道教の話。
「無為自然」とは何か。
「無為」は為す無かれ。つまり、「するな」
「自然」は自ずから然り。つまり、「当たり前のことをしろ」
すなわち、「余計なことはしないで、当たり前のことをしましょう」という意味。
簡単に言うと、「コツをつかむ」ということ。
コツをつかめば、何も考えなくてもできる。
一番わかりやすいのが、自転車に乗れた時のこと。補助輪を外して後ろから押さえてもらって、ある時ふと乗れるようになる。
あの瞬間。
我々は歩く時に、はい右足を出して、次に左足を出してとは歩いていない。歩くコツをつかんでいるから。
目をつぶっても、字を書くことができる。コツをつかんでいるから。でも、いい字を書くのは、一生かかっても難しい。
音楽をやる人は、音符や弦、、鍵盤を見なくても楽器を弾くことができる。けれども、最高の演奏となると話は別。永遠のテーマ。
スポーツ選手は、プレッシャーがかかろうと、体調が悪かろうと、いつものプレーができるように、何度も同じ練習を繰り返す。
何も考えずに何かをするというのは、非常に難しい。
例えば、落ちているごみを拾う。
こんなことすら難しい。
「面倒」「恥ずかしい」「いいことをした」…。何かしら考えてしまう。
朝、毎日布団をあげている人は、何も考えずにやっているだろう。
ところが、たまにやる人は、「面倒だなあ」と思ってしまう。
我々が無心になれるのは、ゲームをやっている時。
腹も減らない、小便も忘れる、眠くならない。
嫌なことをやっている時と大違い。
あれだけ集中して仕事ができればねえ。
道教は「仙人」のイメージ。
そういえば、たまに空を飛べた夢を見る。飛んだといっても、4~50cm浮かんでるだけだけど。そして、「やった」と思った瞬間に落ちてしまう。夢の中でさえも。
「上善如水」はうまい。好きな酒である。水は高い所から低い所にただ流れるだけ。岩があれば上手にいなしながら流れる。確かに、水みたいに生きれればいいよね。