の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

桑田社

2010年11月21日 10時31分47秒 | 近畿(滋賀、京都)
■本殿■
(22nd May 2010)

 

★桑田社★ 京都府亀岡市篠町山本北条51

・延喜式内社、丹波國桑田郡、桑田社、論社。

・舊社格は村社。

・祭は市杵嶋姫命。大山咋命、大山祇命を配祀。立地条件のこともあってか、水神を祀るとされ、辨財天とも考えられていたことがあるという。

・創祀年代不詳。

・現在の保津峡は、近世には浮田峡と呼ばれていたため、保津峡の出口にある當社は浮田明、請田明と稱されていた。

・明治までは請田社と稱していたが、明治六年(1873)六月村社に列し、式内社桑田社と公稱するようになったという。

・『篠村史』には、當社は馬堀の同名社からの分祀と記されているという。


■鯰の手水舎■
(22nd May 2010)



■社號標、鳥居■
(22nd May 2010)
 


■拜殿■
(22nd May 2010)



■本殿■
(22nd May 2010)
 


■末社祓戸宮■
(22nd May 2010)



■末社五社社■
(22nd May 2010)
 


■末社地主社■
(22nd May 2010)
 


■末社秋葉社■
(22nd May 2010)
 


■末社九頭龍大■
(22nd May 2010)
 


■末社天滿宮■
(22nd May 2010)
 


■末社水宮■
(22nd May 2010)
 


((コメント))

2010年5月22日

 足利尊氏で知られる篠村八幡宮の横の道を北上していった所に鎭座。少し迷うも無事到着。いきなり、手水が鯰であるのにはびっくり。社は、割と立派な雰囲氣であったが、個人的には式内社には思えないところである。歴史は知らないが、平安時代には鎭座していなかったであろうと感じさせる何かがある。當社は、延喜式内社桑田社の有力な論社であるらしいが、これは近世に隆盛していた側という意味であり、明治政府などの比定は當てにならない。現在、眞實を知りうる術はないが、興味あるところである。


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