きもちよくなければきっと永遠だったかなしくないわさびしいけもの
石畑 由紀子
「わさび」を分割する手、はいくつか見られましたが。
この状況設定に惹かれました。
たまたま、「蜜月」(小池真理子)という小説を読んだところで、天才画家で今光源氏ともいえるような、女性遍歴を繰り返す男の話が脳裡にあったから、という身勝手な動機です。
まさに「さびしいけもの」である男女の一期一会を描いた連作でした。
もともと性愛短歌というものを(このお歌が違うなら、作者さんごめんなさい)
毛嫌いしていた私にはとても珍しい現象です。
性愛を怜悧に見つめて詠った歌と、性愛の匂いをまきちらす歌とは全く別物だということ今頃気付きました。食わず嫌いはなににおいてもいけませんね。
こちらはもちろん前者。上の句の意味は深いです。
「快」と「永遠」とはどうやら両立しえないもの。
人と人とのつながり、肉体においても精神においても。
ひとはいったいどちらに重きをおくか。
このお歌、特に「性」に限定しなくてもいいようにも思えてきました。
人生は「きもちよく」さえなければ「永遠だった」かもしれない。
逆にいえば、人生は「永遠でない」ゆえに「きもちよい」
かなしくないです。そうです。もともとさびしいけものなんです。生きとし生けるもの。みんな。
こんなに優しく澄んだ性や哲学を詠うことは出来ないので、力づくの「わさび」割でコラボします。
そうくるとわかってたわさびんたの後 髪の毛の数かぞえる愛撫
迦里迦
石畑 由紀子
「わさび」を分割する手、はいくつか見られましたが。
この状況設定に惹かれました。
たまたま、「蜜月」(小池真理子)という小説を読んだところで、天才画家で今光源氏ともいえるような、女性遍歴を繰り返す男の話が脳裡にあったから、という身勝手な動機です。
まさに「さびしいけもの」である男女の一期一会を描いた連作でした。
もともと性愛短歌というものを(このお歌が違うなら、作者さんごめんなさい)
毛嫌いしていた私にはとても珍しい現象です。
性愛を怜悧に見つめて詠った歌と、性愛の匂いをまきちらす歌とは全く別物だということ今頃気付きました。食わず嫌いはなににおいてもいけませんね。
こちらはもちろん前者。上の句の意味は深いです。
「快」と「永遠」とはどうやら両立しえないもの。
人と人とのつながり、肉体においても精神においても。
ひとはいったいどちらに重きをおくか。
このお歌、特に「性」に限定しなくてもいいようにも思えてきました。
人生は「きもちよく」さえなければ「永遠だった」かもしれない。
逆にいえば、人生は「永遠でない」ゆえに「きもちよい」
かなしくないです。そうです。もともとさびしいけものなんです。生きとし生けるもの。みんな。
こんなに優しく澄んだ性や哲学を詠うことは出来ないので、力づくの「わさび」割でコラボします。
そうくるとわかってたわさびんたの後 髪の毛の数かぞえる愛撫
迦里迦