瞑想をしてみませんか

悩み、苦しみ、未来への恐怖、なぜこうも次々起こるのか。
本当の私に気づき永遠の幸への道を得る方法、それが瞑想。

うれしいとき幸せなときこそ真我(本当の私)を感じよう瞑想しよう

2009-04-12 07:07:18 | Weblog
常時感じていられる人は別なのだが、良く私たちは、苦しいとき・悩んでいる様なときに真我を感じようとする。
それはそれで良いのだが、嬉しいときにこそ、楽しいことがあったときにこそ、真我(本当の私)を感じる癖を付けてほしい。
私たちのこの宇宙・地球上で起こる出来事は全て、真我を思い出す・感じる・深める、為に起こっている、これ以外のことは何も起こってはいない。
良く人は苦しいとき、悩みがあるときなど瞑想をしようと言う気になる、それが普通の感情なのだが、それでは真我を思い出し、瞑想をしようと思う為には、苦しいこと、悩みを感じることを起こさないと真我を感じたりしないことになる。
確かに後で、あのおかげで感じることが出来たと、感謝することにはなるのだけれど、苦しいことや・悩みなど感じたりそんな目に遭わない方が良い。
そこで、嬉しいとき・楽しいことがあったときに真我を感じるならばどうなるだろう。
先のブログにも書いてあるのだが、この地球に生まれてきたのは、真我を感じ思い出す、為なのだ。
つまり楽しいときや嬉しいときに、真我を感じる癖を付けてしまうと、ドンドン真我を感じさせる為に、嬉しいこと楽しいことが起こるようになる。
覚醒し大悟する為に幸せなこと、楽しいことばかりの常態で得ることが出来るようになる。
これがこれからの覚醒の方法なのだと思う。


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3 コメント

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楽しく心地よい生き方!! (わんこ)
2009-04-12 13:38:46
こんにちは。 先日の松山瞑想会、ありがとうございました。
やはり音声に誘導されるのはラクですし、ネガティブな気分の時は相当安定してばっちり有効ですね。

今日の記事を拝見して、真っ先に引き寄せの法則が浮かんできました。 自虐壁というか、困った時の自他力本願というか、調子のいい時は「瞑想・・今日は調子がいいから、まっいいか。」とついつい安易に考えてしまいます。 日頃からしっかりと準備をしておけば困らないのに・・ほんと困ったものです。

釈迦が苦行の果てに苦行はいらないと悟ったということとか、キリスト教会で原罪?について教えてもらったこととか同時に思い出しました。 

大好きなイチゴは、楽しみに最後に取っておきますが、まあ、嫌いなものから食べ始め、おなかがいっぱいになった時に一番大好きなものを食べることになる。
こんな習慣がしっかり身についていたのでしょうね。 こんな些細なことでも、大好きなことは苦しい後に初めて得られるものなんだという概念、刷り込み思い込みとなるのでしょう。

人は満たされた完璧な世界から、わざわざ苦労をするために生まれてくる。 そして、この世という映画館に入り、スクリーンのストーリーに集中しすぎて同化してしまい、映画館の中にいることを忘れてしまう。「あっ、映画を見ていたんだ。」ということに気付くことが悟りなんだと聞いたことがあります。

神原様の今日の記事は「大好きなことを最初にしていいんだ。それが本質を求めることでもあり、本来の喜びなんだ。」と自分流ですが理解いたしました。 時代の変化を素直に受け入れたいと思います。

ありがとうございました。
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Unknown (神原 寛)
2009-04-12 18:53:29
日々瞑想を淡々とする。本当の私を常時感じようとする事が前提条件です。
釈迦も苦行を辞めて悟りましたが、ただミルクだけを飲んだのでは悟りは開けません。本当の私を思い出すという意志やある程度の修行は必要なのです。
ただ苦労をしたときだけ瞑想をするのでは、悟るためには苦労をしなければならないと言うことになってしまいます。
あまりにも、苦労や悩みがないとしない人が多いのであえて書きました。
嬉しいときも幸福なときも瞑想をするのならわざわざ苦労をする必要はなくなると言うことです。
幸せの中で喜びの中で覚醒し深めていく、そんな姿になってほしいのです。
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発送の転換ですね、 (シュウ)
2010-02-09 23:39:40
突然コメントして すいません。 確かに悩み苦しい時に瞑想しょうと思いますよね。それを楽しい時 嬉しい時に瞑想できたら かなり瞑想に集中出来るかも‥ 真我を感じることが出来るなら 瞑想を ただ 続けて行くうちに それは 突然くると思います。 覚醒と言われる 悟りの入り口みたいな物だと考えて下さい。 それは 疑いようの無い 絶対的な感覚 体験すれば確信します。 ただ 大概の人は 入り口の時点で神になった とか 悟りを得たとか 勘違いしますが あくまで入り口ですから‥ そこからが本当の意味での真我を深める事だと思ってください。 長々すいません。 興味がないなら、ただの独り言だと思ってくださいね。
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