石川フミヤスさんが11月24日に亡くなられました。77歳でした。
石川さんの略歴などは、ネットで調べることができるでしょう。1959年1月に結成された「劇画工房」の最初期のメンバーでした。
研究会では、会誌12号にちだ・きよしが「青春の描き方-石川フミヤス作品の有効性について」と題して、石川作品を論じています。これまでの最高の石川論です。ぜひお読みください。
ここでは、わたしたち研究会との関係を少し書きたいと思います。
2003年に亡くなられた桜井昌一さんの追悼特集を、会誌13号で組むにあたって、石川さんにもご寄稿をお願いしました。会誌は送っていたものの、一面識もないわたしたちの依頼に応えてくれ、原稿を送っていただきました。
それは「ひび割れた茶碗」と題するもので、大阪時代の桜井さんとの病気をめぐるやりとりが書かれた、桜井さん、そして石川さんのやさしさがあらわれた文章でした。
それ以降毎年、賀状をいただきました。大きな蛇が富士山にまきついたものもあれば、病気療養中のご自身の姿をユーモラスに描かれたものもありました。
石川さんにもいつかお話しをうかがいたかった。3年半というわたしたちの活動の空白が、大事なものを失っていくような気がしてなりません。
次号では、小さなものではあっても、石川フミヤスさんの特集を組みたいと思います。(H)
合掌
石川さんの略歴などは、ネットで調べることができるでしょう。1959年1月に結成された「劇画工房」の最初期のメンバーでした。
研究会では、会誌12号にちだ・きよしが「青春の描き方-石川フミヤス作品の有効性について」と題して、石川作品を論じています。これまでの最高の石川論です。ぜひお読みください。
ここでは、わたしたち研究会との関係を少し書きたいと思います。
2003年に亡くなられた桜井昌一さんの追悼特集を、会誌13号で組むにあたって、石川さんにもご寄稿をお願いしました。会誌は送っていたものの、一面識もないわたしたちの依頼に応えてくれ、原稿を送っていただきました。
それは「ひび割れた茶碗」と題するもので、大阪時代の桜井さんとの病気をめぐるやりとりが書かれた、桜井さん、そして石川さんのやさしさがあらわれた文章でした。
それ以降毎年、賀状をいただきました。大きな蛇が富士山にまきついたものもあれば、病気療養中のご自身の姿をユーモラスに描かれたものもありました。
石川さんにもいつかお話しをうかがいたかった。3年半というわたしたちの活動の空白が、大事なものを失っていくような気がしてなりません。
次号では、小さなものではあっても、石川フミヤスさんの特集を組みたいと思います。(H)
合掌