メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

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2009年12月10日 23時48分46秒 | 日記
 先週日曜日、大田区蒲田の文学フリマに出かける前に、宣伝チームといっしょに同じ大田区内にある「昭和のくらし博物館」を訪れてみました。
 このブログで何度か触れてきました。昭和26年築の普通の民家に、昭和30年代の生活が詰め込まれた、かけがえのない場所です。

 この日はうららかに晴れており、二階の子ども部屋の窓は開け放たれていました。この博物館の中では立ったまま見て回っては駄目です。畳の上にぺったりと腰を下ろしてみることです。すると、自分自身が子どもだった頃の目の高さになれます。懐かしいあの感覚。

「ちょっと横にならしてもらっていいですか」と、山本宣伝プロデューサーはごろごろ寝転んでしまいました。
 エイベックス岩瀬プロデューサーはひざを抱えて柱にもたれかかっています。
 のどかに陽のあたった畳の上。こんな子ども部屋にいると、漫画本を読んだり、野球盤をして遊びたくなってしまいます。

 ふたりほどスタッフが遅れてくることになっていたのですが、
「あいつらきたら、この窓から『おーい、はやくあがんなよー』って手を振ろう」
「ははは」
「『はやくあがっていっしょに遊ぼうよー。お汁粉冷めちゃうよー』」
「何でお汁粉なの?」
「わかんない。子どもに戻ったらなんでかお汁粉になっちゃった」
「ここで、みんなで陰謀とか練りたくなっちゃうよね。どんな落とし穴掘ろうか、とか」

 すっかり子ども時代の息吹を味わった一同。
 さあ、じゃあ、そろそろここをあとにしようか。
「でも、いつでもあの子ども部屋に帰れるんだってわかった」
「ね。いつでも帰って来れるんだ」
 またあの博物館に行こう、というのでなく、いつでもあの子ども部屋に帰れるんだ。
 ああ、そうだ。みんな『マイマイ新子と千年の魔法』を見て泣いてしまうっていうの、こういうことだったのか、と理解できたような気がしました。




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