サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

映画「アイ・コンタクト」DVD発売中!
サッカー・映画・手話、各障害者サッカーにまつわる話もUPしていきます

三宅健さんの手話がわかりやすい????

2016年09月28日 | 手話・聴覚障害

 本日、知人からのメルマガに「パラのテレビでV6の三宅さんの手話がわかりやすいと好評だったそうです。」という一文がありびっくりしました。

 そのことはこのあたりの記事にも出ています。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215843

 驚いたのは、三宅健さんの手話がわかりにくいという書込みなどを何度か見かけていたからです。

 パラのテレビというのはNHK-Eテレでパラリンピック期間中に聴覚障害者にもパラリンピックを楽しんでもらおうという意図で放送されていた番組。私もパラリンピック期間中何度か見ました。 三宅さんは『みんなの手話』(NHK-Eテレの番組)などで学んだ手話力を活かして司会を務めていました。私がいうのもなんですが、手話力は確実に上がっているという印象がありました。


 ただわかりやすいという言い方は、誰にとってわかりやすいのかという話になってきます。
 例えば私は手話関係のTV番組を見る時は基本的には音声をオフにしてみます。 
そうすると『日本手話』の早瀬さんの手話はわかりやすいと思った場合、『日本語対応手話』で表出する三宅さんの手話はとてもわかりにくいことになります。もっと詳しく言うと日本語とは異なる言語である『日本手話』のモードで番組を見ると早瀬さんの手話はすんなり頭に入ってくるが、日本語である『日本語対応手話』で表出する三宅さんの手話はわかりにくいということになります。逆に三宅さんの手話のモードに頭を切り替えると今度は早瀬さんの手話が見えなくなってしまいます。どういうことかと言うと三宅さんの日本語に頭が引っ張られて日本手話が見えなくなってくるんです。

ろう者はこのモードの切り替えが瞬時に出来る人も多いのですが、私のような若輩者はなかなかうまくできません。

 日本手話者にとっては三宅さんの手話はわかりやすいということはないでしょう。仮にモードの切り替えがそれほど苦痛ではないとしても番組としてはやさしくはないでしょう。
 ただ三宅さんは口の形が読み取りやすいように配慮したり、現場にいるろう者にも伝わるように手話を表出しているでしょうからそういった意味では、音声を発する日本語対応手話のなかではわかりやすいほうなのかもしれません。

 もちろんまた日本語対応手話使用者の立場からするとわかりやすいでしょう。しかしこちらもやはりモード変更をせざるを得ないという点はあります。


 では誰にもっともわかりやすいのかというと、手話を知らない方や初心者にわかりやすいということかもしれません。何よりも日本語をしゃべっていますし、手話単語の表出もはっきりしているからでしょう。

 でもこれは何だか変な話で英語に例えると、日本人に分かりやすい英語だから素晴らしいという話なわけで、それって何だ?
 ネーティブにも日本人にもわかる微妙なラインの発音??
 音声言語の外国語に例えると話が変になってくるのですが、手話の場合、こういった奇妙なラインを求められたりもします。うーん何だかよくわからん。いや説明しようと思えば出来ますが長くなるのでやめておきます。 

 前述したように三宅さんの手話力が上がっているのは間違いないでしょうし、おそらくカメラの前の手話とろう者と雑談する時の手話を使い分ける実力もあるのかもしれません。
 とにかく三宅さん自身が、誠実に手話と向き合われていることはきっと間違いないでしょう。

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聞こえない世界の一部のみを描いた映画『聲の形』と日本語字幕

2016年09月28日 | 手話・聴覚障害

 映画『聲の形』を観てきた。
 レディースデイの夕方ということもあり下校途中の女子高校生や20才前後の女性比率が高くオッサンは一人浮いた存在だった。それはともかくこの映画を観に行ったのは『聞こえない聞こえにくい人』に関する映画だから。もちろん原作である漫画も読んでいる。
(漫画の感想は以前書き込んでいるので良かったらどうぞ)

http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/e4a8cb73159732effc738312c8699c00
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/5458045089e308a1ceec8ae0088a5c4c
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/c1665545f9e01f5b36ab76eb2fba87ec

 とまあそういう流れなので映画の感想というより主として『聴覚障害』『聞こえない聞こえにくい人』や『日本語字幕』という観点から書き込みたい。
 
 原作では、聴覚障害者である西宮硝子(しょうこ)をいじめ、後には周囲からいじめられる側に回った石田翔也の一人称で物語は進められる。原作では硝子からの視点も多少はあるものの映画では石田翔也目線以外の硝子を描くことはほぼ放棄されている。そういったこともあり(原作でもわかりにくかった)『聴覚障害者』である面や彼女の心情もさらにわかりにくい構造になっている。
 そして映画では2人を掘り下げるのではなく、より群像劇になっており『聴覚障害』はより物語の装置に、極端に言えば硝子が『聴覚障害者』でなくともいい作りになっている。もちろんそのこと自体が悪いわけではない。
 硝子と入力するときに『しょうこ』ではなく『がらす』と入力し変換しているのだが、彼女は写し鏡のような存在に近いのかもしれない。例えば知的障害者が写し鏡のような存在として物語に動員されることもある。

 2人を掘り下げるという選択肢は作り手側には当初からなかったと思うが、実写化であれば掘り下げざるを得ない面はあったと思う。

  
 あらためて彼女を『聴覚障害』の面から見てみると、一人の人間には思えないところがある。そのあたりは前述した以前の記事にも書き込んだ。
  http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/c1665545f9e01f5b36ab76eb2fba87ec

聴覚障害者、ろう者といっても様々だ。聴力レベルや補聴器活用の違い、手話ができるできない、日本語発語の得意不得意、文章の得意不得意、通った学校等々。だがその組み合わせが無限にあるというよりは、聴覚障害児童の最大の問題である“言語獲得”をどのようにしておこなったか、おこなえたかによって組み合わせもある程度限定されてくるわけだ。シナリオ、あるいは漫画を描く場合、それぞれの“履歴書”から描いていくということも多いだろうが、硝子の場合はかなり矛盾した履歴書、あるいは相当に苦しい履歴書になっている。原作自体がそうなので映画はさらにそういった印象が強い。むしろ翔也や他の登場人物のほうが履歴書に忠実に書き起こされている印象がある。
 硝子は等身大の聞こえない聞こえにくい人というよりは、寄せ集めの集合体のような存在というか物語の要請からのキャラクター設定になっている印象である。漫画も映画も細かなディテールはしっかりしていてリアリティはあったりするのだが、一人の人間として考えると整合性がうまくとれていないというか、かなり無茶苦茶だということだ。
 そういった意味では、聞こえない聞こえにくい人の理解につながるというよりは誤解につながる面もあるのかとも思う。しかしそもそも漫画も映画も聞こえない聞こえにくい人の理解につなげようとすることがメインテーマではないわけで、こんなことを書いていること自体が野暮かもしれない。またタイトルで『聞こえない世界の一部のみを描いた映画』と書き込んでいるが特に批判的な意味は込めていない。

 ただ一つ一つのディティールに、聞こえない聞こえにくい人が同調し共感することは大いにあると思う。しかしその反応がさらに聴者の誤解を生むこともあるのかもしれない。

 聞こえない聞こえにくいことに関して、映画化に際して新たに付け加えられた点はほぼないが、肉声をどう聞かせるかという点には直面せざるを得なかった。発音の明瞭度に関しては原作にも吹き出しの文字を半分消したりなどの工夫が施されており踏襲した形だが、声のトーンだけは映画独自に作り込まなくてはならない。
 聞こえない聞こえにくい人のしゃべりのトーンは“平板”だったりすることが多い。補聴器活用の影響で機械的なトーンになったり、トーンの違いでニュアンスを使い分けられなかったりするからだと思われる。こういった聞こえない聞こえにくい人のトーンに久しぶりに触れた時など、私などはまるで故郷に帰ってきたかのような感覚を覚えることもある。映画ではそのあたりは巧妙に避けようという判断だったのだろうか。


 もう一つの『日本語字幕』というテーマに移ることにする。
 日本語字幕は耳の聞こえない聞こえにくい人向けのもの。もちろん老人性難聴の方々にも有効だろうし、録音状態が不明瞭だったり、むずかしい言葉が飛び交う場面などには聞こえる人にも有効だろう。

 この映画は9月17日に公開、翌週9月24日からの1週間に限り、1日1回だけ全国の映画館で日本語字幕版が上映されるようだ。つまり今週は日本語字幕版も上映されている。
 この映画は聞こえない人が主要な登場人物であるにも関わらず日本語字幕版の上映回数が少な過ぎるという意見があがっているようだ。確かに1週間に限らずもっと日本語字幕版の回数は増えていったほうが良いと思う。
 例えば川崎チネチッタは翌週以降も日本語字幕の上映を継続するらしい。知人である手話通訳者やろう者の尽力もあったようだ。今週も5回の上映のうち、3回が日本語字幕付きで上映されているようだ。
http://cinecitta.co.jp/movies/detail/05161.html

その他の映画館でもそういった取り組みがあるのかもしれないし、要望に応えてくれるところもあるのかもしれない。

 ただこの映画に限らず邦画すべてが日本語字幕になればよい、全てに上映は日本語字幕付きで行われるべきである。それがバリアフリーだという意見には猛反対である。
 聞こえない聞こえにくい人には日本語字幕が必要なように、聞こえる人にも聞こえる人向けのバージョンが必要だ。少なくとも作り手の立場からは強く思う。
 例えば登場人物が言葉を一言一言絞りだすように話している場合、日本語字幕では先に言葉を表示してしまうことになる。聞こえる人にはその肉声こそを聞いてほしい。ドキュメンタリーにしてもフィクションにしても。
 場所によっては車椅子の通れるスロープだけではなく健常者向けの階段もあったほうがいいように、日本語字幕も必要だが聴者向けの字幕無しバージョンも必要だ。もちろん眼鏡に字幕が出るなど新たな技術が導入され上映される場合は別だ。これなどはバリアフリーというよりユニバーサルデザインということになるだろうか。

 視覚障害を含んだバリアフリー上映にも少し触れておく。以前とある映画祭に呼ばれ、バリアフリー上映、つまり日本語字幕、音声ガイド付きで上映したいということがあった。
 上映した私の作品(ろう者サッカー女子日本代表を描いた『アイ・コンタクト』)は全面的に聴覚障害者を描いた映画だったので、その作品は字幕付き無しの区別はなく字幕有バージョンだけだった。字幕は聞こえない聞こえにくい人向けのみならず手話に対する字幕(つまり手話がわからない聞こえる人あるいは難聴者向け)も含まれていた。その点は問題なかったが、音声ガイドをFMなどの受信機に飛ばすクローズドの方式ではなく場内に流すとのことだった。しかし私の映画には長い無音の場面があり、場内に音声ガイドが流れたら台無しになってしまう。聞こえる人には“無音”を聴いてもらいたい。そのためには音声ガイドを受信機に飛ばす方式にしてほしい。資金がないのなら私を呼ばずにそのお金を充ててほしいと強く要望した。結果としては私も招待していただきバリアフリー上映というか万人向け上映が実現した。

 また9月1日に開館したバリアフリー上映専門館『シネマ・チュプキ・タバタ』の取り組みなど、もっと注目されるべきだろう。
 http://chupki.petit.cc/

 日本語字幕に話を戻すと、題材によって、つまり全面的に聞こえない聞こえにくい世界を描いた映画などはすべて日本語字幕上映でも良いかとは思う。
 『聲の形』は聞こえない聞こえにくい世界の“一部”のみを描いた映画なのですべての上映が日本語字幕になるべきだとは思わないが、1日のうち1度や2度は日本語字幕上映があってよいかと思う。あるいはそのこととプラスして終日日本語字幕で上映する日や曜日があっても良いのではないか。

 

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障がい者サッカーとパラリンピック

2016年09月13日 | 障害者サッカー全般

 「パラリンピックにサッカーはあるんですか?」「どんなサッカーがあるんですか?」
といった質問をこのところよく受ける。

 そこで障害者サッカーとパラリンピックの関係を簡潔に整理しておきたい。

 『障がい者サッカー連盟』に加盟する競技団体は、アンプティサッカー(片足切断もしくは片腕切断)、CPサッカー(脳性麻痺)、ソーシャルフットボール(精神障がい)、知的障がい者サッカー、電動車椅子サッカー(手動ではなく電動の車椅子を使用する重度の障がい)、ブラインドサッカー並びにロービジョンフットサル(視覚障がい者)、デフサッカー(聴覚障がい)の7つ。

 そのうちパラリンピック種目は、CPサッカーとブラインドサッカーの2つ。(ロービジョンフットサルは含まれていない)。パラリンピックでは、CPサッカーのことを7人制、ブラインドサッカーのことを5人制と呼んだりしている。

 CPサッカー日本代表とブラインドサッカー日本代表はともにパラリンピックの予選を勝ち上がることが出来ず、リオパラリンピックには出場していない。過去にも出場の経験はない。
 東京大会では残念ながらCPサッカーが外れることになっており、サッカー競技はブラインドサッカーのみとなる。ブラインドサッカー日本代表は開催国としての出場が決まっている。

 アンプティサッカーと電動車椅子サッカーは、東京パラリンピック競技種目として立候補したがともに落選した。

 以下はサッカーに限らず、当該障害の競技種目がパラリンピックにあるのかという観点からもみていく。

 知的障害に関しては、リオパラリンピックでは水泳、陸上、卓球競技がおこなわれている。過去の大会では知的障害者枠の競技もさらに多数あったが、2000年シドニーパラリンピックでバスケットチームに健常者が参加するという不正がありパラリンピックから締め出された。前回ロンドンパラリンピックより一部競技のみ知的障害の選手たちも参加出来るようになった。
尚、知的障がい者サッカーはパラリンピック種目になったことはない。
知的障害のクラス分け判定は難しく、例えば知的障がい者サッカーの世界大会でも書類不備などにより、参加はしたものの失格となった国もあった。

 精神障害はパラリンピックの競技種目にはない。これは治癒の可能性があるからということからだろう。

 電動車椅子サッカーの選手たちがもし他競技でパラリンピック種目をめずすとしたらどうなるだろう。(国際基準のクラス分けで電動車椅子サッカーの選手資格を有する選手に限って)
脳性麻痺の選手たちにはある程度門戸が開かれているだろう。その他の選手たちは可能性があるとしたらボッチャのみということになるだろうか。ただ現実にはなかなか難しいかもしれない。

 聴覚障害者は、パラリンピックとは別に“デフリンピック”という「ろう者の、ろう者による、ろう者のためのオリンピック」がある。デフのオリンピックということである。
 “デフリンピック”第1回大会は1924年にパリで開催(当時はデフリンピックという名称ではない)、パラリンピックよりもはるかに長い歴史を有しているが絶望的なまでに知られていない。
 そのデフリンピックには男女ともにサッカー競技がある。各障がい者サッカーのなかで女子の世界大会があるのはデフサッカー、デフフットサルのみである。
(電動車椅子サッカーは男女ともにプレーするため、女子選手への門戸が開かれている)。
 デフリンピックとパラリンピックは統合すれば良いではないかという意見もあるが、手話言語や情報保障の問題などもあり容易ではない。
 尚、次回の夏季デフリンピックは来年7月にトルコでの開催が決まっている。

 各障がい者サッカーともに、サッカー単独の世界大会も行われている。世界選手権、ようするにワールドカップだ。
 もっとも歴史の浅いソーシャルフットボール(精神障がい)は今年2月に第1回大会が日本の大阪府堺市で開催され日本代表が優勝を果たした。ワールドカップ開催地で閉幕後におこなわれる知的障がい者サッカーは2014年ブラジル大会でベスト4に進出!
また一昨年2014年に東京渋谷区で開催されたブラインドサッカー世界大会は記憶に新しい。

ちなみに私は、知的障がい者サッカー、デフサッカー、ブラインドサッカー、ソーシャルフットボールの各世界大会を撮影もしくは生観戦した。来年の電動車椅子サッカーの世界大会へも撮影に行く予定だ。

これからの世界大会開催予定は以下。
来年2017年
電動車椅子サッカー 7月 アメリカ
デフサッカー    7月 トルコ(単独の大会ではなくデフリンピック。世界選手権は今年6月イタリアで開催された)
CPサッカー    アルゼンチン

2018年
知的障がい者サッカー スウェーデン(W杯開催地のロシアではなくなったようだ)
ブラインドサッカー スペイン

未定
アンプティサッカー 2016年予定の大会が開催見送り、次回大会未定。
ソーシャルフットボール 


新たな追加情報や誤りなどありましたらご指摘ください。 

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電動車椅子サッカー 広島でのブロック選抜大会

2016年09月13日 | 電動車椅子サッカー

 先週の9月3日~4日、広島市にて開催された『第8回パワーチェアーフットボールブロック選抜大会』に行ってきた。
 今大会には関東、中部、北陸、関西、中国、九州の各ブロックごとに選抜された電動車椅子サッカー選手たちが一堂に集い、日本一を争った。観戦する側からすると日本代表候補クラスの選手たち、そして新たなタレントを一気に見ることができるお得な大会でもある。大会は国際ルールに準じた形で行われ、制限速度は10㎞でかなりの迫力がある。10月に開催される『日本電動車椅子サッカー選手権大会』はクラブチームが集う全国大会で、こちらは制限速度6㎞で行われている。

 第8回とはいうものの実質的には7回目の大会である。昨年の大会は残念ながら諸事情で中止となった。オーストラリアが来日する予定となっていた『第2回APOカップ』中止の余波やスポンサー不在などもあってのことであった。
 ブロック選抜大会はこれまで長野、石川、兵庫、高知、神奈川、鹿児島で開催、今大会で(歴史の浅い北海道ブロックをのぞけば)各ブロックを一巡したことになる。ちなみに私自身は兵庫の大会以降、毎回足を運んでいる。
 過去の歴代優勝チームは、関東、中部、関西、関東、関東、関東。なんと過去4大会で関東が優勝していることになる。(第3回兵庫大会は同年開催されたワールドカップに出場する日本対表チームが強化の一環として出場したものの公式な順位からは除外されたため関西の優勝となった)
 関東代表の強さを一言で言ってしまうならば、選手層の厚さにつきるだろう。今回の第8回大会で関東代表の4連覇なるのか?阻止するチームは出てくるのか?だとしたらどのチームなのか?

 当日朝、組み合わせ抽選が行われ1回戦第1試合は九州と関西の対戦となった。
 試合前の練習に目をやるとチャーミングな野下選手(九州)の姿が見えない。彼女はスピードテストを通過できずベンチ入りできなかったのだ。前述したようにこの大会は制限速度10km でおこなわれた。その際、前進後進ともに10km以上スピードが出ないように設定し試合前には審判団によるスピードテストが行わる。そのなかで運悪く失格となってしまう選手が時々いるわけだ。(彼女は2試合目からは無事出場出来た)           
 試合は九州が立ち上がりから優勢に試合をすすめる。そして前半9分、塩入選手の蹴ったコーナーキックを東選手がうまくニアで合わせて九州が先制。しかし後半3分には関西代表有田選手の左サイドからのキックインをファーポスト付近で待ち構えていた内海選手が流し込み同点に追いつく。だがそのわずか1分後、九州は右サイド深い位置からのキックインのチャンスを得ると、東選手の蹴ったボールに塩入選手がニアで合わせ九州が再び突き放す。試合はそのまま2対1で終了。九州が2回戦に駒を進めた。
 九州はNanchester United鹿児島を中心としたチーム。今回こそ佐賀からもInfinity侍が参戦したものの、これまではほぼ単独チームとして九州代表を引っ張ってきた。そういった意味で、選手層は薄いものの選手間の連係や戦術的な共有はとてもうまくいっている。反面、Red Eagles兵庫や奈良クラブビクトリーロードなど強豪チームを中心とした関西は個々の選手のポテンシャルがうまく出せないまま敗れ去った印象があった。このあたりがブロック選抜大会の難しい面でもある。

 1回戦第2試合は中部と北陸の対戦。飯島選手を中心とした中部は、飯島のアシスト、後藤選手のゴールなどで4-0と北陸を下し1回戦を突破した。

 第3試合では2回戦からの登場となった関東が九州を迎え撃った。九州が関東の4連覇を阻止できるのか、この試合はかなり白熱した痺れる試合となった。
 一進一退の攻防が続くなか、先制したのは九州。前半18分ぺナルティキックを得て東選手がゴールに蹴り込んだ。
 1点を追う関東は永岡選手が自陣からドリブルで持ち上がり相手陣内右サイドで粘りを見せる。そしてファーサイドで待ち構える三上選手へ折り返す。三上がゴール左隅に蹴り込み関東が同点に追いつく。後半12分、Yokohama Crackersのコンビによる得点だった。その後、両チームともに追加点を奪うことが出来ず勝負の行方はPK戦へと持ち込まれ、全員成功した関東が翌日の決勝へ勝ち残った。

 1日目第4試合は、中国が中部と決勝進出をかけて争った。地元の中国は中野選手がリーダーシップを遺憾なく発揮し負けないサッカーを貫徹。スコアレスで2試合連続のPK戦となったが、地元の意地を見せた中国が決勝進出を果たした。

 翌日の5位決定戦では関西が3-0と北陸を、続く3位決定戦では九州が中部を4-1と下した。
その結果、3位九州、4位中部、5位関西、6位北陸となった。

 そした向かえた決勝、関東vs中国の一戦は障がい者サッカー連盟会長北澤豪氏も見守るなかキックオフされた。
 地力に勝る関東が優位に試合を進めるものの、中国は中野選手を中心とした組織的な守りでゴールを許さない。そして後半7分、均衡が破れる。関東がコーナーキックから先制。正確なキックの北沢選手の蹴ったボールを吉沢選手がうまく方向をかえゴールに流し込んだ。東京の強豪チーム、レインボー・ソルジャーのチームメイト同士による得点だった。
 そして最少得点差を守り切った関東が優勝、大会4連覇を飾った。

 その後の閉会式でプレゼンターを務めた北澤会長と少しだけ話した際「最後は頭だよね」と言われていたがまさしくその通り、電動車椅子サッカーはレベルが上がれば上がるほど“頭と頭”の勝負になってくる。もちろん基本技術に裏打ちされていることが大前提で、体調管理、電動車椅子の調整もとても重要だ。
 初見の方は回転キックなどやぶつかり合いなどを見て「凄い」という感想を持つ場合が多いようだが、サッカーという視点で見ると頭の中も見えてくる。そうするともっと観戦も楽しくなるはずだ。

 この大会では試合以外のイベントも開催された。初日は知的障害や身体障害、様々な障害を持つダンスユニットによるパフォーマンスが繰り広げられた。2日目は地元のブラインドサッカーやアンプティサッカーのメンバー、なでしこリーグのアンジュヴィオレ広島の選手たちが訪れた。電動車椅子サッカーの選手も含めたドリブルリレー対決では、各競技の選手たちが“技”を披露。アンジュヴィオレ広島のある選手は大きな電動車椅子サッカーのボールをリフティングしながらドリブル、場内を沸かせた。

 
 日本を代表する選手の育成や強化を目的として国際ルールに準じた時速10㎞での公式大会」として開催されてきたこの大会は、どうもこの大会が最後になるようだ。今年度4月に障がい者サッカー連盟が設立、電動車椅子サッカー協会も法人化されるといった変革の流れのなかで、これまではあった各ブロックごとの協会は発展的解消、各都道府県協会に再編成されるようだ。
 来年度以降、制限速度10㎞の大会がどうなっていくのか? 内部的には様々な議論の末、既に方向づけはなされているだろう。おそらく選手やクラブチームの意向、世界の動向を視野にいれての再編になっていくものと思われる。個人的に「こうなっていくのかな」という予想と願望はある。
はたして電動車椅子サッカーの未来はどうなっていくのだろう。
 
 そして来年はいよいよ世界大会だ! 

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再び24時間テレビとバリバラから派生して

2016年08月31日 | 障害一般

 昨日の記事の続き(のようなもの)です。

 以下は『24時間テレビ』と『バリバラ』に関しての、自身も先天性の身体障害がある森田かずよさんへの取材記事。
 24hourtv-or-baribara
 
 そのなかで彼女は次のように語っています。

 「24時間的な感動か、バリバラ的な笑いか。この2つしか障害者の描き方がないと思われるのは、とても、しんどいなぁって思うんです。その両方の間に、多くの当事者がいると思うから」

 まったくその通りだと思います。
 私自身、過去に『知的障害』『聴覚障害』 の映画を制作した際に強く思ったことは、一つの障害のなかだけでいっても、いろいろであり、様々であり、多様性にあふれていること。現在は電動車椅子サッカー選手のドキュメンタリーを撮影していますが、その過程でも常に感じていることです。
 障害の面だけからみても様々ですし、性格や個性といったらてんでバラバラです。 

 映画完成後「この映画で何を伝えたいですか?」という質問をよくされますが、「いろいろ」だと答えます。「いろいろな人がいる、その等身大の姿さえ伝わればそれで良い」といったようなことです。
 何かを伝えたくて映画を作り始めたことは一度もありませんが、結果としてはそこに行きつきます。

 例えば知的障害者サッカーの映画を作ったときのことです。あくまでサッカーを通じてたまたま映画を作ることになったので、知的障害に関する予備知識は皆無でした。映画では知的障害者サッカー日本代表を中心に撮影していましたから、選手たちはほとんどが軽度の知的障害でした。
 そのなかで強く印象に残ったことは、軽度知的障害者の苦悩。
「私はなぜ知的障害者として生まれ、知的障害者として生きていかねばならないのだろう」といったような。

 これは事前には全く想像できなかったことで、同時に映画のテーマというか核心になるものだとも思いました。重度中度の知的障害者からみるとスーパーヒーローである彼らが、健常者とのボーダーライン付近にいるがための苦しみ。
 知的障害といっても幅広く、絶対に一言では語れないということを痛感しました。

 養護学校(特別支援学校に変わる前)にも何日か撮影で通いましたが、狭義の意味での知的障害以外にもダウン症や自閉症、ADHD、さまざまな子供たちがいました。「詐欺にあわないようにしましょう」という授業が行われていましたが、卒業後騙されてお金をだまし取られる人がいる一方、(学校関係者とは別の人から聞いた話ですが)だます側に回る者も少なくない。実際調べてみると犯罪に手を染める知的障害者もかなりいることがわかりました。そのことも映画に盛り込もうと何度も考えましたが、一つの作品で描くことのできる限界を超えていると判断し割愛しました。いわば闇の部分です。 
 闇とは違いますが、障害者の性もなかなか描けない”タブー”化されている点です。記事にもあるように『バリバラ』ではかなり触れていました。自分自身も劇映画(フィクション)にできないかと何度か考えましたが頓挫したままです。 

 ところで映画を作っていく過程で何度も「台本は?」と聞かれました。「えっ!?だってこれドキュメンタリーでしょう。なんでそんなものが必要なの?」と疑問がわきましたが、テレビ等のドキュメンタリーの多くは最初に台本があり必要な映像を撮り進めていくということのようで。

 私はそれまで劇映画(つまりフィクション)の世界で育ってきていたので驚きました。フィクションには(原則として)台本があるがドキュメンタリーにはないと思っていましたから。ただ編集の祭は撮影したインタビュー内容などを書き出して台本のようなもの作り構成を練りました。

 
  次作の「聞こえない、聞こえにくい人たちのサッカー」に関するドキュメンタリー映画はさらに混迷を極めました。知れば知るほどわからないことだらけ、詳しく書くと1冊の本になってしまいます(実際本になって岩波書店から出てます)。

 聞こえの程度も様々、手話を覚えた時期も様々、手話が出来ない人もいて、手話はろう学校で以前禁止されていて、日本手話と日本語対応手話がありろう者内部での意見の対立もあり、もちろん海外には海外の手話があり、ろう学校に通っていた人と一般の学校に通っている人がいて、デジタル化してからの補聴器の進化は凄まじく、人工内耳の子供たちも急増、その点も賛否両論があり…。
「聞こえない、聞こえにくい人々」と他の障害の決定的な違いは、言語、言語獲得の問題が密接にからんでいること。
 何とか理解し整理して1本の映画にまとめましたが、その後各メディアの報道に触れると、ほとんどの場合が理解しないまま垂れ流している間違い原稿、映像だということがわかりました。

 映像の場合は、知らない人が勝手にイメージしたものの再現が多いような気がします。「聞こえない聞こえにくい人」の中にはイメージにたまたま当てはまる人もいて嘘ではなかったりもしますが、かなり偏った描き方が多く「聞こえない聞こえにくい人」の理解になかなかつながらないことが多いわけです。
 聴覚障害に関しては、NHKのバリバラでも、司会やレギュラー陣がいまいち理解しきれず番組が進んでいると感じることも多いです。 NHKには『ろうを生きる 難聴を生きる』という番組がありますから、そっちにお任せ的な側面もあるかもしれません。
 

 24時間テレビの場合は、最初に人ありきでなく感動物語ありきで、そこにあてはまる人をキャスティングするということだったのでしょうか。『感動』という切り口だけでは随分と漏れてしまうものがある気がします。近年は(企画の大きさによるのかもしれませんが)ありのままを伝えるといったように変化している部分もあるようですが詳しくはわかりません。

 自分の場合は最初に人ありきで始まっていますが(一目惚れから始まること多し)、最初に(ガチガチの)企画ありきだと類型に流れてしまいがちです。現実に起こったことを必要ないと無視するといったことも出てきます。
 24時間テレビも今後も続いていくのなら、仮に企画が類型に流れそう、あるいは類型こそがベスト(?)であるのなら、同時にあるいは深夜にでも補足説明的な企画をやると良いのかもしれません。24時間もあるのだから。 
 

 記事の最後で森田さんは次にように述べています。
「問題は、障害者を見えなくすることだと思っています」
「例えば、映画やドラマの中で、身体障害者が取り上げられるときは、主役が多いですよね。でも、リアルな学園ドラマや、街を映すときはどうですか?学校にいたはずの障害者、街を歩いているはずの障害者はそこには写ることはほぼない。障害者がいない、健常者だけの『きれいな世界』がそこにあるだけです」
「障害者を社会からいないことにしちゃいけないし、見えないことにしちゃダメなんですよ」

 現実には、障害者は学校に一人だけ、あるいは0ということも珍しくはありません。もちろん狙って写すということはあり得るかとも思いますが、まずは現実の方から変わっていく必要があるかと思います。ただ街中には障害者はあちこちにいるような気がします。車椅子に乗っている人、脳性麻痺で歩いている人、白杖を使っている人、手話使用者、補聴器をつけている人、ダウン症、おそらく知的障害であろう人など、(東京では)しょっちゅう見かけます。(ちなみに手話か?と思いきや、やたらと身振り手振りをつけて話す人だったりすることもありますが)

 これはおそらく私が当事者を見慣れているので目がいくのではないか、以前は気付いていなかっただけで視界に入っていなかったような気もします。
 ではどうやったら人々に意識のなかに障害者が入ってくるのか?

先日観たドキュメンタリー映画『風は生きよという』の出演者であり電動車椅子使用者の蛯原さん(SMA=脊髄性筋萎縮症)は映画のなかで「私の仕事というか役割は、外に出て人目にふれ障害者という存在を見てもらうこと」(というような意味合いのこと)と話していました。障害者もより多く街へ出る。
しかしスマホから顔を上げないと視界に入ってこないかもしれません。 

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『24時間テレビ』と『バリバラ』 感動ポルノって?

2016年08月30日 | 障害一般

 “24時間テレビ ろう学校”で検索しこのブログにたどり着いた方が、1週間ほど前からかなりいました。3年前の24時間テレビで『ろう学校の生徒たちによるタップダンス』が行われ、そのことに関する書き込みが検索にヒットしたようです。
 24時間TV ろう学校の生徒たちのタップダンス

そこにも書いたように普段は『24時間テレビ』を視聴することはありません(たまたまテレビをつけて少しだけ観ることはあります)が、今年は『ろう学校生徒の踊り』があると知りその部分だけは録画して翌日に観ました。

 その時間帯の前には、サッカー日本代表の本田選手とアンプティサッカーの少年が出会いを果たすという企画もありました。
妻が気を利かせて録画しておいてくれたのですが、少年が本田選手を(本田選手の物まねで有名な)じゅんいちダビットソンと間違うというエピソ−ドもありました。
 リアルと言えばリアル? 『24時間テレビ』が狙った『感動』とは違ったものになったのでしょうか?
本田選手は松葉杖をつきながら少年とボールを蹴り合ったりするのかなと思いきや、本物とわかってもらう説明に終始。ボール蹴ればすぐわかりそうなものですが。
 また全体としてアンプティサッカーの印象度は薄かったような気もします。
 
 ちなみに以下の映像(障がい者サッカー連盟の各種サッカーの紹介映像)にもアンプティサッカー及び少年(ケンちゃん!)の映像もあります。よかったらご覧になってください。私が作りました。

サッカーなら、どんな障害も超えられる。 -障がい者サッカーの魅力


 今回のろう学校生徒のダンスは盲学校生徒達などとの合同よさこい踊り。ろう学校生徒によるダンスは既に過去放送しているし、盲学校との合わせ技でより感動を得ようという企画意図だったのでしょうか?
 障害理解という意味では拡散したような印象もありますが、 そもそも『24時間テレビ』は障害理解の一助となるような番組ではないように思いますし、そんなこと言ってもしょうがないのかなという気もします。
 24時間テレビは巨大なチャリティ番組(出演者のギャランティの問題で物議を醸し出すこともたびたびありましたが)で、募金の為には視聴者の心の琴線に触れる為には手段を選ばず(というか定番で押しまくる)ということでしょうか?
「文句あるなら観なきゃいいじゃん」と言われているような気がして、まったくその通りで、だから普段は観ないんですが。

 一つの障害のなかにも様々なパターンがありますし、別の障害を組みわせるととてもわかりにくくなったりします。もちろん異なる障害が出会うことにより見えてくるものの少なからずはあると思います。
 フィーチャーされていたろう学校の生徒は、口話が達者な女の子。手話単語もつけて発言していました。勝手に想像すれば残存聴力と補聴器活用、並びに母親の協力な指導(援護?サポ−ト?)もあり口話を習得。手話をいつ覚えたのかまではわかりません。
ちなみに彼女の発言は、広義の意味では手話という言い方も出来ますが、狭義(言語学的にみたりすると)の意味では日本語で手話ではありません。


 出演された方々に対して何かしら批判的な思いがあるということでは全くありませんので誤解なきよう。 


 今年は、裏番組の『バリバラ』(NHKのEテレ)で『24時間テレビ』を意識した内容が話題になっているようです。
自身も障害者であったステラ・ヤングさんの言葉を借りて、『24時間テレビ』を暗に『感動ポルノ』と批判したということですね。

 ステラ・ヤングさんは既に亡くなられたかたですが、彼女が発言した『感動ポルノ』のことはかなり前から話題になっていましたので関心がある方はご存知かと思いますが、インターネットでも講演録を読むことができます。
障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
以下、少しだけ引用します。 

「私はそれらを『感動ものポルノ』と呼んでいます。(会場笑)『ポルノ』という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです』

  24時間テレビに則して言えば、『感動』のために障害者をモノ扱いして 消費しているということですね。ただそれを望んでいるのは『お茶の間の視聴者』であり、『24時間テレビ』側はそれに応えているだけだという言い方もあるでしょう。しかし『お茶の間』の意識も少しずつですが変わって来ているようにも思います。

 また『バリバラ』は『24時間テレビ』に対抗していきなりそんなことを言い出したわけではなく、番組のコンセプト自体が『感動ポルノ』から脱却するというか、障害者目線の番組作りを一環して続けてきています。私自身は番組開始からしばらくは毎週欠かさず視聴していましたが、その後は面白い時と面白くない時の差が激しく、現在は観たり観なかったりです。『バリバラ』では「笑いは地球を救う」というお揃いのTシャツを着ていましたが、『障害者目線』『笑い』のコンセプトだと、外しちゃうこともあるわけです。障害者に向かって「つまんねー」と言えるような視点も重要で、もちろんそれもありなんですが、つまんない時はつまんないというか…。


 確信犯で『感動ポルノ』であろうとする番組、ドラマ、映画は年々減ってきているように感じます。ただそこから脱しようとしても脱しきれない作品は多々あるかと思います。
 自分自身も『感動ポルノ』に堕すことのないように作品を作っているつもりですが、そういった要素を全て排除できているわけではありません。
 

 最後に『感動ポルノ』とは全く意味合いが異なりますが、感動するポルノ映画もあるという話。
 一般的なポルノは、性 の対象として女性をモノ扱いし消費の対象とする、ステラ・ヤングさんもそういった意味合いでポルノという言葉を使われています。
 しかし中には、感動するポルノ映画もあります。
 過去日本には、日活(後期はにっかつ)ロマンポルノという映画群がありました。当然テーマは『性』ということになりますが、そのなかには、『性』の対象としての女性を『モノ』ではなく『人間』として描ききった、傑作とでも呼ぶべき作品もありました。神代辰巳、田中登、曽根中生、池田敏春などの監督の諸作品等々。


 話は脱線しましたが、障害、あるいはポルノと言っても様々です。 AではなくB、Aが正義でBは悪といったような単純なことではないと思います。
一面的な見方では、全く見えないもの、見落としてしまうものがあるような気がします。
 
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サッカー五輪代表グループリーグ通過ならず

2016年08月11日 | サッカー

 ふー、サッカー五輪代表はスウェーデンを相手に1対0で勝利したものの、コロンビアがナイジェリアに勝ってグループリーグ敗退。

3試合で7点取れるとは思っていなかったけれども、あれだけ失点が多くてはグループリーグを突破することはできないということですね。1勝1敗1分はだいたいグループリーグを敗退することが多いような気がします。 負けたらだめですね。2勝1敗でも敗退したりしますから。例えばアトランタオリンピックの時など。

得点自体は見事なゴールでした。大島選手がドリブルでペナルティエリアに切れ込んでのクロスに矢島選手が飛び込んでのゴール。交代出場の矢島選手が見事に結果を出してくれました。 


 3戦を振り返ると、個人的には コロンビア戦の3人目の選手交代は藤春選手から亀川選手ではなく興梠選手に代え鈴木選手を投入し、勝ちにいってもらいたかった。
あの交代から得点の気配は全くなくなってしまいましたから。もちろん失点のリスクは減りましたが。

 まあでも監督も言うようにフル代表へとつながる何かは得たことでしょう。失敗も含めて。

 
 前回大会は男女代表合わせて12試合で観るのも大変だったんですが、今大会は3試合で打ち止め。寂しい限りですが、女子の決勝トーナメントは観たい試合が目白押しです。

今大会は23歳以下の選手もクラブに対して招集の強制力はありませんでした。久保選手もそのため参加できませんでした。スウェーデンはクラブチームから断られまくったそうです。
 オリンピックの他の競技はほとんどが世界一を決めるものとなっていますが、男子サッカーはオーバーエイジの出場もあるとは言え年代別世界一の大会。 18人枠といい過密な日程といい開催時期といい、サッカー側から見るとかなり無理な大会であることは間違いないでしょう。
 やはりプロスポーツとして盛んな競技と五輪の相性はあまりよくないような気がします。男子サッカー、男子バスケット、テニス、ゴルフ、野球。五輪はアマチュアの大会であるべきでプロとの相性が良くないといっているわけではありません。アマチュアスポーツはお金持ちのスポーツ、五輪がプロ化されたことにより貧乏人にも門戸が開かれたと思っています。
 ただこれだけ多くの競技が世界のたった一つの都市に集まり(サッカー競技は一つの都市ではありませんが)世界一を争うという形態じたいに無理があるような気がしています。日本では日本人の活躍だけを見て、他の国はその国の選手の活躍だけを見る。つまり世界中の人が同じものをみるのではなくてんでばらばらのものを見ている。開会式や陸上の100mなどのように全世界が注目するもののあるでしょうが。例えばアテネ五輪の時に別件でイタリアに行ったのですが、10代のイタリア人少女がフェンシングで金メダルを取ったらしくその話題で持ちきり、アテネ五輪といえばそのことばかりを思い出したりします。サッカーの記憶は別として。

 いつのまにやら脱線してしまいました。 サッカー以外の競技に関心がないわけではありません。  

 サッカー五輪代表に話を戻すと、植田、遠藤、大島、浅野選手あたりは、フル代表でもレギュラーを脅かす存在になってほしいと思います。もちろん他の選手たちもこれからの成長を期待しています。 

 

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サッカー五輪代表 コロンビアに引き分け望みつなぐ

2016年08月08日 | サッカー

 サッカー五輪代表の2ゴールはいずれも素晴らしいものでした。
 大島、南野とつないで浅野選手!そして中島選手得意の“巻いた”ミドルシュート!!

 サッカー五輪代表はコロンビアに2点をリードされるものの、同点に追いつき決勝トーナメント進出の可能性を残しました。

 しかしやはり取るべきに取っておかないと苦しい展開になります。後半立ち上がりのこぼれ球は枠に打たないと矢島選手!
その後コロンビアの1発にやられ、2点目は信じられないようなオウンゴールが飛び出してしまいました。いずれもGKはノーチャンス。中村選手はいいプレーを見せてくれました。 

 交代についてみてみると、矢島から南野選手への交代はおそらくプラン通り。大島選手はリードされた展開だから出場したのか?井手口選手がイエローもらっていたことも影響したのでしょうか。2点リードされた時点での手倉森監督の迅速な判断でした。しかし井手口選手は本当にいいプレーを見せてくれました。

 3枚目のカードは相当迷ったのでしょうか?
 疲れの見える興梠選手に代わって鈴木武蔵選手投入かと思いましたが、それよりも失点のリスクを嫌ったのでしょうか?藤春選手から亀川選手への交代。亀川選手が右サイドバックに入り室屋選手は左サイドバックにまわりました。後半頭から左サイドにまわったパボン対策で亀川選手をあてたのか、室屋選手が2枚目のイエローをもらうことを嫌ったのか?あるいは3戦目は右サイド亀川、左サイド藤春選手という先発がありそこまで見越してのことなのか?

 手倉森ジャパンはアジア予選では大胆なターンオーバー制を敷き、この試合でも4人の先発メンバーが入れ替わりました。GK中村、 矢島、井手口、浅野選手。中島、興梠選手も第2戦をにらんで第1戦で途中交代しています。コンディショニングを重視したメンバー構成。早川コンディショニングコーチとも入念な打ち合わせがあったことでしょう。
そのかいもあって後半の同点劇につながったと言えると思います。
本来のゲームプランは0−0でいって1点取って勝つということだったのでしょうが。 

スウェーデン戦では鈴木、南野、大島選手が先発でくるでしょうか?
亀川選手も右サイドで先発?室屋選手をはずすのか藤春選手をはずすのか? 勝利とともに選手と成長を促すと言い続けてきた手倉森監督。次戦では両方を見せてください。

次戦日本が勝って、コロンビアがナイジェリア相手に引き分け以下に終われば日本の決勝トーナメント進出が決まります。

今日は西シェフのカレー食ってぐっすり休み、試合前日は脂身の少ないハンバーグ食べてご飯もいっぱい食って第3戦に臨み、走り勝って、内容でも勝って、結果をともなった試合を見せてください。

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CPサッカー日本代表 8位で全日程を終える

2016年08月06日 | CPサッカー

 CPサッカー日本代表はデンマークで開催中の世界大会最終戦7〜8位決定戦でカナダと対戦した。カナダとはグループリーグ第3戦以来の再戦となった。
 
 日本の先発、GKは柳。ディフェンスラインは中央に戸田、右に大野、左に浦。大野は蹴り足が左、浦は蹴り足が右であり、11人制のサッカーのディフェンスと逆に配置されているのは中央の守備を固める意図だと思われる。そしてディフェンスラインの前のアンカーに三浦。2トップに井上と谷口といった3・1・2の布陣での先発。現時点でのベストメンバーということだろう。

 試合は序盤からカナダが押し込む展開。だが日本は的確なポジショニングと集中した守備で危ない場面を作らせない。以前はフリーでミドルシュートをうたれることも多かったが、素早い寄せでフリーにさせない。
 しかし前半15分、カナダの5番が右サイドからカットインして左足で強烈なシュート、いったんはGK柳が弾くものの詰めていた2番の選手が押し込み先制点を許す。
 前半はその1点でおさえ、日本は後半に望みをつなぐ。
 
 しかし後半7分にはカウンターから失点、9分にはフリーキックから、22分には再びカウンターから、終了間際に強引に前を向かれ追加点を許す。日本は井上のシュートなどあったもののチャンスをあまり作り出すことが出来ず、0−5と敗れた。 
 その結果、日本は8位となり全日程を終えた。パラリンピックに出場する8カ国以外の16チーム中8位だったわけで、つまり世界で言えば16位ということになる。

 大会を通じて日本は守備力の高まりを見せてくれた。例えばブロックを作って守る場合はそう簡単にはやられないようになった。
 そして何よりも集中力を切らさない一体感のあるプレーを見せてくれた。徐々にそういったチームに進化していったといっても良いだろうか。その点はとても大きな収穫だろう。安永監督の功績は大きい。

 しかし、敗れた相手には得点の“型”というものが見受けられたが、日本はまだまだだった。そのあたりはこれから構築されていくだろう。とても楽しみだ。

 なんだかうまくまとまらないがこのへんで。

尚、最終戦には黒田、中岡、吉岡も出場した。  

皆様、お疲れさまでした。

一連の書込みは一方的な見方によるものが多かったり、偉そうな書き方になっていたかもしれません。悪しからず。 

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CPサッカー日本代表 準々決勝で惜しくも敗れる(追記あり)

2016年08月04日 | CPサッカー

 デンマークで開催中のCPサッカーの世界大会、日本は準々決勝でポルトガルと対戦した。
 
 日本の先発は、GK柳、ディフェンスラインは戸田と浦、中盤右から大野、三浦、井上、1トップに谷口。2・3・1の布陣。センターに井上でなく三浦が入っているのは三浦の守備力を活かしてまずは守備から入ろうということなのか、井上の負傷(?)の影響もあるのだろうか?ともかく日本は集中した守備への意識で試合に入っていく。前線から谷口が相手を追い回し、他の選手たちも決して相手をフリーにさせない。

 そして4分、ポルトガルのバックパスをそのまま谷口が右サイドから思い切りのいいシュート、ゴールネットを揺らし日本が先制!

 しかし9分、ポルトガルに狙いすましたミドルシュートを決められてしまう。谷口も懸命に寄せたものの及ばなかった。
 
 日本はその後、3・1・2にシステムを変更。ポルトガルの起点を1トップではおさえきれないという判断だろうか、受けて走らされている状況を打開しようということだろうか? 井上のコンディションが万全ではないということを考慮してのことかもしれない。
 2トップに谷口と井上が入り、ディフェンスラインは中央に戸田、右に大野、左に浦。三浦は中盤の底に入り気の利いた守備を見せる。
 こういったシステム変更に柔軟に対応できるようになった点も素晴らしい。 

 均衡を破ったのはポルトガル。後半9分、いったんパスを左サイドに預けてフリーになった選手が左45度、ペナルティエリアに入ったばかりの位置からシュートを決める。このあたりでフリーにしてしまうとポルトガルレベルのチームだと確実に決めてくる。

 日本はその後なかなかチャンスを作り出すことができないが、後半21分、左サイド距離のある位置からのフリーキックを戸田が直接決めて2-2と同点に追いつく!美しき軌道!魂も震える。

 
しかし後半28分、ポルトガルにコーナーキックからのこぼれ球を蹴り込まれ、再逆転を許してしまう。
日本は最後まで走り切ったものの、追いつくことは出来ず2対3とポルトガルに敗れ、惜しくも準決勝進出はならなかった。

敗れはしたものの、選手たちと安永監督が一体となった素晴らしい試合だった。

次戦は5~8位決定戦、オーストラリア戦。キックオフは日本時間4日木曜日22時。つまり3時間半後。
ポルトガル戦はLIVEではスマホで断片的にしか見ることが出来ず、ブログ更新も遅くなってしまいました。

残り2試合、さらなる進化を見せてほしい。

追記
日本はオーストラリアに0-2と敗れ、7〜8位決定戦に回ることになった。 事情によりまたしてもスマホ観戦だったので詳細はよくわからないが、2失点はクロス気味のボールがそのまま吸い込まれたものとロングスローインからのヘディングシュート。CPサッカーであんなロングスロー放られたら、たまったもんじゃありません。
(訂正・最初の失点は前半11分、左サイドからのロングスローがGK柳の左手に当たって入ったようにも見えます。後半24分の2失点目もクロスボールではなく左サイドのロングスローからでした。こちらもGK柳の左手に当たってゴールに吸い込まれます。2点ともいわばオウンゴール。直接入れば得点にはなりませんが、オーストラリア選手も競り合っていますから致し方ない側面もあります。デンジャラススローインであります)


 最終戦はカナダとの再戦になるようです。最後は勝利で飾ってほしい。 キックオフは6日土曜日16時30分(日本時間)

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