関西大弾圧救援会 garekitaiho1113@gmail.com

「大阪駅前街宣」弾圧、がれき説明会弾圧、関電前弾圧、オキュパイ大飯弾圧などの救援について綴ります

1・25ぱぉんさん勾留理由開示公判 傍聴記

2013年02月10日 23時40分44秒 | 11.13がれき説明会弾圧
<1・25ぱぉんさん勾留理由開示公判 傍聴記>

以下、弁護士とのやりとり形式での意見陳述です。


※Q:弁護人、A:ぱぉんさん

Q.;あなたがガレキ焼却に反対する理由は何ですか?
A:3つあります。
 ひとつめは、ガレキにはたくさんの有害物質が含まれていて、それを燃やすことで人間や環境に大きく影響することです。阪神大震災の時のアスベスト被害が今になって明らかになっている事からもそのことがわかるはずです。
 2つめに、請け負う業者が儲かるだけ、という火事場どろぼうのようなガレキ利権が存在するからです。東北にお金が落ちず、大阪市がその費用を取ってしまって、一体何が被災地支援なのでしょうか。
 3つめに、やはり原発事故の放射能汚染のことです。ごく微量でも、放射性物質が付着したものを燃やす、というこの国の発想は世界の非常識です。放射能の問題は絶対に軽視してはならない問題です。

Q:これまで、どんな運動をしてきましたか?
A:がれきの広域処理の事でいえば、昨年までは全国各地で受け入れ準備が進んでいたので、反対署名を集めたり、いろんな自治体に電話を掛けては抗議したり、話しを聞いたり。一時期は署名だけでも20地域分以上持っていたでしょうか。また、実際に焼却が行われるクリーンセンターや最終処分場である海上埋立地、フェニックス現地へ見学・申し入れも行いました。受け入れが進む自治体へは現地まで行って抗議もしました。
 関西での受け入れ自治体が大阪市だけとなった昨年夏から、大阪市に対する抗議を強め、市役所前での抗議行動や反対デモを主催していました。
反原子力、反放射能、反被曝という観点からの運動です。

Q:事件当日は、此花区民ホールへ行って、何をしようと考えていたのですか?
A:全くのノープランです。今まで大阪市が開催した説明会には全て行き、現場で市に対して抗議をしたり、参加される市民・区民の方々に向けたメッセージを発信したりしていました。今まで参加も、ほぼ何のプランも考えなしに、とにかく現地へ行っていました。11月13日も今までと全く同じ気持ちで、具体的に何をするかなんて決めもせず、とにかく現場へ行きました。

Q:警察が来て逮捕された時は、あなたは何をしていましたか?
A:少ししんどいな、と思い、階段に座っていました。

Q:警察は、なぜあなたを逮捕したのだと思いますか?
A:たくさんの人が居た中、誰を逮捕するかをあらかじめ決めていたような感じでした。階段に座っていた私のところに、ある警官が一直線に向かって来ました。私を指さしながら何かを怒鳴り、階段の下にいたたくさんの警官を手招きして呼んで、そのまま腕をつかまれました。自分の足で立とうとした私を制して、階段の下から来た警官達が腕や服を引っ張るので、そのまま階段の下まで落ちて転び、持っていたものが散乱するほどの暴力的な連行、いくつかの私物が行方不明のままです。抗議行動の先頭にたっていた人物達を狙い打ちにすることで、他の人への見せしめとし、反対派を萎縮させる事ができれば良かったのでしょう。最初から私を逮捕すると決めていたんだと思います。

Q:健康問題についてお聞きします。持病はありますか?
A:アトピー性皮膚炎、食べ物などのアレルギー、睡眠障害、混合性不安抑うつ障害で、皮膚科と神経科に主治医がいます。

Q:逮捕される前の体調はどうでしたか?
A:11月上旬、リンパ腺が腫れ、39度を超える高熱が数日続いていました。しかし、昔から疲れたりするとよく出る症状なので、特に気にせず、自宅で寝ていました。昨年の夏頃、血液検査で甲状腺の数値に少し異常があると主治医に言われていたので、あるジャーナリストの方から甲状腺の専門医を紹介してもらい、検査をしました。昨年5月末、北九州市へがれきの受け入れ阻止行動に行ったのですが、がれきやがれきを積んだトラック、道路などの放射線量が非常に高かった事もあり、総合的にみて被曝が疑われたからです。その検査結果を聞きに行く直前に逮捕されてしまいました。

Q:逮捕された当日の体調はどうでしたか?
A:夕方ぐらいに、少し頭が痛み、体がダルく感じたので少し熱があるかな、と思いました。当日昼過ぎから天気が悪かったせいかも知れません。

Q:逮捕後、約20日間は布施署に勾留されていましたが、留置係からどんな処遇を受けましたか?
A:本当にひどい対応でした。まず、アトピー・アレルギーの薬は逮捕後10日間程、処方されず、いくら症状を訴えても何もしてもらえませんでした。私と弁護士が何度要求しても何も聞いてくれません。ようやく出してもらったぬり薬では、逆に全身がかぶれてしまい、顔が腫れ、目が開かず、全身真っ赤で、ひどい状態になりました。処方した医師は皮膚科の専門医ではありませんでした。初めて経験する症状でしたし、なにせ人相が変わってしまっていましたから、さすがに留置係もヤバイと思ったのでしょう。やっと11月末に警察病院へ診察に連れて行ってもらい、そこで出た薬で少しだけおさまりました。
 また、うつ・不眠の飲み薬に関して、こちらの断りなく一部の薬の種類を変えていました。私が飲む前に色が違っている事からすぐにわかりました。薬の処方箋も見せてもらえず、何を飲まされているかわからない、という不安感・不信感でいっぱいになりました。こちらも、何度も要求して元の薬に戻させました。元に戻せるなら何故変えたのか、いまだに疑問です。私に処方されている薬なのにも関わらず、処方箋は見せられない、渡せない、という警察の言い分の意味が今でも全くもってわかりません。

Q:その後、拘置所に移りましたが、移った直後はどうでしたか?
A:薬は一切何も出ませんでした。食事が一切摂れず、眠れず、何か飲んでは吐き、めまいや幻聴があり、片方の耳が聞こえにくくなったりしました。おそらくストレスやうつ症状からくるものだと思います。医務の診療日まで待て、という事だったようですが、症状があまりにヒドいので、弁護士から拘置所宛てに内容証明郵便を送って、抗議してもらったりしました。

Q:その後、薬はもらえましたか?
A:弁護士による再三の抗議でようやく、アトピー、アレルギー、うつの薬はもらいましたが、とても軽い薬で効果は全くありません。特にうつの薬は、以前飲んでいた薬の離脱症状のような症状が出ているので、今現在も改善を求めていますが、変わりありません。睡眠障害の薬は一度も出ていません。

Q:今現在の体調はどうですか?
A:はっきり言って最悪です。薬の副作用や離脱症状と思える症状と、薬が必要である症状がごちゃごちゃ出ています。具体的には、耳が聞こえにくくなったり、めまいや吐き気がして食欲がなかったり、急に不安を感じて呼吸が荒くなったり、発作的にパニックを起こして過呼吸(過換気症候群と言われる症状)を引き起こしたりしています。おさまるまでが大変です。一番困るのが、物忘れや思考停止です。要するに考えることができなくなります。どうしても今日の日付を思い出せなかったり、弁護士の先生の名前を、名刺を見ないと思い出せなかったり。どれも、過去に一度はおさまった症状です。
 診察の申し出をしても、数週間も専門医の診療はなく「拘置所に置いていない薬はないから出せない」と言われるばかりです。今までとても長い年月をかけて主治医と共に、症状や投薬のバランスに気をつけながら治療を頑張って来ました。ここ何年かの治療が無駄になってしまいました。

Q:保釈された場合の事に関して伺います。もし、保釈された場合、此花区民ホールにいた大阪市の職員に対し、連絡を取ったり、脅迫したりすることはありますか?
A:全くあり得ません。そもそもあの場にいた職員が誰なのか知らないので、それは不可能です。

Q:区民ホールにいた他の市民の人達に対し、口裏をあわせを依頼する、ということはあり得ますか?
A:それも全くありません。検察官請求証拠にも、ある通り、当日の映像がたくさん存在することは知っています。映像に公然とした証拠が存在するのに、他人に口裏を合わせを依頼する必要などありません。それに、そんな他人に迷惑のかかるような行為をするつもりは全くもってありません。

Q:保釈後は、どこに住みますか?
A:ひとまず、自宅から歩いて5分足らずの母の家にお邪魔しようかと考えています。何よりも、一刻も早く主治医の診察を受けたいので、病院まで付き添ってもらうつもりです。
Q:保釈に際して、裁判所から何か条件を付された場合、守れますか?
A:はい。私を支援・信頼してくれている大切な仲間や家族のために、必ず守ります。

Q:今日、傍聴に来てくれているのは、どんな人達ですか?
A:強い意志を持って、できる事を精一杯やりながら戦っていて、自分より他人の方が大事だと思っている方達だと思います。

Q:傍聴席の人達に対して、どんな思いでいますか?
A:毎日、色んな方が色んな差し入れをして下さり、すごく有難いし、とても励まされます。不当にも、弁護士以外の接見禁止が付いたままなので、直接お礼が言えないのが、とてももどかしいです。応援して下さる方々がいるからこそ、心身共に虚弱な私がどうにか、こうにか毎日寝起きできているんだと、心底思っています。ただただ感謝、この一言に尽きます。あと、前回の開示公判で顔を見れたのが最後になってしまった方のご冥福を改めて、心からお祈りしたいと思います。

Q裁判官に対して何か言いたい事はありますか?
A:保釈請求却下に対する準抗告棄却決定通知を読んで、思わず失笑しました。
まず、「~など」という言い回しばかりで歯切れが悪く、具体性がなさすぎます。
そして、注目すべきは“私と、その共犯者とされている人が黙秘をしていて具体的な供述をしていない”と言っている点です。言うまでもなく、黙秘権は憲法で保障されている正当な権利であり、その権利は私だけでなく、他の全ての人にも平等に存在するものです。自分の供述が不利益になるかどうか、とうのは当然第三者にわかるわけもなく、氏名を言うことすら不利益になることだってあります。
自分自身がそれぞれで自己の不利益になるかどうかを考えた結果が黙秘ということなのであり、法で守られた当然の権利を行使したまでです。
にも関わらず、人を長期間に渡って拘束しておかなればならない理由の一つに“具体的な供述をしていないから”と、あたかも黙秘しているのが悪い事であるかのような判断を下しています。
 本当に法をつかさどる機関の人達なのかと、首を傾げたくなります。「外に出たいなら1から10まで何もかもしゃべれ」と脅されている様な印象を受けました。
先に述べたとおり、ストレスだらけの監禁生活により、持病の症状もひどい有様です。
これではもはや、拘置所や、そこに拘束しておくことを認めた裁判所が、私の裁判準備の邪魔をしているのと同じです。
 それと、自分たちの判断一つが、人の身体的な自由を奪うことだけでなく、その人の精神をもじわじわと確実に破壊していく可能性がある、という事をもっと理解してもらいたいです。
最後に裁判所の皆さん。(がれきの焼却が始まっており)危険ですから、外に出る時はマスクをしましょう。以上です。

(以上、傍聴者のメモから。実際の陳述内容とほぼ同じです。)

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2月8日(金)、拘置所に移送されてから初めて医師による接見が行われました。
以下、接見内容の要約です。

・アトピー、アレルギーの薬は全く効かない。
・痒さのため眠れない。
・この一週間、うつ状態がひどく、落ち込んでいる。
・手紙を書いたり、本も読めない。(いわゆる思考停止状態)
・お風呂は狭く、閉所恐怖症なので、週1回しか入ってない。
・不安、過呼吸、動悸が激しくなる時もあって、パニック障害になりそう。
・別のことを考えて症状を抑えようと我慢している。
・眠れないのが一番つらい。
・睡眠障害の薬は未だ処方されていない。

医師の見解は「早急に保釈し、主治医による外来治療を行う必要がある」とのこと。
連休明けの2/12(火)~2/13(水)にも、上記内容を記載した医師の意見書が作成され、小谷主任弁護士の手元に届く予定です。



<今後の見通し>
2月20(水)には、医師の意見書とお母さんの要望書を添えて、ぱぉんさんの保釈再申請を行う予定です。これに合わせ大阪地裁に対して、憲法研究者の声明文と署名提出ができればと思います。

その前日、2月19日(火)に公判前整理手続きと院内集会があります。
この2つのアクションは保釈を大きく後押しするものです。

院内集会では、憲法研究者の声明文(ぱぉんさんの処遇が『憲法36条拷問の禁止』に抵触&Hさんの起訴取り下げ)を織り込んだ要望書を法務大臣と検事総長宛に提出する予定です。また福島みずほ議員に当日のアピールをお願いし、来られない場合は声明文として頂くことになりました。
さらに「関西大弾圧・東京の会」では報道関係者や議員会館に働きかけ、日本全国に周知してもらうよう最善を尽くしています。
地元「ぱぉん救出チーム」では大阪拘置所支援街宣、大阪地裁前チラシ配り、署名集めetc.とできる限りのことをやっています。
Hさん救出チームも当然、最善を尽くしております。

「代用監獄と人質司法制度」については怒り心頭に発しています。
私達、救援会では『ぱぉんさんの即時保釈』を緊急課題として、全員の『釈放と無罪』を引き続き訴え続けていくつもりです。

(文責 MU)


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