そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

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  (2011年 四国八十八ヶ所)
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四国の旅 第8日 東陽町・「民宿いくみ」へ

2012年05月26日 | 2011年四国の旅-1
10月20日(水) 晴のち曇 (「あづま」~東陽町・「民宿いくみ」)

○本日の参拝
ありません。




昨日の第23番薬王寺から、次の札所である第24番最御崎寺までは、75.4kmあり、したがって今日と明日は札所の参拝は無く、ただひたすら歩くばかりの予定。
早朝、宿の朝食前に牟岐駅周辺を散策。駅にて入手。




7時40分、冷えたペットボトルとゆで卵を2つ、女将さんから「お接待」でいただき、出発。歩き遍路の愛媛君、大阪さんはそれぞれ先に出発。

追いついた大阪さんと海沿いの道を行こうとするも途中で迷い、ヤブこぎ状態になる。


ようやく海に出たが、漁港の先で行き止まりに。


大阪さんと別れ、しばらく海など眺める。


海は輝いている。


結局、国道55号(土佐浜街道)を行くことにする。

南海地震津波最高潮位を示す石柱。「5.79メートル 昭和二十一年十二月二十一日未明」とある。


昨日見かけた津波避難指示の標識などもふくめ、南海地震への備えの切迫感を受ける。

8時50分、八坂トンネルを抜けると、


内妻海岸。このあたりから海陽町浅川港にかけての8kmほど(または、三浦の浜にかけての12kmほど)は、美しい海岸線を描き「八坂八浜」といわれる。




9時5分、内妻トンネル、


9時10分、古江トンネルと抜け、


9時20分、海陽町に入る。


牟岐町との町境の駐車場にある、野口雨情の「牟岐みなと節」の碑。「八坂八浜の難所でさへも 親の後生ならいとやせぬ 雨情」。


「四国のみち 牟岐・海南」案内図。


海を眺めつつ歩き、






さらに海寄りのへんろ道へ。




「四国のみち (四国自然歩道)」案内図。


10時30分、JR牟岐線浅川駅通過。


ふたたび大阪さんに追いつき、しばらく話をしながら一緒に歩く。彼女は、今回は「区切り打ち」で、明日バスで帰るとのこと。去年「通し」で回って「お遍路にハマってしまった。」、と。彼女の仕事の話など聞きながら歩いていくと、

11時20分、阿波海南駅のそばに、


「遍路小屋第一号 香峰」。歌教授のプロジェクトの第一号で、野村さんという方が場所を提供されていると書かれてあった。ここに愛媛君もおり、3人でおしゃべりしつつ小休止。「お接待」の冷えたオロナミンCをいただく。



11時35分、海部川にかかる海部大橋から、


JR牟岐線を撮る。


11時50分、おへんろ休憩所を通過。


東側に那佐半島を見つつ行く。




12時30分、室戸まで50km。


12時45分、路傍の「お接待所」。冷えたおしぼりがあり、みかんをいただく。牛乳を買う。


やや波が高くなってきた海岸線をたどると、




13時20分、旧土佐街道への分岐。今回は立ち寄らずにそのまま国道を直進。


工事中の阿佐東線。


13時35分、「道の駅宍喰温泉」へ。みかんを買い小休止。


宍喰海岸と、


宍喰港。


14時15分、徳島と高知の県境の水床トンネル(638メートル)を抜けると、




「修行の道場」高知県へ。


さらば、「発心の道場」。


国道を避けて、甲浦の古いへんろ道。


甲浦港。


海を眺めつつ行き、


15時、甲浦坂トンネル。


15時15分、宿のある生見海岸。


大阪さんは別の宿なので、彼女に激励され別れる。

15時20分、「民宿いくみ」着。
昨日、休憩所で一緒になった東京の男性と同宿。食後、話をしながらくつろぐ。彼は、「区切り打ち」を含め、もう何度も四国は回っており、今回は西国三十三か所にもいくつか立ち寄っていく予定、とか。パソコンを背負って、ブログを毎日更新するそうだ。おかげで荷物は12㎏。
「いくみ」は、お遍路さんの宿というより、むしろサーファーの宿といった感じ。主人もそれらしい雰囲気。ちょっとぶっきらぼうだが、食事は美味しかった。
明日から天気は下り坂との予報に、野宿をやめて宿を予約した。

歩数 32,941歩   (累計 277,236歩)

距離 24.5km    (累計 198.5km)

費用 6,948円(「あづま」宿代6,500、みかんと牛乳) (累計 29,305円)

























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