かはたれのジエン

イタチの最後っ屁 ・・・なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

上善如水

2013年06月22日 | よしなしごと 

 道教の話。

 「無為自然」とは何か。おいしい水
 「無為」は為す無かれ。つまり、「するな」
 「自然」は自ずから然り。つまり、「当たり前のことをしろ」
 すなわち、「余計なことはしないで、当たり前のことをしましょう」という意味。

 簡単に言うと、「コツをつかむ」ということ。
 コツをつかめば、何も考えなくてもできる。
 一番わかりやすいのが、自転車に乗れた時のこと。補助輪を外して後ろから押さえてもらって、ある時ふと乗れるようになる。
 あの瞬間。
 我々は歩く時に、はい右足を出して、次に左足を出してとは歩いていない。歩くコツをつかんでいるから。
 目をつぶっても、字を書くことができる。コツをつかんでいるから。でも、いい字を書くのは、一生かかっても難しい。
 音楽をやる人は、音符や弦、、鍵盤を見なくても楽器を弾くことができる。けれども、最高の演奏となると話は別。永遠のテーマ。
 スポーツ選手は、プレッシャーがかかろうと、体調が悪かろうと、いつものプレーができるように、何度も同じ練習を繰り返す。

 何も考えずに何かをするというのは、非常に難しい。
 例えば、落ちているごみを拾う。
 こんなことすら難しい。
 「面倒」「恥ずかしい」「いいことをした」…。何かしら考えてしまう。

 朝、毎日布団をあげている人は、何も考えずにやっているだろう。
 ところが、たまにやる人は、「面倒だなあ」と思ってしまう。

 我々が無心になれるのは、ゲームをやっている時。
 腹も減らない、小便も忘れる、眠くならない。
 嫌なことをやっている時と大違い。
 あれだけ集中して仕事ができればねえ。

 道教は「仙人」のイメージ。
 そういえば、たまに空を飛べた夢を見る。飛んだといっても、4~50cm浮かんでるだけだけど。そして、「やった」と思った瞬間に落ちてしまう。夢の中でさえも。

「上善如水」はうまい。好きな酒である。水は高い所から低い所にただ流れるだけ。岩があれば上手にいなしながら流れる。確かに、水みたいに生きれればいいよね。

 

つづく…

 

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