昨日からずっとBGMはモーツァルト。
それにしても、やっぱり癒し系。まったりしてだんだん眠たくなってしまう。
これは夜向きかもねー
今読んでいる本。
ロイ・ヘッションの『神を見る生活』。
初版が1962年という古~いものだけど、今読んでもぜんぜん古くささを感じない。
(ただ思ったよりも内容が難しくて、理解するのに時間はかかるけど・・・)
その中で面白かった記述。
シナイかカルバリか、ということ。
簡単に言うと、
罪を犯した時に私たちの頭では、
その「罪意識」をシナイ山に連れて行こうとする悪魔と、
カルバリ山に連れて行こうとする聖霊が格闘している。
シナイ山では、十戒(律法)が、私たちを罪に定め束縛し、
カルバリ山はイエス様の十字架が、私たちに自由と平和を与えてくれる。
でも、悪魔はしばしば聖霊の声をまねるので、
訓練されていないクリスチャンは悪魔に従ってしまう。
そして、その悪魔の目的は、闘争と自己努力の中におびき寄せ、
私たちが身動き出来ないようにしてしまうこと、らしい。
これを読んで、「なるほどー!」と思ってしまった。
私なんて、一日を非生産的に過ごしてしまった日など、
①「あ~あ、これじゃあダメだよなあ」から
②「どうして、私ってこうなんだろう?」と続き、
③「最近聖書を読む時間が減ってるから?」ときて、
④「よし!明日からもっと頑張るぞー」と決心し、
結局やっぱりそんなに頑張れるわけもなく、
また②以降を繰り返すことになる。
そして、だんだん聖書や神様が、ひどく窮屈なように思えて
信仰が落ち込んだり、ということがありましたー。
これって結局、悪魔に連れられて、シナイ山に行ってたんだなあって、
この本を読んだ時、すっきり納得してしまったのです。
最近でこそ、この悪循環におちいる回数は減ってきた気はするけど、
私たちの目が、絶えずカルバリ山のイエスさまに注がれていることって
本当に大事なんだなあと、しみじみ思います。
特に今の私は、先のことがまったく決まっていなくて、
神様のGOサインが出るまでの一日一日をきちんと過ごせるように、
「焦らない」「人と比べない」「自分を卑下しない」を
自分に言い聞かせている、今日この頃だったりするので、
カルバリから目を離さないぞーって、思ってます・・・
私の通っている教会で、こんどゴスペル教室がありまーす。
ぜひ来てね
http://teketeke.jp/event/060211.htm
それにしても、やっぱり癒し系。まったりしてだんだん眠たくなってしまう。
これは夜向きかもねー
今読んでいる本。
ロイ・ヘッションの『神を見る生活』。
初版が1962年という古~いものだけど、今読んでもぜんぜん古くささを感じない。
(ただ思ったよりも内容が難しくて、理解するのに時間はかかるけど・・・)
その中で面白かった記述。
シナイかカルバリか、ということ。
簡単に言うと、
罪を犯した時に私たちの頭では、
その「罪意識」をシナイ山に連れて行こうとする悪魔と、
カルバリ山に連れて行こうとする聖霊が格闘している。
シナイ山では、十戒(律法)が、私たちを罪に定め束縛し、
カルバリ山はイエス様の十字架が、私たちに自由と平和を与えてくれる。
でも、悪魔はしばしば聖霊の声をまねるので、
訓練されていないクリスチャンは悪魔に従ってしまう。
そして、その悪魔の目的は、闘争と自己努力の中におびき寄せ、
私たちが身動き出来ないようにしてしまうこと、らしい。
これを読んで、「なるほどー!」と思ってしまった。
私なんて、一日を非生産的に過ごしてしまった日など、
①「あ~あ、これじゃあダメだよなあ」から
②「どうして、私ってこうなんだろう?」と続き、
③「最近聖書を読む時間が減ってるから?」ときて、
④「よし!明日からもっと頑張るぞー」と決心し、
結局やっぱりそんなに頑張れるわけもなく、
また②以降を繰り返すことになる。
そして、だんだん聖書や神様が、ひどく窮屈なように思えて
信仰が落ち込んだり、ということがありましたー。
これって結局、悪魔に連れられて、シナイ山に行ってたんだなあって、
この本を読んだ時、すっきり納得してしまったのです。
最近でこそ、この悪循環におちいる回数は減ってきた気はするけど、
私たちの目が、絶えずカルバリ山のイエスさまに注がれていることって
本当に大事なんだなあと、しみじみ思います。
特に今の私は、先のことがまったく決まっていなくて、
神様のGOサインが出るまでの一日一日をきちんと過ごせるように、
「焦らない」「人と比べない」「自分を卑下しない」を
自分に言い聞かせている、今日この頃だったりするので、
カルバリから目を離さないぞーって、思ってます・・・
私の通っている教会で、こんどゴスペル教室がありまーす。
ぜひ来てね
http://teketeke.jp/event/060211.htm