絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

「脱原発の哲学」人文書院:佐藤嘉幸・田口卓臣 

2017年06月15日 19時00分21秒 | 原発

核廃絶
「脱原発の哲学」人文書院:佐藤嘉幸・田口卓臣 著

(聖教新聞 6月15日 2017年 より抜粋・箇条書き)

 

1-例外状態の常態化
 原発事故の被災地域で、放射能汚染と共に生きなければならない状態が常態化している。

 保護されるべき人権が保護されない状況が常態化した事態。
(ドイツの哲学者-ウ”ァルター・ベンヤミンがファシズムの時代に作りだした概念)

 事故から6年がたったが、人々が汚染された環境に慣らされ置き去りにされているのが被災地の現状。
(事故に関する政府の発表やメディアの物質の拡散情報は隠蔽された)

 最も深刻なのは、健康被害への影響に関する発表や報道。

 例外状態がなぜ常態化したのかその原因を明らかにし、応答する責任が私たちにはある。

2-脱被曝こそ国の役割
 被災者にとって最も必要なのは予防原則に基づく「脱被曝」であり、被害の過小評価ではない。

 一人一人ができる限り被曝を避けたり、汚染地域から避難したりすることは当然の権利。

 国や政府の役割は、その権利を最大限に尊重することであり、復興という名の帰還政策を押し付けることではない。

3-批判的科学を継承する
 レイチェル・カーソンの文明批判は、科学の中立性を自明視せず、科学がなぜ倫理を見失いやすくなるかを冷静に分析している。

 宇井純の批判的科学の立場は、「科学」の名の下に切り捨てられる公害被害の総合性を注視しようとする立場。
 被害者は全方位的に被害や差別を受けているという現実認識が必要。いうも当事者の声を聴くべき。

 エビデンス(客観的な基準)が持ち出されがちな、健康影響に関する議論では、そこに働く力学を分析すべき。偏重する言説が、マイノリティーの被害を封じ込め、差別を生み出してきた。

4-今ここにおける脱原発の切迫性

 実際に事故が発生し、健康被害を引き起こす可能性が出てきた以上、私たちが脱原発の責任を負っている。

 原子力=核技術を絶滅技術と捉え、そのような技術が存在する限り、手段としての技術が、目的としての人間的生をおとしめる。この技術に依存する限り、人間的生は脅かされ、辱められる。この地術から抜け出すことこそ、人間的生を取り戻す道。

 だからこそ、住民から民主主義について考え、国民が自らの意志を国の政策決定に反映できる直接民主主義的な回路が必要である。

 具体的には、脱原発を巡って、住民の発議による国民投票の実施を提案する。

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