香飄

題詠blog2009参加

好きなお歌とコラボ 044: わさび

2009-08-31 | 題詠2009 鑑賞と二周目
きもちよくなければきっと永遠だったかなしくないわさびしいけもの
                               石畑 由紀子





「わさび」を分割する手、はいくつか見られましたが。

この状況設定に惹かれました。
たまたま、「蜜月」(小池真理子)という小説を読んだところで、天才画家で今光源氏ともいえるような、女性遍歴を繰り返す男の話が脳裡にあったから、という身勝手な動機です。

まさに「さびしいけもの」である男女の一期一会を描いた連作でした。

もともと性愛短歌というものを(このお歌が違うなら、作者さんごめんなさい)
毛嫌いしていた私にはとても珍しい現象です。

性愛を怜悧に見つめて詠った歌と、性愛の匂いをまきちらす歌とは全く別物だということ今頃気付きました。食わず嫌いはなににおいてもいけませんね。

こちらはもちろん前者。上の句の意味は深いです。

「快」と「永遠」とはどうやら両立しえないもの。
人と人とのつながり、肉体においても精神においても。

ひとはいったいどちらに重きをおくか。


このお歌、特に「性」に限定しなくてもいいようにも思えてきました。

人生は「きもちよく」さえなければ「永遠だった」かもしれない。

逆にいえば、人生は「永遠でない」ゆえに「きもちよい」

かなしくないです。そうです。もともとさびしいけものなんです。生きとし生けるもの。みんな。


こんなに優しく澄んだ性や哲学を詠うことは出来ないので、力づくの「わさび」割でコラボします。





                             

そうくるとわかってたわさびんたの後 髪の毛の数かぞえる愛撫   
                                  迦里迦























好きなお歌とコラボ 043:係

2009-08-29 | 題詠2009 鑑賞と二周目

ゆきゆきてかたみにかはすまなざしの係りてこその結びなるらむ    文



                            


量産されるなら、こんなさらりと平安時代のそれこそ「文」のような歌があふれてほしいと思います。

きれいですねえ、語句の流れの正しさが。
絹の下着を肌につけた時の感覚に似てます。


現代短歌は、思念を哲学を個性を詰め込めすぎる。

そうでない場合は、陳腐。

短いエッセーではなくて、歌、なんですから。

そして、メロディーがないんですから。

「言葉の調べ」なくてどうしませう。



もちろん、言葉ですから、伝達ですから、意味は?
となるのは当然ですが。


「ゆきゆきて」は、どこへ「ゆく」のかはわかりませんが、通りすがりとか、あるいはどこまでも続いて、くらいの意味でしょうか。


異性でも同性でもよい、友人だか、恋人だかの関係。

あるいは、もっと一般的に、人と人の関係というもの。

通りすがりにふと目が合う、それも縁、というものかもしれないし、目で交わす会話というのもあろう。

でも、一瞬目と目が合ってもそのまますっと目をそらしたらそれで終わるうたかたのような人との絆。

「係り結び」という古文法用語に因んで

もう少し手がたい「かかわり」があってこそ、絆という「結び」ができるのでしょうに。

と、いいつつ、作者さんは、どうやら、特にそんな深い関わりを人と持ちたくはない方のようにみえます。

そうだったらいいのに、という歌ではなく、

そんな係りはないから、結び(結末ともいえるか)のない世界。


そんな世界にたゆとうている人・・無色無味の水のような感触のお歌。
好きです。




数多なる係もつ身の暮れゆけば拙きつくり顔に翳る陽   迦里迦 



好きなお歌とコラボ 042:クリック

2009-08-27 | 題詠2009 鑑賞と二周目
クリックはほどほどにしてそんなにもわたしを開けてどうするつもり
                                   ウクレレ



                             
                              
無味乾燥なパソコン用語を下手に何かに譬えると、クサくなってしまうところを、いやみなくさりげなく擬人化して、ふわっとほのぼのセクシーなお歌にもってきた素敵な歌ですね。

あ、と思ったらウクレレさんでした。

それにしても・・クリックを日本語で言うとなんというんだろう・・・。

中国語では、音をつかうのだろうか、それとも意味・・?


「苦力」の正反対だしなあ。




                                                   

意味深というほどもなき色文字をたやすく侵すクリックひとつ   迦里迦



























好きなお歌とコラボ 041:越

2009-08-07 | 題詠2009 鑑賞と二周目
フェンス越しに見える誰かのしあわせを掴んだ腕が抜けないのです    暮夜 宴  


隣の芝生・・

フェンス越しに見える薔薇


みんな色鮮やかで 活き活きしてるように見えます。

いや、みえるだけでなく、事実そうなんでしょう。
人はみな、己の、あるいはわが家の「幸せ」のための努力は怠りませんから。


そんなとこに腕突っ込んだら、そりゃとてつもない「侵入物」として排他されます。懲らしめのためにフェンスにくくりつけられてしまうかも。

上方落語のおごろもち盗人を連想してしまいました。

または、なんの童話でしたか、たくさん欲張ってつかんだら手がぬけず、結局素手でやっとぬけた・・というのは。

それでしょうか。ここ。

たとえば。
フェンス越しの隣の美人は、フェンス越しに抱き寄せても、こちらに連れてはこれません。


でもね、ここのお歌の「抜けないのです」は、
抜こうと思っても、なかなか自分でその決心がつかないのです

そんなふうに聞えてしまう。


つかんで手繰り寄せても、フェンスからこちらに越せない幸せ

所詮は他人のもの。自分のものとはならない幸せ。

そうわかりつつ、なかなか腕を抜いてあきらめる、ということができない。
そんなふうに読めてしまいました。



                               


黒塀と見越しの松についすき見をなさってしまったお方  仰天    迦里迦



閑話休題 浦島子

2009-08-04 | 題詠2009 鑑賞と二周目
浦島太郎をテーマに連作されている作者さんがいます。いつも目にとまっています。

昨日、その佐藤さんのお歌を「浦島老人出奔説」と解釈して、鑑賞記事書きましたが

いやいや、まて、やはり、浦島が村から消えた・・というと
誰だって考えるのは、亀の背に乗って海に消えた時のことと考えるよな、と
思いを新たにしていたところ、作者さんがお見えくださって、やはり作者さんの意図は、「行方不明の若き浦島」であることがわかりました。


じつは、数年前に、私も浦島伝説を題材にした連作を「浦島シンドローム」として作りました。


若い浦島も、どうも、屈託のない、さわやか青年漁師、には思えなかったのも
その頃の私自身のこころの反映でしょうか。

浦島伝説の場はさまざまあるけれど、有力な、日本海がわにしましょう。

私自身は黒潮の気と磯の香にまみれて育ったのですが、どうもあの男性的な群青と怒涛の大うねりの底に、嫋嫋たる乙姫が住まいするとは思われず・・。

日本海は、冬は恐いけれど、春や夏の凪いだ海はまるで揺りかごのしとねのよう。
薄みずいろにけぶって。とても女性的です。

亀を助けたのは、そんな浜辺を独り逍遥していた太郎。

漁に出て帰る途中というような活気がないのですよ。

なんだか、苛められる亀をひとしきりぼんやり眺めていて、
そののちに、わがものとしたく買い取った・・みたいな気がする。


購ひたるこの小動物いかんせん稚き漁師は逡巡(ためら)ひにけり


虐待した、食べた、とまではいかなくても・・
好きな村娘の名をつけて、ひそかに飼う・・とか。うわ。


身寄りのない、独り暮らし。

漁師仲間とのつきあいもない。

特に希望も失望もなく、その日暮らしの退屈に身を委ねている、覇気のない若者
といったイメージです。

亀が好意から
「今からよいとこへお連れしましょう」と言ったところで

「ちょっと待ってくれよ、おっかあに言わないと心配するだでよ」とも言わず

ホイホイと乗っていくところからみても。




ときに、「駆け落ち説」もある、と作者さんからおしえてもらいました。

ふうん。。まさか、亀と・・ではないですよね。

乙姫さんと、はや顔なじみ、いや恋仲やったんですか~ 


ところでちょっと話はそれて、童謡の歌詞ですが、あれ、グロくないですかね。

乙姫様のごちそうに 鯛や平目の舞い踊り

熱帯魚なら、その群れなして泳ぐ様子も、「舞い踊り」として鑑賞も可能だろうけれど・・ヒラメ?


鯛やひらめのごちそうに 乙姫様の舞い踊り

これがまあ順当、と思われまする。

鯛やひらめの舞い踊りをみながら、太郎は乙姫様からどんなごちそうをふるまわれたというのでしょうか。海ん中で。


何気なく歌ってたけど、考えたらヘン。まして児童らの声で無邪気に唄われると、ちょっと不気味。


なんかね。開けたら年寄りになる箱お土産に持たすとか、浦島のお話って理解不能なところ多いんですよね。


こんな記事を別ブログで書いてました。
乙姫の歌


このお歌は何年も前の題詠マラソンで見つけたお歌なのですが、忘れられない歌になってます。


丹後の海凪ぎてすさまじ 白髯(はくぜん)の蕩児は阿片の熟寝(うまゐ)に果てぬ