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雪崩と雪の模様

2015年01月29日 | 地域
一月も末でまだまだ寒さは続くだろうが、4年続きの豪雪も今年は一変した。雄長子内岳、雌長子内岳は正月前から雪崩が見られる。立春まで少しだが暦の上ではまだ大寒寒さの最も厳しい時期だが雄、雌長子内岳の雪崩現象はひっきりなしに続く。雄長子内岳から三本鎗山を含む一帯は火砕岩(流紋岩質)と呼ばれ滑りやすく雪崩が頻発する。全層雪崩というのだろう。雪崩の後は土が黒々と遠くから見える。雪崩の後降った雪が積もり暖気が来ると同じ場所に又、雪崩が発生する。繰り返される雪崩と急峻な地形には灌木しか育たない。街部のすぐ側に雪崩現象が見える風景は珍しい。

2015.1.27 雄長子内岳の雪崩  奥の山も雪崩直前の亀裂が多い

雄長子内岳は町部のすぐ目の前の山で標高470mとそれほど高くはない。近年秋田のピラミットと言われ登頂を目指す人が多くなった。山全体が岩肌で急傾斜、登山道は整備されてはいない。雪崩が頻繁にある冬山への登山は進められない。30年ほど前にキノコ採りに出かけ滑落の事故があった。

「高橋喜平」氏は岩手県出身の雪崩研究家でエッセイストだ。氏の随筆「雪崩夜話」は次のような書き出しで始まる。「雪崩は雪の葬送である。その誕生の荘厳にして華麗なる較べ、その葬送はあまりにも悲惨で残酷である、、、」と雪山の遭難を悲惨なものとして書かれている。更に随筆には「私の住んでいる村に <百間ビラ> と呼ばれている雪崩地がある。当地方では底雪崩や急斜地をヒラと呼んで、ヒラが地名を指す場合にはピラまたはビラたなることが多い、、、、、、アイヌ語でピラといえば急斜地を指す」とある。

当地方でも山の急斜面を「ヒラ」と云い、高齢者はヒラの雪崩を「ヒラ突き」と言っていた。高橋氏のいうアイヌ語のピラのなまった言い方だろうか。「秋田の言葉」秋田県教育委員会編 無明舎によれば、県内ほとんどで「ひらちぎ」と呼び、『雪崩。「ひら突き」か。「ひら」は急斜面を意味するが、そこの雪を突いたら雪崩が生じる』とある。昭和30年代の当地区の鍋釣山には毎年のように雪崩が発生した。当時暖房用の薪伐りが村のあげての行事だった。急峻な山の立ち木が伐られるので、雪崩が当然のように山裾の沢まで流されてくる。そのため下部にある持ち山に植林はできなかった。燃料革命が浸透し薪伐りをしなくなった40年代になって親父は我家の持ち山に杉を植えた。今では鍋釣山の樹木も5、60年も経過した雑木林となっている。内沢では雪崩が起きるヒラは極少なくなった。

当地方のこの冬の初雪は11月15日だった。山々や住宅の屋根が白くなったが朝方から小雨になり、雪はすぐ消えてしまった。その後好天が続き12月2日になり翌3日にかけて降雪、除雪機始動するくらい積もった。この雪は消えず根雪になってしまった。初雪同然の積雪がそのまま消えることなく根雪になったのは近年記憶がない。誰しも5年連続の大雪になるのか等と心配し、早々の屋根の雪下ろしを済ませた。しかしその後は降ったり、止んだりの小康状態が続いている。当地方の雪質はいつもの年より水分が多く過去4年と比べて雪は少ない。今のところ積雪はせいぜい1mぐらい。下の写真は昨年の育苗ハウスの積雪の状態。約230㎝はあった。

 2014.1.25 ハウスの積雪

例年より水分の雪質はいつもと違う景色を作り出している。傾斜の強い土蔵のトタン屋根にはきれいな雪の模様があった。自然は不思議な造形を見せてくれる。

2015.1.17 土蔵の屋根雪 1

拡大すると下のようになる。屋根のトタンは横長尺という葺き方になる。平面的なトタンにどうしてこの幾何学的ともいえる模様はできるのだろう。乾いた雪には見られないが、湿った雪には水蒸気が多く補給され、雪の結晶形も発達し粘着力と粘性があるためにこのような造形が生まれるといわれている。

2015.1.17 土蔵の屋根雪 2

例年だと湿った雪になるのは春近くになってからだが、この冬はいつもと違う。日本海の海水温がいつもより高いといわれているのが影響しているのだろうか。これも異常気象というべきかもしれない。

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