メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

千年前の海の上に立つ

2009年12月05日 05時23分02秒 | mai-mai-making
「南北朝時代の防府」です。

 今の地名でいうと、「鐘紡町」も「三田尻」も「勝間」も、全部海の中です。
 田島山は完全に島でした。
 新子が住んでいた「国衙」が直接、海に面していました。そこに千年前には港があったのです。


 この海に「埋立地」ができたのは、工業化のためではありません。
 これは関が原で負けて防長二州に押し込められた毛利家、江戸時代の長州藩の農地拡大策の結果なのです。

 この江戸時代の地図にある「勝間御開作」が、今の「鐘紡町」。つまり、貴伊子の社宅のある工場の場所です。

 昭和50年代までは、この鐘紡町が直接海に面していましたが、その後、さらに南に「新築地町」埋立地ができています。
 現在の埋立地の南端に立つと、もう江泊、向島が目の前です。
(どうか、今の地図でお確かめください)



「ということは?」
 と、ロケハンでこの新築地町埋立地に立ったわれわれは思いました。


「今、自分たち、ひょっとして千年前の海の上のど真ん中に立ってるんじゃない?」


 ここにちょっとした煙突があったので、美術監督・上原さんがその真ん中まで登って(ほんとはやっちゃいけない)、360度をカメラでパノラマ撮影しました。全景を、全部の山の形を写真におさめることができました。
 360度分の写真を丸くつなぎ合わせて、その真ん中に頭を入れると、まるでその場にいるようです。

 これはつなぎ合わせた写真の一部です。左の低いのが多々良山、右の高いのが矢筈ヶ岳(敷山)。

 こちらは東にそびえる大平山。

 これが千年前の海の上から見た風景なのです。



 われわれは、今、千年前の海の上にいます。

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