の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

雑記15 『本住吉』

2011年07月03日 10時26分05秒 | 雑記
 以前、戸の本住吉社の宮司さんと話をした時、彼は博多の住吉社→下關の住吉社→本住吉社→住吉大社と住吉のが遷ってきたことを主張されていた。これは、本住吉社側の見解のようである。しかし、これは文献的な裏づけはなく、また、戸の本住吉社の周邊には住吉を「すみのえ」と呼んだという事實もなく、その根拠はないと考えらる。

 實際、日本書紀に見える住吉大が最初に示現し、祭祀を受けたところというのは地形的な考證からも大阪市の難波津住吉が妥當と思われる。攝津國にはもう一社、一之宮とされる坐摩社があるが、山根太郎という方は「住吉の大と坐摩のは同體」とみて、上代から中世を通じて坐摩のの鎭まる社のあった地域、今の坐摩社行宮を、最初に住吉の示現し、祭祀を受けた地と想定している。實際、『住吉大社代記』には坐摩のが「住吉の大の御魂」と記されている。

 そういったことを考えると、住吉大社の元宮が本住吉社という關係がなくなる。そうすると、本住吉社の祭がどこから勸請されたものかわからないので、両社の關係性は非常に薄いと考えざるを得ない。


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