カウ食堂

i'm gonna tell you about Kau/Yoga/Love!!!

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8月のヨガと瞑想

2014-08-01 00:45:07 | カウ食堂
@utl
2 土 1100 やさしいヨガと瞑想
4 月 1240 BEG
4 月 1430 deep relaxation
5 火 1300 やさしいヨガと瞑想
7 木 2030 FLOW
9 土 1200 FLOW
12 火 1300 やさしいヨガと瞑想
14 木 1630 やさしいヨガと瞑想
14 木 2030 FLOW
16 土 1100 やさしいヨガと瞑想
18 月 1240 BEG
18 月 1430 deep relaxation
19 火 1300 やさしいヨガと瞑想
18 月 2030 やさしいヨガと瞑想
21 木 1630 やさしいヨガと瞑想 new
21 木 2030 FLOW
23 土 1100 やさしいヨガと瞑想
26 火 1300 やさしいヨガと瞑想
28 木 2030 FLOW
30 土 1100 やさしいヨガの瞑想

wednesdays @akabane
1830 deep relaxation or FLOW
2015 deep relaxation or FLOW

sundays @todaimae
1530 やさしいヨガの瞑想


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7月のやさしいヨガと瞑想

2014-07-04 11:11:58 | カウ食堂
7/5 (土)1100
7/15(火)1630
7/19(土)1100
7/26(土)1230


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サントリープレミアムモルツ工場に行ってきた。

2012-06-07 17:22:18 | カウ食堂














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我が家にイエスが2人産まれました

2011-12-21 13:15:39 | カウ食堂

シュトレンを焼いた。

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ちなみにシュトレンは産まれたてのイエスをくるんだ布のことです。

★メリークリスマス★

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★★★★★★★

2011-12-18 14:31:18 | カウ食堂

7 days before Christmas comes in

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怒りのスペースを作ってあげる

2011-12-03 18:14:51 | カウ食堂

昨日はものすごく怒りが湧いた。

それを嫌がってはいたけど、なにかに投影したり、爆発させたりはしなかった。

だけど、どうだっただろう?

怒りが自分の中に生まれていることをそのときちゃんと認識していただろうか?

それが自分の中にあるのを許せていただろうか?

そのスペースを自分の中にとり、そばにいれただろうか?

それが身体の中を自由に動くがままにできていただろうか?

それを見守ることができていただろうか?

これから、友人に会う。彼女にそれを打ち明けてみよう。


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亀ちゃんとの静かな時間。

2011-12-03 01:39:39 | カウ食堂


夜の代々木公園をタアタンと二人で並んで歩いた。

共通の知人である亀ちゃんの話をしたりしていた。

公園の出口にさしかかったそのとき、

「亀が歩いてる!」

とタアタンが叫んだ。

見ると、足下に一匹の亀がノシノシと同じ進行方向、つまり公園の外へ向かって歩いていた。

驚いたのはもちろんだけど、どこへ向かってるのかが気になった。

その方向にはJR原宿駅しかない。

「こんなとこで何してんのよぅ?」

「そっちに行ってはダメ。」

などと話しかけながら、亀を持ち上げる。

しっかりした腕と細い指と尖った爪で力強く俺の指を払いのけようとする姿に、愛情が湧いた。

このままだと人に踏んづけられちゃうなと思い、どこか水辺に帰してあげることにして、ライトアップされた噴水のある池まで来た道を戻った。

途中、タアタンに亀の頭を触らせてあげたら、「亀触るのはじめてー」と喜んでいた。

池に着き、亀をそっと地面に置いてみた。

亀はまたノシノシとなかなかの速さで歩いて水に浸かったかと思うと、スイスイ泳いで行ってしまった。

その姿が見えなくなるまで二人で眺めていた。タアタンも俺もしばらく黙っていた。静かな瞬間だった。

うれしいような、かなしいような。

ホッとするような、寂しいような。

わかるような、わからないような。

正しいような、違うような。

そんな心境だった。

そしてそのとき、もうすぐタアタンが結婚のため遠くに行っちゃうんだということを思い出した。

きっと、その事実や空気や想いはこんな感じなんだろうなと思った。

でも、それを口にはしなかった。

否、タアタンのことだけでなく、すべてがこういう感じなんだろうな。

さらに奥にある思考が、次々と表に浮かんできそうだったが、意識をそらした。

そして、池をあとにして、また公園の出口に向かって二人で歩いた。

「亀ちゃんの話をしていたら、亀に会ったねー。」

と笑い合った。

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分析やら解釈はゴミ箱へ

2011-11-16 19:07:08 | カウ食堂

意識というフォーカスをぐっと絞りこんでいって、

身体のあちこちの部分、そしてその中のもっと小さなレベルのできごとを観察する。

そして、フォーカスを拡げていって、

身体全体を体験する。

全身に流れる呼吸と脈動を見つけ、全身の繋がりを感じとり、肉体とその外側の境界線も捉える。

さらに、もっとフォーカスを拡げ、

心を味わう。

身体の中心に生々しく弾ける感情を、そしてそれを超えた心境まで視野を拡げる。

より大きな世界の一部であることを全身で納得する。

気づくと、

なにが起こるかまったくわからないことにワクワクしている。

それが《気づき》である。



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M always knows how to work that camera!

2011-11-15 19:28:47 | カウ食堂


自分は誰なのか?
佳有は何なのか?

いつもそれを考えたり、話してみたり、ときには悩んだりしている。

なにをしていても、それでどんな心境になっていても、いつもどこかの部分で「わたしは誰?世界はなに?」と考えている。そういう思考と意識がある。意識というよりは眼といったほうが近い。身体の眼と心の眼と俯瞰の眼がいつもある。

その三つの眼の、ものの見かたや態度がぴったり一致したときに、すべてがうまくいっていると気づいている状態なんだろう。

佳有の身体の眼がなにかを見て、衝動を起こし、それを心の眼が見て態度を起こし、でもそんなときも俯瞰の眼は静かにただ眺めている。ということは、逆から捉えると、佳有という身体の眼が、俯瞰の眼と同じように静かにただ眺めているとき、心はその態度を体験し、身体の眼は衝動を手なずけている、ということになるんだろう。

ただあるがままを愛するというのは俯瞰の眼で、そしてそれに従った態度と衝動だ。ならば、その眼と態度と衝動でそれに気づいてしまうしかない。

なにかの本を読んだり、書いてみたり、どこかの集まりに参加してみたり、誰かに教わってみたり、人を相手に説教してみたり、どこかに籠ってみたり、いろんなやりかたがあるんだろうけど、真実はそれらの《やりかた》とは無関係だ。自分の問いをごまかすテクニックでしかない。

意識と態度と衝動なのだから、ただハッと気づいてしまうしかないのだ。知ることも、わかることも、そのふりをすることも、無関係。

ただハッと気づいてしまう。

だけど、自分のなかに生まれながらに備わっているその推進力に従いつづけるのは骨が折れる。「自分にはまだなにかが欠けている」「わたしにはあれが必要だ」「人にはやるべき試練がある」という幻想がそれを邪魔する。欠乏感や不足感だ。だから自分の全体性を補うために人間関係があるんだろう。家族や恋愛がそれを補ってくれる。

だから相手にはいつも心を開いていなくてはならない。

どんなテクニックよりも、目の前にある事実や世界は自分の全体性を補ってくれるのだ。






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you shall not hate in your heart

2011-10-18 01:56:32 | カウ食堂

you shall not hate in your heart.

i heared you call my name and it felt like home.

just like a dream, you're not what you seem.

thank you

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