勝秋雄太の放談室

当面は口腔癌治療体験と闘病記を中心にして載せていきたいと思います。

口腔癌闘病記・続3

2013-03-12 22:23:12 | 健康
2010,9/6:G研、胃内視鏡検査。
  9/13:胃内視鏡検査結果、軽い胃炎。特に問題なし。生検採取部も異常なし。食道も精査結果、異常なし。
  9/18:頭頸部CT検査、朝食抜きで造影剤使用。採血。
  9/22:CT&血液検査結果、異状なし。

検査間隔が、これまで3ヶ月であったものが、6ヶ月に延長された。

2011,3/9:G研,CT検査。異状なし。

  3/11,14.46東北太平洋大地震発生。M9.0,三陸沖震源。マンション3階の我が家も、かなりの揺れであった。

10/11:G研、大腸内視鏡検査。細胞採取。
  10/19:大腸検査結果。S字結腸に少し赤い点々があるが、問題なし。ポリープなし。癌の心配なし。(内科T医師)

とりあえず、胃や腸えの癌の転移は発見されなかったわけで、一安心であった。

病院からの帰り、りんかい線の駅までの道で突然、とてつもない恍惚感に見舞われた。何とも言えない、解放感と快感。いったいこれはなんなんだ。今から考えると、自分の体が回復に向かう喜びの表現だったような気がする。
手術後、満5年のことであった。

さあこれから、ひと頑張りしようか。同病の皆さんも頑張ってください、

2012年は正月五日から風邪で体調不良でスタートした。やっと回復したと思ったら、2/8からまた風邪で咽喉が痛くなる。近くの桂台内科クリニックで診察を受ける。風邪薬と抗生剤(クラリス)をもらう。2/10発熱(37.8度)
G研退院直後に、S大歯科病院リハビリテーション科で上下の歯を正常な位置に固定するためのマウスピースを製作してもらい、夜間は常に装着しているが、時々、調整が必要になる。月一回の割合で調整してもらう。原則として毎日10時間程度は装着が必要といわれる。
 6月にはゴルフ練習を再開した。ドライバーで150ヤードしか飛ばせなくなった。本コースでのラウンドは無理なので、ホームコースの籠坂ゴルフクラブは処分することにした。これからはショートコース専門でいく。
 6/18-30;また風邪をひいた。風邪がようやく治ったと思ったら、7/11急に発熱、たちばな台病院へ。診察の結果、熱中症とのことで点滴を受ける。
 まったく今年はついてない。やはり、水分補給が不足していたことは確かだ。夏場の水分補給の重要性を再認識させられた。やはり自分の年齢を自覚することが大事だ。


 


 

口腔癌闘病記・続3

2012-07-22 11:02:04 | 健康
2010年(平成22年)、口腔癌手術後4年目に入った。今年からG研での定期検診は4ケ月間隔となる。体調は特に変わりはなく、好調である。体重も1Kg増加して51Kg。手術前には到底、戻れそうにはない。リハビリの目的で通っている整形外科のフィットネスで体の各部位別の筋肉量を測定してもらったところ、年齢相応の標準的なものであることが分かった。メディカルフィットネスも2年目に入ったが、最近、特に体を動かす時の持続力とバランスが良くなってきたように感じられる。まさに継続は力なりで、これからも続けていきたいものである。 

2011年(平成23) 近くの整形外科が経営するメディカルフィットネスでの筋力向上の努力は週2回、継続中。体力で改善がみられるのは運動の持続力と左右のバランス保持力。特に、左の腹直筋を右あご部分に移植しているため、左右のバランスが悪い。
これは、日常生活で体の安全を保持するうえで非常に大事である。
 何か好きなことで、集中できるものを見つけることは重要。何でもよいと思うけど、私の場合は将棋。決して強いわけではない。自称、アマチュアの初段といったところですか。週一回、将棋同好会に参加するのと、あとはもっぱら、ネッと将棋(将棋クラブ24)にkatsuaki-w名で参加。ここは強豪ぞろいなのか、もう数年やってますが、未だに14級から13級をいったりきたりの状態です。しかし、これは夜遅くまでやりすぎるきらいがありますから、連敗すると、むきになってやり過ぎるきらいがありますから
そうならないように、健康管理には十分、気をつけましょう。(実は、私は夜遅くまでやり過ぎて体を壊しました。特に、夜遅くは交感神経が興奮して、寝られなくなりますから。勝って終われば未だましですが、負け続けると終われないことになります。)
 

口腔癌闘病記・続2

2010-04-30 23:05:29 | 健康
2009年の闘病状況

 今年で手術後3年目になる。体重は50Kg前後で、あまり増えてはいない。食事は左下側に唯一残っている奥歯とそれにかぶせた部分入歯がたよりで、なるべく柔らかいもの中心で食べている。野菜などはできる限り細かく刻み、リンゴなどはすりおろすとか、薄く切るとか、とにかく、手間のかかることおびただしい。まあ、命が助かったのだから贅沢は言えない。水やお茶などは注意すれば、のみこみに問題はない。医師からは、肺炎を起こさないように注意をするように言われているので、風邪をひかないように気を付けている。

1/28 G研定期健診(胸部レントゲン);呼吸器内科、O医師の所見では「右肺上部に炎症あり」という。詳細を確認のため、造影剤使用のCTをとることになった。

2/9 CT(造影剤使用);以前の画像と全く変化なく、問題なし。やれやれ、助かった。いつ転移が起こるか分からないという心配があるものだから、気がもめる。

1/30 緒形 拳さん逝去。私の好きな俳優が一人亡くなった。テレビドラマ「風のガーデ ン」を思い出す。平原綾香さんの歌う「カンパニュラの恋」を聴く。ご冥福を祈る。

2/20 76才の誕生日。無事に迎えられて、G研の医師、看護師はじめ、周りのすべての人たちに感謝です。元、勤務していた会社OB会から喜寿のお祝いを頂く。いつまでもお世話になります

3/18 G研定期健診;異常なし。

4/9 S大歯科病院;マウスピースの調整。チタンプレートの破壊後、夜間は常に装着して寝るように指導を受けている。マウスピースの構造は上下の歯が正常な位置でかみ合うように作られていて、上はややきつめに、下はややゆるめに調整してもらっている。朝、起きてはずす時に下が簡単に外れたほうが、下顎に無理な力が掛らずに済むので安心である。

4/16 今日から近くの整形外科の指導でメディカルフィットネスを始めた。長期の入院で筋肉がかなり減少してしまったので、ふつうの状態に戻すべく努力してみることにした。健康維持のためにもこれだけは継続したいものである。

6/17 G研定期健診;頸部CT(造影剤使用)、異常なし。

9/16 G研定期健診;頸部CTと肺レントゲン、いずれも異常なし。駅までの帰途、何とも言えない恍惚感に襲われた。この表現は適当でないかもしれないが、何とも表現しようのない不思議な感覚である。口腔癌手術後、満3年になることが関係あるのかもしれない。これで、あと20年は生きられるような錯覚さえ浮かんでくるような。しかし、一般的には5年間は要注意といわれているから、油断は禁物だろう。

最近は、体調も良いのでネット将棋を再開したがR=248と好調である。戦績はこのへんが最高で、時々、15級に墜落する。さすがに、最近はそれは少なくなって大体、14級の中で上下している。

12/16 G研定期健診;胸レントゲン及び頭頸部CT  右肺上部に白い斑点増加。結核の恐れありとのことで、痰検査を行ったがマイナスであった。血液検査のため採血をする。

12/25 胸レントゲン;白い斑点は前と変化なく問題なしとのこと。血液検査結果は、マーカーのCRP=0.1で、全く問題なし。

白い斑点については、古い結核の跡だというが結核に感染した履歴はないので納得できない。感染に気がつかずに治癒していたのか? そういうこともありうるのか。

これで今年も何とか、無事に乗り切ることができそうだ。病院の先生方、家族のみんなに感謝、感謝、感謝です。どうか皆様、良いお年をお迎えください。


口腔癌闘病記・続1

2010-04-30 22:27:57 | 健康
2007.3.3退院から1年間の状況

  まだ、時々誤嚥が起きる状態なので、胃ろうを継続している。食卓の後ろの食器棚の上から栄養食を入れたボトルをつりさげて、食事をしていた。1日約1,800Kcalで、栄養は満点である。したがって、体重も51Kgをキープできていた。食事の関係から、自由に外出できないのが不便であった。

飲み込み力の改善と誤嚥の防止

 この目的のためにG研時代から指導を受けていたS大学歯科病院・リハビリテーション科に通うことにした。

3/16 G研M副部長による退院後初めての検診(内視鏡による頸部検診);経過順調 。とりあえず、安心する。
3/22 S大歯科病院リハビリテーション科T科長による嚥下検査。おかゆ、杏仁豆腐等、持参して飲み込んだ時の食物の嚥下状態をレントゲン撮影し、誤嚥がないかどうかを調べる。これは、一回で合格した。
4/6 G研第2回検診;鼻から内視鏡を挿入して咽喉の検査及び口内検査。咽喉もきれいで問題なし。入院中、血圧が高かったので薬(ノルバスク)を服用していたが、しばらく、続けることになった。

   (これはすこし余談になるが、日本酒を舐めてみたが、喉にしみて全く、旨
   くなかった。味が全く分からない状態で、びっくりした。)


5/18 第3回G研検診;のどもきれいで問題なし。胃ろうも、外しても良いとの許可が出た。
5/30 G研消化器外科、M医師担当で、「ちょっと我慢してくださいよ」といわれ、瞬間的にチューブを引き抜かれた。「うっ」となったが、はい、 それまでといった感じで終了した。

    いよいよ、胃ろうを外し、飲み込みもできるようになったので、問題は
    歯のケアーということになる。右下は歯が無いため、左半分で咀嚼するこ
    とになる。もともと、歯周病があったりして歯は弱く一部欠けていたため、
    さっそく,部分入れ歯を作った。念のため、近くの歯科医院とS大歯科病
    院との二か所で用意した。 
6/29 第4回G研検診;のどの検査と血液検査。異状なし。手術の際に輸血をしてるので、C型肝炎の感染が心配であったが、大丈夫のようである。

7/12 湯島清水坂クリニック
長女がインターネットで調べて見つけてくれた、自律神経免疫療法(癌の再発防止)の専門クリニックである。ここで、週一回治療を受けることにした。医師の問診とハリ治療が主体である。免疫療法では有名な福田、安保両先生の指導によるものらしい。交感神経と副交感神経のバランスが重要で、血液検査ではく血球中のリンパ球と顆粒球の比率を調べ、35-40/65-60程度がベストとされる。検査結果は、リンパ球が28%とやや、低めであった。

その後、週一回ないし二回の割合で東京、湯島天神まで通うことにした。体調は徐々に回復し、特に、胃腸の具合が素晴らしく快調な日があるようになった。これは、ここで受けるハリ治療が良いような気がした。(2008.3月まで通院した。ハリ治療の先生が退職したため治療を中断した。)

入院時の回想

今日(2009.1.14)朝日新聞の記事で、市川団十郎さんが白血病で入院闘病中の気持ちを「自分が亡者の中でもがいているよう」と表現されていたのを読んで、自分も集中治療室に肺炎で二か月もいたときは、まさにそのようだったと突然思い出した。夜は眠れず、毎晩、仕方なく睡眠薬を服用するが、眠るとこの悪夢が襲ってくる。今にも死にそうでもがき苦しんでいる大勢の人たちの中に自分が埋没している夢。看護士さんに云うと、「それはみんなが通る道ですから、辛抱してください」と云われて涙が出てきた記憶が甦る。手術後、半年はかなり、ひんぱんに思い出したが、2年も経つとさすがに、たまにしか思い出さない。忘却は、ときとして、大事なことのように思える。神から授かった人間の特技かと思う。

8/3G研検診;のどの内視鏡、頭頚部CT(造影剤使用)、パノラマレントゲン異常なし。高血圧の薬(ノルバスク)服用を中止。
9/28G研検診;のどの内視鏡。異状なし。
10/4湯たんぽ購入、使用開始。これは、湯島清水坂クリニックの紹介によるもので連絡先は(株)サンワヘルスデザイン(Tel:03-3835-0183)。ウエットスーツ素材の湯たんぽで、使い心地がとても良い。現在、愛用中です。
それと同時に、乾布摩擦を開始した。首から足先まで。起床時に行う。その他、健康管理としては、毎週日曜日の起床時に体温と血圧を測定。特に体温については、36度以下の低体温には気をつけるように心がけている。

11/16 G研検診;肺CT、頸部CT(造影剤使用)異常なし。

12/21 G研検診;肺CT(造影剤使用)異常なし。手術後、1年3ヵ月経過。

2008年(平成20年)退院後、2年目に入る。

 家族他皆のおかげで気持ちの良い正月を迎えることができて感謝、感激である。昨年は、まだ、病院にいたわけだから、感慨ひとしおである。みんな、有難う。
2/8 G研検診;のどの内視鏡のみ。異状なし。
3/28 G研PET検査。水500cc持参。9.15検査着に着替えて、造影剤を注射、50分安静
 に待つ。10.15検査開始。11.00終了。M医師診察、異常なし。(検査費用;
 ¥25000ー3割負担)

5/7 チタンプレート破損。
 夕食時にざりざりと云う異音がして、顎の骨の代わりとして装填されていたチタンプレートが、丁度、中央部の湾曲部分で破壊した。特に固いものを食べたことはない。まったく、普通の状態で破壊してしまった。このまま放置すると、破壊部分が頬を突き破る恐れがあるということで、手術でチタンプレートを除去する必要があるとのことであった。さっそく、再入院の手続きをとる。ところが、担当医師の手術予定が混み合っていて、なかなか、予定がとれなかった。この間、G研、S大歯科病院で、2回レントゲンで破壊部の状態をチェックしてもらった。(日が経つにつれて、折損部がずれてくるのが明確にわかる。)

6/19 再入院。6階西病棟608号室。前回と同じ病室。
6/24 Tiプレート除去手術(14.30-16.30)
  左右のボルトを取り外し、プレートを除去。プレートには周囲の肉が密着していたため、手術は困難を極めたらしい。(手術後、家族が先生の話の様子から想像して。)
6/25 ちょっとした出血があり、止血処置が行われた。採血と胸部レントゲン撮影。肺は非常にきれいで、問題なし。
 今回の手術で非常に印象的だったことは、深呼吸が気持ちよく楽にできるようになったこと。手術後の酸素吸入が楽だった。
7/1 鼻のチューブを抜く。
7/4 抜糸。体重47.6Kg(手術前48.6Kg)
7/19 退院。ちょうど、一か月。
7/30 G研検診。のどの内視鏡。異状なし。
8/11 S大歯科病院リハビリテーション科T科長診察。マウスピースの調整。部分入れ歯の作製。
8/25 S大。入れ歯出来上がり。T科長診察。パノラマレントゲンにより顎のずれ確認。問題なし。「噛めるものはどんどん噛んでよろしい。むしろ、柔らかいものは、歯につきやすいので、歯周病には良くない。顎関節については、それほど心配はいらない。」とのことであった。
9/10 G研検診。頭頸部CT(造影剤使用)、のど内視鏡。異常なし。
 今年は、お陰様で特別な異常もなく過ごすことができた。神様に感謝です。今回のチタンプレートの破損についての反省点と考えさせられたことは、次のようである。
1)反省点;体重の減少(10Kg)を早期に取り戻したくて、発芽玄米入りご飯を懸命に食べたこと。過ぎたるは、及ばざるがごとし。悔やみても、悔やみ足りず。まず、お粥からゆっくりと始めるべきであった。良くいえば、体調はそれだけ元気が回復してきたということもいえる。
2)考えさせられたこと;プレートの形状設計、強度設計等はどのようにされるのか。骨との固定は、ボルトによる固定で、異常に大きい荷重が掛った場合にはボルト部分で破壊するように設計されているといわれる。私の場合は、プレートの中央の湾曲部分で破壊が起こっているから、原因として考えられることは、材料欠陥によるか、形状設計の不適切さによるか。かなり難しい問題であろう。機械部品と違って人間の場合は各人各様だから、構造設計は一様にはいかないであろう。金属の疲労破壊にしては、使用を始めてから約9か月であるから短すぎる。形状不良と応力集中の問題か、いずれにしても、厄介な問題で、ケースバイケースで処理するしか方法はないのかもしれない。各事例を積み重ねて適切な手法を発見してほしいものである。

これで2回の手術を乗り越えてきたわけだが、再発の危険性は残っているわけで、これからはまず、体力をつけ、免疫力を向上させて再発防止に全力を傾注する覚悟を決めた。具体的な生活改善やリハビリテーションについては、闘病記続2で公開していきたいと思います。

同じ体験をお持ちの方、何かお役に立ちましたでしょうか。是非、コメントをお寄せください。















口腔癌闘病記

2010-03-01 14:32:46 | 健康
放談室のテーマにはふさわしくないが、突然降りかかった災難に打ち勝つべく、また、同じような境遇にある方に少しでもお役に立てればと、闘病記を書く決意をいたしました。
1.病気発見までの経過と概要
 右下部分の入れ歯が歯茎に当たって痛み出した。
 2006.6/9 右下,部分入れ歯の下、歯茎の表面に白い斑点状の潰瘍を発見。
    7/14 かかりつけの歯科医院で潰瘍部の表面を切除。1週間様子を見るも、
      また同じ状態となる。検査のため、某大学付属病院の紹介をもらい
      訪問。
8/10 CT scan
8/15 CT scan 異常なし。生体検査のため、歯茎の一部を切り取る。
8/29 悪性腫瘍、癌細胞発見。
2.病院の選択と検査入院
  インターネットで口腔癌の内容と手術の実績のある有名病院を探した。本当に
 インターネットは有用なツールであることを再認識した。手術実績の多い有名病
 院のうち、入院、通院の便利さを考えて2ヶ所選択し、早速、訪問して診察を受
 けた。2ヶ所とも、ほぼ、似たような診断であったので、G病院を選択した。
    9/12 検査入院(G病院頭頚科)
       検査内容;頚部CT(造影剤使用)、肺レントゲン、尿検査、心電図
            腹部CT、動脈からの採血、肺機能検査、頭頚部超音波
MRI(造影剤使用)
    9/22 MRIの検査結果に基づいて、手術方針が決定された。顎の骨の小規模
       な切除ではなく、ほぼ、右側半分を切除するということになった。
    9/25 胃、食道の内視鏡検査
3.手術とその後
 9/28; 手術(a.m8.30開始 p.m4.30終了)手術自体は、比較的順調に終了。
 しかし、ここから私の難行苦行が始まった。集中治療室(ICU)に入る。そうゆ
うこともあるとは、話に聞いていたけれどまさか、自分がこういうことになる
とは、夢にも思はなかった。肺炎(MRSA)であった。気管切開をしたうえに、人
工呼吸器をつけた状態で、ぴくりとも動けない。熱は38度台が続き、痰がひっき
りなしにでるので、看護士さんに吸引してもらう。最初は自分で痰を吐き出す力
がないのと、口がきけないので、すべてナースコールで看護士さんを呼んでやっ
てもらうしかない。30分おき位で深夜も続く。本人も寝られないのだが、看護士
さんも大変な労力がかかる。睡眠が取れないと、体力が弱るので、睡眠薬を毎晩
飲んで寝るのだが、1週間くらいは悪夢にうなされる毎日だった。人工呼吸器の
酸素圧の調整は大変だった。担当のF医師が実に綿密にやってくれて良かった。
担当医師は4名、看護士1名がチームを構成している。M,F,S,K医師とW看護士。そ
れぞれ、素晴らしい人たちで、この場を借りて命を助けていただいたことを感謝
申し上げます。もちろん、そのほかのすべての看護士さんたちも素晴らしかっ
た。感謝の念でいっぱいです。男子の看護士のKさんの看護振りには感動した。
細かなところによく気がつくし、行動が迅速で的確、患者のみになってよくやっ
てくれた。その間、家内はじめ、家族全員に世話になり、心から感謝している。
ICUでの出来事としては、肺炎(MRSA)になったために、左肺に水がたまり呼吸
困難を引き起こしたため、心臓外科の専門医に水を抜いてもらった。肋骨の間か
ら針をさしてチュウブをつないでおくと徐々に水が排泄される。後から考える
と、肺炎になるかならないかで手術後の体力回復に大きな差が生じる。これで1
ヶ月の差がついたと思う。ICUでの治療はすべてこの肺炎の治療に当てられたよ
うに思われる。人工呼吸器のチユウブが右側にセットされていたためと、手術の
後遺症からか、右肩が前に突き出し、右手が側面からはほとんど上に上げられな
くなってしまった。痰は肺の奥から次第に上部へ上がってくる。深部はチュウブ
を差し込んで取りやすいが、気管支の入り口に近くなると人工呼吸器の構造上の
制約から取りにくくなって苦労した。毎日一回体を拭いてもらうために、体を右
や左に動かすたびに、痰が出てきて苦しくなる。痰を排出させるためには必要な
こととされた。人工呼吸器を装着していると、横向きには寝られないために、約
2ヶ月間上向きで寝ていたのも辛かった。
10/14;ベッドの縁に腰掛けて10分、足を下ろして座れた。立って足踏みをした。
10/15;今日は、背もたれ付きの車椅子に座って、30分テレビを見ていることがで
きた。
10/17;肺から水を抜く。呼吸が少し楽になる。熱はまだ、夕方は38度ある。
10/22;MRSAの兆候が消えた。良くぞ生き残った。congratulation !
11/10;心臓外科O医師、気胸のためチュウブを挿入。
11/17;顎と喉部分の抜糸。
11/20;人工呼吸器をはずす。長時間の呪縛から解き放たれた、なんともいえな
い気分。
11/24;尿管を抜く。ICU内で歩行練習。
11/29;ICUを出て、一般病棟に移動。
12/13;鼻チュウブはずす。嚥下テストをうけ、流動食、キザミ食をとり始めて1
週間後に、誤嚥により、むせるようになる。ひどいときは夜中中、むせて咳き込
んでいた。退院したい一心から、嚥下機能がまだ、十分回復してないのに、一生
懸命食べたのが失敗のもとだった。(誤嚥性肺炎を引き起こす。)
12/20;気管口を閉じる。
12/21;夕方から発熱あり。(37.9度)
12/22;誤嚥性肺炎の疑い濃厚となる。
12/26;急遽、再度、気管切開を行い、鼻チュウブを装着される。(折角、ここま
で回復したのに、またかと、暗澹たる気持ちに陥った。今度は、右肺をやられ
た。)
2007/1/10;誤嚥性肺炎が終息する。
今後の対策;嚥下機能回復のためのリハビリとして、のど仏の挙上運動を毎食前
に20-30回行うことを徹底する。機能回復に時間がかかりそうなので、胃ろう手
術を行って、栄養補給を完全にした上で次のステップに進めようということにな
った。
1/13;気管口をペーパーで閉鎖する。(これで鼻から吸い口から吐く、普通の呼
吸に戻ったことになる)
1/14;気管口の閉鎖をペーパーからプラスチック栓に変える。
1/17;消化器外科で胃ろう手術。局部麻酔で、胃の中央よりやや左側に穴を開け、
プラスチックの蓋つきの口を作る。ここから、毎食、400cc(400Kcal)のラコール
と250cc(250Kcal)のエンシュアーリキッドの栄養食を摂る。摂取量は1日約
1800kcal程度に調整する。手術後、正常に栄養食を取れるようになるまで、3日
を要した。
1/23;N医師(S大学)から嚥下指導を受ける。
1/24;今日から、のど仏のこじょう運動を徹底してやることにした。朝、昼、夕
食前に20-30 回行う。
1/31;久しぶりに病院の5階中庭に出て日光を浴びた。軽い散歩と体操。気分よし。
2/19-20;外泊(自宅)
2/20;嚥下テストに合格。(のどのレントゲン写真を撮りながら食物の嚥下状況
 を観察して誤嚥の有無を確認する。)
2/21;M医師とW看護士と退院時期とその後の予定及び注意事項に付き相談。
2/27;栄養相談。
3/3;退院。
 これからが、癌との共生生活に入ることになるわけであろうが、なにしろ、初めての体験だから体に良いといわれることはできるだけやってみようという姿勢で 前向きに取り組むことにした。これ以降の生活については、追々、公開していきたい。