絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

No.78 死して遺すもの・生きている証

2008年11月14日 16時26分28秒 | Weblog
No.78 死して遺すもの・生きている証

 前回No.76(11月12日)号「対話と会話」で会話から対話が苦手な
私を含めての日本人ということを話ました。あなたにとって、「 死
して遺すもの・生きている証」は何ですか?私にとってはこれこれ
です、という対話も私にとっては、あまりみられないことですし、
経験もないことです。

 しかし、このテーマは対話はないのに私にとってはいつも想念の
中にあります。本日の日経新聞社会面に以下の内容の記事が掲載さ
れていました。

 「小・中学生と『いのちの授業』山田さんの体験映画に」

 「乳がんを患った自らの闘病経験を通じ、小、中学生らと命の重
みについて話し合う『いのちの授業』を続けた大分県豊後高田市の
元養護教諭、山田泉さん(49)とフランスのチェロ奏者との交流を
描いたドキュメンタリー映画が15日以降、全国各地で公開される。

 現在入院中の山田さんは『本当にうれしい。映画の公開を励みに
頑張っています』と話している。

 公開されるのは『ご縁玉 パリから大分へ』。教員を退職した200
7年、パリ旅行中に友人を通じ世界的なチェロ奏者のエリックマリア
・クテュリエさん(36)と出会い、友情の証に1枚の5円玉を贈った山
田さん。帰国後のある日、その5円玉を持ったクテュリエさんが、自
宅療養中の山田さんを訪ね大分までやってくる」

 この記事を読んで私が思いましたのは、「一歩を踏み出す勇気」と
いう言葉です。そういえば私がこの世に生まれたのも父と母がお互い
に一歩を踏み出し、知り合い、声を掛け合い、一生を共に家族として
すごそうと更に一歩の勇気で決めて行動してくれたおかげです。

 友情の証に一枚の5円玉を贈った山田さんのささやかな勇気。それ
をしっかりと受け止めてわざわざ日本までやってきたエリックマリア
・クテュリエさんの一歩の勇気。

 山田さんは大分県内の中学校に勤務していた2000年、乳ガンを発症
し、術後2年で復職したが、「バカ」「死ね」といった言葉が子どもら
の間で日常的に飛び交っていることに違和感を覚え、「いのちの授業」
を始めました。

 2年間で約70時間に及んだ授業は自身の経験だけではなく、病気や障
害などと向き合って懸命に生きる人々を外部から招き、「生と死」持
つ意味、命の重みなどについて議論(対話)。

 山田さんは2005年にガンが再発したが復職し、2007年3月に教職を辞
めた後も各地の学校などで授業を続けてきました。今年夏に肝臓や肺へ
の転移が発覚、大分県内の医療施設や自宅で治療を続けています。

 山田さんのこの記事を読んで、私は、何も著名でなくとも、役職がな
くとも、財産がなくとも、一庶民として、「命をみつめ、対話を促し、
人を励ますのを使命」とする、凛とした生き方を貫けること自体が、
「死しても遺せるもの・生きている証を創るもの」と痛感しました。

山田 泉さんの回復を心からご祈念したします。



 歓乃喜 師弟 No.78 (11/14 2008)

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