非天の笑み

a suraのえみ
  

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父へのありがとう

2014年05月05日 | 近詠


       とこしへに返信不要 「ありがとう」と
              父の末期の筆跡(て)は笑みてをり




                        


今日は亡父の満中陰です。    量誉浄雲久安居士。

享年八十六歳。2年前にがん転移を知らされ、もって1年、といわれてから2年後の死でした。


私自身、初めて近親との死別を経験し、こんな歳になって初めてわかったこと、考えることの多い四十九日間、いや、2年間でした。


わかった最大のことは・・・人は「死ぬ」という経験はできないということ。

今更こんなことをいうのも面はゆいのだけど。当たり前のことかもしれないけど。

死ぬ直前まで「生きる」ことしかできないと。


人間、八十も過ぎれば、明日死んでも不思議でないだろう、ましてがん宣告 死の予告されたら
もはや死ぬことのみを考えて日々生きるんだろう・・・そんなふうに思ってた。

が、そうでなかった。

誰しも死は覚悟する、するけれど、「どうせ死ぬんだからもういい」そんなふうに今を捨ててあの世を願うことはないらしい。


父の2年間を見ていて、感心したことは。

年齢なりにファイトアウト=今生を生ききった ことです。



もはや自分は収穫をみられないだろうものをせっせと畑に植え、孫と毎日デコメのやりとりして、趣味も、行きたいところも 好物もいつにもましてはっきりと、死ぬ直前までできる範囲で、ささやかな楽しみをひたすら喜ぼうとする姿は変わりませんでした。

母もまたそれに添うように、悔いのないように懸命にサポートしていましたが。。。


死後の事務手続きの書類整理、戒名の選択、そんな話も母との間ではしていたらしいけれど、
それさえも、「死ぬ」ことではなく「生きてるまにできること」だと納得します。

元来、性格的に、明るい好日的な人だったのかもしれません。生前は父の性格なんて関心もなかったのに
今そんなふうに思います。


末期がんで医療麻薬漬けになりながらの死の直前。最後にホスピスに見舞ったのは亡くなる三日まえだったのですが

60年近い父娘のつきあいで、最後に交わしたことばは何だったんだろう・・・と考えて。



「おお、その服 ええの着てるやないか」病室へ入るなり私の着てるセーターをさして発した言葉。
「これ?」・・・それかな。

私の手作りパンを寝たままちぎって食べながら(ほんとはもう食欲なんかなかったので無理して食べてたのかも)

「これはうまいなあ。。市販のとは全然味違うなあ」


そのあと気休めの脚マッサージしてあげたとき。ほんの2、3分で

腕で丸を作り「もうええよ。オーケー」 これがほんとの最後。


私的な身の上話だけれど、じつをいうと、私は遠い思春期の頃に父とのあいだに、諍いがあり、親としては失望する思いを抱いたまま成長した人間でした。

長じてからはいつまでも恨むような感情は持ってませんでしたが、といって、さほど親密な話もせず、いわばそっけない娘と遠慮がちな父親でした。


「父を許したのか」と自問すれば・・「たぶん許すことはないだろう、自分を大事に思うかぎり」と答えるだろう確信はしていました。

なので、父が死んだときも 「涙を流さない自分」を想像していて、こちらの想像は当たりましたが、

「許さない自分」これに関しては思いの外でした。

つまり・・・一人の人間の「死」とともに、そのひとへのわだかまりが「消えて」しまってるのに気づかされたのです。


「許す、許さない」ではなく、そういう不穏な感情そのもの一切が、するすると消えてしまってた・・・。

いわば がんの痛みさえ「死」には勝てないように。。。


涙が出なかったのも、冷たい感情からではなく、死というものに、思うことがやまほどありすぎて、安易に感情を涙に委ねられる心境ではなかった・・というところでした。



60年連れ添って一回たりとも「ありがとう」も「すまん」も言ったもらったことがなかった。とうとうなんも言わないで逝ったわ・・というのは母の繰り言。


ところが、葬儀をすませて入院時の荷物の整理をしていたら、父のポーチに入っていた手帳に
母宛、娘たち宛、孫たち宛、のメッセージが書かれているのが見つかったのでした。


死の一月ほど前、まだ起きて10分くらいは座っていられた頃。食事テーブルに向かって何かを一生懸命書き込んでいる父の姿を看護師さんが見かけていたそうです。


筆圧もすでに弱く、元気な頃の筆跡から思えばかなり乱れもあって
内容も、感謝と謝罪と 先のことを頼む、ということと、皆で楽しかったことの追憶と・・という走り書きのような手紙でしたが。
              

めったなことでは心動かされない私が、これには打たれた・・・


理由は明白。一方通行の手紙だからです。

たとえば飛行機事故などで、墜落までの時間に絶叫のような思いで もはや会えない家族に当てて記す最後の悲痛なメッセージ。。のように。


でも、父は言おうと思えば言えたし、返事も聞こうと思えば聞けたのだ。母などは毎日病院に詰めていたのだから。

「ありがとう」

「いいのよ」


「昔の男は気恥ずかしくって、そんなこと家族に面とむかって言えないんだよね」という人もいたが

私はそうではないと思うのです。

母宛の中に「先に逝くけど・・」という部分がありました。




ひとつは、はじめに書いたようにこれは「生きる」人間のメッセージではないから。たとえ瀕死の入院暮らしでも、生きている日常に言う言葉ではないから。

どんなに死を目の当たりにしていても 今の苦しさをどれだけ訴えても、それは「生」。

生ある人は「死」ぬ自分を語らない。死は自分の意志ではないから。

「ええ天気やなあ」とか「今日は何曜日やったか」とか、を言い続けて生ききるものだと。



父の最期をみていてそれがよくわかったのでした。


いまひとつは。自分への戒めの気持ちもあったのではないかと思います。

今生、私たちが常套にやっている、返事をもらえるやりとりは、どこか不純になる。
たとえば謝罪でも、相る気持ちに、許されて自分が安心したい期待が混じる。


父が長年母にさんざんの苦労をかけたのは事実だそうだが、謝りはしても、許される自分を潔しとしなかったのではないかと。

そう思うのです。

純粋に詫びる気持ちだけのために、死後にしか読まれない手紙、もしかしたら、うっかり捨てられて読まれることのないかもしれない手紙として、自分の本心を表わそうとした・・・



もともと文章など書くのが得意な人ではありませんでした。

でも痛みをこらえながら、少しずつ書いたのでしょう。


内容はあくまで明るく じめついたところのないもので、母親宛には一番長く、署名して筆をおいたあとに
ひときわ大きい文字で「ありがとう。心から感謝してます!!」をさらに書き加えてるのが肉声のようでした。

どうしても伝えたいけれど、伝わる確証もなく、永遠に返事のもらえない手紙を書く孤独。
父はそれを自分に課したのではないか、と思ったのです。


まだその手紙を読んでなかったときですが、

霊安室でまだ眠ったままのような父に

声を届ける最後だという気持ちがつのり、思わず声をかけてしまいました。

自分でもまったく思いがけないことであり、しかもそのひとことは


「ありがとう」


でした。


死ぬ前に、もし心の中で声かけるとしたらとぼんやり考えていた「あとのことは心配しないで」でもなく「またいつか会えるね」でもなく・・・。


思い出せば父は何かにつけ、私に「おおきに」「ありがとう」と言っていました。病気になってからはよけい。

たぶん、それしか私に向かってかける言葉を知らなかったのだと思います。


私はそっけなく「うん」くらいで。


「こちらこそありがとう」


他の誰にでも必ず返す言葉を、父にはあまり返さなかった・・・・。


娘を甘えさせてやる、ということの不得意だった父に わたしができる唯一の甘え方だったのかもしれないなあ・・と今気づく。


どうやら父へのありがとうは父の生前の言葉に人として応えたものであるらしい。


亡くなって、ようやく、父とまっすぐに向きあえた気がしています。そしてそれは父娘の訣別の言葉でもあります。


                                合掌



















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おばさん

2013年08月27日 | 近詠


   もはやいつゐなくなりてもをかしくない「おばさん」の上にも起つ秋の雲
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明日へ

2013年08月27日 | 近詠



   夕焼けに巻き尾きりりと背けつつこの仔どこまでも明日(あした)へ歩む




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蝉鳴かぬ

2013年08月20日 | 近詠


  蝉鳴かぬ夏は地震(なゐ)振る兆しとぞ 口数多き人の世うたて





時代物アニメに喫煙描写が多いって、難癖つける団体。


ここまで来たか、とあきれたけど、そこに限らない。


喫煙者を採用しない企業 受験させない学校もあるとか。



「健康」「清潔」?

「正しいこと」さえ掲げたら、そこのけそこのけの権利でも得たかと勘違いする心理。

他人に介入し侵略する罪悪感の麻痺。


そしてそれに雪崩うって批判も何もなく追随する世間の風潮。


ファッショだ・・・
(ナチにも「健康政策」なるものがあったらしい)



心理的には
魔女狩りともいえるか・・・?


バイキン退治、イジメ。







ま、めでたく喫煙者撲滅したあかつきには、次は何がターゲットになるんだろう。




犯罪ではないが、正しくはなくて、責められたらぐうの音も出ず、しかも少数派。ここポイント。


(酒だって、健康にもよくなく、飲んだら飲酒運転、交通事故、という人の命を脅かす代物だから、といえば
煙草同様、他人の飲酒に介入もできる理屈になる。なのにそうはならないのは飲酒者が多数派だから、ではないか)





分煙、でよいではないの。今どきのスモーカーはノンスモーカーに対し、遠慮しているではないですか。

下出に出てるくるものをいいことに、威張ってるようにしかみえない。


自分が喫煙者だったから言うのではない。

禁煙に成功したけど、こんなふうに世の中がエスカレートしていくなら、もはや弱者、少数派、
に回るほうがいい、とも思えてくる。私の性分的に。

殉教ならぬ、殉煙。





本来 個人の「自由」である範疇のことに、圧力をかけながら、それを是として広がっていく人の心理の流れは、


副流煙より怖い。














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盛夏に

2013年08月05日 | 近詠


浮世びとの持つものなべて零しきつ 俯かず佇つ盛夏にひとり


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