平日昼間のちょい呑み屋

武蔵小山駅ビルの5階で、平日昼間、のんびり、楽しく、美味しく、こっそりと飲めるお店、手造りがいい、

世界一大きいミカン、お歳暮!お年賀に

2014-12-06 22:23:45 | ボランティア
ボランティア事業の一環(地方活性化)
ささやかでもやらなきゃ、

黙って何もしないのは良くない。

くまモンからのお薦め、

夏目漱石も笑った、

ぎゃ これはなんですか





お歳暮に、帰省のお土産に、世界一大きいミカン。
◎ 日持ちします。
◎ 仏壇に飾るのに最適。
◎ 大きいですが、味は美味しい。
◎ 何処よりも安いです

夏目漱石も見て笑った。


産地の農家から直送致します。
お任せ下さい。
メールにて、ご注文下さい。


晩白柚(バンペイユ)は熊本県八代市の特産品のひとつ、
冬、収穫期を迎えます。
大きな実が木の枝にシッカリと付いています。


重さは大きいのは2キロをゆうに超えます。
御歳暮にとても喜ばれる大きなミカンです。
貰った人は笑える大きさに、『笑顔』が溢れます。



保存期間は長く、御歳暮で貰って、
仏壇に飾り、正月明けに食べれるくらい長持ちします。
その頃、
正月の食べ過ぎに、丁度、ビタミンCを補給し、胃に優しくて、健康に良い、いい感じです。
熊本の農園から直送致してます。
秀品、2.3キロ以上2玉で3500円程度です。

多分、他の追随を許さない最安値でしょう、
身内金額です。

地方の農家支援のボランティア事業の一環でやってます。
メール
s08011901888@どこも

復興日本

2014-09-10 20:51:46 | ボランティア
宮城県気仙沼市の山あいにある採石場。

9月1日早朝、
大量の砂利を積んだ10トンダンプカーが動き出した。

ハンドルを握る小山(おやま)孝明さん(43)は、東日本大震災の直後まで気仙沼漁協の職員だった。

高校卒業から20年以上、水産業に携わってきたが、震災の1カ月後に解雇された

長男が大学、次男が高校への進学を翌年に控えていた。

両親と妻、3人の子供を路頭に迷わすわけにはいかない。

1年後、知人から紹介された砕石販売会社に入ることができた。

「何かあったときのために」と、社会人になってから取った大型免許が生かせた。

 初めての給料日。明細を見て驚いた。

「手取りが10万円増えた」。

漁協時代は30万円に届かなかった。

水産業に戻りたいと思うときもある。


だが「家族を食わしていかなくちゃいけない。この金額を見たら、簡単には辞めらんないね」。


角が欠けたコンクリートの壁、建物がなくなった更地…。

生々しい津波の爪痕が残り、復興工事の車両が行き交う岩手県陸前高田市で、サケやサンマ、ワカメなどの加工品を製造する「かわむら」の真新しい工場が稼働した。

大震災から7カ後

 「まだ100人以上足りない」。
川村賢寿(けんじゅ)社長(65)の表情はさえない。

今後、気仙沼市の工場も稼働させる予定だが、
従業員確保のめどは立っていない。

アルバイトやパートの求人募集では2度、時給を引き上げた。

今は700円台半ばで、県の最低賃金より60円ほど高いが、人は集まらない。

「もうこれ以上は上げられない」。

営者としての判断だ。

 震災前、関連会社を含め、岩手、宮城に26の工場があった。
8割以上が津波で被災したが、半年で7カ所の再建にこぎ着けた。
多額の借金を抱えたが、「三陸沿岸の主要産業の灯を消さないために、工場の再建は時間との戦い」(川村社長)と踏ん張ってきた。
だが、打開策は乏しく、人材確保へ試行錯誤が続く。

 被災地では、復興事業のため、建設作業員などの求人が急増した。

水産業も加工工場の再建が進み、求人が増えてきている。

 震災前の平成23年2月と今年7月の有効求人倍率を比べると、
岩手県が0・50から1・05、
宮城県が0・52から1・25、
福島県が0・50から1・43。
いずれも飛躍的な伸びを示す。

 だが、賃金の高い建設関係に労働力が流れ、水産業やサービス業は今も人手不足が続く。
例えば、気仙沼市の水産加工業の7月の平均賃金は常勤雇用で約14万6千円
。建設業より約4万5千円低い。

ハローワーク気仙沼によると、水産加工業の求人は200人以上あるが、応募は半分の100人程度にとどまっている。

 ハローワーク気仙沼の佐藤芳雄・統括職業指導官(48)は「土地のかさ上げや道路整備など復興事業はまだ数年続く。
建設作業員やダンプ運転手など賃金の高い仕事に人が流れる傾向は、これからも続くのではないか」と話す。

産経新聞より抜粋


忘れ去れている現実

2014-09-08 12:55:26 | ボランティア
福島の良さ、私が光当てる

空を見上げると、晴れ間がのぞいていた。久しぶりの青空だ。

福島大4年の高橋恵子さん(21)は、残暑が厳しい8月31日、福島県三春町の仮設住宅にいた。


避難生活を続ける葛尾(かつらお)村の松本春一さん(63)の話を聞くためだ。

葛尾村は大部分が東京電力福島第1原発の30キロ圏内にあり、全住民が避難を強いられている。

村は、住民が歩んできた軌跡を一冊の本に残そうと学生らに聞き取りを依頼し、

橋さんは松本さん宅を訪れた。

 松本さんの口から漏れるのは、震災前の、ごくありふれた日常だ。

周りはみな古くから見知った仲。どの家も四六時中、戸を開け放ち、自由に行き来していた。

「空き巣なんて気にしたこともなかった」

 高橋さんはうなずきながら、実家を思い浮かべていた。


原発から直線で4・8キロ先にある大熊町にある。「帰りたい、でも帰れない」。

松本さんと同じ境遇に立たされ、苦しみ続けてきた。

「この先もどうなるか分からんね」。

高橋さんは悲しげな笑みを、松本さんに投げかけた。

東日本大震災直後の平成23年4月に大学生になった被災者の大半は、4年生になった。

震災から3年半を迎える今、多くは就職先が決まっている。

地元か、新天地か-。進路先に逡巡(しゅんじゅん)した学生も多いだろう。

高橋さんもその一人だ。

 「周囲に助けられた学生生活」。

高橋さんはこの3年半をそう振り返る。

当初は1週間くらいで自宅に帰れると思った避難は長引き、一家は山梨に移った。

 入学後、大学の寮に入ったが、半年が過ぎても自宅に帰れない。

むなしさに襲われ、精神的に不安定になった。

友人らが優しく声をかけ続けてくれて、どうにか前向きになれた。

 「私も誰かのためになりたい」。

そう思えるようになり、災害復興や社会福祉を学ぶゼミを専攻した。

学生生活で震災に向き合ってきただけに今後の人生をどうすべきか、迷った。夢もある。

 洋服が好きで、一時はアパレルメーカーに勤めたいと上京を考えた。

東京で会社説明会にも参加した。だが、違和感が募った。

「都会の人は福島の苦しみを忘れたかのような生活を送っている。どうすれば…」。

自問自答を繰り返した。

答えは、福島大大学院への進学だった。大熊町の文化財を研究し、将来は町職員として地元の文化を伝えていきたいと考えた。

幼いころは、いじめられっ子で、地元に楽しい思い出はない。

離れて暮らすうち、

「山菜がおいしかったな」

「あの川魚食べたいな」との思いを強くした。

 大学生になり、海外に行ったとき、福島出身というだけで、放射能に汚染されていると敬遠された。

いわれなき中傷だった。

 「地元の良さを伝えられるよう、私たち若者が頑張ります」。

仮設住宅に光を届ける青空のように、

高橋さんは晴れ晴れとした表情を浮かべた。

産経新聞 復興日本 生きる その針路より抜粋、

続き、





これも、なんもかんも菅のせい、

2014-08-22 02:26:38 | ボランティア
東電へ賠償資金175億円交付…31回目(読売新聞) - goo ニュース

事故を誘発させたのは官邸の菅

1、亡くなった吉田所長の調書が表に出てきてやっと菅が爆発を誘発させた事が判明。

菅を何故、告訴しない。

2、国際基準の20シーベルトを1シーベルトまで引き下げた罪は重い。

非難せずに済んだ住民が多過ぎ、

国連の放射能委員会は2度福島を調査し、
2度、安全宣言を出しています。

国際的には福島の放射能は無害だと言っています。

マスコミの悪さが日本の不幸、

飲料水でも1キログラム当たり十ベクトルと定めた(愚策)

二百ベクトルの水が流れたらマスゴミは大騒ぎ、

アメリカの基準、
1キログラム当たり、1200ベクトル
ヨーロッパだと
1キログラム当たり、1000ベクトル

数百で高濃度と言ったら海外では飲料水は飲めない

アジアの巨星 李登輝

2014-08-19 21:29:32 | ボランティア

台湾民主化の父、
李登輝先生

日本人の魂を誇りにして生きている哲人、

素敵な知識人、常識人、

正直で、研究熱心、日本を愛してる台湾人の代表、

日本人よ、しっかり誇りを持てといっも叱咤する李登輝先生、

日本の歴史文化は世界に誇れる歴史だ、

戦後の日本の教育に常に危惧している李登輝先生

大震災時、台湾からの義捐金200億円の立役者の一人、

これが最後の来日になるかも、

日 時:平成26年9月21日(日)18時~19時30分(開場17時)
 会 場:大手町サンケイプラザ 4階 ホール
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2 TEL:03-3273-2258

◆参加費:3,500円 *当日、受付にて申し受けます。