カウ食堂

i'm gonna tell you about Kau/Yoga/Love!!!

おぼえがき

2009-01-29 12:50:39 | カウ食堂
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こちらの世界において、これまでノンちゃんにとって絶対的な存在であったお母さんとか「よい子」であるとかいうことが、雲の上からの視点によって相対化され、それを否定するのではなく、それを越えた「ひれふす心」をもつことができるようになったのである。子どもの成長過程において、親とか先生とか、この世の何かを絶対視して頼りにすることは必要である。しかし、それに固執していると、自信過剰になったり、視野が狭くなったりする。そのとき、時空を越えた存在に触れることによって、状況は突き破られ、子どもは飛躍的に成長する。

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今日の猫 布団をもらった

2009-01-27 19:16:31 | 今日の猫

わけあって、

今、夏用の布団で「寒い」とかいいながら寝ています。

それを見かねたマコトくんが実家にあった布団を(貸して)くれた。

布団とはあったかいものだなぁ。

と、俺よりもブリーが喜んでいる。


それにしても、

(俺が)苦労して、

ダイエットが成功してきたのに、

そうは見えない写真うつりで残念。


カウ


相撲の音に想う

2009-01-21 18:55:31 | カウ食堂

JR線の中。

向かいに立つ少年がワンセグで相撲を一心に観ている。

なぜ相撲とわかるか?と言えば、一瞬小さく音が漏れたからである。

俺が音に反応してしまったので、彼はすぐ消音してしまったが、絶対に相撲である。

と思っていたら、

俺のとなりの席が空いて、彼が腰をおろす。

ちらっと横目で覗く俺。

やっぱり相撲だ!!!

俺の耳はすごくいい。

さまざまな音に反応できるし、いろんな音を見つける。

だけど、残念ながら、生活だとか人間関係に役立つ音には意識が向かず反応が鈍いことが多い。

「2階鮮魚コーナーにぜひお立ち寄りください~」というアナウンスを聴きながら、1階でタラコを必死で探していたり。(数十秒後に「2階ってさっき言ってたや」と気付く始末。)

「この人、さっき俺の名前呼んでたな、、、。」とあとから思うこともしばしば。(そのくせ、他人の会話に出てくる「お母さん」が“カウさん”に聞こえて、知らない人に返事してしまったりする。)

こういう時の俺は違う音を聞いているのだろう。空調の音とか自分の足音とか。

たぶんそっちのほうがおもしろいからだと思う。。。

要するに“よく聞こえて”はいるのだ。だけど意識が向く対象、反応する方向がいまひとつ大人じゃない。

「ココアのトールサイズお待たせいたしました。」と声をかけられている時、俺は、店員のゴミ箱を引きずる音に夢中だったりするのだ。。。

こうして書いてみて、さらに、“大人じゃない”という言葉を使ったら、ちょっと残念な気がしてきたが、しかたがない。

昔は気をつけたりしたこともあるのだが、、、もう面倒だ。正す気はさらさらない。耳の問題ではないこともわかっているし。

だから、よい方向に生かしたいと考える。

俺が聞きたい音が俺に聞こえている。これは、俺の人生を豊かにする。

今聞こえている“カートを転がす音”は、俺を愉快にさせている。

大事なのは“聞こう”としないこと。

“聞こえている音”に意識をおくこと。

音がいつも俺をうれしくさせている。

よっしゃ!


ちなみにね、これは俺のやりかたですよ。

だから、スタバで食器がぶつかる音なんて“聞こう”としないことです。「うるさい」と思うだけです。

全部の音を喜んで受け入れろだとか言ってるわけでもありません。つーかむしろ逆だぜ。ロックだぜ。

カウ

追伸。

↑こんなことを考えていたら、さっき買ったばかりの書類ケースを電車に置き忘れてきた。

やはり俺の真似はしないに限るのだ!

相撲の少年が拾って使ってくれるのを願うばかりである。





梅酒のおかげ

2009-01-20 18:23:27 | カウ食堂

ランチで回転寿司に行った。

まったくそんな予想も経緯も伏線もなく、

突然、日本酒を飲みはじめる俺。

自分でも驚きでおかしかった。


俺は、

自分はこういう人間で、

これが好きで、

あれが苦手で、

こうして、

ああして、

そうしたい。

と自分を言葉で説明するのがへたくそだ。


瞬間と瞬間を繰り返している中、自分を(それも言葉で)制限したりすることができないのだ。

過去や未来の自分の経験も、それイコール自分、、、とはとても思えない。

こう見られたい。という気持ちを動機にした自分宣伝にも興味がない。

下手に説明すると、俺とは違った人間が一人歩きするようにも思える。


人は思いたいように思うものであるし、他人の中に起きることは、他人のできごとである。

それをコントロールしないかわりに、責任も持たない。


要するに、

人は人。自分は自分。

少なからずもこの感覚を持ち合わせているので、否、持たずに生きるのは難しかったので、

人に自分を説明していると空虚感を覚えてしまい、面倒になる。


他人の動作の美しさや言葉の残酷さ、強さや弱さは、俺の中にあるもので、

俺の共鳴の躍動や個性の孤独感、光と影は、他人の中にあるものだと思う。


これを踏まえて(自分説明になるかはわからないが)、正直に人間関係に対する俺の姿勢というものを言葉にしてみると、


人間嫌いの人間好き。

人間大好きだけど人間大嫌い。


これだと思う。

この“人間”というのは、もちろん自分も含めているわけである。

そして、

行動や経験という観点から、自分を説明するとすれば、


矛盾と混沌の中から愛を見いだし、それを人生と呼んでいる。


これだと思う。

男と女がひとつになって、新しい命が誕生し、

光と影が融合することで、新たな創造が起きる。

好きと嫌いがまざりあって、現実をそこに見ることができる。

これが愛だ!


俺の中でも、瞬間瞬間に多くの対局するエネルギーが矛盾や混沌を繰り返し、融合し、愛を感じている。

これに勝る喜びはない。


一見子どもじみた無意味な言動や思考の愉しさ。

まったくそんな予想も経緯も伏線もなく、自分や他人にある無秩序な物事。

人と仲良くするけども、つるむのは好まない。

すばらしい人に恋しながら、相手を所有しない。

うんざりする何かを見ながら、それを変えたりしない。


自分や他人をコントロールしない。

だけど

自分や他人は変わっていく。

これが宇宙の流れだ。


長くなりました、、、。

ここで写真の梅酒の話。

2003年、スーパーで材料と瓶を揃え、突然俺が浸けはじめた“梅酒”である。

なんだか面倒な作業で、自分でも、なぜこんなことしてるのかわからないで浸けたのを覚えている。

飲めるのは1年以上先だし、何よりも俺は甘いお酒はあまり飲まない。

なぜ?

まあ楽しいからいいけど。

そして飲みごろとされる1~2年後、、、

全然おいしくないのである。

残念。

(これがホントの梅酒のおいしさだ。と自分に言い聞かせてみたけど、失敗。)

捨てるのも忍びなく放置。(引っ越しでもそのまま運んでまま放置。)

基本、“梅酒”がここにあることも忘れて生活していた。

そして、つい先日ふと思い出して飲んでみたのである。

これが、うまかった。

かなり、うまかった。

6年モノの“梅酒”はかなりイケル。

一人で飲んでも幸せだし、人に飲ませても大絶賛。

“梅酒”のおかげで、我が家にしょっちゅうウレシイ時間が流れる。

こういうことなんだと思う。あの時の意味不明な行動をしていた俺に大感謝だ。

なくならないうちに、飲みに来ませんか?


カウ



パン教室の写真 第2回1月

2009-01-16 23:45:46 | カウパン

2回目は「ロールパン」。

初回のパンで基本的な流れを覚え、2回目は成形にチャレンジ。ということらしい。



楽しそうに計量している友人たち。かわいい。子どもみたいだ。


俺も楽しそう。成形。俺ってばうまいと思う。


また先に焼きあがった、先輩友人のバナナパン。匂いからしてやばかった。


成形のできあがり。


焼き上がり。


かわいい生き物に見えたので、向かい合わせてみた。話し合いをしているみたい。(今年俺は年男である。)


裏側もいい感じ。


パンを焼くたびに思うのだが、

「できあがった美しくてかわいいパンは食べると姿形がなくなる。」

これが俺の心をくすぐるのだ。

いつまでも在ることより、いつか無くなることが美しいと思う。

無くなるとそこでやっとその経験値だけが俺の中に永遠にのこる。

焼きあがったパンが、置物のように俺の部屋にどんどん増えていったら、もう新しいパンはいつか焼けなくなる。


所有する何かが増えれば増えるほど、それだけそれらを管理しなくてはならなくなる。

管理してるつもりが、じつはそれらに振りまわされている。

ものだけでなく、、、ね。

何かを所有し続け、振りまわされるのはごめんだ。


カウ





パン教室の写真 第1回12月

2009-01-16 23:44:39 | カウパン

パン熱がどんどん沸騰してきて先月から「パン教室」に通い始めました。

楽しい。

気の合う仲間といっしょだし。


こねる作業がいちばん好き。


ベンチタイム。こねられ、切られ、また丸められて疲れたので、休んでいるのだ。


焼きあがった喜びの写真。ウソ。これは他の人が焼き上げた上級パンを自分で焼いたように撮ってみた。


焼き上がりまでの時間に、おやつが出てティータイム。習い事してる感が爆発。


これが俺の教室でのはじめてのパン。何パンだったのか?名前を忘れてしまった。


パン仲間。

先生さよ~なら~

2009-01-16 13:55:05 | カウ食堂

出しゃばりさんの大きなお世話って、

本人にとっては“善意”だったりするからややこしい。

またその“善意”こそ立派な動機とされているから、困ってしまう。

そしてまたその“善意”を受け取らない人に救済が必要だと判断するので、

より“善意”という武器が威力をます。

しかたなく、

防衛するために、

あなたのその“善意”を必要としているのは、あなた自身だ。

そしてあなた以外の誰もその“善意”を必要としていない。

あなたがあなたを救いたいだけだ。

誰かに何かを施すことによって、相手の上にたっているつもりか?。

というようなことを言ってみる。

そうすると、

「“悪意”はなかった。」なんて言われたりする。

あたりまえだろ。


善悪で物事を判断するのは苦手だ。

好き嫌いで物事を判断する人が好きだ。


「CHANGE」だとかいう不透明な言葉よりも、

メサイヤコンプレックスという単語が流行すればいいのにと思う。

そしたら、すべての人が大丈夫であること、

“すべてがうまくいっている”

って感じると思う。


インドのなんたら~を学ぶ前に自分のコンプレックスと仲良くしとけよ。

自分と向き合って内観なんたら~をやってる暇があったら、自分の性別や生まれた環境とちゃんと向き合えよ。

家族や恋人、親友と愛を交してから、他人に愛を語れよ。

あ~

すっきり~

先生さよ~なら~


隣人を愛せばいいのにと思う。

隣人に愛されればいいのにと思う。

遠くの誰かと仲良くなろうとするのは、すぐそばにいる人と仲良くできないから。

すぐそばにいる人と本心で仲良くすること。

そして

すぐそばにいる人よりもっと近しい人は自分自身。

自分と本心で仲良くすること。

いかがですか?

カウ



ウラミヤホンポウとは???

2009-01-15 17:58:35 | カウ食堂

代々木に向かう電車の中、


「3年B組」

「2006年うらみやほんぽう」

「2007年南海ホークス」

「2008年だめだ」

、、、。

これは、

今となりの席の青年の寝言(か独り言???)である。

夢は自己の無意識の領域を知覚化(あるいはイメージ化、象徴化)したものである。

無意識の独り言もそう。


おもしろすぎる。


彼の言葉の彼の中の意味に特に興味はない。

だけど、ただ、聞いていてとにかく愉快だ。

失礼を承知で爆笑させてもらった。

ありがとうございます。


ちなみに、

今までにあった俺の寝言は、、、

「あ~よく寝た」(寝言)

「ひとつづつあげるから並んで~」

らしい、、、。


カウ







今日の猫 ブリーと喧嘩

2009-01-13 18:54:49 | 今日の猫

最近ブリーはダイエット中。

高貴な猫のはずなのに、ゴミ箱をあさったりする。





それで喧嘩になる。


他にも、

ちょっと窓を開けたりすると、すきをみて逃走する。

ベランダで外を眺めていてしばらく戻ってこない。

(戻るまで窓を閉められないのだ。)

まったく、、、寒いのに。

案の定、部屋に戻ったら俺の上にひっついて離れない。

俺が離れると怒る。

それでちょっと喧嘩になる。


猫と喧嘩するのはどうなんだろうか?


カウ