内輪の話で恐縮です。
『マイマイ新子と千年の魔法』は、画面の出来栄えから感じられるよりも、予算規模の小さな映画です。そういってしまうと身も蓋もなく、せっかく出資して下さった方々にも申し訳が立たないのですが。
完成画面の密度は、少数精鋭のスタッフたちが夜を日に継いで仕事してきた結果にほかなりません。
そして、宣伝部も同じような戦いを強いられていたのではないかと思います。
告知して名を広めようにも、じゅうぶんな宣伝を繰り返し打てない。彼らにとっては、手足をもがれたも同然の、いかに過酷な状況であったことか。もっと頻繁にテレビ・スポットを打てたら。公開前日金曜日の新聞夕刊の広告くらい、大面積で載せさせてやりたかった。
しかし、公開直前になって各種メディアが大きく取り上げてくださったことで、どれほど救われたことか。
満席で迎えることができた公開初日の舞台挨拶終了後、宣伝プロデューサー・山本和宏氏は男泣きに泣きました。
宣伝チームでは、松竹、エイベックス、ライトスタッフ、ブースター・プロジェクトと各社からやってきて混ざり合ったスタッフたちが、「弊社」「御社」というやりとりではなく、「このデブ!」「何を!」と息の合った悪態の応酬をしています。メールは「決死隊の皆様へ、一斉送信」で送られます。彼ら自身が自分たちを呼ぶ呼び方は「決死隊の戦友!」なのです。(この台詞の意味は映画を見てお確かめ下さい)
昨夜、その輪の真ん中で、山本さんは泣いてました。47歳のおっさんがあんな子どもみたいに泣いたのを始めて見ました。
その山本さんが放ったクリーンヒットは、松元環季ちゃんが出演したこのCMです。よくここへたどり着いたよなあ。
15秒スポットCM「母娘編」
映画を見てとなりでおかあさんが泣いている。
それは、小学生の娘が始めて見る、母の一面だった。
ある意味で、この映画の本質のど真ん中を射抜いたCMプランです。
子どもたちにももちろん見て欲しいのですが、この映画を最も理解してくださるであろう存在は、かつて自分自身子どもだった、今は子どもを持つ身になったあなた。そんなあなただったりするのかもしれないのです。
『マイマイ新子と千年の魔法』の音楽を担当された村井秀清さんは、初日の一番の上映に娘さんたちと出かけられたそうです。娘さんたちが、新子にきちんと共感していることに安堵感を感じると同時に、秀清さんはこう思われたそうです。
「次回はとなりに自分の子どもが座ってないところで、一人で見よう」
この映画はそんな映画だったりします。
『マイマイ新子と千年の魔法』は、画面の出来栄えから感じられるよりも、予算規模の小さな映画です。そういってしまうと身も蓋もなく、せっかく出資して下さった方々にも申し訳が立たないのですが。
完成画面の密度は、少数精鋭のスタッフたちが夜を日に継いで仕事してきた結果にほかなりません。
そして、宣伝部も同じような戦いを強いられていたのではないかと思います。
告知して名を広めようにも、じゅうぶんな宣伝を繰り返し打てない。彼らにとっては、手足をもがれたも同然の、いかに過酷な状況であったことか。もっと頻繁にテレビ・スポットを打てたら。公開前日金曜日の新聞夕刊の広告くらい、大面積で載せさせてやりたかった。
しかし、公開直前になって各種メディアが大きく取り上げてくださったことで、どれほど救われたことか。
満席で迎えることができた公開初日の舞台挨拶終了後、宣伝プロデューサー・山本和宏氏は男泣きに泣きました。
宣伝チームでは、松竹、エイベックス、ライトスタッフ、ブースター・プロジェクトと各社からやってきて混ざり合ったスタッフたちが、「弊社」「御社」というやりとりではなく、「このデブ!」「何を!」と息の合った悪態の応酬をしています。メールは「決死隊の皆様へ、一斉送信」で送られます。彼ら自身が自分たちを呼ぶ呼び方は「決死隊の戦友!」なのです。(この台詞の意味は映画を見てお確かめ下さい)
昨夜、その輪の真ん中で、山本さんは泣いてました。47歳のおっさんがあんな子どもみたいに泣いたのを始めて見ました。
その山本さんが放ったクリーンヒットは、松元環季ちゃんが出演したこのCMです。よくここへたどり着いたよなあ。
15秒スポットCM「母娘編」
映画を見てとなりでおかあさんが泣いている。
それは、小学生の娘が始めて見る、母の一面だった。
ある意味で、この映画の本質のど真ん中を射抜いたCMプランです。
子どもたちにももちろん見て欲しいのですが、この映画を最も理解してくださるであろう存在は、かつて自分自身子どもだった、今は子どもを持つ身になったあなた。そんなあなただったりするのかもしれないのです。
『マイマイ新子と千年の魔法』の音楽を担当された村井秀清さんは、初日の一番の上映に娘さんたちと出かけられたそうです。娘さんたちが、新子にきちんと共感していることに安堵感を感じると同時に、秀清さんはこう思われたそうです。
「次回はとなりに自分の子どもが座ってないところで、一人で見よう」
この映画はそんな映画だったりします。