからん。いや説明しようと思えば出来ますが長くなるのでやめておきます。 

 前述したように三宅さんの手話力が上がっているのは間違いないでしょうし、おそらくカメラの前の手話とろう者と雑談する時の手話を使い分ける実力もあるのかもしれません。
 とにかく三宅さん自身が、誠実に手話と向き合われていることはきっと間違いないでしょう。

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