day by day

日々のあしあと♪

夫婦とは・・・

2009-01-23 | Jesus
昨日の祈祷会で聞いたお話。

マルコによる福音書10章の、
「天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。
それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。
彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
神が合わせられたものを、人は離してはならない。」ということについて。

結婚するっていうことは、もはや男とか女という個体ではなく
夫婦という別の存在になったんだよと語られました。

それまで、私のイメージでは、
男と女というのが存在したまま結婚によってくっついた程度の理解しかなかったのね。

でも、牧師曰く、水(H2O)に例えると、水素(H2)と酸素(O)という
まったく別の物質がくっついて、違う物質が出来上がっている。
夫婦もそれと同じ、なのだとか。

もちろん、男性女性の性質や特徴が消滅するわけではなく、
その特性は残しつつも、結婚によって
まったく違う関係に造りかえられているのだとか。

よく、芸能人の離婚会見なんかで、
「性格の不一致で」とか「お互いの幸せのため」という文言を聞くけど、
そもそも、夫婦だからって性格は一致しないし、
男女関係において、夫婦である以上の幸せなんて、存在しないわけで。

よく職場で(時には教会においてさえ)、
「あの人とは考え方が合わない」といって悩んだり、相手を裁いたりするけれど、
そういう意味においては、夫婦として生活することって、
まったく別の人間が、一体になるのだから、
人間関係訓練の究極であって、神様の助け無しには成しえないことなのかもね。

やっぱ、奥が深いぜよ、聖書。

相方と結婚して17年目のアニバーサリーを前に、
ただただ神様に感謝なのでした 

和三盆

2009-01-21 | 今日の出来事
今年始まったばかりなのに、もう3回も東京に出張した相方。
1泊や2泊で、行って帰るのはさぞ大変だろうなぁ。
そんな相方ですが、家で良い子にしている(はずの)妻のために、
最近よくお土産を買ってくれるのだ 

ちなみに、今回はいつもとちょっと違う雰囲気の和菓子デシタ



10㎝四方のちいさな箱に、キレイに形取られた和三盆のお菓子が
2段になって並んでいます。
実は、和三盆好きなんですよねぇ~
さっそく昨日も夕食の後、ひとつつまんでみると、
かまなくても、ゆっくり溶けて、優しい甘さが拡がっていきました。
う~ん、シアワセ
なんだか一足早く、春が来たようです

ピアス

2009-01-21 | 今日の出来事
実は先週、初めてピアスを開けました。

どーゆーわけか、最近男女を問わず、人の耳元が気になって、
「あの人も、あー、この人も開けてるんだ~」と、
思っていたよりもずっと、ピアス率が高いことに気がつき・・・。

実は20代初めの頃、一度開けようと思ったのですが、
当時お付き合いしていた今の相方から
「ダメ、ダメ!ゼーッタイダメ」と猛反発を受け、
まあ、そこまで嫌がるなら・・・と断念していたのでした。

でもでも~・・・。
同じように、高校生の頃から念願だったバイクの中型免許を取るのも、
相方に反対され、その時は納得し諦めたものの、
あれからほぼ20年経った今、
「もう今は、あのパッションはないし、やっぱりあの時やってれば良かった~」って
思っちゃうんだよね~・・・。

人生、いつ終わりを迎えるかわかりませんっ。
ならば、やってみたいことはとことんやっとかなきゃ!と
思っている今日この頃です。
もちろん、自分以外の誰かに迷惑をかけない範囲で、だけどね

そんなこんなで、ファーストピアス
市販のピアッサーという、簡単な仕掛けの道具を使ったのですが、
最初にやった左耳は、さすがにちょっとびびってしまい、
入りが浅くて貫通しなかったため自力で押し込み貫通
右耳はその失敗を踏まえ、思いっきりパンチし、無事貫通。

ほとんど出血もなく、耳たぶを洗濯ばさみで挟まれたような
軽い痛みが数時間あっただけで、1週間経った今も順調です

開ける前日、後からもめるのもイヤだったので、相方に
「私ピアス開けるから。もう決めたから、了解しておいてね」と宣言すると、
予想外にあっさり承諾・・・。(鬼ヨメには勝てないと思ったのかも)

さらに、「初めてのピアスは、あなたがプレゼントしてね
と、一方的にお願いしました。

するとすると、さっそく昨日「出張のおみやげ~」って、
相方がプレゼントしてくれたのが、コレ。
ラブリーなピアスです



ちょっと年齢的に、子供っぽいかな~・・・?と思う感もありますが、
それでもやっぱり、強制的な約束でも覚えていてもらえて嬉しかったー

ピアスホールが完成するまで約一ヶ月。このピアスをするのが待ち遠しいです



あけましておめでとうございます

2009-01-02 | Jesus
倉敷は晴天のおだやかなお正月を迎えています。

大晦日は、しっかりと夜更かししたのに、
まじめな(?)相方のたっての希望で、
元旦も早起きして、ここから80㎞の距離がある、
美咲町の柵原教会に元旦礼拝に出かけました。

1年のスタートである元旦にふさわしく、メッセージでは
「新しい年のスタートですが、あなたのゴールはどこですか?」
ということが語られました。

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ゴールがわかっていないと、なんのために走っているのか(生きているのか)
どこへ走っていけばいいのか、分からないよね。
ましてや、選手にはコーチや監督が一緒にいて、
様々な助けを与え導いてくれるけど、
あなたの人生には、そのような導き手がいますか?
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看護師をずっとしてきて、普通の人の何倍も亡くなる人をお世話してきたので、
その分、「死」をいつも身近に感じているので、
なんだか、このメッセージがとても身に染みたのでした。

人はいつ亡くなるかはわからないけれど、人間は例外なく
確実に人生の終わりに近づきつつ生きているんだな・・・。
だからこそ、一瞬一瞬を大事に生きなきゃいけないんだ・・・

そんなことを思いながらスタートした2009年。
いつ終わってもいいくらい、悔いのない日々を送れますように・・・



こういうわけで、わたしたちは、
このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、
わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、
神の御座の右に座するに至ったのである。(ヘブル12:1~2)